日本一周旅行後編⑥
8/28
本日の移動マップです。
体の凝りで目覚めました。下がコンクリだったので少しからだが痛かったですが、テントを張らせていただいている立場なので文句は言えません。
まだ日が昇る前の暗いうちに移動を開始したかったのですが、砂丘の入り口がわからなかったので徐々に明るくなってから移動開始です。
うっすら赤みがかり始めた空です。丘の上にはコスプレをして撮影している人などいました。その周辺で夜が明けるのを待ちます。
徐々に日が昇ってきて砂丘がオレンジに染まり始めます。これは綺麗。
時間がたつにつれどんどん砂が色づいていき、すごいう雰囲気になってきました。
思わず自撮りしました。感慨深いような顔をしています。
せっかくなので奥の方にどんどん歩いて行くとそこは絶景でした。
なんじゃこりゃ。
すごすぎる。この波々は風紋と言い、風によって波つような模様ができた砂です。朝一の人が立ち入っていない場所のみ見られる現象です。
まるで中東の砂漠にでも来たかのように思えてきました。
先ほどいた丘が人がいるところです。あれほど人がいるのにこっちには人は一人もいません。砂丘がいかにでかいかわかります。
奥までくるとあたり一面風紋です。砂が本当に黄金に輝いている様に見えます。
ガチですごい。言葉を失います。
この砂道を延々と歩き、来たところとは別の出口から出ました。
正直日本で一番と言っていいほど美しい景色でした。風が強く雨が降っていない日の早朝しか見られない景色で、条件とは言えませんが、これを別の場所で見るためには本当に過酷な中東の砂漠とかに行かなければ見れないんじゃないかと思います。これほどに景色で感動したのは本当に久しぶりでした。
ここからは近くのバス停まで歩きます。区画を出る前に体や靴に着いた砂と靴の中の砂を必ず払って出ましょう。ここの砂を持ち帰ると法律違反になります。
昨日は真っ暗で見えませんでしたが、駅からくる方に道がありました。砂丘までのバスはこの時間はないので、地元の方が使う路線バスのバス停まで歩きます。
しばらく歩くと歩道がバスの停車用にくぼんでいるようなところがあります。googlemapを見るとこれがバス停みたいです。看板もなにもないただのくぼみがバス停なのか?と思い一応この先のコンビニによって歩けるところまで歩きます。
一応山陰の名産らしい白薔薇牛乳を使ったコーヒーを買いました。
その次のバス停には看板があったので、ここでバスを待ちました。
バスはすぐに鳥取駅に到着しました。早朝にも観光バスの需要も多少はあるのではないかと思いつつ、人が少ない時間帯だからこそなせる絶景なのかなとも思います。次来るときはレンタカーですね。
駅前の駅弁屋で弁当を購入し、列車に乗って行きます。
㉝因美線(鳥取~東津山)
朝からすごい体験をしましたが、時刻はまだ8時と今日は始まったばかりです。ここからは中国山地の中へと突入していきます。まずは鳥取から津山を結んでいる因美線です。列車は鳥取を出た時点で既にがらがらです。数駅待ってみても混まなかったので、弁当を食べます。
かにめし弁当です。これが結構美味しかったです。砂丘に続けてこれも鳥取でよい経験となりました。
今回は切符の指定ルート上因美線で津山を目指すのですが、因美線を通る特急列車は全ての列車が智頭で智頭急行線に入ります。智頭急行ができるまではこの因美線にも走っていたみたいですが、開通により状況は一変しました。普通列車もほとんどが智頭行となり、智頭以南の列車は大変本数を減らしました。その普通列車はなんと一日に8本です。それでも利用は可能な時間帯にいくつか列車が走っているのでマシだと思わなければなりません。
鳥取からは一時間ほどで智頭に到着です。到着したはいいものの、次の列車までは4時間ほどあります。すごい列車間隔です。こんなに時間があればいろいろできるのでレンタサイクルを借りました。
まずは写真を撮るためにチャリで疾走します。
あたり一面のくそ緑、オールグリーンです。
ここには地元の撮り鉄と思われる兄貴が待機していました。挨拶をして隣で撮らせていただきます。
下りのスーパーはくと号です。待っていると上り列車が来たので後追いです。
めっちゃいいのが撮れました。流石地元の御用達ポイントです。
ここから再びチャリで疾走し、別の撮影地に向かいます。
