鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

日本一周旅行後編⑬

 

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本日は南九州を周遊していきます。

 

目覚ましで目を覚ましました。まだ眠かったですが、目をこすりながら準備をして駅に向かいます。昨日快活についたのが25時すぎで朝の列車は5時39分発です。そりゃ眠いはずだと思いながらも、テント泊よりは寝れたかな?とかいろいろ考えていると駅に着きました。

 

吉都線肥薩線(都城~吉松~隼人)

都城からは吉都線という路線に乗っていくのですが、この路線は昔は宮崎線として日豊本線となっていくた区間です。肥薩線も昔は鹿児島本線の一部だったので、その途中の吉松で分岐し都城まで至る路線となっています。鹿児島本線の海沿いルートができて日肥薩線が分離された後、日豊本線の隼人から都城までの短絡ルートの新線が完成すると、旧線は吉都線として分離されました。

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今回乗る列車は吉都線から肥薩線に乗りれ、隼人まで大回りして向かうようなルートとなっています。これは肥薩線の吉松以北が不通になっていることが原因としてあがられます。全区間を通しで乗車する人はほとんどいませんが、列車運用の都合上この運用が好ましいのでしょう。

列車が発車するとすぐに日豊本線と分岐し北向きに進路を変えます。山間ですが町のようなものが沿線に長い間続いているように感じました。

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本日は18切符の回みたいです。調べると18切符より追加運賃のほうが安い場合が何回かあり、記録とスタンプが間違ってしまったところがあるかもしれません。

そのような感じで小林やえびのの町を通っていくと南向きに進路を変え肥薩線と合流し乗り入れていきます。

ここからの肥薩線区間は山間の深いところに入っていき、鹿児島空港など脇にあるようなところを進んでいきます。しかし鹿児島空港へのアクセスは鉄道ではなくバスが主流で、バス路線網が便利に整備されています。

そのようなところを進み平野に出ると再び日豊本線と合流し終点の隼人に到着です。

 

日豊本線鹿児島本線(隼人~鹿児島~鹿児島中央)

隼人からは再び普通列車に乗り込み日豊本線の末端区間に乗っていきます。肥薩線がもともと鹿児島本線であったことから、この区間肥薩線から続くように鹿児島線とされていた区間であります。しかし鹿児島本線の海沿いルート開業時に日豊本線編入された区間です。

列車は鹿児島湾沿いに姶良などの町並みを進んでいきます。この辺りまで来ると市街地の中を進んでいく感じになります。昔のネット友達がこの辺りに住んでいたのですが、今はLINEのアカウントが消えてしまったことがあり連絡が途絶えてしまいました。元気にしているでしょうか。

そんなことを考えながら列車に揺られると海岸が迫ってきて桜島が見えてきます。函館本線の小樽周辺を思わせるような線路配置で眺めがいいところを進んでいくと、間もなく鹿児島に到着です。鹿児島は日豊本線鹿児島本線などの起点とはなっているのですが、その運行の中心は一つとなりの鹿児島中央となっています。もともと鹿児島中央西鹿児島という駅で寝台列車なども発車していたところですが、新幹線開業時に鹿児島中央に改称され、より中心らしい名前に変わりました。それにより鹿児島駅が両路線の起点だということを知らない人も多いのではないかと思います。いつかそれも変更される日が来るかもしれません。鹿児島駅を出るとまもなく鹿児島中央に到着です。

 

指宿枕崎線(鹿児島中央~枕崎)

鹿児島中央からはそそくさと乗り換え指宿枕崎線に乗っていきます。ここまで来るといよいよ旅も大詰め感が出てきました。この路線はローカル線としては珍しく、市街地の途中で幹線と分岐し別のルートを通るので、市街地区間を単独で抱えており本数が多い区間があります。市電も並走するようなところでその発展具合を見ることができます。しかし都市部の区間が終わると一転山間を進むようになり、はるか先の枕崎まで続いています。枕崎からはさらに北側に南薩鉄道という会社により路線が続いていたのですが、廃線になりました。枕崎から鹿児島市街を短絡するような路線も計画されていましたが、こちらは未成線で終わりました。結局は枕崎まで鉄道で行くには指宿の方面へと半島を回るルートしかありませんので、バス移動が推奨されるようなところでもあります。しかし今回は18切符を使用したことや列車の時間が合ったので鉄道の移動となります。

列車は鹿児島の市街を市電とともに進みます。昔市電からJRに乗り換えたのが懐かしいですね。この記事を書いている時点では一年ほど前の出来事です。

市街地を過ぎると桜島など見える海岸沿いを進んできます。日豊本線でも同じよな車窓がありましたが、海に関してはこちらの方が綺麗に見えました。桜島を見るなら日豊本線のほうが中央にデカデカとみることができます。

