日本一周旅行後編⑧
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本日の移動マップです。
米子では早朝の列車に乗るため、日が出るより前くらいの時間に快活をでました。こんな長々と歩くくらいならテントの方がましだなと思い始めましたが、充電が困るのとモラル的な面を考えなるべくネットカフェに泊まるよう心掛けました。
㊸山陰本線(米子~浜田)
山陰本線に乗って行くのですが、本日この先の区間でバス代行区間が発生しているとのお知らせが駅にありました。ネットでは得られない情報まで載っていたので、写真を撮り列車に乗り込みます。
車内で朝飯食いました。
乗った列車はおそらく普通列車の出雲市行きだったと思います。途中の沿線で降りてサンライズなどの写真を撮るつもりでしたが、どん曇りでいまにも雨が降って来そうなのと、バス代行の関係で時間が取れなくなったのでやめました。
第35県目:島根県
松江で途中下車し駅から列車をとることにしましたが、待っているとなんと大雨が降って来ました。
雨の中の特急やくもです。学生さんたちが多く乗っていったのが印象的でした。
大雨の中を後追いで撮影です。以外にも雨ショットは少なかったので、豪雨災害に翻弄されたこの旅を象徴するような写真でもあります。
この雨はすぐ小雨になりました。次の西出雲行き普通列車です。山陰地区はオレンジの113系が走っているのが印象的でもあります。
スーパーまつかぜです。益田から米子を結ぶ特急ですが、今日は多分バス代行により運行区間が縮小されたんじゃないかと思います。
見慣れない115系も来ました。
黄色いアイツもいます。なかなか列車がたくさん来ておもしろいです。しかし乗りたい西出雲以西まで行く列車はまで来ませんので写真を撮って待ちます。
スーパーおきだと思うんですが表示がないです。多分行先変更によるものでしょう。本来ならば益田から山口線に乗り入れる列車です。
一応曇りショットも撮っておきました。両方後追いなのが悔しいですがしょうがないです。381系はまたリンベンジします。
全身びしょ濡れになりました。カメラはビニール袋で一応防護したので乾かせば大丈夫だと思います。松江で駅弁を買って進もうと思いましたが、空いてなかったのか節約のためにか忘れましたが買いませんでした。
乗り込んだのは出雲市行きの普通列車です。この列車で40分ほど西に進み、またもや普通列車に乗り換えます。この列車が本来ならば益田行きだったのですが、今回は江南という駅からバスに乗り換える必要がありました。
松江で買ったお茶です。空いていたのでパソコンで作業しました。
江南までは20分ほどでついてしまい、早速代行バスといった感じです。幸いこの区間も未乗区間ではなかったため一安心といった感じです。江南からはバスで40分ほどかけ列車なら10分で行ってしまうところを進んで行きます。
田儀駅というところでバス代行が終了し再び列車に戻ります。田儀から接続した列車は一時間半ほどかけ途中の浜田で終着となりました。
車内でエネルギーを補給しました。本日もほとんど座りっぱなしなのでこの程度で耐えます。沿線の石見銀山など見たいところはいくつもあったのですが、この後もバス代行の区間があり素通りせざるを得ませんでした。
㊹山陰本線、山口線(浜田~益田~新山口)
浜田からは当駅始発のスーパーおきに乗って行きます。ここから特急に乗れて少しほっとしました。スーパーおきは山口県内で初にして唯一の在来線特急列車です。列車名は島根県の北にある隠岐諸島が由来となっていて、振り子式列車が投入された際にスーパーの名前が冠されました。山口線にはおきの他に有名なSLやまぐちが走っている路線でもあります。SLやまぐちは蒸気機関車の動態保存を目的として運行されており、文化的側面からも非常に高い評価を得ている列車です。
列車が発車すると、30分ほどで益田に到着です。ここから先の山陰本線は未乗区間となってしまいますが、一旦切符の指示通り山口線に入りそのまま進んで行きます。
一時間半ほど山間を疾走すると、山口に到着です。山口駅は日本一しょぼい県庁所在地を駅名とする駅としてよく名が上がります。山口県は古くから栄えていた地域ではあるのですが、勢力が分散していたことが山口市がそこまで栄えなかった原因だろうとも言われています。その他にも徳川の時代に長州藩が受けた仕打ちなども関係していると言われます。山口を出ると20分ほどで新山口に到着です。新山口は山陽新幹線が開通するまで小郡という駅名で、ジャンクションとしての性格はあれどそこまで大きな駅ではありませんでした。しかし新幹線の開通で県を代表するような駅へと成りあがりました。今では山口駅より新山口駅周辺の方が栄えているといっていいでしょう。
第36県目:山口県
無事に新山口まで到着すると思っていたより時間があったので、新幹線の入場券を買い新幹線の写真を取ります。
通過列車は速すぎて列車が来ていることに気づきませんでした。防音性能もおそるべし。
レールスターが来ました。山陽新幹線はほとんど乗ったことがなかったので、700以外が来ると新鮮な気持ちになります。
まずは700です。光線があまりよくないですが、撮影地の手軽さでいえばなかなかいいんじゃないかと思います。
そしてお目当ての500系が来ました。やはり500系は他の新幹線と別格でかっこいいと思います。この流線形は他では見られません。
