鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

日本一周旅行後編⑬

 

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本日は南九州を周遊していきます。

 

目覚ましで目を覚ましました。まだ眠かったですが、目をこすりながら準備をして駅に向かいます。昨日快活についたのが25時すぎで朝の列車は5時39分発です。そりゃ眠いはずだと思いながらも、テント泊よりは寝れたかな?とかいろいろ考えていると駅に着きました。

 

吉都線肥薩線(都城~吉松~隼人)

都城からは吉都線という路線に乗っていくのですが、この路線は昔は宮崎線として日豊本線となっていくた区間です。肥薩線も昔は鹿児島本線の一部だったので、その途中の吉松で分岐し都城まで至る路線となっています。鹿児島本線の海沿いルートができて日肥薩線が分離された後、日豊本線の隼人から都城までの短絡ルートの新線が完成すると、旧線は吉都線として分離されました。

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今回乗る列車は吉都線から肥薩線に乗りれ、隼人まで大回りして向かうようなルートとなっています。これは肥薩線の吉松以北が不通になっていることが原因としてあがられます。全区間を通しで乗車する人はほとんどいませんが、列車運用の都合上この運用が好ましいのでしょう。

列車が発車するとすぐに日豊本線と分岐し北向きに進路を変えます。山間ですが町のようなものが沿線に長い間続いているように感じました。

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本日は18切符の回みたいです。調べると18切符より追加運賃のほうが安い場合が何回かあり、記録とスタンプが間違ってしまったところがあるかもしれません。

そのような感じで小林やえびのの町を通っていくと南向きに進路を変え肥薩線と合流し乗り入れていきます。

ここからの肥薩線区間は山間の深いところに入っていき、鹿児島空港など脇にあるようなところを進んでいきます。しかし鹿児島空港へのアクセスは鉄道ではなくバスが主流で、バス路線網が便利に整備されています。

そのようなところを進み平野に出ると再び日豊本線と合流し終点の隼人に到着です。

 

日豊本線鹿児島本線(隼人~鹿児島~鹿児島中央)

隼人からは再び普通列車に乗り込み日豊本線の末端区間に乗っていきます。肥薩線がもともと鹿児島本線であったことから、この区間肥薩線から続くように鹿児島線とされていた区間であります。しかし鹿児島本線の海沿いルート開業時に日豊本線編入された区間です。

列車は鹿児島湾沿いに姶良などの町並みを進んでいきます。この辺りまで来ると市街地の中を進んでいく感じになります。昔のネット友達がこの辺りに住んでいたのですが、今はLINEのアカウントが消えてしまったことがあり連絡が途絶えてしまいました。元気にしているでしょうか。

そんなことを考えながら列車に揺られると海岸が迫ってきて桜島が見えてきます。函館本線の小樽周辺を思わせるような線路配置で眺めがいいところを進んでいくと、間もなく鹿児島に到着です。鹿児島は日豊本線鹿児島本線などの起点とはなっているのですが、その運行の中心は一つとなりの鹿児島中央となっています。もともと鹿児島中央西鹿児島という駅で寝台列車なども発車していたところですが、新幹線開業時に鹿児島中央に改称され、より中心らしい名前に変わりました。それにより鹿児島駅が両路線の起点だということを知らない人も多いのではないかと思います。いつかそれも変更される日が来るかもしれません。鹿児島駅を出るとまもなく鹿児島中央に到着です。

 

指宿枕崎線(鹿児島中央~枕崎)

鹿児島中央からはそそくさと乗り換え指宿枕崎線に乗っていきます。ここまで来るといよいよ旅も大詰め感が出てきました。この路線はローカル線としては珍しく、市街地の途中で幹線と分岐し別のルートを通るので、市街地区間を単独で抱えており本数が多い区間があります。市電も並走するようなところでその発展具合を見ることができます。しかし都市部の区間が終わると一転山間を進むようになり、はるか先の枕崎まで続いています。枕崎からはさらに北側に南薩鉄道という会社により路線が続いていたのですが、廃線になりました。枕崎から鹿児島市街を短絡するような路線も計画されていましたが、こちらは未成線で終わりました。結局は枕崎まで鉄道で行くには指宿の方面へと半島を回るルートしかありませんので、バス移動が推奨されるようなところでもあります。しかし今回は18切符を使用したことや列車の時間が合ったので鉄道の移動となります。

列車は鹿児島の市街を市電とともに進みます。昔市電からJRに乗り換えたのが懐かしいですね。この記事を書いている時点では一年ほど前の出来事です。

市街地を過ぎると桜島など見える海岸沿いを進んできます。日豊本線でも同じよな車窓がありましたが、海に関してはこちらの方が綺麗に見えました。桜島を見るなら日豊本線のほうが中央にデカデカとみることができます。

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このあたりで車内が空いたので飯を補給します。どれも鹿児島の名産物でゆっくり観光できないながらも鹿児島を楽しみました。

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鹿児島湾の車窓も美しいです。このような感じで美しい海に沿う形でしばらく進むと少し内陸に入ったところで指宿に到着です。指宿は温泉地などもあり、リゾート地として開発が進んだところです。是非下車観光をしたかったのですが、今後観光列車に乗るために先を急いでいきます。

指宿を過ぎると薩摩半島の先端に沿うような形で少し内陸側を進んでいきます。そのカーブのちょうど一番先になるようなところに西大山という駅があります。西大山では列車によって少し停車時間が設けられ写真タイムがあることがります。これは普通の各駅停車の列車でも行われることがあり、運転手さんの裁量なのかなと思います。この辺の乗客はほとんど観光客なのでしょう。

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今回は1分ほど停車時間があり写真を撮れました。粋な計らいです。

この後はは東シナ海の海岸に沿うように北西に向けて進みますが、海ギリギリではなく少し内陸側を進んでいきます。田園風景の中をガタゴト進んでいきます。この辺りは保線状況があまりよくないことで知られ、縦揺れが結構激しいところでもあります。揺れるタイミングに合わせて座ったままジャンプしてみるなどして乗車を楽しみました。

鹿児島中央からは3時間ほどで終着の枕崎に到着しました。

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枕崎は最南端地点を有する路線のターミナルであるので、最南端のターミナルとして知られてます。稚内は最北端であると同時にそのターミナルであるので、それがこちらと違う点ではありますが、両方とも最果て感があるということは共通してます。

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枕崎の駅の様子です。この駅は先ほども述べた通り南薩鉄道も使っていたような駅なのですが、もともとは国鉄よりも先に駅を建設していて、国鉄が使用料を払い乗り入れているような形でした。しかし南薩鉄道解体時にホームのみが国鉄に移管されました。その後駅自体の移転などを経て現在の形になりました。駅が妙に新しかったのは2006年に駅全体が移転されていたためだったのですね。この像はお節行商の像らしです。

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このように列車とモニュメントが一緒に撮影できる場所もありました。

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稚内から旅してきたことを思うとようやくここまで来たかという気持ちにもなります。一生で見ても最大規模の旅行なんじゃないかとも思いました。なんだか感慨深いですが、これでまだ終わりではないいので気を引き締め、指宿行の折り返し列車に乗車していきます。

 

同じ経路を経て指宿まで戻り、ここからまた別の列車に乗っていきます。

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指宿のたまて箱とよばれる観光列車です。白黒の塗装がカッコイイですね。列車名は薩摩半島の最南端にある長崎鼻一帯に伝わる浦島太郎伝説の玉手箱にちなんでおり、日本最南端を走る特急列車でもあります。内装は和風で華やかなものになっています。この車両の台車は工夫された機能がついており、先ほどと違ってジャンプして楽しめるよな縦揺れは起こりませんでした。

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車内でいただいた飴です。九州新幹線の車両が書かれています。

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途中でプレートを持ち写真を勧めていただいたので撮っていただきました。このサービスは九州の観光列車多く行われていて、誰でも受動的にサービスを受けられるのでかなりいいサービスだと思います。自分から写真を撮ってくれと頼むのは少々気が引けますよね。

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終点付近では再び桜島も見えてきました。観光列車なので窓も綺麗でいい眺めです。指宿を訪れる際はぜひ玉手箱に乗ってみてはいかがでしょうか。

 

特急列車なので運賃まで追加で必要でしたが、一時間ほどで鹿児島中央に到着しました。ドアが開いた際に車両上部からミストが噴出され、浦島太郎の玉手箱を意識した演出がなされます。おもしろいですね。

 

鹿児島本線(鹿児島中央~川内)

玉手箱を満喫した後は、再び在来線の幹線に乗っていき北上していきます。この区間鹿児島本線は先ほどの通り、肥薩線区間の別線として作られたあと鹿児島本線となったところです。しかし現在では川内から八代間は九州新幹線の開業時に並行在来線として分離され、肥薩おれんじ鉄道として移管された区間があります。川内から鹿児島までの区間も当初は経営分離される計画でしたが、沿線人口がそこそこあり通勤通学需要など見込めることからJRに残ることとなりました。その影響で当初はおれんじ鉄道の運営に鹿児島市薩摩川内市などの大きな自治体も参加する予定だったのが不参加になりました。現在のおれんじ鉄道の経営が厳しい背景にはそのような出来事があったとされています。九州新幹線の受益者である鹿児島市並行在来線の支援を行わないという事実はこのスキームに問題があるとも思えます。これまで長らく書いてきた並行在来線問題はもう分離されたところでも考える余地があると思います。

そのようなところを一時間ほど進み川内に到着です。

 

九州新幹線(川内~新八代)

先ほど紹介したようにここから先は三セク移管されてしまったので、新幹線に乗り換え北上していきます。

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30分ほどの乗車時間があったので、車内で昼ご飯を補給しました。鹿児島ラーメンが好きなのですが、食べることができなかったのでコンビニで見つけたものを即買いしました。阿久根や水俣など工業で有名な町並みを高速で通過するところをゆっくり眺めていると新八代に到着しました。

 

