鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

【お知らせ】ブログタイトルと構成の変更

皆さんはじめまして。これまでの記事を読んでくださっていた方はお久しぶりです。

これまで旅客鉄道会社線完全乗車までの日本旅行記として記事をお送りしましたが、目的が概ね達成されたのでブログ名を変更しようと思います。まだまだ日本に未知の鉄道がないわけではないですが、乗車可能なJR線の完乗という一つの節目を迎えたと捉えています。これから未知の大地を求めて旅行する際、さらに旅行の規模とコストが増えることが考えられます。その旅のレポート的役割を果たす当ブログが良いものになればさらに旅の価値が高まるものと考えています。よってブログの構成についても変更させていただきます。旅行録と巡検録の2つのカテゴリに内容を分けて投稿することで、一つの記事を短くすることと、内容端的にするなど様々なメリットが得られると思います。それに乗じてブログ名も鉄道巡検録、鉄道旅行録を総称して鉄道巡検・旅行録と決定いたします。

鉄道の乗車目標については、これまでの路線単位から会社単位へと変更したいと思います。こうすることで以前より隅々まで鉄道の雰囲気をお伝えすることができるともいます。スケールも大きくなり歴史を遡る事も多くなるので、路線というときに不確定な定義を用いるよりも会社や運行に携わる機関をそれぞれの鉄道の違いと考えた方が有意義な記事が書けると思います。

今後も文才については期待できないところではありますが、写真や図形を用いてわかりやすく説明できればと思っています。徐々に文章を書く能力も育てばいいなという願望も交えて記事を書いていきます。引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。

 

【旅行録】タイ遠征①

今回からタイ王国への遠征について旅行録を記していきます。

 

 

空港までの道のり

まずは出張先から成田空港までの道のりです。詳しくは以下をご覧ください。

京成電鉄については過去取り上げたことがるので割愛します。古い記事で内容にまとまりがないので今後リメイクするかもしれません。

記事内の京成電鉄の紹介を参照。

 

エアアジアでタイへ

空港までだいぶ時間がかかりましたが、やっとのことで到着しました。空港第2ビル駅で下車し、第二ターミナルへと向かいます。

チェックインには少し並びましたが、ワクチン証明とパスポートの確認のみで非常にスムーズでした。手荷物もチェックイン時に預かっていただきました。

予約していたポケットwifiを受け取り出国審査へと向かいます。

その前に小腹が空いたので牛丼をいただきました。手続きがスムーズで時間には余裕がありました。

出国審査を終え搭乗口に向かいます。

国際線のターミナルに来たのはほぼ初めてでテンション上がりました。まだ見ぬ大地、への期待を抱き乗り場へと向かいました。

しかしどうやら登場する飛行機の前の便が遅れているらしく、一時間弱遅れての登場開始となりました。

ようやく入ってきたのはタイの国旗が書いてある機体、XJ601便です。これから乗車するエアアジア(AirAsia)は東南アジアに広く路線を持つ会社で、エアアジアXとしてタイと日本などを中心に運航しています。昨今新たに開港された路線ということもあってか、会社が破産しかけていたりヒヤヒヤでした。実際帰りに予約していた便はキャンセルとなり、未だに手続き中です。

 

かなり遅れて入ってきた割にはスムーズに登場が終わり、結局30分遅れ程で空港を飛び立ちました。機内食を予約していたと思っていたのですが、うまくできていなかったみたいで焦りました。昨今では航空会社の都合で機内食が予約制のところが多く、みんな食事時間なのにポツンと取り残されたような感じでした。しかしアテンダントの方に聞くと機内でも買えるみたいで助かりました。特別措置なのかそういうサービスなのかはわかりません。アテンダントには日本語が通じず、いよいよ海外進出かと思う反面不安も募りました。今回は英語が私より堪能な方が一人同行していただいているので、この時もそうでしたが大変助かりました。

照り焼き丼みたいなお弁当です。エアアジアXを模したXの文字がパプリカで表されています。開けた時は八方に散らばっていたので、勝手に考えたもので本来はこういうデザインではないかもしれませんがw。

機内はまさにLCCといった感じで、座席も夜行バスなどより狭く感じました。いかに一度の大量の旅客を輸送するかということはLCCにとっては需要なことですので、安さの代償だと前向きに考えました。このくらいの乗車時間ならば慣れでなんとかなるものです。ともかく機体は雲の上をどんどん進んでいきます。途中でうたた寝しているとベルトのランプがつきました。時差に備え時計を2時間早めます。タイはタイムゾーンが日本と一つ異なります。この日は一日が26時間になりますので、なんとも得しているきがしますが結局帰るときに±0になります。

 

遅れは殆ど回復し、ほぼ定刻でタイの大地に上陸しました。到着したのはスワンナプーム(Suvarnabhumi)国際空港です。地名については表記揺れが発生するため、初回のみ英語表記を記述することとします。今更ですがタイ王国の英語の正式表記は(The Kingdom of Thailand)です。

 

スワンナプームで大陸のスケールを感じる

入国審査はどれもスムーズに進みました。日本のパスポートの強さを初めて感じました。これについては流石にドヤってもいいレベルだと思います。日本の誇りといってもいいのではないでしょうか。途中の書類記入場所があり該当国からの方のみ書類を書かされていたりもしました。スムーズに進みましたが、空港が桁違いにデカイこともあり多少時間はかかったような気がします。大陸国家ではこのくらいの規模が普通なんだろうと思いますので、上記はあくまで個人的感想で入国審査も実際はめちゃくちゃ早く済んだだろうと思います。

 

空港からは鉄道に乗ってバンコク(Bangkok)中心部へと向かいます。詳しくは以下をご覧ください。鉄道の記事にも書きましたが、両替は鉄道の空港駅改札前の両替機が空港構内よりレートが良くオススメだそうです。

 

チャイナタウンで夕飯

フワランポーンからは街へ繰り出し地下鉄ブルーラインに乗りました。ホームには広告付きの液晶がところどころにあり、次の列車時間も表示されます。おおよそ五分おきに一本は走っています。1駅次のワットマンコン(Wat Mangkon)で下車。地下鉄はvisaのタッチ決済で乗れるので非常に便利です。運賃も何十円と安いので忘れてしまいましたが60円くらいだったと思います。

目的地はチャイナタウンです。

 

チャイナタウンはバンコク随一の屋台街で非常に安くタイの食事を楽しむことができます。様々な屋台フードを食べましたが、フルーツやフルーツジュースなど果物が一番舌に合いました。その分氷を抜かなければいけないのが歯がゆかったです。タイでは水道の整備にムラがあるらしく、あたることが多いので食さない方がよいとのことで、今回の旅行では最終日以外抜いてもらいました。他にも正露丸などの薬も多く持参していましたが、屋代は衛生面に不安があることは確かなので慎重に選びました。後日現地の人から屋台には気をつけろとも言われました。

メインは屋台街の中にあるレストランで食べました。この店のオススメは上の黄色いカレーのようでそれをいただきました。過行くトゥクトゥクを見ながらから揚げも食べて結構なボリュームでしたね。チャイナタウンを満喫したら再びブルーラインにて帰りました。タイの地元の有名な屋台を楽しみたい方にお勧めです。多分そのほかの場所より有名で人が多い分衛生管理もマシなんじゃないかと思います。

 

