日本一周旅行後編④
8/26
本日も長距離移動がありますが、楽しんでいきます。
まずはコンクリの上からのスタートです。熟睡できたとはいえまたもや目覚まし前に起きました。テント泊は絶対寝坊しないという利点があります。今まで記事を全て読んでもらっている方にはわかると思いますが私は朝があまり強くありませんので、このメリットは冗談なく大きいです。とはいえ無理できるのも若いうちだけですので、今のうちに無理しておきます。
まだ暗い町中を歩き、高山駅から岐阜脱出を目指します。岐阜には直近に他の知人と行く予定があったので、今回はほどほどにしておきました。
㉓高山本線(高山~富山)
朝一の普通列車にて北上していきます。
車内では昨日の買い出しで買ってあった朝飯を食べます。
スカっと晴れて清々しい朝です。この後の旅行もうまくいくだろうと予感させるような天気です。
一時間ほどでJR東海とJR西の会社境になっている猪谷に到着です。
これにてJR東海の路線は全て乗ったことになり、乗車率が100%になりました。
この駅は異なる会社の列車が直列に停車する珍しい駅です。間の列車が来ないところだけ草生しているのが面白いです。
時間があったので西の車両を逆光で撮ってみました。雰囲気がいい一枚になりました。
この普通列車で再び一時間ほど北に進んでいきます。
猪谷からは富山県に入り、市街が徐々に近くなってくるようなところです。
神通川を何度か渡りながら、市街の西側から回り込むような形で北陸本線と合流するとまもなく富山に到着。
富山には昨日観光に来ていたのでノータイムで乗り換えです。
㉔北陸新幹線(富山~金沢)
ここからは北陸新幹線のかがやき号にて金沢を目指します。フル規格新幹線の効果を体感する乗車で、20分ほどで隣県の県庁所在地までを走破します。
本来ならば在来線の旅と行きたかったのですが、切符の指定ルートにより新幹線です。
能登半島の付け根をトンネルで突っ切ると金沢に到着です。
第30県目:石川県
金沢の観光はしたことがなかったので、灼熱の中観光に行きます。
このあたりから少しずつ予算の関係を考えるようになってきます。
本当に暑いなか歩き、金沢城の城跡まで行きました。
跡なので天守はありませんが、有名な兼六園の入り口がこの城に併設されています。
これは止む無しで金沢城公園の花たちでお茶を濁しました。
蝶が来ました。ベストショットです。これが私にとっての兼六園。
この後は駅まで戻りました。
JR西といしかわ鉄道の共用の出口です。この門は鼓門と呼ばれていて、能楽で用いられる鼓をモチーフにしていると言われている有名なもんです。
ここで自撮りです。遠くから見ると後ろのドームと一体化して見えるらしくそれもまた名物になっています。
この後は金沢の駅中でゴーゴーカレーを買い、特急に乗り込みます。
ゴリラの主張がすごい。これぞ本場って感じですね。
㉕北陸本線(金沢~敦賀)
ここからは特急を刻んで行きます。まずはしらさぎ号に乗り込みカレーを食います。
カツカレーにしたのでボリュームがすごい。といっても降りるまで15分しかなく、急いで腹に流し込みました。ちょっと食う場所間違ったかなと思いつつもおいしくいただきました。
特急で一駅の小松で降り、写真を撮ります。
さっそくサンダーバードが来ました。ぶっつけ本番にしてはいい感じで撮れたと思いますが、小松大学の主張が激しいですね。小松は空港もあって工業でも有名な街でもありますので、そういう意味では北陸本線らしい写真だと思います。
反対側の特急も一応撮れます。二両併結していますね。
普通列車はこんな感じです。二両とローカル輸送の閑散さを感じることができます。北陸新幹線が延伸したらと思うと今のうちに訪れておくべきところですね。
この後次のしらさぎ号にて20分ほど西に進みます。ここまででも石川を満喫した感ありますね。
次は県境を越え、途中の芦原温泉で下車です。
第31県目:福井県
芦原温泉からはバスの往復券を買い、東尋坊に向かいます。福井県の観光スポットは東尋坊をチョイスしました。自○の名所として有名な箇所でもありますが、昼はよい景色とその独特の風景を見るために観光客が多くいます。最期の電話ボックスなる公衆電話に、電話用の小銭と電話番号が書かれた名刺を有志の団体が置いているらしいですが、そのようなものは見当たりませんでした。多分その名所となっているのはもっと人気のない奥のいわばなのかもしれません。
近くのバス停もお土産センターとなっていて、中にレストランもあるなど完全に観光地化されていて、人でにぎわっていました。私もゆっくり観光したかったのですが、時間の関係があるので急いで岩場に向かいました。
