鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

日本一周旅行前編⑩

お待たせいたしました。一月中の完結を目指して書いていきます。(願望)

 

 

7/31

本日は遅めのスタート。贅沢にもネットカフェの無料モーニングを頂きました。

f:id:Banksisland404:20220105090459j:plain

こんなに贅沢してしまっていいものでしょうか?

 

仙山線(仙台~山形)

仙台7時7分発の仙山線に乗り山形を目指します。隣接する山形と宮城の県庁所在地どうし結んでいて、日本で初めて交流電化された区間でもあります。この二つの県庁所在地が隣接していることは意外と知られていません。そして仙山線は勾配が比較的きつい路線として知られていまして、勾配とトンネルで山間を直線的に抜けていく近代的とも言える路線でもあります。

列車は仙台を発車するとすぐにカーブし西向きに進路を変えます。東照宮北仙台と進みます。北仙台は地下鉄との乗り換えもできるようなところですが、ここから本格的な勾配が始まります。弘法山という小さい山の手前で国見に到着です。国見から先はトンネルで一気に山を貫き徐々に下っていきます。陸前落合で下り勾配が終わり、再び上っていきます。沿線に街もありますが路線はぐんぐん上っていき、車窓が徐々に森っぽくなってきたところで作並に到着です。この路線の駅名表は北朝鮮を連想させるような字体で書かれていて、作並ではもっともそれが強く表れているかなと思います。写真を撮ろうと試みたのですが、車両の端っこに乗ってしまっていたので撮れませんでした。検索すれば出てくるので是非してみてください。作並の次の奥新川を過ぎると仙山トンネルという長いトンネルに入ります。これで一気に山を貫き山形市に入っていきます。次の面白山高原という駅についたところで上り勾配が終わり、勾配を駆け下りていきます。勾配を下りきると車窓の右手から奥羽本線が合流してきて羽前千歳に到着です。この奥羽本線山形線区間で、新幹線用に改軌されてしまった区間です。この羽前千歳のすぐ先で、標準軌山形線狭軌仙山線がクロスする場所があります。正確には両方とも奥羽本線という扱いになりますが、性格は全く別の路線になっています。昔は複線の奥羽本線に実際に仙山線が合流して来ていたのですが、新幹線を通すために片側が標準軌に改軌されました。ここで標準軌狭軌が平面交差している理由は、この先の北山形で仙山線とは逆側から合流してくる狭軌の路線である左沢線があるからです。北山形を過ぎると山形城跡の堀のすぐ脇を通り山形に到着です。

 

ここからは炎天下の中山形城跡をつっきり、線路の脇まで歩きました。

f:id:Banksisland404:20220105090905j:plain

これは山形城の正面であった東大手門の姿です。昔はこの城跡は軍用地に転用されたりしていたみたいです。この手前の橋が撮影スポットになっています。

f:id:Banksisland404:20220105123142j:plain

しかし今回は門を写した構図で撮りたかったので、その先の場所から撮りました。これが標準軌を行く仙山線です。

f:id:Banksisland404:20220105123708j:plain

次に左沢線です。後ろの山形市の高層ビルもいい味を出しています。これがここでの一番いいショットなんじゃないかなと思います。本当はここで新幹線を狙っていたのですが、写真を見てわかる通り標準軌側は草生してしまっていて撮れませんでした。事前情報より草が伸びてしまっていたことが誤算となりました。

f:id:Banksisland404:20220105123229j:plain

先ほどの橋に戻り無理やり新幹線を撮影しました。かなり遠くなってしまいましたが、ギリギリという感じです。今度は別の場所で山形新幹線やとれい湯つばさなど撮ってみたいですね。

f:id:Banksisland404:20220105123239j:plain

橋から山形線を撮りました。逆光ぎみですが堀の土手を通っていることがわかる面白い構図です。一昨日食った肉また食べたいなと考えましたが、流石に我慢して先を急ぎ山形駅まで戻りました。

ここからは再び仙山線に乗って仙台まで戻りました。

 

東北本線常磐線(仙台~岩沼~いわき)