この日は時差で一日が少し長かったこともあり疲れていたのですぐ眠りにつけました。これにて遠征初日は終了です。

【巡検録】エアポート・レール・リンク、タイ国鉄東線

この記事ではタイを訪れた際に乗車した、空港アクセス鉄道について紹介します。

旅の様子については【旅行録】をご覧ください。

【旅行録】タイ遠征① - 鉄道巡検・旅行録

エアポート・レール・リンク(Airport Rail Link)通称ARLはタイの玄関口であるスワンナプーム国際空港とバンコク市内中心部のを結ぶ鉄道で、タイを訪れる方は必ずと言っていいほど利用するんじゃないかと思います。

空港構内にある案表示です。漢字の「鉄道」の文字はありません。起点は空港で終点はパヤータイ(Phaya Thai)となっています。さっそくホームへと向かいます。

案内表示からは結構歩きましたが改札に到着です。改札に入る前に日本円をタイバーツに両替し、切符を買います。切符は海外によくあるトークン方式です。電子マネーなどのサービスはARLにはないみたいです。

改札でトークンをかざしてホームに降ります。駅名表には漢字が書いてありました。今回はトレードマークとして日泰友好旗をつけています。結構うけがよかったですが、治安が悪いところに行くときは観光客アピールになるのではずしましょう。

 

南北線のようなフルスクリーンのホームドアがついているのに加え、ホーム補助員のような方が一人エレベーター付近に立っています。

到着メロディなどの音もなく列車が入線すると一目散に補助員の方が車内に入ります。モップのようなもので床を掃除しながら折り返すお客さんがいないか見ているようでした。この様子はさながら東京近郊の終点駅のようです。スワンナプームはタイの玄関口のような空港で、そこへのアクセス鉄道ともなるとより一層力がはいているように感じます。

車両の正面は青と赤の二種類があり、両方とも側面はタイ国旗の色です。正面が二色ある理由は建設当初は各駅停車と急行を色で区別していたためです。急行列車は空港から終点のバンコク中心部までノンストップで、急行の中でも終点が違う二種類の種別があったらしく相当複雑な運行をしていたみたいです。具体的にはパヤータイから空港、マッカサン(Makkasan)から空港までの二種類だったみたいです。ですが終点までノンストップということで、パヤータイ行の列車はマッカサンに停まらないことが不便で不評だったみたいです。今ではすべてが各駅停車の運行がなされています。案内表示が二色だたのもその名残ですが、現在の状態でも駅間も広いですしだいぶ便利に感じます。タイの顔に恥じないようノンストップ列車を設定したかったみたいですが、変に複雑にするより単純なパターンダイヤの方が外国人の多い空港アクセス鉄道には向いていますね。この判断は好判断だと思います。

 

列車は空港駅を出発すると空港敷地内は切り通しをまっすぐ進みますが、直に高架に上がりタイ国鉄東線を跨ぎながら左にカーブします。カーブ直後に次の駅に到着します。この駅は国鉄東線との乗り換え駅になっていまして、ARLができるまでは空港アクセス駅として機能していた駅です。しかし列車本数が少なく空港らからも少し遠いためメジャーな移動手段ではなかったようです。今ではバンコク西側に行きづらいARLの補完として、ここで国鉄に乗り換えることで移動を円滑にする役割もあります。本数の少なさは健在なので時刻が合えばという条件つきです。この駅から国鉄東線とピッタリ並走するようになります。地図にするとわかりやすいです。

赤色いがARL関連で黒色が国鉄関連です。地図の真ん中らへんは赤と黒がほぼ重なっているのがわかると思います。それほどこの二路線は線路が接近しています。それもそのはずでARLはタイ国鉄に関連が強い子会社のような形で運営されているらしく、この路線も官営鉄道的色が強くなっています。この様子はさながら郊外へ延びる鉄道の複々線化に似ています。現状はARLは標準軌の複線電化なのに対し、国鉄狭軌の単線非電化と増線扱いにするには飛び越し気味な気がしますが、背景を知ると別路線名目の複々線化にしか見えません。この鉄道のリープフロッグのような現象がバンコクの鉄道の特徴と言えます。既存の路線の電化や複線化をせず新設してしまうという光景が進化の段階を飛び越したと考えることができると思います。

 

今回はタイ国鉄のマッカサン整備場を見学するためにマッカサンでARLを下車しましたが、土日はスタッフへの問い合わせができないらしく見学はできませんでした。そこから国鉄東線のマッカサンへは結構歩きましたので、同駅名ですがこの二路線を乗り換えるのはオススメしません。

国鉄マッカサン駅の様子です。ARLと一転して木造の古めかしい駅舎です。

駅名表も木造で表記にもARLとは対照的な様子を見ることができます。

極めつけは駅からの景色です。左上に見えるものがARLで正面の路線がタイ国鉄です。同じ場所を走る二路線がここまで対照的に描写される場所はなかなかないのではないでしょうか。バンコクの鉄道事情がこの一枚で一目瞭然です。

駅の待合室の壁にこのような張り紙がありました。今回紹介したような増線がバンコク周辺で活発に行われており、高速鉄道なども建設中なことがわかります。タイ版の通勤五方面作戦とでも言えますでしょうか。まさにバンコクの鉄道は進化の途中といった感じです。

乗車する方向とは逆方面の列車がきました。この列車はスワンナプームのさらに先アランヤプラテート(Aranyaprathet)など,、カンボジア国境へと向かう列車でした。東線は現在カンボジア国内の首都プノンペン方面へと線路は続いていますが、乗り入れる旅客列車はありません。貨物列車の方はというとそこそこあるらしく東線は重要な国際路線となっています。並行する二路線の特徴が全く異なっているので知れば知るほど面白いところです。

国鉄マッカサンの時刻表の写真があったので載せておきます。

しばらく駅で待っていると乗車する列車が来ました。

バンコク[クルンテープ(Krungthep)]駅行きの列車です。列車は乗車すると間もなく発車し、今度はARLの高架直下を進んでいきます。高架から見えた摩天楼の景色とは一転し、高架下のはスラム街のようなものが形成されていました。

線路脇の風景です。闘鶏が行われており、博打でもしているのでしょうか。因みにタイでも賭博は違法です。そのようなスラム的風景の中をしばらく進むと減速し、北線との合流ポイントに差し掛かります。この合流地点はタイ国内有数のジャンクション機能を有するデルタ線となっているのですが、ここは何度も通るので今回は画像のみとし、詳しくは別記事での紹介とします。

画像からでもわかるようにデルタ線を抜けると間もなくバンコク[クルンテープ]駅に到着です。ホームは欧州のターミナルに似た端頭式で、列車の目の前には国王の写真が飾られています。

バンコク駅という呼び方は地元の方にも通じる言い方ですが、正式名称はクルンテープでこれはタイの首都の一部をとったものです。実はタイの首都名はバンコクではなく、クルンテープ・マハーナコーン・アモーン・ラッタナ・コーシン・マヒンタラー・ユッタヤーマ・ハーディ・ロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニー・ブリーロム・ウドムラー・チャニウェート・マハー・サターン・アモーン・ピマーン・アワターン・サティット・サッカタッティヤ・ウィサヌカムプラシット(Krungthep Mahana Korn Amone Ratchasna Koshin Mahintara Yuttayama Hardy Rock Pop Nopparat Rarchastany Bryrom Udomra Chaniwait Maha Saturn Amone Piman Awatan Satit Sakka Tattiya Wisanukam Prasit)というそうです。意味は「イン神(インドラ、帝釈天)がウィッサヌカム神(ヴィシュヴァカルマン神)に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の不滅の宝石のような、天使の大都。」です。バンコクという地名は大航海時代にここを訪れた欧州人の勘違いにより生まれた地名です。日本のじゅげむじゅげむみたいな話になってますね。ともかく駅の正式名所はクルンテープなのですが、地元の方からは周辺の地名であるフワランポーン(Hua Lamphong)駅と呼ばれています。東京駅のことを千代田駅と呼ぶような感じだと思いますが、同じ場所にある地下鉄の駅はフワランポーンなのでこちらの方が地元の方にはなじみ深いみたいです。地元の人と話す際はバンコク駅かフワランポーン駅のどちらでも伝わりますがクルンテープでは伝わらないので注意が必要です。