船で岩場を下から見れる観光船が30分おきくらいで頻繁に出てるみたいです。しかし今回はこれには乗らず、さっと見ていきます。
初めて自撮り棒を使いました。眩しそうな顔です。柵など特にないので、一人で際はいいのですが人と行くときは浮かれて落ちないよう注意が必要です。
晴れ渡っていてかなり景色がよかったのでやたらに写真を撮りました。
これも全部観光船なんですかね?だとしたら多すぎますね。
観光船はこんな崖のすれすれまで来るみたいです。水の中も崖が続いていているから座礁しないのでしょうね。
岩に手をついたときの写真です。片手にカメラを持っていたので、手をついたときにシャッターが押されました。少しこけたくらいで、そんなに盛大に転んだわけではないのですが、見ていた人から一瞬悲鳴のような声が聞こえました。私は全然転んだうちに入らないと思っていますが、うまく手を付けていなかったらと考えると声を出すのも納得かもしれません。人と来た時は楽しい旅路でけがをしないように最新の注意を払ってください。
このような碑もありました。
景色もよく、観光地化されているので新鮮な海鮮も食べれるしまた行きたいなとは思うのです。でもあんまり怖いもの知らずの人と行くと、自分がそれより怖い思いをしそうなので、そのような人と行くのはやめた方がいいです。
ここからは次のバスで芦原温泉駅まで戻り、次はサンダーバードにて敦賀まで向かいます。
側面には雷鳥か白鷺かわかりませんが鳥の絵です。カッコイイ
45分ほどかかるので、一旦一段落といった感じで、席でゆっくりしていると
回ってきた車掌さんがくれました。多分マニアだということを見抜いて粋な計らいをしてくれたんだろうと思います。ありがとうございます。とても嬉しかったです。このような粋な計らいをできる人間に自分もなりたいですね。
前回の福井訪問とは打って変わって特急にて一気に福井を横断していきます。
福井の市街を過ぎると徐々に山岳区間に入っていき、まもなく北陸トンネルと呼ばれる長いトンネルに入ります。そこを抜けると敦賀に到着します。再びここで途中下車し、観光します。
敦賀にはかなり気になっていた施設があるので、レンタサイクルを借りて回っていきます。
ここのレンタサイクルは都市型のドコモのレンタサイクルでした。
見たかったのはこの旧敦賀港駅舎です。敦賀からは一昔前は敦賀港線と呼ばれる路線が分岐していて、国際航路など発着する大きな港まで鉄道で行けるようになっていました。中には写真や資料の展示がたくさんあり、とても興味深いです。
航空輸送があまり栄えてない時代に、航路に代わる輸送手段として鉄道が注目されました。上の図は主な定期国際航路の路線図です。敦賀からはロシアのウラジオストックを結ぶ船が出ていました。これは今でも舞鶴とウラジオを結ぶ定期航路があることから伝統的な航路になっています。ウラジオから西に延びているのがかの有名な東清鉄道です。
日露戦争の後にシベリア鉄道が開通したことにより、同鉄道のターミナルであるウラジオストックへの定期航路がある敦賀港が欧州と亜細亜を連絡するいわゆる欧亜連絡のルートとして栄えました。因みに満州を通る東清鉄道や満州鉄道が先に開通し、気象条件が厳しいがロシアの国内を通れるシベリア鉄道は後の開業になりました。
この図を見ると釜山まで出ても鉄路で東清鉄道やシベリア鉄道に出れることがわかります。そちらのルートは南満州鉄道の権益を日本が獲得した際に、政府らにより推奨されたルートです。門司港や下関から釜山までの定期航路は現在でも盛んに運行されていますが、こちらのルートを再現しようとする場合、朝鮮半島北部の通行が不可能なので厳しくなっています。ただ南満州鉄道は朝鮮方面だけでなく大連にもターミナルを有していたので、そこまで航路でいく第三のルートもあったみたいですが、航路が長い関係でそこまで推奨されてはいなかったみたいです。
当時の貴重な資料です。ロシアではなくソ連の時代です。
当時発行された欧亜連絡切符です。東京からヨーロッパまで一枚に切符で行けたと思うとすごいロマンです。調べても資料が少ないことがあったので、これは本当に貴重な資料を見ることができました。コロナウイルスさえなければ実際に現地に赴きたかったのですが、できなくなってしまいました。
当時の機関車と切符のマジックアートです。言わなくてもわかると思いますが、床に描かれた絵です。
ずっと一度は来たかった場所だったので、思わず自撮りしました。いつかシベリア鉄道関係の列車に絶対乗ろうと思います。それまでは東尋坊でこけるとかくだらない死に方をするわけにはいきません。
この資料館を見終わると、敦賀港線の廃線跡を巡ってみます。鉄道がなくなっても貨物ターミナルは機能しているみたいで、立ち入り禁止区画もありました。
