鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

日本一周旅行後編⑤

 

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本日の移動です。

 

まずは朝の六時台の始発列車に乗ります。乗る路線は嵐電です。

嵐電広隆寺で降りたかったのですが、嵐電天神川で間違えて降りてしまい、二度手間になってしまいましたが無事到着です。

ここではさっそく写真を撮ります。

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嵐電は普通の列車なのに併用軌道を走る場所が多く、沿線の風景と絡めて写真を撮ることができます。

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二両編成の列車です。広隆寺の桜門と絡めたショットを撮ることができます。

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短い列車です。朝は頻繁に列車がきますが、歩道からの撮影になるので歩行者に気を遣う必要があるとともに、映り込みもあるのでうまく撮れたのはこれくらいでした。

とはいえ完全に順光で綺麗に撮れたので満足です。

 

ここからは嵐電で天神川まで戻ります。今度はここから市営地下鉄に乗って行きます。

 

これから乗る地下鉄東西線太秦天神川から二条など経由し京都の町を横断すると、山科あたりから南に進路をかえ、宇治市六地蔵を結ぶ路線です。東西線と言う割には半分くらいが縦の経路を撮る路線として知られていますが、本当に東西を結ぶように走る列車も走っています。山科の一つ前の御陵で分岐し、京阪京津線に乗り入れる直通運用が多く存在します。この運用ならば山科で南にカーブすることなく、東西を行く路線と言えそうです。しかし山科の少し先からは滋賀県にはいってしまうので、市営地下鉄としての建設はせずに京阪への乗り入れにて対応するという形になりました。京津線はこの直通ができる以前は三条まで地上を走る路線でして、東西線の駅の名前に三条京阪という駅名があることからその名残を感じることができます。京阪本線の駅は何もつかない三条なので逆転現象が起きていることも有名です。

しかしその京津線が曲者でして、勾配やカーブがかなりきつい山岳区間から路面電車のように走る併用軌道の区間まで多種多様な場所を走る路線で、その車両性能には高い水準が求めらます。さらに地下鉄の直通となるとその個性が増えますが、地下鉄側にも技術力の高い車両を導入しなければならず、そのコストが問題視されることもありました。結局京阪保有の車両のみの地下鉄に乗り入れる運用となり、市営の車両は直通しないことで現在のダイヤとなっています。

そんな個性の強い区間を全線乗り通してみようということで、太秦天神川からびわ浜大津までの35分間を乗車しました。

 

びわ浜大津は琵琶湖の湖を行く船の発着地である大津港が近くにありまして、そこで写真を撮るなどして滋賀の観光を行いました。

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港は観光地化されていて非常にいい雰囲気です。

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本来ならばこの奥に大きな噴水があり、それを見に来たのですが故障による修理中みたいでそれは見ることができませんでした。

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友情出演していていただきました。いいショットです。

 

この後この船が港に到着したので近くに行ってみると、ミシガン号と言われる観光船だということが判明しました。しかも一時間半ほどのクル-ズが三千円ほどで楽しめるということでこれは乗るしかないと思い土壇場で乗船させていただきました。

 

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大津の街並みです。ビル群など発展の様子を見ることができます。

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逆サイドです。海のように波がなく非常に快適なクルーズです。

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船尾からの形式です。日の丸と太陽です。青い空と青い海もいい感じです。

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船から湖西線が見えました。機材と腕があればもっとうまく撮れたのかなと思いますが、動いている船から動いているものを撮るのはなかなかむずかったです。

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この辺は周囲一帯がリゾート化されていて、旅館などもちらほら見えます。

一段落ついたら客室に入り、飯を食べます。

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移動しながら食べる飯はなんだか格別な気がします。この船はアメリカと深い関係があるみたいで、アメリカンな食事です。ハンバーガーは近江牛バーガーらしく、滋賀を堪能することができるいい一時間でした。

 

船を降りたら再び京津線にて山科に向かい、そこからはJRにて京都に戻りました。

 

東海道山陽新幹線(京都~西明石)

京都からはのぞみ号とひかり号を乗り継ぎ西明石に向かいます。ひかり号に乗れば一気に行けるのですが、乗り継ぎでもそこまで値段が変わらなかったため、のぞみ号に飛び乗りました。

京都から新大阪の新幹線は概ね在来線と同じようなルートを辿ります。新大阪からは貨物線に沿って在来線を短絡し、町を少し外れた山側を走り神戸に入っていきます。アニメの聖地巡礼に西宮北高を訪れたときは、六甲山の麓を少しハイキングする形ですぐ山が近くにそびえる町の姿を実感しましたが、今回はトンネルによって一気に貫きます。