駅名表と自撮りです。これでようやく本日の目的地であるフワランポーンに到着しました。ARLのマッカサンから地下鉄に乗ればもっと早くついたと思うのですが、今回は整備場を訪問する予定だたのでここまで長引いてしまいました。

最後は立派なクルンテープの駅舎を紹介します。たなびいてる旗は国旗と王族の旗です。直近で王妃の祝日があったので王妃の色である青色の旗になっていて、駅舎にも王妃の写真がかけられています。このアーチのような形が特徴的なクルンテープ駅ですが、昨今の踏切による交通渋滞解消と路線近代化のために、この駅は廃止になりターミナルが北線のバンスー(Bang Sue)へと移る予定みたいです。廃止時期は未定みたいですが、現役のうちに身に来れてよかったです。皆様も是非お早めに訪れてみてはいかがでしょうか。

【巡検録】ホームライナー静岡6号

今回は海外遠征時に成田空港へ向かう道中で乗車したホームライナーについて紹介しようと思います。

 

まずはホームライナーの姿をご紹介します。

今回乗車するのは浜松19:32発のホームライナー静岡6号です。

18切符使用者でも乗車できる快速列車のような列車で、そのシーズンでは特に重宝されているイメージです。私も漏れなくその一人でしたが、あまり混雑はしていませんでした。時間が時間なのと、現在では平日しか運行していないのが知名度が低い原因だと考えます。

しかし18切符使用者にとってロングシート地獄と言われる静岡地区をクロスシートの指定席で移動できることはとても価値のあることだと思います。実際私は東名間の参勤交代をしょうっちゅうしていますが、この列車が間に挟まることがスパイスとなり、全体の時間が早く過ぎたように感じました。実際所要時間は鈍行オンリーとそれほど変わらないのですが、精神的に楽ができることは格安移動において大きなことだと思います。ライナー券は330円とこの感情を買うには安すぎるくらいです。

本当に早く移動したい方は新幹線に乗りましょう。名古屋から東京間の移動があんなに快適に素早くたったの一万円でできることは本当に偉大なことです。実際この列車は全区間で新幹線と競合するような運用で、普通に考えると乗り通す乗客はほとんどいないような列車です。それでも区間乗車の客はそこそこいるみたいで、感染症が流行った際でも減便こそしたものの平日は定期運用が数本あります。

といってもこの需要は新幹線で十分カバーできてそうなもので、車両の老朽化など何か要因があればすぐにでも廃止されかねないような列車だと思います。感覚的にはJR東海の温情で運行されているようなものだと思っています。JR東海は経営体質が強いのでこのような少数への利用者などへ向けた列車も少しは残してくれているのかなと思います。

ヘッドマークアップです。朝と夜の通勤客に向けた運用が一目瞭然なデザインです。とてもいいデザインだと思います。ホームライナーはかつては様々な線区で走っていた種別で、国鉄時代からの伝統を引き継いでいる列車だと言えます。使用車両の373系自体はJR発足当初の列車ですが、内外ともに国鉄の雰囲気を残しています。

中にはチケットホルダーがありまして、ライナー券を入れることができます。座席指定がない整理券という形態特有の事情だと思いますが、古めかしいような感じがします。以前特急で使用された車両ということもあり、足元も広々していて通過するホームに並ぶ通勤客を眺めているとなんだが優雅な気分になります。

テーブルもついているので内職をして過ごしました。浜松で購入したうなぎパイの詰め合わせを途中食べました。列車はさながら特急列車の様相を呈します。それもそのはずでもともと駅間が長い東海道線の途中駅を飛ばすというのです。1時間ちょっとの運用で途中停車駅は6駅しかありません。10分に一駅という計算ですが、かなりキビキビ走り通過駅も多めなので特急列車と言われても違和感ないです。

内職しながら優雅に過ごしていると、あっという間に終点の静岡につきました。静岡では普通列車に乗り換えてさらに東海道線を上っていきました。

 

この移動では当初は新幹線の利用を予定していましたが、諸事情により鈍行を選択したために図らずもこの列車に乗ることができました。みなさんも是非ホームライナーに乗る機会があれば乗車してみることをお勧めします。

日本一周旅行後編⑯(終)

 

9/7

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本日の移動履歴です。ついに旅もクライマックスを迎えます。

 

テントで早々に目を覚ました。今日のための充電が乏しかったので、充電場所のありそうな場所を調べたところ、奇跡的にコンビニがヒットしたので朝飯がてら歩きました。

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自分の体力よりも充電の方が大事なので寝る時間を惜しんででも充電時間を確保します。とはいえ今日で旅も終わるので最後の体力を使い切る気もちで挑みます。長崎市への思い出に浸りながらちゃんぽんを食べました。今回は行けませんでしたが、歴史など含めて好きな場所なのでまたいつか行きたいなと思いました。

 

時間になったら駅まで向かい列車に乗っていきます。

 

大村線佐世保線(諫早早岐佐世保)

大村線普通列車に乗って佐世保を目指していきます。

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時間が有り余っていたので写真を撮りました。前の記事でも書きましたが、この路線はもともと長崎へのアクセス路線として作られた路線で、早岐で博多方面から諫早方面に直接乗り入れられるような構造になっています。博多方面から佐世保方面へ行くにはスイッチバックが必要で、佐世保線の特急列車は早岐大村線方面か佐世保方面へと分岐していきます。そのような事情からこの列車は折り返しなしで佐世保方面へと進むことができます。二つの路線を跨いでいきますが、運転系統としては一体的で大村線の列車はほとんど佐世保まで乗り入れます。大村線には彼杵まで乗車した経験があり、ハウステンボスなど見えたのを覚えています。逆に諫早から彼杵までは未乗区間となっていて、綺麗な車窓を期待していました。

しかし先ほど機材の充電を優先し体力を回復しきれなかったことが災いし車内で熟睡していまいました。未乗区間は楽しみたかったのでなるべく寝ないようにしてきましたが最終日であえなく撃沈です。この辺はまたリベンジする必要がありますね。

起きるとすでにハウステンボスを超えていて車窓から海は消えていました。既に乗車していた区間にはいっていたので二度寝するとすぐに佐世保につきました。一時間ちょっとの乗車でしたが一瞬で終わってしまいました。

 

佐世保では佐世保バーガーリベンジ編として佐世保バーガー本店に向かうバスに乗ります。このために綿密に複雑なバスの系統を調査し、長崎まで行かず諫早での野宿など敢行しました。

しかしなんとここで現金が尽きてしまいバスに乗ることができなくなってしまいました。クレジットや電子マネーは基本後払いなので旅終了後の支払い前提ですが現金がなくても使うことができます。しかし現時点でも様々な形でご支援をいただいていたのですが、それも使い果たしてしまい佐世保バーガー本店行きはあきらめざるを得なくなりました。しかしここで諦めず、本店以外に佐世保バーガーを食べれるところを探しました。どこも営業開始が遅く列車の都合も考えると大変選択しが狭まります。とりあえずそれらの店の開店まで市内を散策することにしました。

 