第45県目:熊本県

ここからはレンタカーを借りて行程を進めていきます。これは災害による不通で乗車できなくなってしまった肥薩線を補完するためのに計画された行程です。廃線跡巡りのような形ととらえていただければと思います。実際にはまだ籍が残っていて復旧の可能性はありますが、災害の規模が多すぎて正直廃線になるのではないかと予想しています。少なくとも数年の間での復旧はあり得ません。これではJR完全乗車の名目を果たせないので、どうするかと考えた時に廃線になるならば廃線あとめぐりを先にしておく、復旧するならば現状運行している路線の完全乗車と注釈をしておき、復旧時に新たに発生した未乗区間に乗りに行くという防衛戦に移行する準備の役割を兼ねています。

 

新八代ではレンタカーを借りた時にサブレをサービスでもらいました。これが結構おいしくいい思い出の一つとなりました。借りるやいなやまずドンキホーテに向かい、食料の買い出しや必要な装備を整えました。その後は在来線の八代駅まで車で行き肥薩線巡りのスタートです。

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一応代行輸送のつもりで車を装飾しました。勘違いされないように道中では紙をどけて走りましたが、気分は代行バスみたいなもんです。

 

ここからは中継地の人吉に向けて肥薩線沿いを行こうと思ったのですが、何を隠そう被災区間です。その被害は線路だけではなく並行する国道にまで及んでいます。道路は復旧に関する車両や地元車両のみの通行可とする表示がでてきたので、そこで引き返しました。おそらくある程度のところまでは進んでいけたのでしょうが、真っ暗で怖かったこともありやめました。

 

八代のインターまで引き返しそこから高速に乗ります。代行バスもこの方法をとていたこともあるみたいです。高速に乗ってトンネルが多い山岳区間をしばらく走ると最初のパーキングエリアにつきました。

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トイレくらいしかありませんが人気はありました。ここから再び走り長大トンエルなど抜けていきます。

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山江サービスエリアです。ここはそこそこ光も多くSAらしい雰囲気でした。もう人吉にほど近いところなので、この先の人吉インターで降り駅を目指します。

とりあえず人吉の市街をいったん通過し、なるべく八代方面へと在来線を遡っていきます。どこかでさきほどのような看板があったのかもわかりませんが、結構奥まで行けました。

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渡駅です。球磨川沿いにある駅でしたが、現在列車は来ることはありません。ここから先は完全に通行止めとなっていて折り返すことになりました。

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人吉駅まで引き返してきて写真を撮りました。人吉はウッチャンナンチャンの内村さんの故郷としても知られているというかそれでしか知らない人も多いと思いますが、SLが走っていたことも有名です。しかし肥薩線の被災によりSLは来なくなりました。悲しい

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こんなのもありました。SLが走っているところを見たかったです。人吉は明日も来るので軽く見物して出発です。

 

ここからは並走している国道が無事なので、一般道で肥薩線と同じルートを進んでいきます。真っ暗な山道でほとんど車窓が見えなかったのがおしいですが、トンネルや人吉ループ橋という橋があったりと、山道を感じることができました。

しばらく走ると吉松駅に到着です。

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吉松駅は明かりがともっていて、まだ列車が来ているのだなという安心感さえ覚えました。しかしせっかく来たのに車窓が見られなかったので、明日も高速ではなく国道で帰ろうかなという感じで決定し、宿泊予定の道の駅えびのまで車を進めました。

 

道の駅では車中泊でしたが、道の駅の水道設備を使えたこともあり快適な宿泊となりました。あまりにも夜空が綺麗だったので、新しいチャレンジをしてみました。

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長時間露光で星空を撮ってみたのですが、ダメでした。いくら露光時間を長くしたところでさすがに星空はとれないということです。でもこのチャレンジ精神を忘れないようにしたいなとは思います。

 

この後は車でゆっくりと休みました。以上で本日の行程は終了です。明日も面白い場所を巡っていきますので、ご期待ください。

日本一周旅行後編⑫

 

9/3

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本日は東九州縦断といった感じです。

 

朝の5時代にはネットカフェを出て博多駅に向かいました。

 

鹿児島本線(博多~小倉)

まずは博多から鹿児島本線により小倉を目指します。この先乗り継ぐ列車は博多始発なのでそれにいきなり乗ってもよかったのですが、小倉にて朝食を補給しようと思っていたため、普通列車で先回りしました。

この区間鹿児島本線の中でも最重要区間と言える箇所で、平行する新幹線がJR西なこともあり、特急列車も非常に多いようなところです。新幹線は山をまっすぐ貫きますが、こちらの在来線は谷間の大きな街を通っているのでそれぞれが違う役割を果たしている側面もあります。

そんなところを普通列車で一時間半かけて進んでいきます。

 

小倉では駅中のコンビニでかしわ飯のおにぎりとちょうど7時に空いたうどん屋かしわうどんを補給しました。

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ホームからの風景です。右手にあるのが買い物をしたうどん屋です。この青い特急列車により南を目指していきます。

 

日豊本線(小倉~別府)

先日の九州上陸時に小倉途中下車してあったので、そこからのスタートとなりました。さきほど購入したかしわうどんは小倉の駅弁として有名で、戦時中に製鉄所などの労働者のエネルギーの源さったことも知られています。

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値段は安かったのですが、かなりおいしかったです。讃岐うどんもいいですが、こういうオーソドックスなのもいいですね。うどん愛好家としては列車の中でうどんを食べられるのは非常に有難いですね。

筑豊本線は箇所によってルーツが違う部分もありますが、福岡県内の多くは九州鉄道や豊州鉄道によって敷かれた線路が国有化されたものです。大分県内に入ると、後に国がその線路を延伸した区間に入っていきます。まずは大分の数駅手前である別府までの乗車です。

最初の小倉から西小倉の間は鹿児島本線との重複区間になっている区間です。これは当初は日豊本線の単独駅だったところ、後に鹿児島本線の駅ができた関係で未だに重複となている場所です。日豊本線の起点は西小倉だと思ていたので驚きました。

行橋、豊前、中津など大きい街を通りながら一時間半ほどで別府に到着しました。

 

第42県目:大分県

別府からはレンタサイクルを借り列車の写真を撮りに行きます。雨だたのですが爆速で撮影地まで漕ぎました。

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撮影地はサルの出没で有名な高崎山自然動物園という場所の近くでした。その管内に許可を撮り自転車を止めさせていただきました。びしょ濡れですがゆるキャラと一緒に自撮りです。

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まず来たのは青いソニックです。かっこいいですね。この列車が撮りたかったので日豊本線沿線に狙いを定めました。

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お次は貨物列車が通過していきました。旭化成企業城下町として有名な、宮崎県の延岡まで行く貨物列車だと思われます。

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その後は普通列車です。後ろの森みたいになってるのがサルで有名な高崎山です。

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白いソニックも来ました。こちらも相変わらずかっこいい車体です。

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普通列車の後追いです。このアングルも結構かっこいいですね。

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後追いの特急列車が来たので新たな撮り方にチャンレンジしました。雨を主としたショットでしたがなんとも言い難いショットになりました。

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こちらの方はエンブレムが見えていいい感じかもしれません。この辺の芸術はちょっと難しいですね。

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次は普通列車がきました。目が特徴的です。

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最後はソニックです。霧っぽい幻想的な感じに仕上がったと思います。これにて撮影を終了し、びしょ濡れになりながら再び疾走しました。

 

レンタサイクルを返却したらば濡れたからだを流しに駅前の公衆温泉に向かいました。

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駅前にある小さい温泉ですが、お湯は変わらず別府温泉のお湯なのでかなりコスパはいいと言えます。やっぱり温泉はいいですね。これだけで別府をすごい満喫できた気がしてしまいます。

この後は駅までもどり、再び日豊本線に乗車していきます。

 

日豊本線日南線宮崎空港線(別府~南宮崎田吉宮崎空港)

まずは普通列車にて3駅先の大分を目指しました。大分では乗り換えに時間があったので駅前の豊後にわさき市場にて昼食を購入し特急列車に乗り込みました。

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にちりん号です。九州の特急はどれもかっこいいですね。博多から宮崎空港を結んでいるにちりんシーガイア号は在来線の昼行の定期優等列車としては最長距離の運行となっています。簡単に言えば最長距離の特急ということです。シーガイアとは宮崎で有名なリゾート地の名前で、昔はにちりんと車両の差異があったのですが、後に統一されたので現在では博多まで乗り入れるにちりんという意味合いが強くなっています。今回は大分始発の無印にちりん号に乗っていきます。

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先ほど購入した大分県産の元祖塩から揚げです。安かったので健康のためにサラダも買っておきました。今回は乗車時間が長いのでゆっくりといただけます。

列車は大分を出ると別府湾沿いのしばらく進みますが、そのうち山間を進むようになります。山を抜けると再び海沿いに出て臼杵やや佐伯など大き目の町を通りさらに南下していきます。

中宮崎県との県境の少し手前あたりで小倉側から延伸開業した区間が終わり、宮崎方面から宮崎線として北上するように延伸開業した区間に入っていきます。

宮崎県に入ると間もなく延岡につきます。延岡は先ほど述べた通り旭化成企業城下町であり、需要が大きいとろろです。しかし昔は鉄道の便が大変悪く、延岡から宮崎空港に企業自前のヘリコプターでの移動がメインでした。そのヘリコプターが事故を起こし死者が出でしまったことで、その体制を改善するために日豊本線の高速化が行われたり、宮崎空港線の開業へと至ったのでした。

そんな歴史のある延岡を過ぎるとまもなく日向市に到着です。個人的に宮崎の鉄道網は海沿いのみの路線と日本で一番規模が小さいと思いますが、実際は主要都市を抑えているし空港にも行けるし高速でもあるなど利便性は高いものと考えています。こう考えると路線図を見ただけではわからないことも多いですね。