そこに到着すると先ほどの地元兄貴が先に到着していました。
川沿いを走る岡山どまりのスーパーいなばです。
またまた普通列車です。4時間もあるので、本数が少ないとはいっても撮り放題です。
まだまだ時間があったので、結構遠いですが移動し、写真を撮ります。
ここでもまた地元兄貴が先着していました。
曇ってしまいましたがはくとです。
とんぼと奇跡の共演です。
後追いの普通列車です。これにて撮影を終了し、地元兄貴に挨拶をして駅に向かいます。特に何も喋りませんでしたが、地元兄貴と三回ほどご一緒しました。
12時台発の普通列車に乗り込み津山を目指します。
写真のような風景のところを一時間ほど走ると路線の終点である東津山につきます。
切符のしてルートではここで乗り換えですが、時間もあるのでこのまま終点の津山まで乗って行きます。
第33県目:岡山県
東津山で折り返すと未乗区間ができてしまうので、追加運賃を払ってでも津山で乗り換える必要がありました。
津山は4方面から列車のくるジャンクションの役割がある駅です。
ここでは来た方と同じ方向へ進む列車に乗ります。
㉞姫新線(津山~姫路)
姫新線も山陰と山陽を連絡する路線網として作られた路線ですが、こちらも先ほどの地図急行建設により、バイパスされた遠回りの区間で本数が大変少なくなっています。
津山からは先ほどの東津山までは同じ経路を通り、そこから因美線とは分岐していきます。1時間ほどの乗車で途中の佐用に到着です。この駅では智頭急行と交差し乗り換えができるようなところです。
乗り換えに時間があったので写真を撮ってみました。
観光列車っぽいのが智頭急行を走っていきました。
反対側からはスーパーはくとです。智頭急行もここで列車交換するみたいです。
ここからは次の区間を走る播磨新宮行に乗車します。
30分ほどで終点に到着し、ようやく姫路まで行く列車に乗り換えることができました。
中国地方の列車は本当に乗車時間が長いです。
播磨新宮ではそこそこ新しめの列車に乗り換え、編成長も長い列車で30分ほど姫路まで乗車しました。
本日も野宿するつもりなのですが、充電と風呂の関係でどこかで姫路で休憩を挟む必要がありました。駅に近い快活クラブで日が沈むまで充電します。といっても充電している間暇なので観光します。
姫路の観光と言えば姫路城です。
城の前は公園として整備されていてだだっ広い芝生になっています。と言ってもこのときはこの中には入れませんでした。
だだっ広い芝生です。曇っているのに加えて徐々に日が沈んできました。
天守の営業時間は終わっていたので、写真を撮りまくって楽しみます。
ライトアップっぽい光ですかね?一応城の外にも資料的な看板がありましてそれらを見て観光しました。
自撮りです。この後は久しぶりに荷物がなく身軽になったので、爽快にランニングでもして飯を食いに行きます。
御座候という有名な担々麺屋さんです。ここでエネルギーを補充し、快活クラブに戻ってシャワーを浴び、充電もたまり再び出発です。
姫路駅の併設された展望施設からは姫路城が見えるので、そこで写真をとります。
とはいえ別に展望施設からでなくても城は見えるし、この施設も二階建てくらいなのですが、撮影スポットとしては優秀です。
姫路城まで直線的に開けている町の構造がよくわかります。
ライトアップされているみたいで白飛びしています。城だけに。
㉟山陽本線(姫路~岡山)
写真を撮ったら急いでホームに向かい、山陽本線に乗って行きます。新快速は姫路までなので普通列車です。同じルートを辿る路線に赤穂線がありますが、まさかの山陽本線の方が距離が長いということでこちらで進んでいきます。
このあたりはサンライズ瀬戸に乗ったとき、目が覚めたらこの辺で優雅に旅をした思い出があります。というか姫路から未乗区間だったので、目覚ましをかけていたのでした。今回は二度目の乗車ですが、真っ暗で何も見えないので、今後の行程を考えつつ乗って行きます。
一時間半ほどで岡山に到着です。
㊱津山線(岡山~津山)
岡山からは津山線で津山に向かいます。この路線も智頭急行開業までは陰陽連絡線として機能していて、特急など走っていた時代もある路線です。現在ではローカル線としての役割を全うすべく列車の運行がされています。
一時間ほど川沿いの谷間を進んでいくと津山に到着です。
