鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

日本一周旅行後編⑮

 

9/6

f:id:Banksisland404:20220205235116p:plain

本日の移動履歴です。ついに旅もクライマックスに突入します。

 

本日は日田からのスタートです。思いのほかよく眠れたので目覚ましで目を覚ましました。本日はいきなり代行バスからのスタートとなります。

 

久大本線日田彦山線(日田~夜明~田川後藤寺)

これから乗る区間は昨日の回でも行ったかもしれませんが、災害での不通区間を有する日田彦山線です。夜明から添田までの区間で不通が発生しており、平行する道路の復旧もいまだに進んでいない箇所があります。不通になる前から日田彦山線に夜明から日田まで乗り入れる運用が多くあり、それに合わせて代行バス区間も設定されている感じです。復旧の話は自治体が金をださない意思を表明したことで決裂し、現在はBRTでの復旧作業が行われています。

日田彦山線というとおもしろい名前だと感じる方もいるかもしれませんが、この路線はもともと日田線と彦山線と呼ばれる区間が合わさりこの路線になってとされています。さらにその昔は後藤寺線などともっと細かい路線にわかれていたみたいです。

列車は日田をガラガラの状態で発車し、夜明を目指します。夜明駅に寄ってからは概ね日田彦山線沿いに進んでいきます。まっすぐに山間の中を駅によりながら北上すると道の駅に着きました。道の駅歓遊舎ひこさんという場所で、近くには様々な施設もあり観光の拠点にもなるようなところです。そこを超えると添田に町並みに入っていき、日田から一時間半ほど走行したところで終点の添田につきました。

 

ここからは日田彦山線の列車に乗っていきます。

f:id:Banksisland404:20220212133700j:plain

学生たちが多く乗っている列車で、少し乗客は多めでした。そんな状態で列車は発車し、15分ほど田川の町並みを進んだところで田川後藤寺に到着です。ここで小倉側からの日田彦山線の乗車記録と繋がり、日田彦山線の乗車が完了しました。列車を乗り換えて別の方面へと進みます。

 

後藤寺線(田川後藤寺新飯塚)

この路線はもともと様々な会社によって建設された貨物線で、東は九州鉄道、西は豊州鉄道によって建設されました。そしてそれらが国に買収された後、九州産業鉄道による延伸などもありながら東西の線路が繋がりました。そして戦時買収などもあり現在の後藤寺線の形へと近づいていきました。昔は添田や彦山まで日田彦山線への直通列車もあったそうですが、現在では区間列車がメインとなっています。

後藤寺線は20分間で終わるような短い路線ですが、石炭や炭鉱の歴史などを感じるのに十分な路線です。途中ではセメント工場があったりと筑豊周辺の工業の発展も感じることができます。先ほどの九州産業鉄道ものちには産業セメント鉄道へと姿を変えました。そんなところを5駅ほど進むと終点の新飯塚に到着です。

 

筑豊本線(桂川~折尾)

新飯塚からは目の前に止まっている筑豊本線の下り列車に乗り込みました。その列車に10分ほど乗り桂川で下車します。切符指定ルートでは新飯塚から折尾方面に向かうのですが、この後の行程を踏まえて追加運賃を払い桂川までの間を乗っておくことにしました。桂川では約10分後の直方行き快速列車に乗り込みました。

筑豊本線は炭鉱輸送で栄えた代表的な路線であり、現在ではその時代とは打って変わり旅客輸送としての利便性を高めるべく、他の路線と併せた案内がなされています。鹿児島本線篠栗線を含めた黒崎~折尾~桂川~博多間には福北ゆたか線、若松~折尾間には若松線桂川~原田間には原田線の愛称が付けられていて、包括的な旅客案内がなされます。電化されたのも割と最近で、昨今の福岡市の人気にうまく乗っかることができているかのような印象を受けます。

今回は福北ゆたか線桂川以北の区間に乗っていくこととなります。桂川を出ると飯塚の市街を進んでいくので、快速列車といえども各駅に進んでいきます。この路線では桂川から博多の間に快速通過駅の設定が多く設定されています。30分ほどをかけて直方の市街へと向けて走っていきます。直方はこの列車の終点でもあり、飯塚などと同じく川沿いの市街を抱えているところです。