側面まで丸みを帯びた車体は本当に美しいです。いつかちゃんとした撮影地で500系を狙いたいですね。
この後は新山口の駅中で軽食を買い列車に乗り込みます。
㊺山陽本線(新山口~宇部)
乗り込んだのは山陽本線です。この列車で一気に宇部まで行こうと思ったのですが、代行区間があるみたいです。
このバス代行によって今後の日程にじりじりと影響がでるのですが、今回はそこまでおおきな影響もなく、進むことができました。
列車は転換クロスシートだったので、間食としました。
厚東からは順調にバスに乗り換え、宇部で下車します。
㊻宇部線(宇部~居能)
この区間は切符の指示に従い、路線を刻んで最長ルートを行きます。この一帯の路線はこの後再び乗るので割愛します。
㊼小野田線(居能~小野田)
小野田線は宇部線の支線のような路線で新山口から来て居能で分岐し小野田に向かうような線形をしていますが、通しの運用はそこまで多くないです。今回の乗車も宇部から山陽本線を迂回するような形での乗車です。20分ほどで終点の小野田についてしまいます。
㊽山陽本線(小野田~厚狭)
この区間も代行バスでの運行となっています。厚東から厚狭のバスを途中下車し宇部を一周した感じになります。しかし代行バスなので追加運賃は発生せず、乗車券で乗ることができます。この辺は通学需要が大変大きいみたいで、バス2、3台が代行のために運用されていました。バスで数十分行くと厚狭に到着しました。
㊾美祢線(厚狭~長門市)
美祢線は伯備線と並んで陰陽を連絡する幹線となっています。しかし美祢線には特急列車は走っておらず、現在はローカル輸送の役割が大きいです。この路線は沿線にある鉱山から石灰石などを運ぶために建設された路線で、全盛期には貨物、旅客輸送ともに大いに栄えました。現在では鉱山は閉山されましたが本数はそこそこ多く、地元の住民の足となっています。沿線には秋芳洞や秋吉台など観光地があり、行ってみたかったのですが時間が厳しいので先に進みます。
山岳路線にしてはそこそこ線形はよく、1時間程度で終点の長門市まで着いてしまいます。
㊿山陰本線、山陽本線(長門市~幡生~下関)
満を持してやってきた山陰本線の未乗区間です。ここから下関までを二時間かけて暗い中を進みます。長門市から下関は特段大きな街はないのですが、中国山地と違い海沿いなので沿線人口はそこまで少ないわけではありません。主に学生を中心とした地元乗客のために列車が運行されています。
前の記事で山陰新幹線の話をしたと思いますが、出雲以降のルートが一応未定となっています。しかしその推進団体に元首相の安倍さんがいることから、安倍さんの地元の長門を経由するルートが有力なんじゃないかと言われています。経路を見ると出雲から山地を貫き山口線のようなルートをとるのが効率的だと思いますが、そのような我田引鉄が行われるかもしれません。第一出雲市以西は現状明らかに採算がとれないと思うので、議題にすら上がらないと思いますがもしそのような我田引鉄となれば面白いです。
暗闇の中をオレンジの113系で延々と進み下関に到着です。座っているだけの行程だと肉体より精神的に疲れてきます。しっかり動画は撮っていたはずですが、写真は一枚もありません。せっかくの未乗区間なのですが、車窓は見えないのでしょうがないかなと思います。
①山陽本線、鹿児島本線(下関~門司~小倉)
ナンバリングが50までしかないので1からの表記になりますが51です。下関で列車を乗り換えるのですが、路線自体は幡生で既に山陽本線に切り替わっています。関門海峡絡みの路線区分は運行系統と少し違っているので紛らわしいです。在来線で本州と九州をまたぐ場合は必ず下関で乗換が必要となります。
下関からはJR九州に入り関門海峡を越えていきます。九州、北海道、四国のJRには本州と連絡するための橋やトンネルは島側の会社が管理するという規定があり、この海峡をまたぐ旅客列車は九州の車両で運行されています。関門トンネルの中は地上を走る路線より湿度も高く過酷な環境なので、博多方面などへの通しの運用は少なく小倉から下関での区間運用が一般的になっています。
トンネルを抜けると、門司の港方面からきた路線と合流するとすぐに門司駅に到着します。路線単位ではここが山陽本線の終点となっています。ここからは鹿児島本線に乗り入れ一駅先の小倉へと向かいます。
第37県目:福岡県
➁鹿児島本線(小倉~折尾)
小倉からは快速列車に乗り盲腸線に乗りに行きます。小倉から20分ほど行くと筑豊本線と若松線の乗り換え地点である折尾につきます。
③若松線(折尾~若松)
若松線は筑豊でとれた石炭を若松の港まで運ぶために建設された路線です。今は利便性向上のため、筑豊本線は鹿児島本線に合流するような線形ですが、昔は若松線と一直線につながっていて、鹿児島本線と交差するような形でした。それを表すように、若松駅の改札を出たところに展示がありました。
石炭で栄えた鉄道の歴史や様々な資料がありました。当時の炭鉱事業は相当儲かる事業だったんだろうなと思います。ゴールドラッシュならの石炭ラッシュです。この後九州を旅する中でこの手の資料をたくさんみることになります。
若松線を乗り終えると同じ経路で小倉まで戻りました。
小倉には駅に近い快活クラブがあったのでそこで宿泊です。
無料の夜飯で精神を労わりました。
明日はようやく観光デーとなりますのでご期待ください。