駅に近い吉井川の土手にテントを張り休みます。
久しぶりに芝生です。今日は疲れたしゆっくり寝れそうです。
鳥取を満喫した一日となりました。明日も中国地方の鉄道に乗って行きます。
日本一周旅行後編⑤
8/27
本日の移動です。
まずは朝の六時台の始発列車に乗ります。乗る路線は嵐電です。
嵐電広隆寺で降りたかったのですが、嵐電天神川で間違えて降りてしまい、二度手間になってしまいましたが無事到着です。
ここではさっそく写真を撮ります。
嵐電は普通の列車なのに併用軌道を走る場所が多く、沿線の風景と絡めて写真を撮ることができます。
二両編成の列車です。広隆寺の桜門と絡めたショットを撮ることができます。
短い列車です。朝は頻繁に列車がきますが、歩道からの撮影になるので歩行者に気を遣う必要があるとともに、映り込みもあるのでうまく撮れたのはこれくらいでした。
とはいえ完全に順光で綺麗に撮れたので満足です。
ここからは嵐電で天神川まで戻ります。今度はここから市営地下鉄に乗って行きます。
これから乗る地下鉄東西線は太秦天神川から二条など経由し京都の町を横断すると、山科あたりから南に進路をかえ、宇治市の六地蔵を結ぶ路線です。東西線と言う割には半分くらいが縦の経路を撮る路線として知られていますが、本当に東西を結ぶように走る列車も走っています。山科の一つ前の御陵で分岐し、京阪京津線に乗り入れる直通運用が多く存在します。この運用ならば山科で南にカーブすることなく、東西を行く路線と言えそうです。しかし山科の少し先からは滋賀県にはいってしまうので、市営地下鉄としての建設はせずに京阪への乗り入れにて対応するという形になりました。京津線はこの直通ができる以前は三条まで地上を走る路線でして、東西線の駅の名前に三条京阪という駅名があることからその名残を感じることができます。京阪本線の駅は何もつかない三条なので逆転現象が起きていることも有名です。
しかしその京津線が曲者でして、勾配やカーブがかなりきつい山岳区間から路面電車のように走る併用軌道の区間まで多種多様な場所を走る路線で、その車両性能には高い水準が求めらます。さらに地下鉄の直通となるとその個性が増えますが、地下鉄側にも技術力の高い車両を導入しなければならず、そのコストが問題視されることもありました。結局京阪保有の車両のみの地下鉄に乗り入れる運用となり、市営の車両は直通しないことで現在のダイヤとなっています。
そんな個性の強い区間を全線乗り通してみようということで、太秦天神川からびわ湖浜大津までの35分間を乗車しました。
びわ湖浜大津は琵琶湖の湖を行く船の発着地である大津港が近くにありまして、そこで写真を撮るなどして滋賀の観光を行いました。
港は観光地化されていて非常にいい雰囲気です。
本来ならばこの奥に大きな噴水があり、それを見に来たのですが故障による修理中みたいでそれは見ることができませんでした。
友情出演していていただきました。いいショットです。
この後この船が港に到着したので近くに行ってみると、ミシガン号と言われる観光船だということが判明しました。しかも一時間半ほどのクル-ズが三千円ほどで楽しめるということでこれは乗るしかないと思い土壇場で乗船させていただきました。
大津の街並みです。ビル群など発展の様子を見ることができます。
逆サイドです。海のように波がなく非常に快適なクルーズです。
船尾からの形式です。日の丸と太陽です。青い空と青い海もいい感じです。
船から湖西線が見えました。機材と腕があればもっとうまく撮れたのかなと思いますが、動いている船から動いているものを撮るのはなかなかむずかったです。
この辺は周囲一帯がリゾート化されていて、旅館などもちらほら見えます。
一段落ついたら客室に入り、飯を食べます。
移動しながら食べる飯はなんだか格別な気がします。この船はアメリカと深い関係があるみたいで、アメリカンな食事です。ハンバーガーは近江牛バーガーらしく、滋賀を堪能することができるいい一時間でした。
船を降りたら再び京津線にて山科に向かい、そこからはJRにて京都に戻りました。
㉙東海道、山陽新幹線(京都~西明石)
京都からはのぞみ号とひかり号を乗り継ぎ西明石に向かいます。ひかり号に乗れば一気に行けるのですが、乗り継ぎでもそこまで値段が変わらなかったため、のぞみ号に飛び乗りました。