直方では再び上りの普通列車に乗り換え折尾を目指していきます。筑豊本線は駅名だけを見ても九州の路線だとわかるような駅名をしています。例えば原田や長者原桂川、直方など一風変わった読み方をする駅が多いです。そして筑豊本線の歴史や生い立ち、風景など九州の繁栄を代表するような路線となっています。そんな路線で20分ほど列車に揺られ折尾に到着しました。

 

鹿児島本線(折尾~香椎)

ここからは鹿児島本線に乗り下っていきます。今回は快速列車なので小さい駅はどんどん通過していきます。30分ほど乗り途中の香椎というところで下車し、未乗路線である香椎線に乗っていきます。

 

香椎線(宇美~西戸崎)

いよいよ未乗路線も少なくなってきました。そのうちの一つである香椎線に乗っていきます。この路線はもともと海軍の炭鉱で採れた石炭を西戸崎の港へ運ぶための路線として建設されました。終点と起点の両端で他路線との接続がない、JRの中では唯一の路線になっています。香椎から西戸崎の間では海の中道と呼ばれる砂州の中を通るため、海の中道線と呼ばれる別名もついているような路線です。

まずは香椎から炭鉱のあった方向へと向けて進んでいきます。終点の宇美で折り返し香椎へ向かいます。途中で連絡する他路線はあるのですが、どれもしっくりくる経路がなかったので単純な折り返しでの乗車となります。

宇美からは平野の端の方の山沿いを進んでいきます。この辺りは山のギリギリまで都市開発されているところであり、通勤や通学のお客さんが多くいるようなところです。再び30分くらいをかけ香椎へと戻っていきます。

香椎からは海側の列車へと乗り換えます。香椎線は香椎を超えて直通する列車は少なく、実質別の路線のような運転を行っています。海側は山側と打って変わって通勤通学客は少なく、観光客多めの路線となっています。途中で海が見えるような場所もあり、ゆったりと20分ほど乗車すると西戸崎に到着です。西戸崎周辺はリゾート地として開発もされており、非常にゆっくりとした時間が流れています。特にすることもないので次の列車まで駅舎の写真を撮ったりして過ごしました。この間にホームの自販機で飲料を補給し香椎へと向かいました。

 

鹿児島本線(香椎~博多)

ここからは鹿児島本線に乗り博多へ向かいます。香椎から博多の区間は特に平野部の都市化されている区間となり、車窓も高層ビルがかなり多いようなところです。地下鉄や私鉄も並走するようなところもあり大都会といった感じがします。区間快速の列車で10分ほどで博多に到着しました。切符の指定ルートでは博多ではなく篠栗線と合流する吉塚で乗り換えなのですが、ここで休憩のために一駅余計に進みました。

 

まずは駅隣接のビルに入っているネットカフェに充電を挿しに行きます。これは今朝が最後のテントだと思っていた予定を変更し本日もテントになったたためです。

ここで二台あったiphoneのうち一台がなくなっていることに気づきました。この時点では二代目はほとんど使っていなかったので気づくのが遅くなってしまいました。どこで落としたのかといろいろ回想してみたのですが、特に思い当たるところはありません。強いて言うなら先ほど香椎線のどこかの自販機で飲み物を買ったときを思い出したので、西戸崎駅に問い合わせをしてみました。するとこのエリアを管理しているJR九州の支社が対応してくださり、掃除のタイミングで探してくださることになりました。

問い合わせした後は駅隣接の違うビルに行きましてshin-shinというラーメン屋に行きました。

f:id:Banksisland404:20220212190534j:plain

このお店は博多ラーメンにしてはあっさりめですが、博多らしさは十分に感じられる店として有名です。食べた感想としても博多ラーメンのいいところを消さずにとんこつ特有の癖をあまり感じることがなく、非常においしかったです。ランキングが高いのも納得で、みなさんも是非行ってみて欲しいです。博多に来たらラーメンを食べずに帰ることはできないのでここで食べれてよかったです。

 

ここで食べた後はシャワーを浴びたり準備を済ませ再び列車に乗っていきます。

 

篠栗線(博多~桂川)

博多からは篠栗線の列車に乗り再び桂川へと向かって行きます。先ほど言ったようにこの路線は筑豊本線と一緒に福北ゆたか線として筑豊地区と福岡市を結ぶ役割を果たしています。歴史的には九州鉄道が石炭輸送のために建設した吉塚から篠栗区間と、筑豊本線の博多方面への短絡線として建設した篠栗から桂川区間に分かれます。前者の区間は古くから営業されていた路線でしたが、後者の区間は山がちなところを建設することができず、最終的にはお馴染みの鉄道建設公団によって建設されました。この運転系統が完成してからは旅客輸送でも活発な路線となっています。