そんなところをみていくとまず赤レンガ倉庫がありました。
どんより雲ですが、当時線路を走っていた列車が展示されていました。
中はこんな感じですが、もう営業時間が終わっていて中は見れませんでした。
帰り際に氣比神宮やソ連領事館跡などを見て敦賀駅まで戻りました。
駅にはこんなものがありました。敦賀までのルートはいいんですけどね。ここから先はひと悶着ある気がします。
㉖小浜線(敦賀~東舞鶴)
濃密な時間を終え、北陸線とも別れを告げローカル線の小浜線に乗って行きます。夕方になってしまいましたが、初めて乗る路線ではあるのでウキウキです。
この路線は若狭湾沿いに走り、海水浴場などの行楽地を通る路線でもあります。しかしこの路線はモータリゼーションの波には勝てず、JR西日本による自社のバスが同じようなルートを走るまでにもなってしまっています。
この辺の沿線は原発が多くあることもあってか、高規格な高速道路もあったりと経済的に重要な場所でもあります。
小浜線沿線は勉強不足なことともう暗くなってしまったこともあり、あまり紹介することはできません。
車内で敦賀名産の笹かまぼこを食べました。
二時間ほどをかけて23駅間を走り終点の東舞鶴に到着です。
東舞鶴では向かいに停まっていた列車に乗り換えまだまだ西に進みます。
㉗舞鶴線(東舞鶴~綾部)
ここからはすっかり暗くなった中を舞鶴線で進んでいきます。舞鶴線は先ほどの小浜線より少し古い路線です。一直線になっているのに路線が変わっていて、一つの運行形態のように見えますが、線路が敷かれた経緯から全く別の路線となっています。こちらの舞鶴線は舞鶴に海軍の鎮守府があったために敷かれた路線で、京都方面からの輸送が主でした。京都から綾部を経由し東舞鶴近辺が鎮守府に近く終点とされていました。
小浜線は逆側から線路が敷かれていき、最終的に舞鶴で二つが合わさることになりました。計画自体は小浜線の方が先あったのですが、舞鶴線は日露戦争による軍需輸送が見込まれることから、建設前倒しされ急遽開業となりました。なので最初から官営鉄道として開業したこの時代にしては珍しい路線です。
東舞鶴の次の西舞鶴では京都丹後鉄道が分岐している駅でもありまして、天橋立方面への観光列車なども出ているところです。
この路線には30分ほどの乗車で終点の綾部に到着です。
㉘山陰本線(綾部~京都)
ここからは山陰本線の普通列車にて京都を目指していきます。この区間は先ほど述べた舞鶴や天橋立に加えて、城崎温泉方面の特急列車も通る特急街道となっています。しかし近郊区間はそれほどながくなく、途中の園部からが嵯峨野線としてアーバンネットワークとなっている区間です。こう見ると東京の都市圏の広さがどれだけのものかがわかります。
山陰方面には新幹線がないので、特急列車の代替となるような山陰新幹線を実現しようと鳥取などの自治体による活動があります。しかし山陰地方の市場はそこまで大きくなく、次の整備新幹線になれるかは微妙なところです。
川沿いに一時間ほど進むと園部に到着。ここからは京都方面への列車が多数発着しています。快速列車なども頻繁に運行していますが、今回は夜遅いということもあり普通列車です。
園部からも川沿いをどんどん進んでいくのですが、途中の亀岡から嵐山の区間では川沿いギリギリをくねくね走っていたところを、近代化により長大トンネルで貫いた線路に切り替えた際、旧線を観光路線として整備したトロッコ鉄道があります。このトロッコ鉄道は一部区間で、今の山陰本線の複線の片方を逆走して走る区間がありまして、もともと山陰本線だったと感じることができる区間でもあります。
嵐山からは本格的に都市部に入っていき、光が多くなります。そんなところを進んでいくと終点の京都に到着です。
京都の嵯峨野線ホームは頭端式の二面に線になっています。東海道線など直通する特急はこのホームには来ませんが、普通列車は全てここからの発着です。このホームは三十何番線が割り当てられており、京都駅のデカさを感じることできます。嵯峨野線ホームはまるで三セク分離された並行在来線のようです。
京都からは駅前のコンビニで飯を買い、わかりづらいと有名のバスで大宮まで向かうのですが、乗るバスを間違い烏丸に連れてかれてしまいました。
なので阪急に乗り一駅で大宮に到着です。まだ電車が走っていてよかったです。
本日は駅に近い快活クラブでゆっくりです。地上出口を出て目の前だったので非常に助かりました。明日の出発は比較的遅いので一休みという感じです。
八つ橋が好きなのでコンビニに売っていたのはありがたかったですね。これまでの写真の集計などをした後熟睡しました。
明日も濃い一日となりますのでよろしくお願いします。