乗換で降りおる新神戸は地上の駅ではあるものの、両方をトンネルに囲まれいかにも山中の駅という感じがします。新神戸は神戸市街からそこまで離れているわけではなく、むしろ近いくらいですがこの雰囲気です。その地形を感じながら待合スペースで列車を待ちました。新神戸の待合スペースが、コンビニのイートインのように座先とコンセントがあり、非常に助かりました。

新神戸からはひかり号で西明石まで行きます。京都から西明石には在来線との接続駅が新大阪しかなく、新大阪さえ通らなければ最長ルートに組み入れることが可能となっています。ついに東海道新幹線が終わり、山陽新幹線が始まったなと思っているとすぐに西明石に到着しました。

 

山陽本線(西明石~尼崎)

複々線西明石で終わっているのですが、新快速はこれより先の姫路や赤穂まで走っていますので、そこからやってくるご自慢の新快速で一気に。と行きたかったのですが、途中寄り道をしていきたかったので、快速列車にて三駅先の垂水で乗り換えます。

 

乗り換えるのは山陽電鉄です。ここから二駅の滝の茶屋という駅で写真を撮っていきます。

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空は青いですが、少し陰っています。この駅は線路ギリギリに迫りくる海を一緒に撮れる場所です。迫りくる崖と海の間にいかつい複々線とJRのこの区間がすごく好きなのでそれらが撮れる場所を探すと、山陽電鉄にちょうど良い場所がありました。

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新しめの車両も来ます。通過列車を撮るときは真横を通過するので気を付けてください。

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うまく撮るとJRも撮れます。これは普通列車です。

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こちらは新快速です。方向別複々線が段々に走っている姿は壮観です。

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貨物列車も通過していきました。青い西濃運輸のコンテナが目立ちます。

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最後は晴れて順光の列車を撮ることができました。これにて撮影を終了し、再び垂水まで戻り山陽本線を上っていきます。

 

垂水からは途中で乗り換えせず、そのまま快速に乗って行った方が早いみたいなので、10駅間を40分ほど乗って行きます。この区間は新快速以外乗ったことなかったので、意外となれない感じでした。途中の尼崎で下車し、乗り換えていきます。

 

福知山線山陰本線(尼崎~福知山~豊岡)

3分ほどのタイトな乗り換えで、ここからは特急こうのとり号にて再び山陰を目指していきます。車両はしらさぎを走っていた車両を流用した車両で、北陸で乗ったものとおなじ車両です。こうのとりの名前は豊岡で繁殖されているこうのとりに因み自治体の強い要望により決まりました。

福知山線は途中の篠山口までが宝塚線としてアーバンネットワークの路線の一つとなっています。この正式名称のほかにアーバンネットワークとして線路愛称をつけそちらで案内する手法はこの福知山線と深い関係があるとも言われています。一説には福知山線であまりにも大きい事故が起きてしまったため、そのイメージを定着させないようにこのような案内になっているとも言われています。これは噂の域を出ない話ですが、実際に福知山線と言えば大事故を連想する人が多く、私もその一人ですのでこのイメージ戦略は成功といえるのではないでしょうか。それ以外にも新神戸で別れている東海道本線山陽本線琵琶湖線京都線神戸線とそれぞれ運用単位で区分けされるなど、実際わかりやすい案内なんだろうなとも思います。

列車は尼崎を出ると東海道線から離れるように北向きに急カーブを切ります。例の事故はこのカーブで起きたものだと勘違いする人がいますが、実際にはこのカーブを緩和するために設けられたもう一つさきのカーブです。事故のあと線形の改良工事が行われたみたいですが、大きく線路の場所を変えることはできず、まだまだきついカーブは残されています。実際にそのポイントで追悼の警笛を必ず鳴らす人もいるそうですが、多くの列車は何事もなかったかのように通過していきます。列車事故というのは起こるたびに運行システムや制御システムが見直され、制度が新しくなるきっかけともなっています。私たちマニアはそのシステムの歴史こそ事故の歴史であることをよく理解しているので、その痛ましい事故が風化するようなことは絶対にありません。これはJRに限らず鉄道マンにとっても同じだと思いますが、一般の乗客には何ら関係のないことです。人災だっとはいえ、原因は一つではなく社会情勢や運行管理の問題、もちろん該当運転手自体にも問題はあり様々な事項が絡み合って起きた事故ではあります。第三者にとっては事故を客観的に見た場合の出来事しか知ることはできず、真相はわからないですが是非そのような事故があったということを一般の方も知っておき、今後日本の社会や自分の所属する団体が間違った方向に進みつつあるとき参考にしていただければよいなと思っています。起きてしまった事故を元に戻すことはできませんが、その失敗を分析し自分や今後の社会に活かすことが、事故に対する一番の追悼ではないかと思います。