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このあたりで車内が空いたので飯を補給します。どれも鹿児島の名産物でゆっくり観光できないながらも鹿児島を楽しみました。

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鹿児島湾の車窓も美しいです。このような感じで美しい海に沿う形でしばらく進むと少し内陸に入ったところで指宿に到着です。指宿は温泉地などもあり、リゾート地として開発が進んだところです。是非下車観光をしたかったのですが、今後観光列車に乗るために先を急いでいきます。

指宿を過ぎると薩摩半島の先端に沿うような形で少し内陸側を進んでいきます。そのカーブのちょうど一番先になるようなところに西大山という駅があります。西大山では列車によって少し停車時間が設けられ写真タイムがあることがります。これは普通の各駅停車の列車でも行われることがあり、運転手さんの裁量なのかなと思います。この辺の乗客はほとんど観光客なのでしょう。

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今回は1分ほど停車時間があり写真を撮れました。粋な計らいです。

この後はは東シナ海の海岸に沿うように北西に向けて進みますが、海ギリギリではなく少し内陸側を進んでいきます。田園風景の中をガタゴト進んでいきます。この辺りは保線状況があまりよくないことで知られ、縦揺れが結構激しいところでもあります。揺れるタイミングに合わせて座ったままジャンプしてみるなどして乗車を楽しみました。

鹿児島中央からは3時間ほどで終着の枕崎に到着しました。

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枕崎は最南端地点を有する路線のターミナルであるので、最南端のターミナルとして知られてます。稚内は最北端であると同時にそのターミナルであるので、それがこちらと違う点ではありますが、両方とも最果て感があるということは共通してます。

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枕崎の駅の様子です。この駅は先ほども述べた通り南薩鉄道も使っていたような駅なのですが、もともとは国鉄よりも先に駅を建設していて、国鉄が使用料を払い乗り入れているような形でした。しかし南薩鉄道解体時にホームのみが国鉄に移管されました。その後駅自体の移転などを経て現在の形になりました。駅が妙に新しかったのは2006年に駅全体が移転されていたためだったのですね。この像はお節行商の像らしです。

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このように列車とモニュメントが一緒に撮影できる場所もありました。

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稚内から旅してきたことを思うとようやくここまで来たかという気持ちにもなります。一生で見ても最大規模の旅行なんじゃないかとも思いました。なんだか感慨深いですが、これでまだ終わりではないいので気を引き締め、指宿行の折り返し列車に乗車していきます。

 

同じ経路を経て指宿まで戻り、ここからまた別の列車に乗っていきます。

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指宿のたまて箱とよばれる観光列車です。白黒の塗装がカッコイイですね。列車名は薩摩半島の最南端にある長崎鼻一帯に伝わる浦島太郎伝説の玉手箱にちなんでおり、日本最南端を走る特急列車でもあります。内装は和風で華やかなものになっています。この車両の台車は工夫された機能がついており、先ほどと違ってジャンプして楽しめるよな縦揺れは起こりませんでした。

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車内でいただいた飴です。九州新幹線の車両が書かれています。

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途中でプレートを持ち写真を勧めていただいたので撮っていただきました。このサービスは九州の観光列車多く行われていて、誰でも受動的にサービスを受けられるのでかなりいいサービスだと思います。自分から写真を撮ってくれと頼むのは少々気が引けますよね。

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終点付近では再び桜島も見えてきました。観光列車なので窓も綺麗でいい眺めです。指宿を訪れる際はぜひ玉手箱に乗ってみてはいかがでしょうか。

 

特急列車なので運賃まで追加で必要でしたが、一時間ほどで鹿児島中央に到着しました。ドアが開いた際に車両上部からミストが噴出され、浦島太郎の玉手箱を意識した演出がなされます。おもしろいですね。

 

鹿児島本線(鹿児島中央~川内)

玉手箱を満喫した後は、再び在来線の幹線に乗っていき北上していきます。この区間鹿児島本線は先ほどの通り、肥薩線区間の別線として作られたあと鹿児島本線となったところです。しかし現在では川内から八代間は九州新幹線の開業時に並行在来線として分離され、肥薩おれんじ鉄道として移管された区間があります。川内から鹿児島までの区間も当初は経営分離される計画でしたが、沿線人口がそこそこあり通勤通学需要など見込めることからJRに残ることとなりました。その影響で当初はおれんじ鉄道の運営に鹿児島市薩摩川内市などの大きな自治体も参加する予定だったのが不参加になりました。現在のおれんじ鉄道の経営が厳しい背景にはそのような出来事があったとされています。九州新幹線の受益者である鹿児島市並行在来線の支援を行わないという事実はこのスキームに問題があるとも思えます。これまで長らく書いてきた並行在来線問題はもう分離されたところでも考える余地があると思います。