仙台からは常磐線に直通する普通列車原ノ町行き列車に乗り込みました。まずは昨日と同じ経路を辿り岩沼まで進みます。岩沼からは常磐線区間に入っていきます。

常磐線は本線ではない路線の中では最長の路線で、幹線でありながらも異様な路線です。常磐線と言えば茨城のイメージが強い方もいると思いますが、実は常磐線は仙台へと続く路線です。常磐線を最初に敷いた会社は水戸鉄道と言い、文字通り水戸と東京方面を結ぶ鉄道でした。しかし日本鉄道へと運行会社が変わると路線はその先の岩沼まで伸び、東北本線へと合流することになりました。その後は国有化を経て今の形態へとなりました。仙台から東京方面への直通列車があったりと東北本線のバイパス路線としての属性が強くあり、昔は東北方面への夜行列車など仙台以北まで行く列車がたくさん走っていました。しかし東北新幹線の開業によりその属性は影を潜めることととなりました。それに加えて東日本大震災で被災し、一部区間が長らく不通だったこともあり、完全にバイパス路線としての役割は失われました。しかし2020年に全線が復旧し運行再開したことにより、仙台~東京間の特急列車が再び設定されました。当時も仙台~上野間の特急は走っていましたが、運行終了になる計画が存在し存亡の危機に立たされていました。そんな中での被災から復興を経て輝きを取り戻すというドラマチックな展開でもあります。現在は上野東京ラインも開業し、品川から仙台までの特急が数本走っています。そんな常磐線を進んでいきます。

岩沼を過ぎると阿武隈川の手前で東北本線と別れて南下していきます。沿岸に震災の遺構があるようなところを内陸に沿って進んでいきます。この辺りは被災したものの南側の区間よりは早く復旧しました。しばらくすると県境を越え新地です。震災前とは運行形態がだいぶ変わっており、ここどまりの列車もあります。原発事故による復旧は原発に遠い方から段階的に行われたため、乗っていてもその復興度合の違いがよくわかります。この先の相馬や原ノ町のある南相馬などは駅の周りがかなり復興していて町が再び出来上がっていますが、駅間は文字通り何もない場所が続いている場所もあります。原ノ町からは見慣れた常磐線の531系列車に乗り換え進んでいきます。

f:id:Banksisland404:20220105090912j:plain

見慣れた列車と北の区間普通列車が並んでいます。

南に進むにつれ徐々に何もない場所の区間が広くなっている気がします。そんな感じで進んでいくと浪江に到着です。前来たときはここから代行バスに乗った気がします。この辺りから原発事故処理の関連施設が増えてきます。双葉を過ぎるといよいよ事故現場の真横を通過します。双葉と大野は未だに立ち入り禁止区域が近く、まだ復興が手つかずの場所も多いです。この辺の常磐線には各駅に線量計が設置されていてその数値を実際に確認することができます。放射線は事故の当時北風によって多くが北方に落ちていったということもあり、除染関連施設は南側に多くある印象です。大森を過ぎると夜ノ森です。ここから富岡までの間に廃炉資料館などあることで、浪江からここまでの区間が最後に復旧された区間となっています。ここから先も福島第二原発があるようなところをどんどん南下していきます。沿岸沿いをしばらく走ると福島県でも有数の都市であるいわきに到着です。常磐線はここからが沿線人口も増え本格化する区間ですが、今回はここまでの乗車となります。この区間のみを紹介するとなるとどうしても震災関連の話がメインになってしまいます。東京近郊についてはまた乗るのでその時解説します。

 

磐越東線(いわき~郡山)

いわきで磐越東線に乗り換えて進みます。磐越東線は初めて乗る区間で、ゆうゆうあぶくまラインという愛称がついていうような路線ですが、どうやら郡山といわきを結ぶ高速バスとの競争に敗北したらしく本数が年々減ってきているみたいです。雨ぎみの曇り空と夏の風景ということもあり特筆することはないけれども、のふどかな風景が流れていきます。ローカル線にしては線形がよく、列車は淡々と進んでいきます。沿線には枝垂桜で有名な場所や渓谷の風景が見れるようなところもありますが、その片鱗を見ることは今回は難しかったです。途中の小野新町にはリカちゃんキャッスルなるテーマパークがあります。山間の町ですが、城跡もあってそこそこの規模があります。しばらく走ると平野のようなところが多くなってきます。最後に阿武隈川を渡ると東北本線と合流し終点の郡山に到着です。

 