日向市を過ぎると日向灘沿いにずっと走るのですが、しばらくすると左手に何やら見えてきました。

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長ーい高架のようなものがしばらく線路の横を並走していきます。これは昔使用していたリニアの実験線の一部です。現在のリニア実験線といえば、山梨にある営業線の一部となる予定のものが有名ですが、計画初期段階ではこの宮崎県の実験線を使っていて、記録も残っています。ですがリニアが完成してもこの街を恩恵がないことや、この実験線では規模が足りなくなったことで山梨へ移転ということになりました。その遺構が現在でも残されていて、長い区間で見ることができます。

そんな景色を眺めながら、日本の皇室とゆかりが深い美々津などを通過していきまもなく宮崎に到着です。ここで下車し観光としてもよかたのですが、せっかく宮崎空港まで行く列車なので、宮崎空港線にそのまま乗っていきます。宮崎近辺では2路線に乗り入れ空港に到着です。最後の路線である宮崎空港線はJRで一番短い路線としても知られていてたまに話題になるところです。

 

第43県目:宮崎県

宮崎空港では乗り換えに時間があったので、空港でなにか名物でも買おうと思いましたが、売店のコンビニは特にそのもようなものはなく、名産物を売ってそうなところは閉まっていたのでなにも調達できずに折り返すこととなりました。

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時間はあったので太陽神と写真を撮りました。宮崎県は日照時間が日本地長いことでしられていて、南国っぽさを出す所以ともなっています。

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この列車で宮崎方面へ折り返すのですが、今回は宮崎まで行かず、途中の日南線の駅である田吉で降りて列車を乗り継ぎます。

 

日南線(田吉志布志)

日南線の多くは国鉄によって建設された路線ですが、一部は宮崎県営鉄道によってナローゲージで建設され、その後国有化時に改軌されたという歴史を持つ路線です。途中には青島など観光地として有名な場所を撮る路線でもあります。終点の志布志はもともと大隅線や志布志線などジャンクション機能を果たす駅であり、機関区もあるような場所でした。しかし現在ではその両路線は廃止され機関区もなくなりました。現在はローカル輸送としての役割を多くの区間で果たしていますが、その中でも油津以南ではかなりのローカル感を味わうことができます。

乗車の時点で時刻は18時を回っており、かなり日が傾いていて乗客も学生など多い時間帯ですが列車に乗り込み進んでいきます。途中の青島は現在の上皇陛下が新婚旅行として訪れた場所として一躍有名になったところです。きれいな海岸や神社があり、こどもの国もあるようなところで下車観光といきたかったですが、時間のこともあるので今回はパスすることとなりました。

この後はすっかり日が沈みが学生もほとんどが下車し、暗闇の中を行くことになります。山を一つ越えると日南市のメイン市街である飫肥の町並みを通っていきます。油津を出たところで再び山に入り、くねくねと険しいところを進んでいきます。しばらく山道を進むと次は串間市の中心街を通っていきます。一応市レベルのところですがあまり明かりは多くはなかったように思います。串間からは海岸沿いをくねくねとトンネルなどもくぐりながら進みます。

次に開けたところに出るとまもなく終点の志布志に到着しました。

 

第44県目:鹿児島県

日南線は終点の志布志駅だけ鹿児島県にはみ出すような形になっています。この辺の県は明日以降また訪れるので、今回はいったん先を目指すという形になります。

 

折り返しに時間が少しあったので、改札を出て回りを見物しました。志布志市役所には有名な看板があり、鹿児島県志布志市志布志志布志2丁目1−1という所在地が書いてあるのですが、字面がすごいと話題になることもあります。しかし市役所は折り返しの間では時間がたりませんでした。

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代わりに駅の外観を撮っておきました。この駅舎の中には少し資料が展示されていました。

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機関区があっところの写真など見ることができます。

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終着駅は始発駅という言葉とともに過去の歴史を見れる看板です。終わりは始まりなのです。この旅も目標に向けた最終段階というテーマでやっていましたが、もしかしたらこれも次の目標への始まりなのかもしれません。

 

この後は人気がほとんどない暗闇の中を発車していく気動車田吉を超え南宮崎まで日南線を上りました。

 

日豊本線(南宮崎都城)

南宮崎からは再び日豊本線に乗り下っていきます。

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乗り換えに少し時間があたので自販機で買いました。自販機のラインナップも少し違う風に見えました。これを夜食として食べてから列車に乗り込んだのですが、発車時刻が23時45分とだいぶ遅い時間の出発です。もうほとんど夜行列車じゃないかと思いつつ列車は暗闇を進んでいきます。宮崎から都城間は線形のせいで距離以上に時間がかかっているように感じます。しかし特急列車もはしるようなところではあるので保線はマシなほうではあります。今回は各駅停車でしたが一時間ほどで都城に到着しました。都城は宮崎県第二の都市で駅に割かし近いところに快活クラブがあります。これは非常に有難く夜な夜な快活を目指しました。

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駅前にあった看板です。九州の繁栄を地図で見ることができます。

 

快活クラブでは始発まで短い間ではありますが横になり睡眠をとりました。

 

以上で本日は終了です。明日は久しぶりに車移動の行程などありますので、ご期待ください。

日本一周旅行後編⑪

 

9/2

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本日は長大移動となります。

 

朝六時前に快活を出てまずは豪華な朝飯を食べに行きます。

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快活の会員ランクがプラチナになりました。草

 

こんな朝早くから飯屋あいてる飯屋ってどんな飯屋でしょうか?

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うどん屋です。香川県民の方は朝うどんを食べてから仕事や学校に行くことが多いみたいで朝早くからあいている場所が多いみたいです。うどん県の名は伊達じゃない。

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ここはリベンジ地で前回頼まなかったメニュー釜バターうどんを注文しました。詳しく知りたい方は四国編をご覧ください。

味はかなり独特でやはり他では食べれない味でした。まじで美味しかったですね。特にうどんは大好物なので結構ボリュームがありましたが難なくいただけました。また来たいですがこの店は行列ができるほどの人気なので時間帯に注意する必要があります。個人的には早朝がおすすめですが、それでも結構混んでいました。サンライズで来る方は直行がオススメです。

 

これにて高松の一大イベントが終わったので旅程を進めていきます。まず最寄りの花園駅まで歩き琴電に乗って行きます。前の旅行の思い出に浸りノスタルジックになりました。老人になって気分です。

 

琴電で10分ほど進むと高松築港駅につきます。この駅は琴電のターミナルになっていて、JRの高松駅とは横断歩道を挟む形になっています。

高松では微妙な時間があったので行程を増やし列車に乗ろうと思ったのですが、それにしては乗り換えがタイトだったので結構ダッシュでJRに向かいました。その道中でキャリーモードにしていたカブトムシが走ったことにより段差で大きく跳ね、バランスを崩しくるぶしに激突してきました。これは痛い。質量をもった物体が重力加速度のみでこれほどまでにパワーを持つかと驚くことになりました。乗り遅れたくないので足を引きずりながらなんとか列車に乗車しました。

 

予讃線本四備讃線(高松~宇多津~児島)

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先ほど痛めた足とやらかしたカブトムシくんです。最初なんの写真かと思ったら戦犯の記録写真でした。バッグに責任をなすりつける男。

雨が降っていたことと折角フリー切符をもっていたので、瀬戸大橋を動画に収めるべく切符の範囲内である児島までマリンライナーに乗車しました。

マリンライナーは主に岡山から高松を結んでいる快速列車で無料の列車にしてはかなり高速で走ります。端には有料の指定席の車両も1両あります。快速列車に乗れば前面展望が手軽に撮れるので壮大な瀬戸大橋の列車設備を動画に収めることができます。天気が悪いので海の景色には期待できません。

列車は高松を出ると予讃線を颯爽と走って行きます。特急列車と同じく坂出までのすべての駅をすっ飛ばしていきます。そして坂出からはデルタ線に入っていきます。瀬戸大橋の付け根となっている宇多津、坂出の間には両方向から橋にアクセスできるよう作られた立体交差の立派なジャンクションがあります。まるで高速道路みたいですが、本線は宇多津方面とされており坂出方面が短絡線扱いみたいです。なので今回の乗車やサンライズなど高松に直通する列車は、宇多津を通らないのですが運賃計算上宇多津を経由したとみなされ計算されます。サンライズも坂出には停車するのですが、宇多津には停車しないのでサンライズから松山方面に乗り換える場合宇多津を二度経由してしまうことになります。それを防ぐためにはこの区間には特例が設定されていて、二重に運賃を払わなくてもよいことになっています。そんなジャンクションを過ぎると線路的には本四備讃線と呼ばれる路線に入っていきます。列車は上下に段階構造に下側の階を進んで行きます。本四備讃線は単線なのですが橋は複線に対応していそうなスペースがあります、これは四国新幹線のために単線分の用地を開けているとされています。

そんなところを10分ほど進んで行くと児島に到着です。今後の乗り継ぎのこともありますが、フリー切符の範囲も考えここで下車します。瀬戸大橋をじっくり観察できるいい機会でした。

 

岡山県内で唯一のJR四国管理駅である児島で先ほど痛めた足を念のため処置をしておこうとコンビニで買い物をしました。まもなくすると列車が入ってきたので乗車です。アクシデントがありましたが乗り遅れなくてよかったです。

 

予讃線土讃線(宇多津~多度津~後免)

乗り込んだ列車は特急南風号です。

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まず念のためオロナミンCでアイシングしました。実際、記事にするために話盛っているだろと自分でも感じますが、これで放置して本当に足をいためでもしたらこの先の行程に支障がでるので念には念を入れてということです。今後も走る行程など考えられますし、健康が害されれば一巻の終わりです。でもそれにしては処置が適当で草

児島からは先ほどと同じ経路になるので、説明の簡略化のために乗車目次から消しておきました。先ほど述べたように本線側の宇多津方面に列車は入っていきます。もともとの予定では高松からそのままこちらに来る予定でした。フリー切符は偉大です。