駅から少し歩きまして中央公園という場所を通り過ぎようとしたところ何やら機関車が見えました。

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なんとまさかのデゴイチと遭遇です。こんなところで見るとは思ってもみませんでした。少し歩くと何やら絢爛な建物も見えました。

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佐世保市民文化ホールです。特にこの建物は旧海軍佐世保鎮守府の凱旋記念館とも呼ばれています。この建物は第一次世界大戦にて日本が連合国側で参戦し、佐世保鎮守府所属の艦隊が地中海での護衛任務にあたった際、その献身的な姿勢がイギリスから高く評価され、活躍を認められたことを記念して建てられたものです。海軍の催事や第二次大戦中には軍と合同の葬式会場などとして使われました。戦後は米軍によってダンスホールや映画館として活用されていましたが、返還された後は市民文化ホールとして佐世保市により運営されています。

そしてまた少し歩くと米軍関連の施設のようなものも見えました。

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海軍佐世保基地の入り口です。この後ろにも何やら設備がありましたが、そちらは撮影禁止とのお触書が英語でなされていました。

佐世保の市街を一周してみて軍港の町としての繁栄を肌で感じることができました。前回の訪問時はこのような施設は見学できなかったのでよい機会でした。

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駅に戻ってくるとJR最西端の碑があったので自撮りしました。これで東西南北コンプリートですね。

この後は港側にあった佐世保バーガーの店に行ってみました。

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シークイーンという船が停まっていました。港のいい雰囲気が漂います。しかしここのお店も軒並み現金決済のみということであえなく断念しました。

再び駅に戻り列車を一本遅らせて高架下のチェーン店にかけることにしました。ログキット佐世保駅店です。さすがにここはチェーン店だし電子決済に賭けて開店待ちをしました。

しかしなんとここも現金のみということで、残念ながら佐世保バーガーを諦めることになりました。

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このゆるキャラなんだか残念な思いに拍車をかけます。こんな西の端にリベンジポイントを作ってしまったなと思いましたが、それもまた良い経験だったなと思うしかありません。次の列車で佐世保を脱出します。

 

佐世保線(佐世保肥前山口)

ここからは特急みどり号で肥前山口を目指します。肥前山口は最長切符の終点として有名なところで、この旅で使用する切符も終了になるところです。しかし新幹線の開業により駅名が変わるみたいで、時代の流れを感じざるを得ません。北海道の根室本線の部分廃止によりルートも大きく変わるみたいで、最長切符による日本一周というよな文化が今後衰退してくことを考えるとなんだか悲しいです。逆に言うとなくなる前の駆け込み需要で前例にない盛り上がりを見せる可能性があります。星がなくなる前の最後のきらめきのようなもので、私もまたその旅行者の一人であります。よく若い鉄道マニアがもう少し前の時代に生まれることができればと言いますが、それはどの時代に生まれてもあることです。それよりも僅かながら残る前世代の遺産をを十分に記録しておき、後世に伝えていく必要があるのではないでしょうか。今当たり前のものもいつかは昔の出来事になりますのでそれもしっかり目に焼き付けていく必要があると思います。今話題のものだと小田急VSEなどが最たる例だと思います。あの車両がこんなに早く引退するなんて誰が予想できたでしょうか。おそらく今の子供世代でロマンスカーが好きなかたはもう少し早く生まれていればと思うはずです。与えられた現状の中で悔いなく生きていくことが大切だと思います。

話がそれましたが最終回ですし少しはいいでしょう。ともかく佐世保線に乗っていきます。前の記事で書きましたがこちらも長崎へのアクセス路線として作られた路線で、後に佐世保方面へのアクセス線が延伸される形で追加されました。当初はその佐世保アクセスのための区間のみが佐世保線とされていましたが、バイパス路線の建設と同時に山口までが佐世保線編入されました。

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車内でこれまた長崎市への思いをはせてカステラを食べました。早岐ハウステンボス号と併結し、思い出に浸りながら一時間程走ると肥前山口に到着です。列車は博多を目指し走っていきますが、今回はここで下車します。

 

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改札の外には最長切符関連のモニュメントがあります。まさに旅の終着点といった感じです。

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ホームには旅情の石碑などもありました。シャツがくそでてるのが気になります。もう旅も終わりかと余韻に浸っていましたが、帰るまでが旅行です。エピローグのような形になりますがまだ目標が残っているので先に進んでいきます。

 

長崎本線(肥前山口~久保田)

ここからは普通列車唐津線との乗り換え地点である久保田を目指します。数駅に先に県の中心である佐賀の市街があるのですが、今回は観光スポットに足を運ぶため乗り換えていきます。

 

唐津線(久保田~唐津)

最後の未乗路線となった唐津線に乗っていきます。この路線はもともと唐津炭田で採れた石炭を唐津の港まで運ぶために建設された唐津興業鉄道の路線でした。この路線ももれなく炭鉱で栄えた路線というわけです。その歴史背景から長崎本線と合流する久保田からではなく唐津側から線路が伸びていきました。もともとは様々な支線も有していいましたが、国鉄のごたごたですべて廃止になりました。唐津へのアクセスとしては地下鉄と直通する筑肥線にシェアを大きく奪われており、短い気動車が細々と走る路線となっています。そんな路線を一時間ほど行くと唐津に到着しました。

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これにて現状乗車可能なJRの全路線の乗車が完了しました。今回の旅のすべての目標が達成され完結しました。とても感慨深く様々な感情がこみあげてきますが、佐賀県内を通り過ぎるだけにしておくのももったいないので唐津の観光をしていきます。

 

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駅から数十分歩きましたが唐津城です。昔はレンタサイクルあったみたいですが今はなくなりました。

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遠くから見るとこんな感じです。崖の上に立っているのが印象てきですが工事中です。天守の中には入れなかったので写真のみ撮って撤退しました。

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唐津城の直下にある学校です。この場所は歴史のある場所で、唐津藩によって開かれた学校がもともとあった場所です。高橋是清など有名な人物も輩する学校でしたが後に移転し、現在では早稲田付属の学校が建設されるに至っています。

 

観光の後は唐津駅にて列車の写真を撮っていきます。

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まずは筑肥線西唐津行が来ました。この駅は唐津線筑肥線の単線並列になっていて、それぞれが二股に分岐し二面四線となっている都合上ここの場所からだけでも様々な列車を撮るかとができます。

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晴れました。貫通扉に103と書いてあるのが特徴的です。

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折り返し筑前前原行の後追いです。わかrにくいですが前照灯の下のライトが赤く光っているので後ろ側であることがわかります。

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唐津線西唐津行列車です。筑肥線の列車とは打って変わり国鉄感がします。

f:id:Banksisland404:20220215184556j:plainこちらも唐津線で佐賀行の列車です。後追いですがよく撮れてると思います。

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最後に筑肥線を後追いで撮りました。旅の終わり感が出るいいショットじゃないかと思います。

撮影を終えたら先ほどコンビニで調達した飯を待合室で食べました。

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佐世保バーガーが食べれなかったはらいせに唐津ハンバーガーを買いました。本日の行程のリベンジに来ることを誓い旅を終わらせていきます。

 

筑肥線(唐津姪浜)

前回の旅でも最終版に乗車した筑肥線ですが、今回も最後に登場です。最後のJR乗車路線であるとともに、福岡空港まで直通する列車であるので最後に乗車する列車です。

列車は出発すると虹の松原の脇を走っていきます。車内からでも竹林を見ることができるくらい大きな松原です。筑肥線唐津以西の区間はほぼ全域にわたって通勤通学需要があり大変混雑している路線です。今回の乗車でもそうで車窓をゆっくりみれるような場所はあまりありませんでしたが、ざっくりとみていきました。