そのカーブを抜けると比較的線形の良い区間を進んでいきます。横に伊丹空港などを見ながら北上していきます。空港のターミナルは線と反対側の大阪側にあるので滑走路はギリギリ兵庫県にあるというような県境上に位置する面白い建造物です。伊丹の代わりに関空を作ったので、関空が完成し次第伊丹は潰す予定だったみたいですが、作っている間に飛行機の性能が向上し、問題となっていた騒音問題が解決してしまったので今でも活躍する空港の一つとなっています。

伊丹を過ぎると間もなくカーブし西に進路を取ります。阪急と並走して宝塚まで進んでいきます。宝塚からははいよいよ山越えといった感じで武庫川沿いに進んでいきます。

一山超えると神戸鉄道に乗り換えられる三田に到着です。三田という地名は関西と関東で読み方が違うことで有名で、読み方によって出身地がわかるという面白い地名です。三田を超えると再び山岳区間に入っていきます。

しばらく乗ると丹波篠山市の中心駅である篠山口に到着です。ここからはローカル線といった感じになってきますが、まだまだ沿線には人口は多い区間で人の乗り降りはぼちぼちあるようなところです。

篠山口を過ぎると間もなく瀬戸内側からくる加古川線と合流し谷川に到着です。ここから先は川沿いに山間を進んでいきます。

尼崎からは一時間半ほどで福知山に到着です。福知山線の終点となっているところですが、こうのとり号は山陰本線に乗り入れ引き続き走っていきます。福知山は京都丹後鉄道に乗り換えられる駅で、そこそこ規模も大きいところです。福知山は北近畿ビッグXネットワークと呼ばれる特急列車網のXの中心にあたる駅となっている場所です。Xの先端は大阪と京都、城崎温泉および天橋立となっています。

福知山を過ぎると次の主要駅は和田山です。和田山も瀬戸内側からくる播但線の終点となっているところです。播但線からは大阪から鳥取方面を結ぶ特急はまかぜ山陰本線に乗り入れてきます。福知山から一時間ほどで終点の豊岡に到着です。

 

豊岡も京都丹後鉄道に乗り換えられる駅で、こうのとりの由来になっている地域ですが、今回は改札を出ずにそのまま列車を乗り継いでいきます。

 

山陰本線(豊岡~鳥取)

20時を過ぎ暗くなってしまいましたが、先に進んでいきます。本当は城崎温泉などで一泊したいところあんおですが、今日中に鳥取まで行かなければならないので頑張って進んでいきます。

一時間ほど普通列車日本海沿いを進んでいくと、浜坂に到着です。ここで普通列車を乗り継ぎ50分で鳥取に到着しました。前回の鳥取方面は別路線でしたので、これにて島根から京都まで山陰本線の未乗区間が繋がりました。

 

第32県目:鳥取県

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改札を出ると地図のお出迎えです。鳥取といえば鳥取、倉吉、米子の三大都市のイメージです。

もう時刻は22時を回っていましたが、明日の早朝の負担を軽くするため目的地の周辺まで歩いておこうと思い、コンビニで軽食を買い歩きだしました。

本来ならばバスやタクシーでアクセスする場所なのですが、深夜と早朝ではではバスはないので、自力で歩いて向かうしかありません。

駅からは徒歩一時間ほどなのですが、駅からはなれるごとにみるみる暗くなり、人里離れていきます。まだ半分も行ってないのにこんなに暗くなって大丈夫かと不安もありましたが、こんな途中にテント張るのは嫌なので進んでいきます。

40分ほど進んだところでついに山のようなところに差し掛かりました。目的地にはこの山を越えなければいけないみたいです。少しやまを上ったところで完全に真っ暗になりました。該当一つないし周りも見えないですが多分全て木です。今まで夜道を幾度となく歩いてきましたが、初めて暗い場所が怖いと感じました。陸前高田の時はネットに頼れましたが、ここに来るまでに徐々に電波が弱まり圏外となっていました。

初めて引き返して止まる場所を探そうかとも思いましたが、地図を見れば道が続いていることはわかるので先に進みます。真っ暗な中歩くと看板が見えてきました。

鳥取砂丘Pの文字が真っ暗な中に現れました。しかし入り口がどこかわからず右往左往することになりました。看板を超えてからはまだ該当などがあり少しはマシでしたが、結構精神に来ました。結局入り口がわからずなるべく奥までいったところでテントを張り野宿です。

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フラッシュ焚いて撮ったら昼みたいになりました。ここで博物館かなんかの駐車場に一角にテントを張らしていただき睡眠をとりました。

 

今日も充実した観光をすることができよい一日でした。明日は待ちに待った鳥取観光です。