列車は宇多津に停まると次は多度津に停まりました。なんだかわかりづらい駅名です。多度津土讃線の線路上の起点になっている駅ですが、特急列車などはそのまま高松や瀬戸大橋方面に乗り入れることが多いので線形もそちらに合流する形になっています。南風号はそちらの土讃線に入り南へと進んで行きます。四国の路線の名前は非常にわかりやすくなっていて土佐、伊予、讃岐から一文字とってメイン路線名が形成されています。今回は乗りませんが予土線というのもあります。予讃線など昔は本線がつく路線名だったのですが、民営化時につかいない路線名に変更されたみたいです。

多度津を出るとオンシーズンではサンライズが延長運転される琴平に到着です。金毘羅山など観光で有名な場所です。琴平を出るといよいよ山間に突入してきます。阿波池田では徳島方面からくる徳島線との接続などもあり、渓谷の中を進んで行きます。この辺の大歩危小歩危と呼ばれる渓谷の景色は有名で観光地になっています。そんなところを振り子式電車は車体を傾けなるべく速度を落とさず頑張って進んで行きます。

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車内はwifiもあるので快適です。新幹線レベルの車内サービスで頑張っているとは思いますが、規格は在来線です。四国を巡っていると本当に新幹線の必要性が身に染みてわかります。すごく列車も頑張ってすすむのですが、物理的限界というものがあります。

列車はようやく市街地を抜けたと思うと土佐山田に到着です。ここからは平野部を進んで行くことになるのですが、今回は高知まで行かず次の後免で下車します。

 

第40県目:高知県

今回は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗車していきます。本来は高知市街観光と行きたかったのですが、駅メモの関係でくろしお鉄道に乗る必要があり、市街観光は前もしたので今回は我慢することにしました。

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くろしお鉄道の各駅にはやなせたかしさんが監修したマスコットキャラクターが配置されています。ごめんのそれは本当にサイコパスです。シュタインズゲートの鈴羽を思い出します。

 

列車に乗り込み土佐湾沿いに進んで行くのですが、今回は時間の関係で終点まで行くことができず、西分駅で折り返さなければなりませんでした。

 

時間があったので駅を出てみると

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何もないあたり一面の砂浜です。天気もあり絶景とはいかなかったのが残念です。

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何もない中にゆるキャラだけがいます。

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砂浜を見てみ見るとゴミが打ちあがっていました。環境問題を指摘しそうな写真になりましたが、そんなこと言える立場ではないのでやめておきます。

本音はいろいろ書くのがめんどくさいのでやめただけです。環境を大事にしましょう。

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駅にもこいつがいました。こいつしか話すことがない。このままだと高知の観光がつきこちゃんオンリーになってしまう危機に直面しました。

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乗る列車が来たので撮ってみました。前にめっちゃ人乗ってました。

 

この列車で後免まで戻りました。後免では近くのコンビニまで急いでいき、名産物を打ってないか探しましたが見当たりませんでした。

 

仕方ないので再び南風号により北上します。

今回は高松まで戻らず、大歩危で下車します。ここで手薄になっていた徳島県の観光をしようというわけです。鳴門海峡うずしおなど候補にあがりましたが、気象条件が厳しいため渓谷の風景を見ることに決まりました。

 

第41県目:徳島県

大歩危駅は山間の駅で出るなり坂が待ち受けていてそれを肌で体験することができます。

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駅のホームにあったオブジェです。

駅から渓谷へバスが出ているのですが、今回は乗りませんでした。

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坂を登ると看板があります。ここから公園らしいです。

レンタサイクル情報を調べると、いくつも情報があったので行ってみるとホテルに到着しました。でもサイトを確認しても宿泊者限定の表記はみあたりません。ダメ元ですがホテルの方に交渉しました。案の定、宿泊者限定と言われました。そりゃそうよねと思いながらも、表記なしの件を引き合いにだし交渉を試みましたが、小雨が降っていて危ないので貸し出しは中止しているとのことでした。これは一本とれらたと思い断念せざるを得ません。本日は大歩危ではなく小雨危という感じみたいです。

仕方ないので一時間ほど渓谷の中を歩きました。

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こんな感じの景色がずっと続きます。列車はこんな険しいところを走っているのかと外側から見ると改めて感じます。

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この右手に見えるのが歩道で延々とそこを歩き、しばらくするとようやく撮影地がある場所につきました。

RiverStation West-Westというショッピングモールに併設されている展望スペースです。

なかなかよい景色で、環境もよくゆったり列車を待つことができました。

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下にはツアーのカヌーなのかわかりませんが、何やらやっていました。

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お次は後追いです。大歩危駅で列車交換したんですかね。曇っていてもやっぽくなっていたので、被写体がとまるギリギリのラインでした。

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じきに普通列車が来ました。特急に比べ一両だとさみしいですね。

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最後は縦の構図で狙ってみました。個人的にはこれが一番ですかね。この車両本当にカッコいいですね。

これにて時間が来たので引き上げました。大歩危駅より小歩危駅の方が近いので、そこまで歩いてもいいなと思ったのですが、バスがちょうど乗れたのでバスにしました。

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本数がやばいですね。ちょうど乗れてよかったです。

 

大歩危駅からは先ほどと同じく南風号に乗り北上しましたが、途中の阿波池田で下車し、乗り換えます。

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阿波池田に併設のコンビニではなんと高知県のお菓子であるミレーと芋けんぴのセットが売っていました。これでつきこちゃん危機を回避することができ一段落です。

 

徳島線高徳線(佃~佐古~徳島)

阿波池田からは徳島線普通列車により徳島を目指します。徳島線列車は多くの列車が佃から土讃線に乗り入れ阿波池田まで走っています。徳島線には阿波池田から徳島の区間で特急剣山という列車が運行されていて、そちらにも乗車できたのですが、今回は節約のために普通列車に乗りました。

列車は吉野川沿いに二時間半をかけて進んで行きます。徳島の一個手前の佐古では高徳線に乗り入れ、徳島駅まで進んで行きます。

 

徳島では夜ご飯を食べる時間があったので徳島ラーメンを食べました。

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東大ラーメンまで行こうと思いましたが、そこまで時間はなかったので駅名の店です。

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卵がついてくるのが徳島ラーメンの特徴です。結構好みの味で、卵でまろやかになるのもまたいいです。やっぱり徳島ラーメンは結構好きな部類に入りますね。

 

徳島からは高速バスの阿波エクスプレス神戸号にて本州を目指していきます。JR四国は前回の四国訪問時に既に全線完乗していたので、スクショなどはありませんでした。

鳴門線には乗ったことがありましたが、鳴門海峡は超えたことがなかったので初めての体験でした。しかし夜だったこともあり、あまり景色は見えませんでした。次はうずしおを見に来たいですね。

本州で最初のバスストップである高速舞子で下車し、鉄道に乗ります。高速舞子はバスと鉄道の乗り換えを強く意識した構造になっていて、淡路島との中継地点として活躍しています。

 

山陽本線(舞子~西明石)

舞子からは新幹線に乗るため各駅停車で西明石を目指しました。新幹線なら神戸まで乗ればいいじゃないかと思いましたが、時間やコストの面から見ても舞子乗り換えが得でした。

 

山陽新幹線(西明石~博多)

ここからは山陽新幹線のひかり号により博多を目指します。本日の移動距離が長いのは、新幹線に長く乗るためです。

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やってきたのはひかりレールスターでした。EX予約で切符をとったのでわかってはいましたが、いざ乗るとなると新鮮ですね。

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レールスターは全席4列シートで700広より広い座席なのでゆっくりできました。

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途中の夜景ですか走行中にとったのでブレブレです。山陽新幹線東海道新幹線より15km/h早い300km/hが最高速度となっていて、ひかりとはいえ全速力で列車は走って行きます。車内で旅終了の後のことなども考えながら進むとあっという間に終点です。

途中のぞみの通過待ちなどで数回長い停車を挟みましたが、3時間たらずで列車は博多に到着してしまいました。新幹線恐るべし。

 

本日は博多駅近くのサイバックというネットカフェに宿泊しました。快活クラブは天神の方まで行かないとないので、やむを得ずなれないネットカフェで一泊しました。

 

本日の行程はこれにて終了となります。明日からは再び最長切符を使用して旅をしいきます。

日本一周旅行後編⑩

 

9/1

本日は行程終了が遅かったので、日付変わるまでにリザルト撮り忘れてしまいました。

昨日の記事はいい感じにふざけられたのでオススメです。

 

芝生でぐっすり寝まして目覚ましにより起きました。公園は水道やトイレがあるので快適に野宿することができます。あんまり真似しないでください。

 

長門市駅まで戻り、早朝の山陰本線に乗って行きます。

 

山陰本線(仙崎~長門市~益田)

仙崎方面への一番列車に乗って行きます。仙崎方面は山陰本線の支線扱いですが、美祢線からの直通列車が多く運用されています。これはこの支線がもともと美祢線からの貨物を港に運ぶために建設された貨物線だったという経緯からです。とはいえこの支線は一駅だけの短いもので、乗換案内で検索するとバスが多くでてくるような場所でもあります。そんな区間を攻略するには一番列車で向かうと効率よく乗ることができます。

仙崎では駅舎の外観を撮ったりして折り返していきます。

一駅で長門市につきそこからは山陰本線の本線で益田方面に向かっていきます。

このような経路で乗ることで、山陰本線をスムーズに制覇しようという目論見です。指定ルートからは外れていて追加運賃は結構かかりますが、山陰の列車は本数が少ないのでその運賃に見合うという判断です。