松原を過ぎると時期に唐津湾が見えます。海が見えてきたなと思うとすぐに福岡県に入り徐々に町の規模が再び大きくなっていきます。特に筑前前原周辺は大きな街で前原止まりの列車も多くあり、福岡市営地下鉄の多くもここまでの直通列車が多くあります。筑前前原を超えると複線になり、地下鉄の車両とも度々すれ違います。

しばらく乗車し姪浜を過ぎると地下鉄空港線に入り地下に潜っていきます。地下に入ってからは30分ほどの乗車で福岡空港に到着です。約2時間の乗車となりましたが、あっという間についてしまいました。

 

福岡空港でお土産などを一気に調達し、成田行きの飛行機に乗っていきます。

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外もすっかり暗くなり機体の色が目立ちます。このジェットスターの便で東京に向かいました。

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機内で一杯やりました。無事に帰ることができたことへの祝いです。同時にこの旅行の事後処理のことを考えると大変なことが予想されるので、それに向けて一息ついておこうという感じでした。

そんな感じで二時間弱乗るとあっという間に成田についてしまいました。これにて最長片道切符による日本一周旅行が終了しました。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。それと旅のご支援をいただいた方々も改めてありがとうございました。少しでも旅の様子をお伝えできればいいなと思っていましたが、昨今鉄道業界に新たな波が押し寄せ最長片道切符の記録としては十分なものになったんじゃないかと思います。別媒体での記録などもあるのでいつか活用の機会があればさらに詳しい様子がお届けできると思いますのでご期待いただければと思います。

 

JR路線乗車のすべてを記事にすることはできていないのですが、最終版をお届けする形でこのブログの内容はすべて終了とさせていただきたいと思います。もし何か記録したいことがあれば新しく記事を書くかもしれませんが、現時点では新たな記事は書かないつもりです。

今後は別のブログシリーズにてもっと大勢の方に向けた読みやすい物流や交通への考察を書いていきたいと思っています。もし実現すればお伝えしていこうと思うのでその際はよろしくお願いいたします。

 

ご閲覧ありがとうございました。

日本一周旅行後編⑮

 

9/6

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本日の移動履歴です。ついに旅もクライマックスに突入します。

 

本日は日田からのスタートです。思いのほかよく眠れたので目覚ましで目を覚ましました。本日はいきなり代行バスからのスタートとなります。

 

久大本線日田彦山線(日田~夜明~田川後藤寺)

これから乗る区間は昨日の回でも行ったかもしれませんが、災害での不通区間を有する日田彦山線です。夜明から添田までの区間で不通が発生しており、平行する道路の復旧もいまだに進んでいない箇所があります。不通になる前から日田彦山線に夜明から日田まで乗り入れる運用が多くあり、それに合わせて代行バス区間も設定されている感じです。復旧の話は自治体が金をださない意思を表明したことで決裂し、現在はBRTでの復旧作業が行われています。

日田彦山線というとおもしろい名前だと感じる方もいるかもしれませんが、この路線はもともと日田線と彦山線と呼ばれる区間が合わさりこの路線になってとされています。さらにその昔は後藤寺線などともっと細かい路線にわかれていたみたいです。

列車は日田をガラガラの状態で発車し、夜明を目指します。夜明駅に寄ってからは概ね日田彦山線沿いに進んでいきます。まっすぐに山間の中を駅によりながら北上すると道の駅に着きました。道の駅歓遊舎ひこさんという場所で、近くには様々な施設もあり観光の拠点にもなるようなところです。そこを超えると添田に町並みに入っていき、日田から一時間半ほど走行したところで終点の添田につきました。

 

ここからは日田彦山線の列車に乗っていきます。

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学生たちが多く乗っている列車で、少し乗客は多めでした。そんな状態で列車は発車し、15分ほど田川の町並みを進んだところで田川後藤寺に到着です。ここで小倉側からの日田彦山線の乗車記録と繋がり、日田彦山線の乗車が完了しました。列車を乗り換えて別の方面へと進みます。

 

後藤寺線(田川後藤寺新飯塚)

この路線はもともと様々な会社によって建設された貨物線で、東は九州鉄道、西は豊州鉄道によって建設されました。そしてそれらが国に買収された後、九州産業鉄道による延伸などもありながら東西の線路が繋がりました。そして戦時買収などもあり現在の後藤寺線の形へと近づいていきました。昔は添田や彦山まで日田彦山線への直通列車もあったそうですが、現在では区間列車がメインとなっています。

後藤寺線は20分間で終わるような短い路線ですが、石炭や炭鉱の歴史などを感じるのに十分な路線です。途中ではセメント工場があったりと筑豊周辺の工業の発展も感じることができます。先ほどの九州産業鉄道ものちには産業セメント鉄道へと姿を変えました。そんなところを5駅ほど進むと終点の新飯塚に到着です。

 

筑豊本線(桂川~折尾)

新飯塚からは目の前に止まっている筑豊本線の下り列車に乗り込みました。その列車に10分ほど乗り桂川で下車します。切符指定ルートでは新飯塚から折尾方面に向かうのですが、この後の行程を踏まえて追加運賃を払い桂川までの間を乗っておくことにしました。桂川では約10分後の直方行き快速列車に乗り込みました。

筑豊本線は炭鉱輸送で栄えた代表的な路線であり、現在ではその時代とは打って変わり旅客輸送としての利便性を高めるべく、他の路線と併せた案内がなされています。鹿児島本線篠栗線を含めた黒崎~折尾~桂川~博多間には福北ゆたか線、若松~折尾間には若松線桂川~原田間には原田線の愛称が付けられていて、包括的な旅客案内がなされます。電化されたのも割と最近で、昨今の福岡市の人気にうまく乗っかることができているかのような印象を受けます。

今回は福北ゆたか線桂川以北の区間に乗っていくこととなります。桂川を出ると飯塚の市街を進んでいくので、快速列車といえども各駅に進んでいきます。この路線では桂川から博多の間に快速通過駅の設定が多く設定されています。30分ほどをかけて直方の市街へと向けて走っていきます。直方はこの列車の終点でもあり、飯塚などと同じく川沿いの市街を抱えているところです。

直方では再び上りの普通列車に乗り換え折尾を目指していきます。筑豊本線は駅名だけを見ても九州の路線だとわかるような駅名をしています。例えば原田や長者原桂川、直方など一風変わった読み方をする駅が多いです。そして筑豊本線の歴史や生い立ち、風景など九州の繁栄を代表するような路線となっています。そんな路線で20分ほど列車に揺られ折尾に到着しました。

 

鹿児島本線(折尾~香椎)

ここからは鹿児島本線に乗り下っていきます。今回は快速列車なので小さい駅はどんどん通過していきます。30分ほど乗り途中の香椎というところで下車し、未乗路線である香椎線に乗っていきます。

 

香椎線(宇美~西戸崎)

いよいよ未乗路線も少なくなってきました。そのうちの一つである香椎線に乗っていきます。この路線はもともと海軍の炭鉱で採れた石炭を西戸崎の港へ運ぶための路線として建設されました。終点と起点の両端で他路線との接続がない、JRの中では唯一の路線になっています。香椎から西戸崎の間では海の中道と呼ばれる砂州の中を通るため、海の中道線と呼ばれる別名もついているような路線です。

まずは香椎から炭鉱のあった方向へと向けて進んでいきます。終点の宇美で折り返し香椎へ向かいます。途中で連絡する他路線はあるのですが、どれもしっくりくる経路がなかったので単純な折り返しでの乗車となります。