そのようなところを一時間ほど進み川内に到着です。

 

九州新幹線(川内~新八代)

先ほど紹介したようにここから先は三セク移管されてしまったので、新幹線に乗り換え北上していきます。

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30分ほどの乗車時間があったので、車内で昼ご飯を補給しました。鹿児島ラーメンが好きなのですが、食べることができなかったのでコンビニで見つけたものを即買いしました。阿久根や水俣など工業で有名な町並みを高速で通過するところをゆっくり眺めていると新八代に到着しました。

 

第45県目:熊本県

ここからはレンタカーを借りて行程を進めていきます。これは災害による不通で乗車できなくなってしまった肥薩線を補完するためのに計画された行程です。廃線跡巡りのような形ととらえていただければと思います。実際にはまだ籍が残っていて復旧の可能性はありますが、災害の規模が多すぎて正直廃線になるのではないかと予想しています。少なくとも数年の間での復旧はあり得ません。これではJR完全乗車の名目を果たせないので、どうするかと考えた時に廃線になるならば廃線あとめぐりを先にしておく、復旧するならば現状運行している路線の完全乗車と注釈をしておき、復旧時に新たに発生した未乗区間に乗りに行くという防衛戦に移行する準備の役割を兼ねています。

 

新八代ではレンタカーを借りた時にサブレをサービスでもらいました。これが結構おいしくいい思い出の一つとなりました。借りるやいなやまずドンキホーテに向かい、食料の買い出しや必要な装備を整えました。その後は在来線の八代駅まで車で行き肥薩線巡りのスタートです。

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一応代行輸送のつもりで車を装飾しました。勘違いされないように道中では紙をどけて走りましたが、気分は代行バスみたいなもんです。

 

ここからは中継地の人吉に向けて肥薩線沿いを行こうと思ったのですが、何を隠そう被災区間です。その被害は線路だけではなく並行する国道にまで及んでいます。道路は復旧に関する車両や地元車両のみの通行可とする表示がでてきたので、そこで引き返しました。おそらくある程度のところまでは進んでいけたのでしょうが、真っ暗で怖かったこともありやめました。

 

八代のインターまで引き返しそこから高速に乗ります。代行バスもこの方法をとていたこともあるみたいです。高速に乗ってトンネルが多い山岳区間をしばらく走ると最初のパーキングエリアにつきました。

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トイレくらいしかありませんが人気はありました。ここから再び走り長大トンエルなど抜けていきます。

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山江サービスエリアです。ここはそこそこ光も多くSAらしい雰囲気でした。もう人吉にほど近いところなので、この先の人吉インターで降り駅を目指します。

とりあえず人吉の市街をいったん通過し、なるべく八代方面へと在来線を遡っていきます。どこかでさきほどのような看板があったのかもわかりませんが、結構奥まで行けました。

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渡駅です。球磨川沿いにある駅でしたが、現在列車は来ることはありません。ここから先は完全に通行止めとなっていて折り返すことになりました。

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人吉駅まで引き返してきて写真を撮りました。人吉はウッチャンナンチャンの内村さんの故郷としても知られているというかそれでしか知らない人も多いと思いますが、SLが走っていたことも有名です。しかし肥薩線の被災によりSLは来なくなりました。悲しい

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こんなのもありました。SLが走っているところを見たかったです。人吉は明日も来るので軽く見物して出発です。

 

ここからは並走している国道が無事なので、一般道で肥薩線と同じルートを進んでいきます。真っ暗な山道でほとんど車窓が見えなかったのがおしいですが、トンネルや人吉ループ橋という橋があったりと、山道を感じることができました。

しばらく走ると吉松駅に到着です。

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吉松駅は明かりがともっていて、まだ列車が来ているのだなという安心感さえ覚えました。しかしせっかく来たのに車窓が見られなかったので、明日も高速ではなく国道で帰ろうかなという感じで決定し、宿泊予定の道の駅えびのまで車を進めました。

 

道の駅では車中泊でしたが、道の駅の水道設備を使えたこともあり快適な宿泊となりました。あまりにも夜空が綺麗だったので、新しいチャレンジをしてみました。

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長時間露光で星空を撮ってみたのですが、ダメでした。いくら露光時間を長くしたところでさすがに星空はとれないということです。でもこのチャレンジ精神を忘れないようにしたいなとは思います。

 

この後は車でゆっくりと休みました。以上で本日の行程は終了です。明日も面白い場所を巡っていきますので、ご期待ください。