長門市からはそこそこ近いところに萩という大きな街があります。萩は長州藩の本拠地になったところで有名な政治家など多く輩出している街ですが、交通の整備は遅く発展するのが遅れたみたいです。鉄道の父と呼ばれる井上勝もこの萩出身なのですが、山陰本線が市街地を大きく迂回するように作られてしまったため、鉄道は不便な状態になってしまっています。その理由は萩の街が日本有数のデルタ地帯を形成していることにあります。デルタ地帯とは川が下流で枝分かれし、扇状に流れたことにより三角形の陸地が生まれる状態なのですが、中心部に鉄道を通すとなると鉄橋を二つかける必要があります。一説によるとそれを避けるために川が枝分かれする前まで迂回して線路を敷いたとされています。現在では人口の流出が激しく、行く末が心配ではあります。

萩も観光したい場所の一つだったのですが、天気も悪いし時間もないので車で来た時にしようと思います。

長門市からは二時間くらいかけて益田を目指すのですが、天気がイマイチなせいで景色がいい区間もなかなか微妙に見えてしまいます。しかしオレンジの113系は颯爽と走って行き、定刻で終着の益田に到着しました。

 

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益田ではようやく朝飯にありつきました。山陰で有名な饅頭も買いました。

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時間があったのでゆるキャラとスリーショットです。ちょるるとしまねっこの夢の共演です。

 

益田からは石見交通の路線バス清流ライン高津川号で一気に広島を目指します。

このバスは切符を事前購入することができたので、バスセンターで購入したのですが、現金のみ決済だったことが少し響きました。

益田は萩石見空港と呼ばれる空港へのアクセス駅となっているみたいで、空港の利用者に向けた施設など多くありました。

バスは40ものバス停を三時間以上かけて進みます。鉄道で迂回した方が早いんじゃないかと思いますが、鉄道では遠回りになるので大差ないといった感じです。ならば安いバスを選択します。

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途中のパーキングエリア休憩の風景です。どんより雲が目立ちます。

 

広島では観光代わりに豪華な昼食といきます。

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いつもの駅前広場です。

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中でも有名な電光石火という店です。目の前の鉄板で焼いてくれます。感染症の影響か時間帯もあってなのかお客さんが少なくて心配になりました。いつもこの店だけ大繁盛なのに。

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きれいなお好み焼きが完成しました。なかにはそばや麺類が入っていて、これが広島のお好み焼きの特徴です。文字通り電光石火で食べ終わりました。安定の美味しさだったのはもちろんなのですが、なんだかおなかいっぱいまで食事したのは久しぶりな気がしました。

 

食事を済ませると広島の市電で広島港を目指していきます。

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広島駅前の電停です。ここに停まっている電車に飛び乗り宇品港を目指します。

電車は道路上の軌道を30分ほど走ると終着の広島港につきます。旅行者からすると路面電車は本当に便利です。もっと様々な都市に整備してほしいとことです。

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広島港の電停はいかにもターミナルといった感じで様々な電車が停まっていました。

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特に目を引いたのは一番端の番線に停まっていた電車です。このロゴは京都の地下鉄で見たロゴです。調べるまでもなくこの列車は京都市電から来た車両だということがわかります。奥の車両にはかも川というヘッドマークがつけられているのがわかります。手前の車両は西陣というプレートが付いていました。

 

宇品港からは待ちに待ったフェリーで四国を目指します。今回の最長片道切符のルートには四国は含まれていないのでどう4県を回るか迷いましたが、音戸の瀬戸という箇所を観光したかったのでこのルートに決定しました。

 

瀬戸内海汽船の船に乗り込み出航です。

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徐々に広島の街を離れていきます。山に囲まれた地形がよくわかります。

船はまず最初の寄港地である呉を目指し、陸沿いを航行します。しばらくすると何やら別の船が見えてきました。

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なんかいかつい船です。さらっと書いたかもしれませんが、呉は日本有数の軍港でもあった場所で現在でも海自の基地がおかれるなど拠点になっているところです。

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呉に近づくにつれどんどん増えてきます。

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挙句の果てにはこんな感じで船がたくさんとまっているところもありました。呉の軍港の観光用にオンシーズンには船を多く運行しているらしく、それをこの船から見れるのはなんだかお得感があります。呉には大和ミュージアムと呼ばれる海事資料館もあるので、是非行ってみるといいと思います。いかつい船をたくさん見ることができ非常にテンションがあがりました。本当にいい体験です。

船は呉を出てしばらくすると音戸の瀬戸と呼ばれる地域を通ります。ここは本州と倉橋島の間にあるとされている海峡です。瀬戸内銀座ともいわれる瀬戸内海有数の航路で、平清盛が開削したという伝説もあったり観光地として知られています。

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これがその海峡です。本当に狭い。そしてすぐ先に陸地が見えると思うのですが、これを迂回するために方向転換しなければならず、航行の難所としても知られています。

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橋の両端には高さを稼ぐためのループなどもあって、それも名所となっています。

音戸を通過すると一通り観光はすんだという感じなので客室に戻り、ゆったりします。

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すいていたからいいでしょうという問題ではありません。マナーの悪い客です。空間の価値を下げるようなことはやめましょう。

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日が沈んできました。なかなかエモい。

二時間半ほどの海を進むと松山観光港に到着です。

 

第38県目:愛媛県

松山では都市部のそばではなく、高浜と呼ばれる伊予鉄のターミナルのそばに港があります。いち早く松山に行きたいため小走りで駅に向かいましたが、結局無料の連絡バスと同じ列車になりました。バスあるんかい

 

松山からは伊予電に乗り換え道後温泉を目指しました。

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オレンジのカッコイイ車体です。暗くなると赤みが強めに感じられてカッコイイです。

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道後温泉本館です。この日は改修かコロナか忘れましたがやってませんでした。よく考えれば本館は中で狭いので密の権化です。

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椿の湯という新しめの施設で人数制限がありながらも入浴することができました。結構入場待ちがありましたが、ギリギリセーフです。

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夜の道後です。以前は遅くまでショッピングできる場所など多く空いていたのですが、全て閉まっていました。ここは徹底した対策といった感じ。

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再び路面電で松山まで戻ります。

松山ではJRの窓口で3日間のフリー切符を調達し列車に乗り込みます。

 

予讃線(松山~高松)

今回は特急いしづち号に乗り高松を目指します。

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この列車は松山を9時40分ごろに出発するのですが、高松到着が0時を回るというさながら夜行列車のような運転です。これでも所要時間は2時間30分ほどと在来線をかなりの高速で駆け抜けていきます。四国島内の特急は可能な範囲ではほぼ最高速まで高速化されていて、これより上を目指すなら新幹線しかないと言われています。島内全体で現状でも運行が厳しいくらいの赤字なのに新幹線を作るのはどうかと度々言われますが、だからこそ新幹線による収益アップが必要なのではないかとも言われます。高松や松山といった都市は山陰新幹線と比べ市場規模も大きいし、JRと自治体の双方から新幹線の整備の要望があがるような場所です。次の整備新幹線が制定されるとしたら、第一候補なんじゃないでしょうか。まずは現状の整備新幹線の早期開業が先決ですが、行く末が気になるような場所であります。

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車内ではみかん尽くしで愛媛を味わいました。東京でも帰るはないかと言われそうですが、松山のコンビニにはこの二つの商品が大展開されていて一面オレンジ色でした。これも愛媛ならではの光景じゃないかと思います。短い滞在でしたがなんとか愛媛を感じようとした結果です。あとカメラがバグってテンパりました。

調べものをしながらうとうとしていると高松に到着しました。

 

第39県目:香川県

高松から琴電で一駅のところにある快活にとまるのですが、終電が終わっていたので歩いて向かいました。高松の市街はJRのそばではなく、一駅先の瓦町周辺が一番栄えている地域と言われています。

 

20分ほど歩くと到着です。風呂もはいっていたし明日も早いのでそうそうに寝ることにしました。

 

本日はここまでです。文字数は少ないですが、写真が多かったので内容も多いまま見やすい回だったんじゃないかと思います。明日は四国を攻略していきますのでご期待ください。

 

日本一周旅行後編⑨

 

8/31

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8月末は宿題に追われる学生時代の印象がまだ抜けません。一種の風物詩化していたような感じもあります。

 

本日は快活クラブからのスタートです。

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くそ豪華な無料飯です。鍵付き個室ではなくブースだと部屋まで持っていけるのでアドです。

 

鹿児島本線日田彦山線(小倉~西小倉~田川後藤寺)

7時ちょうどに小倉を発車する列車に乗り田川後藤寺を目指します。日田彦山線は小倉から南北を貫くように北九州の中央部を結ぶ路線ですが、今回は途中の田川後藤寺までの乗車です。追加運賃を払ってでも今日ここを乗っておくと後々楽になるので乗って行きます。そのため本日は18切符で広く動いていきます。

今までの森林風景とは打って変わり、少し雰囲気が変わったような気がします。山というほどの感じではないですが気に囲まれていて、ときどき炭鉱の跡地にようなところが見えます。そしてこの時間は学生がすごく多いです。

そのようなところを通学の学生と一緒に一時間ほど進むと後藤寺線平成筑豊鉄道に乗り換えられる田川後藤寺に到着です。

ここからは全く同じ経路を辿り小倉まで戻ります。

 

鹿児島本線(小倉~門司港)

小倉からは鹿児島本線関門トンネルに行かない港方面の列車に乗って行きます。三駅ほどで終点の門司港に到着です。

 

門司港駅門司港レトロと呼ばれる街並みが観光名所にもなっているようなところで、町一体で歴史的建造物が見れるようなところです。

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昔ながらの雰囲気が漂います。九州鉄道記念館が駅の隣にあるので行ってみます。

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鉄道記念館の前にあった昔の駅名表と旧0哩標です。0キロポストのようなもので、九州の鉄道起点になっていた地点です。現在は駅舎が移動したり関門トンネルの開業などにより、新しい0キロポストは別の場所にあります。

記念館はというと休館だったのに加えて中の展示車両の周りに柵があったので写真は写真は撮れませんでした。しかしその記念館から門司港レトロ観光線という鉄道路線が伸びていて、列車は走っていませんが沿線を歩いて観光することにしました。その路線は貨物鉄道の廃線跡を観光整備された路線で、観光シーズンにはトロッコ列車が運転されるようなこともあります。