宇美からは平野の端の方の山沿いを進んでいきます。この辺りは山のギリギリまで都市開発されているところであり、通勤や通学のお客さんが多くいるようなところです。再び30分くらいをかけ香椎へと戻っていきます。

香椎からは海側の列車へと乗り換えます。香椎線は香椎を超えて直通する列車は少なく、実質別の路線のような運転を行っています。海側は山側と打って変わって通勤通学客は少なく、観光客多めの路線となっています。途中で海が見えるような場所もあり、ゆったりと20分ほど乗車すると西戸崎に到着です。西戸崎周辺はリゾート地として開発もされており、非常にゆっくりとした時間が流れています。特にすることもないので次の列車まで駅舎の写真を撮ったりして過ごしました。この間にホームの自販機で飲料を補給し香椎へと向かいました。

 

鹿児島本線(香椎~博多)

ここからは鹿児島本線に乗り博多へ向かいます。香椎から博多の区間は特に平野部の都市化されている区間となり、車窓も高層ビルがかなり多いようなところです。地下鉄や私鉄も並走するようなところもあり大都会といった感じがします。区間快速の列車で10分ほどで博多に到着しました。切符の指定ルートでは博多ではなく篠栗線と合流する吉塚で乗り換えなのですが、ここで休憩のために一駅余計に進みました。

 

まずは駅隣接のビルに入っているネットカフェに充電を挿しに行きます。これは今朝が最後のテントだと思っていた予定を変更し本日もテントになったたためです。

ここで二台あったiphoneのうち一台がなくなっていることに気づきました。この時点では二代目はほとんど使っていなかったので気づくのが遅くなってしまいました。どこで落としたのかといろいろ回想してみたのですが、特に思い当たるところはありません。強いて言うなら先ほど香椎線のどこかの自販機で飲み物を買ったときを思い出したので、西戸崎駅に問い合わせをしてみました。するとこのエリアを管理しているJR九州の支社が対応してくださり、掃除のタイミングで探してくださることになりました。

問い合わせした後は駅隣接の違うビルに行きましてshin-shinというラーメン屋に行きました。

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このお店は博多ラーメンにしてはあっさりめですが、博多らしさは十分に感じられる店として有名です。食べた感想としても博多ラーメンのいいところを消さずにとんこつ特有の癖をあまり感じることがなく、非常においしかったです。ランキングが高いのも納得で、みなさんも是非行ってみて欲しいです。博多に来たらラーメンを食べずに帰ることはできないのでここで食べれてよかったです。

 

ここで食べた後はシャワーを浴びたり準備を済ませ再び列車に乗っていきます。

 

篠栗線(博多~桂川)

博多からは篠栗線の列車に乗り再び桂川へと向かって行きます。先ほど言ったようにこの路線は筑豊本線と一緒に福北ゆたか線として筑豊地区と福岡市を結ぶ役割を果たしています。歴史的には九州鉄道が石炭輸送のために建設した吉塚から篠栗区間と、筑豊本線の博多方面への短絡線として建設した篠栗から桂川区間に分かれます。前者の区間は古くから営業されていた路線でしたが、後者の区間は山がちなところを建設することができず、最終的にはお馴染みの鉄道建設公団によって建設されました。この運転系統が完成してからは旅客輸送でも活発な路線となっています。

そのような歴史など感じながら、まずは篠栗までの都市化されている区間を進んでいきます。香椎線との交差点である長者原など超えると間もなくして篠栗に到着です。篠栗からは駅数も少なくなり、トンネルも増えてくるようなところです。博多を出て40分ほどたったところで桂川に到着です。列車は引き続き筑豊本線の直方方面へと進んでいきますがここで下車し乗り換えていきます。

 

筑豊本線(桂川~原田)

ここからは筑豊本線原田線と呼ばれている区間に乗っていきます。福北ゆたか線が一体的な運行をしている関係上、この線区は孤立してしまっていて区間列車が多いようなところです。沿線も原田周辺や桂川周辺しか町がなく、車窓は山間が続いていく感じになります。そのようなところを30分ほどかけて進んでいきます。乗り換えの桂川でも感じたのですが、この辺は炭鉱で昔栄えていた場所が現在新たな形の発展を遂げていく経過を見れるようなところだと思います。無人駅ですが妙に新しかったり設備が豊富だったりする駅が多い気がします。北海道とは打って変わり九州では炭鉱で栄えた鉄道が活用されている気がしてうれしいですね。といってもそれぞれ事情はあるので北海道の方もしょうがないと思うところはありますが、マニアとしてはせっかく作ったのだし活用して欲しいなとも思います。そのようなことを考えているとあっという間に原田に到着です。

 

この乗車で駅メモのゲーム内に登録されている駅の取得が完了しました。

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アクセス駅数が最大となった証拠にランキングが一位になっています。これは100点満点のテストで100点をとった人が全員1位になるような感覚と似ています。ともあれ昔からの至上命題であった全駅取得を完了したわけです。しかし旅は別の目標のためにもう少し続けていくこととなります。

 

鹿児島本線(原田~博多)

原田からはまたまた鹿児島本線に乗っていくのですが、5分ほど乗車した一駅先の天拝山という駅で下車し観光していきます。

 

ここから徒歩で西鉄の朝倉街道という駅へ乗り換えます。そして西鉄電車に揺られること10分ほどで大宰府駅に到着しました。今回は福岡県の観光としてリベンジを兼ねて大宰府を選択しました。このあたりで先ほどの西戸崎駅の件で連絡があり、該当のiphoneを回収できたとのことで後日香椎駅で引き渡しを行えるとのことでした。どうにか旅程に影響をきたさず回収することができそうでよかったです。駅員の方に感謝ですね。

大宰府駅から太宰府天満宮はほど近いところにあり、初詣などで大量の旅客が訪れても大丈夫なような設計がいたるところになされていました。徒歩5分くらいで門に到着。

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もう18時を回っているということもあってか、観光客はちらほらという感じでした。

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この後の旅も無事に行きますようにとお祈りしました。お参りの後は写真撮影タイムです。神社の本殿ですが、なんだかいい雰囲気でした。時間もあまりないのでこのあとはそうそうに退却しました。

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帰りは行きと違う経路で帰ってみるとなんだかいい感じの橋と池がありました。こっちが表参道だったのか、こちらには浴衣を着た観光客など姿が見えました。

ここから再び大宰府駅まで向かいました。

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暗くなりライトがいい感じに光る太宰府駅です。つくりも和風でいい雰囲気ですね。次の列車で再び朝倉街道まで行きJRに乗り換えます。

 

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天拝山駅で自撮りです。いいまちでの聴牌が増えるといですね。

ここからは鹿児島本線普通列車で30分ほど進みまして博多に到着しました。

 

博多南線(博多~博多南)

博多からは博多南線という路線に乗り換えます。この路線はJR西日本の路線で、山陽新幹線の車庫線を旅客化したものです。しかし新幹線の路線ではなく、在来線特急扱いとなっています。構造的にはガーラ湯沢の支線と似ていますね。しかしこちらは九州島内にあるJR西の在来線という点があります。この関係でこの路線を最後にJR西の路線を完全制覇という形になりました。

博多から博多南までの区間は1駅ですが8分ほどかかります。終点の博多南では山陽新幹線の大きな車庫が見えます。ここ始発の列車が博多で大阪方面の新幹線へと化けることも多いみたいです。

博多南からは折り返して博多まで戻り乗り換えます。

 