まずは郡山にて写真を撮りに展望台に上ります。郡山にもビッグアイという高層ビルに展望施設が併設されていまして、盛岡にも同じような施設があったのを思い出しトレンドなのかなと思いました。

f:id:Banksisland404:20220116194223j:plain

まずは適当に撮ってみました。ここは東北新幹線の中でも本数が多い区間で撮り放題だと思ったんですが、もう日が少し沈み始めていてこのくらいの暗さだとうまく映りませんでした。

f:id:Banksisland404:20220116194233j:plain

ちょっと明るめにとってみましたがゴチャゴチャした写真になってしまいました。

f:id:Banksisland404:20220116194244j:plain

貨物が来ました。在来線側は短編成しか来ないのでここではあまり映えないのですが、貨物は長いので結構よさそうです。

f:id:Banksisland404:20220116194253j:plain

やまびこが来ました。この撮影地は郡山の市街をバックに山々の間を行く線路が見えてなかなか良いところです。ただガラス越しになってしまいます。

f:id:Banksisland404:20220116200028j:plain

一見すごい暗い写真ですが車両が一応見えます。もう少し加工や撮影の技術があればいいものになるのかな~と思います。本当はここで福島の代表写真としたかったのですが、もう一度在来線を撮りに来る必要があるかな~と思いました。

 

この後はこのまま郡山にて時間を取り福島の郷土料理であるわっぱ飯を食べに行きました。本当のこの先の会津若松ソースかつ丼など選択肢があり、その方が安くすむのでよかったのですが営業時間の問題もあり、空いている店があまりなかったのでここで食べることになりました。

f:id:Banksisland404:20220105090945j:plain

まずお通しみたいのでが出てきました。この時点で店の選択を間違ってしまったなと思いました。これは明かにに高い。一応googlemapでメニュー単位で金額を確認していたのですが、ちょっとミスしたなという感じです。

f:id:Banksisland404:20220105090951j:plain

頼んだわっぱ飯が出てきました。曲げわっぱという伝統工芸品を聞いたことがあると思いますが、それを箱として使用した弁当のようなものです。保温性に優れていたり様々利点があるみたいです。刺身を使った海鮮丼などありましたが、今回は安めのしらす丼を選択。これがかなりうまい。しらす丼は好きで家でも自分で作ることもありますが、やはり別格です。さすが少し高いだけはあると思いますが、それを考えると反省点もありました。千円台で抑えたかったのが税サ込みで三千円近くになってしまいました。それでもでてきたものを考えると納得のいくものです。店内もそれ以上の高級な雰囲気が漂っていました。そんなこんなで郡山を後にし磐越西線に乗りに行きます。列車まで時間があったのでラジオで五輪サッカーを聞きながら時間をつぶしました。

 

磐越西線(郡山~会津若松)

これから乗車する磐越西線ですが、こちらは東線と違って少し面白味があります。磐越西線と東線といっても歴史から現在の運行形態まで全く別の路線で、直通列車など運転されたこともありません。西線の方はSL磐越物語が走っていたり、沿線に会津若松があったり、終点の新津は車両工場があるなど特筆すべきことが多いです。しかしこれから乗る区間は夜なこともありあまり車窓については見えませんでした。

普通列車は郡山を出ると東北本線と別れるような形でカーブしていきます。新幹線の高架をくぐるとしばらくは郡山の町並みを進んでいきます。この辺は地方の幹線沿いの町並みを結構近くに感じながら走っていきます。磐梯熱海を超えると少しずつ山間の風景になっていきまして、車窓からは確認できませんが猪苗代湖のすぐ傍を通っていきます。福島の観光地として猪苗代湖の風景が有名らしく、訪問したい気持ちもあったのですが、夜ということもあり見送ることとなりました。

猪苗代を超えると線形がかなりグニャグニャになってきますが、そこまで山というほどでもないようなところを進んでいきます。しばらくすると大きく南に進路を変えまして会津若松に到着します。磐越西線では会津若松より東と西で別の会社が建設した歴史があり、会津若松駅はターミナル型の頭端ホームとなっています。一応先に続くような形で只見線が続いています。こちらも西側へと向かう路線ですが、途中で会津鉄道という東武グループの路線と接続している路線でもあります。そんな多くの路線が交わる若松は県庁所在地の候補になるくらいだったが、会津藩が新政府軍の攻撃に最後まで屈せず抵抗したためにその候補から外れてしまったという話を聞いたことがありますが、ほんとですかね?最近ここで書こうとする歴史の知識に間違いを見つけることが多く心配です。とにかく大きな町で鶴ヶ城という城もありましたが、新政府軍に白虎隊という会津藩の部隊が最後まで抵抗したことは有名です。最終的には近くの丘から燃える城を見ながらその部隊が集団自決したことも有名なエピソードになっています。

こんな感じで有名な観光地なのでここは観光するしかなかったのですが、例によって夜なこともありほとんど観光はできませんでしたが、一泊することになりました。

ここから数十分間歩き、ロードサイドの大きいアミューズメント施設一体型の快活クラブで休息を取りました。