 

ただ線路に沿って歩くだけでは味気ないので、とりあえ最初はレトロな街並みを見ながら歩きます。

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まずは旧門司税関とレトロ展望タワーです。レンガ造りで西洋風の雰囲気を醸し出します。

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これは北九州市と大連の友好記念館です。大連は中国の港町で、敦賀観光の時も出てきた場所ですが、日本と非常につながりの深い場所です。ぜひとも見学したかったのですが、例により閉まっていました。日本旅行の集大成とあって海外志向が強いめですね。

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なんかいたので撮りました。

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門司港のマスコットキャラクターである、じーも君です。

 

このまま街並みを歩き海岸沿いに出ると線路も合流してきます。

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道沿いに漁船の港と関門橋が見えます。

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山口側の海峡ゆめタワーや大観覧車が見えます。

ここから数分歩くとノーフォーク広場駅があります。広場の名前は北九州市と米国バージニア州ノーフォーク市の姉妹都市にちなんで名付けられたそうです。いろんな都市と仲が良い北九州市です。鉄道はここからトンネルに入り関門海峡めかり駅に向かいます。駅名は近くに和布刈公園があり、そこから関門海峡が見渡せたことが理由みたいです。徒歩ではトンネルは通れないのですが、一応回り道をすれば駅までは行くことができます。しかし駅まで行っても特になにもなさそうなので、このまま関門海峡を渡ります。

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徒歩用の関門海峡です。車用の関門橋の地下に設けられています。海底トンネルを歩いて渡れる珍しい場所として有名です。

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ちゃんと海底にも県境が引かれています。

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出口になんかありました。自撮りはなし。

関門トンネルの出入り口はエレベーターになっているので、階段などをあがる必要はありません。

 

外にあがると山口県側から関門海峡を見渡せました。出入口の近くにみもすそ川公園という公園があり、歴史的な展示がありました。

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まず長州砲のレプリカです。ここは下関戦争時に実際に使われた長州藩の砲台跡で、教科書に写真も載っていたので見たことある方もいるかもしれません。下関戦争は英仏米蘭などの列強相手に長州藩が単独で起こした戦争です。尊王攘夷というワードを聞いたことがあると思いますが、その攘夷にあたる思想を実行し、長州藩が近くを航行中の船を攻撃してしましました。その報復として欧米が攻めてきてボコボコにされました。この出来事で幕政下での攘夷が不可能であることを知ったことで、日本を変えるために長州藩などが立ち上がる一因にもなりました。

他にも平氏と源氏の合戦場の跡であることから壇ノ浦古戦場址碑が設置されていたりと、日本の歴史に大きくかかわっている場所みたいでした。

 

ここからはバスに乗り込み唐戸市場を目指します。

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唐戸市場はふぐで有名な市場です。地元では濁らずふくと言うみたいです。

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ザビエル上陸の地らしいです。山口県は本当に史跡が多いですね。

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カメラ置き場があったのでエモいの撮ろうと思ったらシャツですぎで草。右側のは重なって置かりにくいですけどふぐ3匹です。

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市場の中の定食やさんでフグ丼を食いました。ふぐは高価なので普段食べないのですが、市場に行くと安く食べれるのが嬉しいですね。これをおいしくいただき、下関駅に向かいます。

 

山陽本線(下関~新山口)

ここから山陽本線宇部に戻り宇部周辺の観光をします。なんですけど、再び厚狭と厚東の間を通るので、代行バスに乗車する必要があります。二時間ほど山陽本線を上り新山口に到着です。

 

宇部線(新山口宇部新川)

ここからは宇部線に乗車し、宇部中心市街へと向かいます。UBEと書いてあるタンクローリーを見たことある方は多いと思いますが、あれは宇部興産と呼ばれれ会社の車で主にセメントなどの化学製品を運搬しています。宇部興産は実は豊田レベルの企業城下町を形成していて、タンクローリーなどの大型車のために日本一長い私道として長大な道路を建設してしまうほどです。

 

そしてこの宇部新川周辺はエヴァンゲリオンの原作者である庵野秀明さんの地元で、聖地にもなっているようなところです。私はシリーズを全く見ていなかったのですが、知人に誘われ映画を見に行ったことで聖地の存在を知りました。見た映画はシリーズの最終作でその物語の中でも需要な意味を成す作品です。その知人らにも聖地の様子をお伝えしたいということで、巡礼を敢行することとしました。

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まずはポスターになっている宇部駅近くの踏切からの写真です。宇部線新山口方面をのぞむショットです。

あまり書くとネタバレになるのでなるべくわからないように書きます。

最後のシーンは宇部新川の駅が明確に描かれていて、駅の風景が忠実に再現されています。

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このベンチが二人が落ちあうベンチです。

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列車が入ってくると手を引っ張られ走り出します。

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そしてこの階段を駆け上がり

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宇部の街へと駆けていきます。実際に見ると宇部興産の建物が見えます。実際のシーンでは街を俯瞰するような形になっているので、背の高いビジネスホテルが目立って見えます。それをラブホテルだと勘違いした人が、位置関係的に二人はホテルに向かったのではないかと考察していましたが、実際は他にも様々な店があるので断定するのは野暮です。実際には別の場所には小さな風俗街的なものを確認することができました。

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実際に該当のベンチで待ってみましたが、後ろから目隠してくる待ち人は来ませんでした。またしても参加者0人

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シリーズでよく出てくるラーメンのブランドのもとになっている店です。実際にはカップラーメンなど広く販売はしていませんが、ラーメン屋としては実在しています。

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オーソドックスな豚骨ですが味は濃いめです。しかし癖はそこまでではなく美味しくいただけました。そういえばこの旅ではラーメンあんまり食べてないですね。

 

これで一通り聖地巡礼を終え、宇部線の未乗区間を目標に動いていきます。

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駅の外観です。企業のおかげで自治体が潤っているので、設備に対して非常に便利な列車が設定されています。

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行先によって両数が全然違います。次の列車に乗って先を目指します。

 

宇部線小野田線(宇部新川~居能~長門本山)

まずは宇部線の本線に乗り居能まで進みます。居能からは昨日も乗った小野田線に乗り、雀田に向かいます。雀田からは一日に3本しか列車が存在しない、長門本山行きの小野田線の支線に乗って行きます。長門本山はもともと本山炭鉱と呼ばれる炭鉱があったところで、かつては石炭運搬の役割を果たしていました。しかし炭鉱が閉業すると路線は役割を終え、残された少数の交通弱者のために朝と夕方のみごく少数の旅客列車が運行されています。

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あたり一面野原です。民家も少しあるにはあるのですが、この時の乗客は私とマニアの方一人しかいませんでした。夏休みというのもあるんですかね。

 

宇部線(居能~宇部)

本山からは来た経路で居能まで戻り、宇部線宇部に向かっていきます。この辺で日も沈んできて暗くなってきました。

 

山陽本線(宇部~厚狭)

この度だけでもこの区間を乗るのは3回目です。そして代行バスも3回目です。バスは鉄道に比べてかなり時間がかかるので、3回目も通るとかなり時間が奪われた気がしますが、これが一番マシな経路だと信じて実行されました。

 

美祢線(厚狭~長門市)

時刻は既に九時を回っていましたが、明日のために長門市へ向かいます。昨日も同じような時間帯に同じ駅から同じ方向に列車に乗った気がします。乗っている間にもしかしたらタイムスリップしたんじゃないかとさえ思えました。一時間ほど列車に揺られると長門市に到着です。長門市といえば安倍晋三です。昨日も同じ話した気がします。

 

山陰本線山陽本線(長門市~幡生~下関)

間違えました。危うく昨日にタイムスリップするところでした。

 

本日はここをキャンプ地とします。

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駅にいたゆるキャラです。なんて名前かわかりますか?

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オミりんでした。わかるかこんなもん

 

駅南土地区画整理で作ったらしい公園にてテントを張らせていただきました。

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迷彩模様が映えます。草生える

 

本日はこれにて終了です。久しぶりに観光ができてよい一日でした。明日も観光多めの行程なのでご期待ください。

日本一周旅行後編⑧

 

8/30

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本日の移動マップです。

 

米子では早朝の列車に乗るため、日が出るより前くらいの時間に快活をでました。こんな長々と歩くくらいならテントの方がましだなと思い始めましたが、充電が困るのとモラル的な面を考えなるべくネットカフェに泊まるよう心掛けました。

 

山陰本線(米子~浜田)

山陰本線に乗って行くのですが、本日この先の区間でバス代行区間が発生しているとのお知らせが駅にありました。ネットでは得られない情報まで載っていたので、写真を撮り列車に乗り込みます。

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車内で朝飯食いました。

乗った列車はおそらく普通列車出雲市行きだったと思います。途中の沿線で降りてサンライズなどの写真を撮るつもりでしたが、どん曇りでいまにも雨が降って来そうなのと、バス代行の関係で時間が取れなくなったのでやめました。

 

第35県目:島根県

松江で途中下車し駅から列車をとることにしましたが、待っているとなんと大雨が降って来ました。

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雨の中の特急やくもです。学生さんたちが多く乗っていったのが印象的でした。

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大雨の中を後追いで撮影です。以外にも雨ショットは少なかったので、豪雨災害に翻弄されたこの旅を象徴するような写真でもあります。

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この雨はすぐ小雨になりました。次の西出雲行き普通列車です。山陰地区はオレンジの113系が走っているのが印象的でもあります。

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スーパーまつかぜです。益田から米子を結ぶ特急ですが、今日は多分バス代行により運行区間が縮小されたんじゃないかと思います。

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見慣れない115系も来ました。

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黄色いアイツもいます。なかなか列車がたくさん来ておもしろいです。しかし乗りたい西出雲以西まで行く列車はまで来ませんので写真を撮って待ちます。