九州新幹線(博多~新鳥栖)

ここからは新幹線で新鳥栖を目指していきます。経路の重複を避けるためにこの区間は在来線ではなく新幹線の指定ルートとなっています。博多から新鳥栖までも一駅の乗車で、手間を考えると在来線に乗りたかったのですが、最長補完計画でもここは残しておいた区間なので乗っていきます。さくら号で15分ほどで新鳥栖に到着です。

 

第46県目:佐賀県

いよいよ旅も大詰めで新鳥栖からは佐賀県に入ります。しかし今日は通るだけで観光は明日という形になります。

 

長崎本線(新鳥栖諫早)

長崎本線は九州鉄道によって建設された路線で、当初は佐世保線大村線がメインのルートとされていました。それができる前までは大村湾に連絡船を通して長崎までのルートとしていたみたいです。しかし程なくして肥前山口から諫早までを短絡する通称有明線と呼ばれるルートが開通し、これがメインのルートなります。その後はさらに手有働建設公団によって諫早から長崎までの間にも浦上線と呼ばれる短絡線が建設され、さらなる高速化がなされます。しかしこの時は遠回り側の路線が別路線として分離されることなく、現在でも長崎本線の一部として運行がなされています。そしてこの路線は全国の中でも4位と有数の利用者を誇る路線で、新幹線の建設などもなされている区間です。新幹線は九州新幹線の西九州ルートと呼ばれていて、長崎から佐賀県との県境駅である武雄温泉までの路線は完成しています。佐賀県内では現時点で特急が多く走っており、博多などの福岡市へもそこまで時間がかからないのに新幹線を作るメリットがなく建設を拒んでいる状態です。むしろ並行在来線として現在の路線が分離されればデメリットにすらなりかねません。ここではもともとフリーゲージトレインと呼ばれる標準軌狭軌両方を走行可能な列車を導入する予定でした。しかし保線費用の増加やメンテンナンスの複雑化などによるコスト増を嫌がったJRは導入を諦めます。するとここまで建設したんだからフル規格ですべて作り切りたい長崎県とない話を勝手に進められては困る佐賀県で対立構造が生まれました。長崎県内の区間は2022度内に開業する予定なので、この対立が解決されずに来たことが不便となって帰ってくる日も近いです。この記事で散々並行在来線スキームに問題があると話しましたがその最たる例がこの区間であります。それだけがここの問題の原因ではないにしろ、それさえなければ交渉も少しスムーズにいったのではないでしょうか。実際には佐賀県が折れる条件をどうやってJRと長崎県が提示できるかが鍵となると思いますが、現在では交渉は難航している模様です。

そもそも西九州新幹線は故障し放射線漏れを起こした原子力船むつの修理を受け入れた佐世保への見返りとして整備決定したものなのですが、これは国鉄時代の話でJRとなってから忘れされたかのような扱いになっています。ルートも佐世保に恩恵があるとは思えないようなルートに変わっているし、先ほどの佐賀問題も含めこの路線の背景は非常に複雑です。

長々と書いてしまいましたが、長崎本線に長々と乗る機会はこの度ではこれが最後なので新幹線の事情も含め一応紹介しておきました。

新鳥栖からは特急かもめに乗車し長崎方面へ進みます。

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車内で新鳥栖で買った長崎県のお菓子を食べます。本当ならばこのかもめの終点である長崎まで行って観光したかったのですが、時間の関係と前回の訪問からまだ8か月ほどしかたっていないのでまだ早いかなと思い今回はやめました。

暗闇の中を進み新鳥栖から一時間ほどたったところで諫早に到着です。

 

第47県目:長崎県

諫早からは本明川と呼ばれる川の土手にテントを張り休みました。

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電灯が綺麗でなんだかいい雰囲気ですが野宿は野宿です。芝生の上に張れたのでゆっくり休めそうではありますが、明日は早いので仮眠のような感覚で眠りにつきました。

 

今日は乗車路線が多く長くなってしまいました。最後の追い込みといった感じになりましたが、明日が最後ですので是非最後までお楽しみください。

日本一周旅行後編⑭

 

9/5

前にもありましたが今回も移動履歴を撮り忘れました。列車が日をまたぐときはマジで忘れてしまいます。前の日の移動履歴も残してくれたらありがたいんだけどなぁ。

 

朝は目覚ましで目覚めました。ちょこちょこ起きてはしまいましたが大方ゆっくり休めました。車中泊でしたがほぼ屋内と判定してもいくらい休めましたね。屋内は偉大です。

 

まずは車ならではの撮影地に移動し列車を撮っていきます。場所は道の駅の近辺だったかなと思います。

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田園風景の中を行く吉都線です。迫りくる山と緑が印象的です。

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二両編成も来ることがあります。

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逆方面の列車は線路際で撮ってみます。これでも土手の下からの撮影です。一眼で中距離の列車を撮るとすごい接近しているように感じますね。

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後ろの風景も入れてみました。うしろに打つているのはえびのループ橋と言う道路の橋です。昨日通ってきたころでもありますが、山から少し見えていて非常に印象的ですね。

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ここの農地で仕事をしに来たトラクターです。このような田園風景は列車を撮るにはもってこいですね。欲を言えば青空が欲しかったですがそればかりはどうしいもないですね。きままにゆっくりと写真をとれたのでとてもいい時間でした。

 

この後はえびのの観光地に車で向かってみたのですが、どこもコロナによる閉業やオフシーズンになってしまっていたみたいで観光はできませんでした。

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生駒高原花の駅というところで撮った写真です。花が全然なく微妙でしたが、友情出演によりいい写真を撮ることができました。ありがとうございます。

そのあとは他に宮崎の近い観光地を探すと、牧場を見つけたので車で向かいました。

 

まずは小林インターから高速に入り、高原インターというところで高速を降り一般道を進んでいきます。

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こうげんではなくたかはるらしです。後ろのは砂防に関係する堤みたいです。

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こんなのもありました。後ろに写っているのは尾池という湖です。

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奥には奥霧島御池キャンプ場とう場所がありまして、車が結構止まているなどにぎわっている様子でした。車だと自由に下車して写撮れるのでいいですね。

ここから数十分車を走らせると高千穂牧場に到着です。

 

この牧場は鹿児島県と宮崎県の県境上にある牧場で、鹿児島県の観光地として紹介されることもあるみたいですが、どうやら住所は宮崎県となっているみたいです。

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なんと入場料が無料でした。こんなとこに無料で入れちゃっていいんですかね。

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馬房など見ながら奥の方に行くと、何やら放牧中みたいな馬と飼育員のいい写真が撮れました。

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牧場は高いとこにあるので、下にある町が見えました。こうみるとなんだかヨーロッパの山奥に来たみたいですね。

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扇風機で涼し気な馬です。

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帰り際に売店でミルクティーを買いました。これコンビニで見るやつ同じじゃんと思って期限を確認したら東京で買うものと全然期限の長さが違いました。こっから出荷されて行ってるんですかね。

 

こんな感じで牧場でまったりとした時間を過ごしたら、車を再び走らせます。

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途中の霧島サービスエリアによって買い物をしました。カットマンゴーなどいいものが売っていたので即買いです。またあとで紹介すると思います。

 

この高速で一気に人吉まで行ってもよかったのですが、肥薩線の遺構がいろんなとこで見られるらしいので、昨日と同じえびのインターで降りました。

しかし昨日と同じ国道には行かず、さらに細道の峠ルートを選択しました。

 