そのような歴史など感じながら、まずは篠栗までの都市化されている区間を進んでいきます。香椎線との交差点である長者原など超えると間もなくして篠栗に到着です。篠栗からは駅数も少なくなり、トンネルも増えてくるようなところです。博多を出て40分ほどたったところで桂川に到着です。列車は引き続き筑豊本線の直方方面へと進んでいきますがここで下車し乗り換えていきます。

 

筑豊本線(桂川~原田)

ここからは筑豊本線原田線と呼ばれている区間に乗っていきます。福北ゆたか線が一体的な運行をしている関係上、この線区は孤立してしまっていて区間列車が多いようなところです。沿線も原田周辺や桂川周辺しか町がなく、車窓は山間が続いていく感じになります。そのようなところを30分ほどかけて進んでいきます。乗り換えの桂川でも感じたのですが、この辺は炭鉱で昔栄えていた場所が現在新たな形の発展を遂げていく経過を見れるようなところだと思います。無人駅ですが妙に新しかったり設備が豊富だったりする駅が多い気がします。北海道とは打って変わり九州では炭鉱で栄えた鉄道が活用されている気がしてうれしいですね。といってもそれぞれ事情はあるので北海道の方もしょうがないと思うところはありますが、マニアとしてはせっかく作ったのだし活用して欲しいなとも思います。そのようなことを考えているとあっという間に原田に到着です。

 

この乗車で駅メモのゲーム内に登録されている駅の取得が完了しました。

f:id:Banksisland404:20220215152613j:plain

アクセス駅数が最大となった証拠にランキングが一位になっています。これは100点満点のテストで100点をとった人が全員1位になるような感覚と似ています。ともあれ昔からの至上命題であった全駅取得を完了したわけです。しかし旅は別の目標のためにもう少し続けていくこととなります。

 

鹿児島本線(原田~博多)

原田からはまたまた鹿児島本線に乗っていくのですが、5分ほど乗車した一駅先の天拝山という駅で下車し観光していきます。

 

ここから徒歩で西鉄の朝倉街道という駅へ乗り換えます。そして西鉄電車に揺られること10分ほどで大宰府駅に到着しました。今回は福岡県の観光としてリベンジを兼ねて大宰府を選択しました。このあたりで先ほどの西戸崎駅の件で連絡があり、該当のiphoneを回収できたとのことで後日香椎駅で引き渡しを行えるとのことでした。どうにか旅程に影響をきたさず回収することができそうでよかったです。駅員の方に感謝ですね。

大宰府駅から太宰府天満宮はほど近いところにあり、初詣などで大量の旅客が訪れても大丈夫なような設計がいたるところになされていました。徒歩5分くらいで門に到着。

f:id:Banksisland404:20220215153306j:plain

もう18時を回っているということもあってか、観光客はちらほらという感じでした。

f:id:Banksisland404:20220215153627j:plain

この後の旅も無事に行きますようにとお祈りしました。お参りの後は写真撮影タイムです。神社の本殿ですが、なんだかいい雰囲気でした。時間もあまりないのでこのあとはそうそうに退却しました。

f:id:Banksisland404:20220215153832j:plain

帰りは行きと違う経路で帰ってみるとなんだかいい感じの橋と池がありました。こっちが表参道だったのか、こちらには浴衣を着た観光客など姿が見えました。

ここから再び大宰府駅まで向かいました。

f:id:Banksisland404:20220215154146j:plain

暗くなりライトがいい感じに光る太宰府駅です。つくりも和風でいい雰囲気ですね。次の列車で再び朝倉街道まで行きJRに乗り換えます。

 

f:id:Banksisland404:20220215154437j:plain

天拝山駅で自撮りです。いいまちでの聴牌が増えるといですね。

ここからは鹿児島本線普通列車で30分ほど進みまして博多に到着しました。

 

博多南線(博多~博多南)

博多からは博多南線という路線に乗り換えます。この路線はJR西日本の路線で、山陽新幹線の車庫線を旅客化したものです。しかし新幹線の路線ではなく、在来線特急扱いとなっています。構造的にはガーラ湯沢の支線と似ていますね。しかしこちらは九州島内にあるJR西の在来線という点があります。この関係でこの路線を最後にJR西の路線を完全制覇という形になりました。