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スーパーおきだと思うんですが表示がないです。多分行先変更によるものでしょう。本来ならば益田から山口線に乗り入れる列車です。

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一応曇りショットも撮っておきました。両方後追いなのが悔しいですがしょうがないです。381系はまたリンベンジします。

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全身びしょ濡れになりました。カメラはビニール袋で一応防護したので乾かせば大丈夫だと思います。松江で駅弁を買って進もうと思いましたが、空いてなかったのか節約のためにか忘れましたが買いませんでした。

 

乗り込んだのは出雲市行きの普通列車です。この列車で40分ほど西に進み、またもや普通列車に乗り換えます。この列車が本来ならば益田行きだったのですが、今回は江南という駅からバスに乗り換える必要がありました。

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松江で買ったお茶です。空いていたのでパソコンで作業しました。

 

江南までは20分ほどでついてしまい、早速代行バスといった感じです。幸いこの区間も未乗区間ではなかったため一安心といった感じです。江南からはバスで40分ほどかけ列車なら10分で行ってしまうところを進んで行きます。

 

田儀駅というところでバス代行が終了し再び列車に戻ります。田儀から接続した列車は一時間半ほどかけ途中の浜田で終着となりました。

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車内でエネルギーを補給しました。本日もほとんど座りっぱなしなのでこの程度で耐えます。沿線の石見銀山など見たいところはいくつもあったのですが、この後もバス代行の区間があり素通りせざるを得ませんでした。

 

山陰本線山口線(浜田~益田~新山口)

浜田からは当駅始発のスーパーおきに乗って行きます。ここから特急に乗れて少しほっとしました。スーパーおき山口県内で初にして唯一の在来線特急列車です。列車名は島根県の北にある隠岐諸島が由来となっていて、振り子式列車が投入された際にスーパーの名前が冠されました。山口線にはおきの他に有名なSLやまぐちが走っている路線でもあります。SLやまぐちは蒸気機関車の動態保存を目的として運行されており、文化的側面からも非常に高い評価を得ている列車です。

列車が発車すると、30分ほどで益田に到着です。ここから先の山陰本線は未乗区間となってしまいますが、一旦切符の指示通り山口線に入りそのまま進んで行きます。

一時間半ほど山間を疾走すると、山口に到着です。山口駅は日本一しょぼい県庁所在地を駅名とする駅としてよく名が上がります。山口県は古くから栄えていた地域ではあるのですが、勢力が分散していたことが山口市がそこまで栄えなかった原因だろうとも言われています。その他にも徳川の時代に長州藩が受けた仕打ちなども関係していると言われます。山口を出ると20分ほどで新山口に到着です。新山口山陽新幹線が開通するまで小郡という駅名で、ジャンクションとしての性格はあれどそこまで大きな駅ではありませんでした。しかし新幹線の開通で県を代表するような駅へと成りあがりました。今では山口駅より新山口駅周辺の方が栄えているといっていいでしょう。

 

第36県目:山口県

無事に新山口まで到着すると思っていたより時間があったので、新幹線の入場券を買い新幹線の写真を取ります。

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通過列車は速すぎて列車が来ていることに気づきませんでした。防音性能もおそるべし。

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レールスターが来ました。山陽新幹線はほとんど乗ったことがなかったので、700以外が来ると新鮮な気持ちになります。

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まずは700です。光線があまりよくないですが、撮影地の手軽さでいえばなかなかいいんじゃないかと思います。

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そしてお目当ての500系が来ました。やはり500系は他の新幹線と別格でかっこいいと思います。この流線形は他では見られません。

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側面まで丸みを帯びた車体は本当に美しいです。いつかちゃんとした撮影地で500系を狙いたいですね。

 

この後は新山口の駅中で軽食を買い列車に乗り込みます。

 

山陽本線(新山口宇部)

乗り込んだのは山陽本線です。この列車で一気に宇部まで行こうと思ったのですが、代行区間があるみたいです。

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このバス代行によって今後の日程にじりじりと影響がでるのですが、今回はそこまでおおきな影響もなく、進むことができました。

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列車は転換クロスシートだったので、間食としました。

厚東からは順調にバスに乗り換え、宇部で下車します。

 

宇部線(宇部~居能)

この区間は切符の指示に従い、路線を刻んで最長ルートを行きます。この一帯の路線はこの後再び乗るので割愛します。

 

小野田線(居能~小野田)

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小野田線宇部線の支線のような路線で新山口から来て居能で分岐し小野田に向かうような線形をしていますが、通しの運用はそこまで多くないです。今回の乗車も宇部から山陽本線を迂回するような形での乗車です。20分ほどで終点の小野田についてしまいます。

 

山陽本線(小野田~厚狭)

この区間代行バスでの運行となっています。厚東から厚狭のバスを途中下車し宇部を一周した感じになります。しかし代行バスなので追加運賃は発生せず、乗車券で乗ることができます。この辺は通学需要が大変大きいみたいで、バス2、3台が代行のために運用されていました。バスで数十分行くと厚狭に到着しました。

 

美祢線(厚狭~長門市)

美祢線伯備線と並んで陰陽を連絡する幹線となっています。しかし美祢線には特急列車は走っておらず、現在はローカル輸送の役割が大きいです。この路線は沿線にある鉱山から石灰石などを運ぶために建設された路線で、全盛期には貨物、旅客輸送ともに大いに栄えました。現在では鉱山は閉山されましたが本数はそこそこ多く、地元の住民の足となっています。沿線には秋芳洞秋吉台など観光地があり、行ってみたかったのですが時間が厳しいので先に進みます。

山岳路線にしてはそこそこ線形はよく、1時間程度で終点の長門市まで着いてしまいます。

 

山陰本線山陽本線(長門市~幡生~下関)

満を持してやってきた山陰本線の未乗区間です。ここから下関までを二時間かけて暗い中を進みます。長門市から下関は特段大きな街はないのですが、中国山地と違い海沿いなので沿線人口はそこまで少ないわけではありません。主に学生を中心とした地元乗客のために列車が運行されています。

前の記事で山陰新幹線の話をしたと思いますが、出雲以降のルートが一応未定となっています。しかしその推進団体に元首相の安倍さんがいることから、安倍さんの地元の長門を経由するルートが有力なんじゃないかと言われています。経路を見ると出雲から山地を貫き山口線のようなルートをとるのが効率的だと思いますが、そのような我田引鉄が行われるかもしれません。第一出雲市以西は現状明らかに採算がとれないと思うので、議題にすら上がらないと思いますがもしそのような我田引鉄となれば面白いです。

暗闇の中をオレンジの113系で延々と進み下関に到着です。座っているだけの行程だと肉体より精神的に疲れてきます。しっかり動画は撮っていたはずですが、写真は一枚もありません。せっかくの未乗区間なのですが、車窓は見えないのでしょうがないかなと思います。

 

山陽本線鹿児島本線(下関~門司~小倉)

ナンバリングが50までしかないので1からの表記になりますが51です。下関で列車を乗り換えるのですが、路線自体は幡生で既に山陽本線に切り替わっています。関門海峡絡みの路線区分は運行系統と少し違っているので紛らわしいです。在来線で本州と九州をまたぐ場合は必ず下関で乗換が必要となります。

下関からはJR九州に入り関門海峡を越えていきます。九州、北海道、四国のJRには本州と連絡するための橋やトンネルは島側の会社が管理するという規定があり、この海峡をまたぐ旅客列車は九州の車両で運行されています。関門トンネルの中は地上を走る路線より湿度も高く過酷な環境なので、博多方面などへの通しの運用は少なく小倉から下関での区間運用が一般的になっています。

トンネルを抜けると、門司の港方面からきた路線と合流するとすぐに門司駅に到着します。路線単位ではここが山陽本線の終点となっています。ここからは鹿児島本線に乗り入れ一駅先の小倉へと向かいます。

 

第37県目:福岡県

鹿児島本線(小倉~折尾)

小倉からは快速列車に乗り盲腸線に乗りに行きます。小倉から20分ほど行くと筑豊本線若松線の乗り換え地点である折尾につきます。

 

若松線(折尾~若松)

若松線筑豊でとれた石炭を若松の港まで運ぶために建設された路線です。今は利便性向上のため、筑豊本線鹿児島本線に合流するような線形ですが、昔は若松線と一直線につながっていて、鹿児島本線と交差するような形でした。それを表すように、若松駅の改札を出たところに展示がありました。

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石炭で栄えた鉄道の歴史や様々な資料がありました。当時の炭鉱事業は相当儲かる事業だったんだろうなと思います。ゴールドラッシュならの石炭ラッシュです。この後九州を旅する中でこの手の資料をたくさんみることになります。

 

若松線を乗り終えると同じ経路で小倉まで戻りました。

小倉には駅に近い快活クラブがあったのでそこで宿泊です。

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無料の夜飯で精神を労わりました。

 

明日はようやく観光デーとなりますのでご期待ください。

日本一周旅行後編⑦

 

8/29

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本日は大移動となります。

 

この辺の始発は早いので、それに合わせて起床です。少し早く起きて津山の鉄道遺構を見学します。津山駅にはかつて使われた扇形の車庫と転車台が残されているのですが、外側から詳しく確認はできませんでした。日中は津山まなびの鉄道館という施設からその様子を見学できるみたいです。

朝焼けの津山運転区です。

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この線路の逆側に転写台と車庫があります。

是非とも見ていきたかったですが、日程もきついので始発に乗って行きます。

 

姫新線(津山~新見)

今回の旅でもこの区間はかなりボトルネックとなっているところで一日に6本と本数が少ない区間です。それもそのはずで、中国地方を横に貫く路線の丁度中央に位置しており、非常に沿線人口も希薄なところです。

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車内で朝食です。気を使わなければならないほど人もいません。