山道をぐねぐね上っていくと矢岳高原展望台につきました。

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めちゃくちゃ景色がいいです。というのもこの周辺は日本三大車窓矢岳越えがあった場所でも知られている場所で、線路だけでなく道路からもその景色を楽しめるように展望スペースが容易されています。

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広角でも撮ってみました。まだ鉄道が復活する可能性もあるとはいえ、現状列車が走らないというのは悲しいことです。先日三大車窓の一つである石勝峠を通る鉄道の廃止が正式決定されました。この路線も失われてしまうのでしょうか。

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こんあのもありました。雲がかかっているくらいで景色が綺麗に見えたのでよかったです。ここからは引き返す予定でしたが、どうやら先に道がつながているみたいなので行けるところまで行ってみようという精神で先に進んでいきました。

 

途中狭い道やくねくね道などありましたが、無事に線路際を通り矢岳駅に到着しました。

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矢岳駅にはSL展示館なるものがあり、車体はボロボロですが現在でも管理はされているみたいです。矢岳駅を出ると再びクネクネ道ですがしばらく進むと大畑駅に到着です。

大畑駅は険しい山の中にありループ線スイッチバックを同時に織りなすような線形の途中にあります。その特徴的な構造は現在でも観光客が訪れることなどもあるみたいです。駅舎の中は訪れた人が名刺を貼っていき、あたり一面名刺だらけになっていることでも知られています。知らないで行くと奇妙ではありますね。大畑からは国道に出ることができたので、そこを通り人吉まで向かいました。

 

人吉では温泉街の方に車をとめ、温泉に入りに行きました。

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元湯という温泉です。

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新聞にもでるような有名なところだったみたいです。

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脱衣所には誰もいなかったので、これらを食べながらゆっくりしました。マンゴーめっちゃ甘くてうまかったです。

この後は人吉の町に繰り出し人吉鉄道ミュージアムへと行きました。

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中にはSLに関する展示や肥薩線の歴史などいろんな資料がありました。ミニ鉄道みたいなものもあって、肥薩線が動いてる時代はさぞかし繁栄していたんだろうなと思います。コロナウイルスのせいか肥薩線がなくなったせいか閉店時間ギリギリだったかたかわかりませんんが館内はガラガラでした。一番最後の理由が一番大きいとは思いますが、規模もそこまででかくはなく数時間で見終わってしまう程度です。

レンタカーの返却時間を見ながら人吉に別れを告げ出発します。今回は肥薩線に平行する道路は通れないので高速で新八代まで戻りました。これにて肥薩線沿線観光は終了です。

 

新八代のレンタカー屋からは八代駅まで送迎していただき、そこから再び列車に乗っていきます。

 

鹿児島本線(八代~久留米)

ここからは鹿児島本線に乗り込み北を目指します。40分ほど日が沈みかけた町並みを進むと熊本に到着です。レンタカーを早く返せたのでここで夜ご飯を食べます。

熊本駅から市電に乗り田崎橋で下車しました。以前は中心市街の店舗に行きましたが、今回は本店です。

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黒亭です。熊本ラーメンを食べるならここという感じですね。味はいわずもがなです。卵が二つも入っていて豪華ですね。アクセスもいいのでぜひみなさんも行ってみてください。食べ終えたら再び市電にて熊本駅まで戻りました。

f:id:Banksisland404:20220204155803j:plain熊本駅は最近改修工事がされ新しくなりました。駅舎は熊本城の石垣をイメージしていて少し前に完成していたところです。電停前付近の工事は前回の訪問時はまだ行われていたのですがこの時は終わっていました。あたり一面まっさらになっていて驚きです。

駅中の弁当ヒライで安売りされていた弁当を明日の朝のために買い、列車に乗り込みます。

 

ここから再び鹿児島本線で北上していきます。列車は出発してしばらく新幹線と並走していきますが、じきに別れ海岸沿いに向かっていきます。

途中の長洲からは前回の訪問時にも乗った区間になるのでひと段落です。途中の銀水というところで列車を乗り継ぎ、さらに原田で快速列車に乗り継ぎ久留米を目指します。筑後船小屋から久留米の区間は当初は新幹線の方が距離名が長い可能性があるのでそちらのルートを計画していました。しかし見てみるとほとんど同じ場所を走っており、見た目ではどちらが長いかわからないくらいです。自分で測ってみてもほとんど同じで、cm単位まで計算し最長を主張する必要があるのかと考え在来線乗車に変更した区間です。

 

久留米に到着した時点で23時を回っていましたが、ここで泊まらずに列車を乗り継ぎます。当初は熊本ではなく久留米でご飯をたべようかと思っていましたが、久留米は市街地が遠いので諦めました。

 

久大本線(久留米~日田)

久留米からはゆふいんの森で乗ったことのある久大本線を今回は普通列車にて九州の真ん中の方へと進みます。久大本線は大分側から大湯鉄道によって建設された区間と、久留米から国によって作られ随時延伸され大湯線に接続することとなった区間に分けられます。

列車は久留米を発車すると鹿児島本線に沿うように南下しますが、時期に別れ西に進路を変えます。しばらくは久留米市街を抜けていきますが、徐々に筑後川沿いの山間を通るようになります。

本格的に山に入ってきたなと思うとまもなう日田彦山線が分岐している夜明に到着です。非常に縁起がいい駅名ですね。日田彦本線のほとんどの列車は夜明から久大本線に乗り入れ一駅先の日田に行っています。この列車も日田止まりの列車だったので、一駅先で終点となりました。

 

久留米からは一時間程で到着となりましたが、日を跨いでしまいました。日田は周りを山に囲まれた盆地で、九州のちょうどへそのような位置にある町です。その立地の特性上、九州の各地を監視するのに向いており幕領として長く幕府の支配が行われていた場所でもあります。最近だと、ここの盆地の様子がまるで周りを壁に囲まれていたように作者が感じたことが物語の限定と言われている進撃の巨人とのタイアップなども多くあるところです。ちょうど行ったときにはそのキャンペーンをやっていて、各地に進撃のキャラが描かれていました。

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まず駅の中にリヴァイがいました。

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外側には壮大な広告です。

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そして極めつけはリヴァイ兵士長像です。これはクラウドファンデイングによって作られたものらしいです。他のメインキャラクターの銅像もあるのですが、結構広範囲に散らばって写真を撮りに行くのは難しそうでした。というのも進撃の巨人in日田ミュージアムという博物館が周辺にあるのですが、徒歩で行くには少しためらうくらいの距離あるのでその周辺に進撃関係のものも集まっているのです。その博物館の近くにダムがあるのですが、そのダムを壁に見立てた銅像があるなど有名なところです。私は進撃の大ファンですので何キロ歩いてでも行きたかったのですが、さすがに朝まで歩き続けると行程に支障をきたすことと、鳥取での恐怖を思い出して今回はやめることにしました。進撃と日田のタイアップによる位置情報ゲームのアプリがあるなど夜中でも町巡りを楽しめそうではあったのですがチキって断念しました。ここは旅行が終わったらまた再び訪れることにしました。

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野宿する公園に向かっている途中にも関連のオブジェがありました。旗も相まっていい感じの一枚です。

 

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本日は川辺の公園にてテントを張らせていただきました。これが最後の野宿になる予定だったのでなんだか名残惜しさすらありましたが、流石にやっと終わるという感じの方が強かったです。この日は意外とぐっすり眠れたんじゃないかなと思います。

 

以上で本日は終了です。観光多めでお届けできたのでよかったですが、その反動で明日は鉄道が多いかもしれません。なるべく観光地中心で書いていきたいとは思いますが、そうはならないかもしれません。とにかく次の記事もご期待ください。