博多から博多南までの区間は1駅ですが8分ほどかかります。終点の博多南では山陽新幹線の大きな車庫が見えます。ここ始発の列車が博多で大阪方面の新幹線へと化けることも多いみたいです。

博多南からは折り返して博多まで戻り乗り換えます。

 

九州新幹線(博多~新鳥栖)

ここからは新幹線で新鳥栖を目指していきます。経路の重複を避けるためにこの区間は在来線ではなく新幹線の指定ルートとなっています。博多から新鳥栖までも一駅の乗車で、手間を考えると在来線に乗りたかったのですが、最長補完計画でもここは残しておいた区間なので乗っていきます。さくら号で15分ほどで新鳥栖に到着です。

 

第46県目:佐賀県

いよいよ旅も大詰めで新鳥栖からは佐賀県に入ります。しかし今日は通るだけで観光は明日という形になります。

 

長崎本線(新鳥栖諫早)

長崎本線は九州鉄道によって建設された路線で、当初は佐世保線大村線がメインのルートとされていました。それができる前までは大村湾に連絡船を通して長崎までのルートとしていたみたいです。しかし程なくして肥前山口から諫早までを短絡する通称有明線と呼ばれるルートが開通し、これがメインのルートなります。その後はさらに手有働建設公団によって諫早から長崎までの間にも浦上線と呼ばれる短絡線が建設され、さらなる高速化がなされます。しかしこの時は遠回り側の路線が別路線として分離されることなく、現在でも長崎本線の一部として運行がなされています。そしてこの路線は全国の中でも4位と有数の利用者を誇る路線で、新幹線の建設などもなされている区間です。新幹線は九州新幹線の西九州ルートと呼ばれていて、長崎から佐賀県との県境駅である武雄温泉までの路線は完成しています。佐賀県内では現時点で特急が多く走っており、博多などの福岡市へもそこまで時間がかからないのに新幹線を作るメリットがなく建設を拒んでいる状態です。むしろ並行在来線として現在の路線が分離されればデメリットにすらなりかねません。ここではもともとフリーゲージトレインと呼ばれる標準軌狭軌両方を走行可能な列車を導入する予定でした。しかし保線費用の増加やメンテンナンスの複雑化などによるコスト増を嫌がったJRは導入を諦めます。するとここまで建設したんだからフル規格ですべて作り切りたい長崎県とない話を勝手に進められては困る佐賀県で対立構造が生まれました。長崎県内の区間は2022度内に開業する予定なので、この対立が解決されずに来たことが不便となって帰ってくる日も近いです。この記事で散々並行在来線スキームに問題があると話しましたがその最たる例がこの区間であります。それだけがここの問題の原因ではないにしろ、それさえなければ交渉も少しスムーズにいったのではないでしょうか。実際には佐賀県が折れる条件をどうやってJRと長崎県が提示できるかが鍵となると思いますが、現在では交渉は難航している模様です。

そもそも西九州新幹線は故障し放射線漏れを起こした原子力船むつの修理を受け入れた佐世保への見返りとして整備決定したものなのですが、これは国鉄時代の話でJRとなってから忘れされたかのような扱いになっています。ルートも佐世保に恩恵があるとは思えないようなルートに変わっているし、先ほどの佐賀問題も含めこの路線の背景は非常に複雑です。

長々と書いてしまいましたが、長崎本線に長々と乗る機会はこの度ではこれが最後なので新幹線の事情も含め一応紹介しておきました。

新鳥栖からは特急かもめに乗車し長崎方面へ進みます。

f:id:Banksisland404:20220215163459j:plain

車内で新鳥栖で買った長崎県のお菓子を食べます。本当ならばこのかもめの終点である長崎まで行って観光したかったのですが、時間の関係と前回の訪問からまだ8か月ほどしかたっていないのでまだ早いかなと思い今回はやめました。

暗闇の中を進み新鳥栖から一時間ほどたったところで諫早に到着です。

 

第47県目:長崎県

諫早からは本明川と呼ばれる川の土手にテントを張り休みました。

f:id:Banksisland404:20220215164024j:plain

電灯が綺麗でなんだかいい雰囲気ですが野宿は野宿です。芝生の上に張れたのでゆっくり休めそうではありますが、明日は早いので仮眠のような感覚で眠りにつきました。

 

今日は乗車路線が多く長くなってしまいました。最後の追い込みといった感じになりましたが、明日が最後ですので是非最後までお楽しみください。