二時間ほどの乗車で新見につきます。そこまで距離が長くないのに時間がかかりました。これはJR西日本が保線費用削減のために、通過する列車に過剰な速度制限を設ける必殺徐行と呼ばれている運転によるものです。線路の消耗を抑えるための徐行ということです。途中の中国勝山からは完全に山です。山間というか山です。そりゃ勝山っていうんだから山でしょう。中国山地そのものです。

 

伯備線(新見~倉敷)

新見からは特急やくも号で山陽本線を目指します。

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国鉄型の邂逅です。やくもは数少なくなった国鉄型特急で貴重な乗車経験になります。

伯備線は陰陽連絡線の中では一番に栄えた路線であると思っていて、サンライズ出雲もこの路線を走り出雲を目指します。一時期の山陽本線不通時には貨物列車の迂回経路としても使われる有数の路線です。なんといっても全線電化の路線ですので、今までの路線との差を感じてしまいます。

倉敷までは高梁川沿いを一時間ほどで走破します。途中の総社で岡山までを別経路で結ぶ吉備線が分岐しているようなところを通ります。吉備線は短い路線ですが結構沿線人口が多いところで線路改修で度々話題にあがるようなところです。また総社は福山方面に向かう井原鉄道という路線が乗り入れているようなところでもあります。

総社からまもなくすると倉敷に到着です。

 

倉敷は一度観光に訪れましたが、写真を撮っていなかったので美観地区に向かいます。

駅からは徒歩15分ほどでその街並みが見えてきます。

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このような古い建造物群を見ることができます。

f:id:Banksisland404:20220129160955j:plain細い通りまで立派な建物です。

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この地区は古くからこの川での水運が盛んでした。瀬戸内海からずっと川を上り、米などを運んでいたらしいです。その水運の拠点として倉敷の一部の地区を幕領として、幕府が直接管理していました。その影響でお金持ちがこの地区に住んでいたので、立派な建物を建てることができ、今もなおその姿が残っているらしいです。

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一定時間ごとにこの川を往復する遊覧船が出ています。街並みをゆっくり見ることができておすすめです。ガイドの方が先ほどのよりも詳しい解説をしてくれます。

 

撮影を終えたらば倉敷駅まで戻り、列車に乗ります。

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列車が混んでそうだったので、待ち時間で昼ごはんを食べました。

 

山陽本線(中庄~三原)

倉敷からは追加運賃を払い一度岡山方面に一駅行きます。中庄という駅の先端で列車の写真を撮ります。この日は何故かこの撮影地は賑わっていました。

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まずは相生行き113系4両編成が来ました。

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お次は赤穂線経由の播州赤穂行きが来ました。

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いる側のホームに貨物列車がやって来ました。緑色の福山通運のコンテナが目立ちます。

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117系がやって来ました。影落ちしていますがかっこいいです。

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普通列車なのでこの駅にも止まって行きます。

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お次はやくもが通過していきました。対向からはギリギリ被るかどうかというタイミングで貨物列車が来ています。

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その貨物列車です。なかなかいい感じに撮れたと思います。

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最後に117系です。これが一番いいショットかなと思います。117系国鉄型の中でも結構好きな列車なので撮れてよかったです。

 

ここからは普通列車に乗り込み広島を目指していきます。工業地帯の間を抜けるように列車進んで行くと福山に到着です。福山からは塩町とを結ぶ福塩線など分岐しているところで、福山の市街を抜けて海にでると尾道に到着です。尾道からは海沿いの工業地帯沿いに数駅進むとこの列車の終点である三原に到着です。

 

第34県目:広島県

三原からは一旦山陽本線から外れ、海沿いを行く路線に乗ります。

呉線山陽本線(三原~海田市~広島)

呉線は内陸を通り広島を目指す山陽本線とは対象に海沿いを通り広島を目指します。その沿線には呉の軍港や軍事施設が多く重要な路線とされていたと同時に、山陽本線では瀬の八と呼ばれるきつい勾配区間があったため、山陽本線とのバイパスとしても機能しました。広島は日清戦争時に大本営が置かれるなど、軍事的に非常に重要な役割を担っており、現在でも有数の都市として三大都市に続く札仙広福の一角を担うような場所です。途中の広までは都市間鉄道といった感じですが、広を過ぎると広島方面への列車が多く優等列車なども発着していて一大都市に入ってきたことを感じることができます。

本日の呉線は先日の豪雨災害で不通区間が発生しており、代行バスによる振り替え輸送が行われていました。三原からいきなりのバス乗車を余儀なくされ、6駅先の竹原まで並行する国道を走ります。呉線は以前にも乗車経験があったので未乗区間となることはありませんでした。40分ほどで終点に到着し、そこから列車にて進んで行きます。竹原からは広行の列車でい時間ほど海を眺めながらの乗車です。広からは呉市の市街が始まるとともに、快速列車に乗り換えていきます。

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快速列車には安芸路ライナーと呼ばれる愛称がついておりまして、軽快に飛ばしてくれます。再び一時間くらいの乗車で広島に到着しました。

 

広島にはまた来るので、今回は間髪入れずに乗り換えスキップです。

 

芸備線(広島~備中神代)

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広島からは長い長い芸備線の旅が始まります。何回か乗り継ぎを行いはしますが、実に約六時間ほどの乗車となる見込みで、食料の補給を行いました。

乗り込んだのは快速みよしライナーです。おそらく急行からの格下げで快速列車になった影響で、快速の愛称が各地に残っているのだろうなと思いますが、どうでしょうか。

編成が長いこともあってか空いていたので、列車が動き出したのを確認して間食としました。

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言っても本日はほとんど座っているだけの日程なので、エネルギーなんてそこまで必要いりません。あることに越したことはないですが節約です。

列車は出発すると北に進路を取るようにカーブします。しばらく川を挟んで可部線が平行しているようなところもありますが、お互いの車内からは確認できません。上深川を過ぎるといよいよ山越えといった感じの車窓になります。芸備線は度々部分的に路線を廃止する案が取り立たされており、非常に沿線人口が希薄な部分を通ります。とはいえ学生を中心にまだまだ乗客は多い方です。一時間半ほど走ると、山間の町である三次に到着です。三次は塩町から乗り入れてきた福塩線のターミナルとなっているなど、この周辺ではそこそこ大き目の町です。ジャンクション機能も有していて乗換にも便利かと思われますが、乗り換えに使う方はそこまで多くないと思われます。というとこの先の芸備線はどんどん人口が少ない地域に突入します。

三次からは備後落合行きの普通列車に乗るのですが、この区間は一日に4本しか列車がない区間で、必殺徐行など織り交ぜながら列車は進んで行きます。途中で一応町などあるのですが、利便性の悪さから鉄道は完全敗北UCした様子です。

一時間ほどで終点の備後落合に到着しました。時刻はすでに6時を回っており、あたりは真っ暗になってしまいましたが駅に着くや否や明るくなります。逆に言うと駅に着くまでは沿線に明かりは見られません。そんな中にある備後落合の駅に放り出されます。

駅舎を出てみるとあたり一面なにもありません。くそ緑ども言えず、車が一台も通らない道路が隣にありますが街頭は一本もないです。先ほどの到着列車は折り返しの運用で発車してしまい、この駅には本当に私一人となりました。一応この場所は木次線との乗り換え地点になっているのですが、列車の本数は圧倒的に少ないので乗り換えのお客さんなど0人です。完全にオフ会0人と化し、ここで裸になったとしてもだれにも取り締まられることはありません。幼少期の親が外出した時の留守番を思い出すような解放感すらあります。そんなところで一時間半も乗換待ちがあります。特段することもなかったのでネット麻雀で暇をつぶしました。希薄ながらも電波が入るのが救いで、調べものなどはできなかったですが、麻雀くらいならできました。

そうこうしていると折り返しの列車が入ってきました。言い忘れていましたが、これから乗る区間は一日に列車が3本と先ほどよりもひどい区間になっております。あまり人がいなさすぎるので、乗ってきた運転手さんに話しかけていただき、少しお話をしました。長旅だということを言わずともわかっていたような感じでねぎらいの言葉を頂きました。その運転手さんがこの列車を担当することは自明だったため、こちらもお仕事お疲れ様ですという感じでした。なんせこの駅には二人きりなもんですから謎の連帯感すらありました。

列車はしばらくの停車を挟み発車しました。たしかこの列車の中には折り返しの客が一人いたかいないか忘れてしまいましたが、気になることすらありませんでした。ここから一時間ほど列車にのり、備中神代に向かうのですが沿線には町と呼べるレベルの駅はありません。行っちゃ申し訳ないですが、なぜ止まっているのか意味がわからなくなるレベルです。本当にただの山の中を線路があるだけというような場所を進みます。多分暗かったのでそう見えただけ説はありますが、見えたとしてもたかが知れているでしょう。おそらく次の廃線木次線芸備線のこの区間になるだろうなと思います。

一時間ほど乗ると備中神代に到着です。この列車はこのまま伯備線に乗り入れ新見まで行く列車なので、終点まで乗車していきす。追加運賃が必要ですがこれによって伯備線に未乗区間が残ることはありません。この廃線候補区間に乗れたことは貴重な経験だったと思います。

 

伯備線山陰本線(新見~伯耆大山~米子)

新見からは再び伯備線ですが朝とは違い北行きの列車に乗って行きます。出発した列車は備中神代までは先ほどと同じルートを通り、そこからは大きくカーブし芸備線と離れて進んで行きます。電車が走っているところに来ただけで安心感すらあります。この乗車で四国山地編が終了すると思うと長かったな思いますが、本当に貴重な経験です。

一時間半ほど乗ると山陰本線との合流地点である伯耆大山に到着です。ここからは普通列車も含めたほとんどの列車が米子まで山陰本線に乗り入れます。そこから数駅で終点の米子に到着です。

 

米子にはドロシーという便利なネカフェが駅前にあったのですが、閉業したしまったみたいで、以前も止まったことのある後藤駅付近の快活まであることになりました。

 

これにて本日の行程は終了となりました。