京都から新大阪の新幹線は概ね在来線と同じようなルートを辿ります。新大阪からは貨物線に沿って在来線を短絡し、町を少し外れた山側を走り神戸に入っていきます。アニメの聖地巡礼に西宮北高を訪れたときは、六甲山の麓を少しハイキングする形ですぐ山が近くにそびえる町の姿を実感しましたが、今回はトンネルによって一気に貫きます。
乗換で降りおる新神戸は地上の駅ではあるものの、両方をトンネルに囲まれいかにも山中の駅という感じがします。新神戸は神戸市街からそこまで離れているわけではなく、むしろ近いくらいですがこの雰囲気です。その地形を感じながら待合スペースで列車を待ちました。新神戸の待合スペースが、コンビニのイートインのように座先とコンセントがあり、非常に助かりました。
新神戸からはひかり号で西明石まで行きます。京都から西明石には在来線との接続駅が新大阪しかなく、新大阪さえ通らなければ最長ルートに組み入れることが可能となっています。ついに東海道新幹線が終わり、山陽新幹線が始まったなと思っているとすぐに西明石に到着しました。
㉚山陽本線(西明石~尼崎)
複々線は西明石で終わっているのですが、新快速はこれより先の姫路や赤穂まで走っていますので、そこからやってくるご自慢の新快速で一気に。と行きたかったのですが、途中寄り道をしていきたかったので、快速列車にて三駅先の垂水で乗り換えます。
乗り換えるのは山陽電鉄です。ここから二駅の滝の茶屋という駅で写真を撮っていきます。
空は青いですが、少し陰っています。この駅は線路ギリギリに迫りくる海を一緒に撮れる場所です。迫りくる崖と海の間にいかつい複々線とJRのこの区間がすごく好きなのでそれらが撮れる場所を探すと、山陽電鉄にちょうど良い場所がありました。
新しめの車両も来ます。通過列車を撮るときは真横を通過するので気を付けてください。
うまく撮るとJRも撮れます。これは普通列車です。
こちらは新快速です。方向別複々線が段々に走っている姿は壮観です。
貨物列車も通過していきました。青い西濃運輸のコンテナが目立ちます。
最後は晴れて順光の列車を撮ることができました。これにて撮影を終了し、再び垂水まで戻り山陽本線を上っていきます。
垂水からは途中で乗り換えせず、そのまま快速に乗って行った方が早いみたいなので、10駅間を40分ほど乗って行きます。この区間は新快速以外乗ったことなかったので、意外となれない感じでした。途中の尼崎で下車し、乗り換えていきます。
㉛福知山線、山陰本線(尼崎~福知山~豊岡)
3分ほどのタイトな乗り換えで、ここからは特急こうのとり号にて再び山陰を目指していきます。車両はしらさぎを走っていた車両を流用した車両で、北陸で乗ったものとおなじ車両です。こうのとりの名前は豊岡で繁殖されているこうのとりに因み自治体の強い要望により決まりました。
福知山線は途中の篠山口までが宝塚線としてアーバンネットワークの路線の一つとなっています。この正式名称のほかにアーバンネットワークとして線路愛称をつけそちらで案内する手法はこの福知山線と深い関係があるとも言われています。一説には福知山線であまりにも大きい事故が起きてしまったため、そのイメージを定着させないようにこのような案内になっているとも言われています。これは噂の域を出ない話ですが、実際に福知山線と言えば大事故を連想する人が多く、私もその一人ですのでこのイメージ戦略は成功といえるのではないでしょうか。それ以外にも新神戸で別れている東海道本線、山陽本線が琵琶湖線、京都線、神戸線とそれぞれ運用単位で区分けされるなど、実際わかりやすい案内なんだろうなとも思います。
列車は尼崎を出ると東海道線から離れるように北向きに急カーブを切ります。例の事故はこのカーブで起きたものだと勘違いする人がいますが、実際にはこのカーブを緩和するために設けられたもう一つさきのカーブです。事故のあと線形の改良工事が行われたみたいですが、大きく線路の場所を変えることはできず、まだまだきついカーブは残されています。実際にそのポイントで追悼の警笛を必ず鳴らす人もいるそうですが、多くの列車は何事もなかったかのように通過していきます。列車事故というのは起こるたびに運行システムや制御システムが見直され、制度が新しくなるきっかけともなっています。私たちマニアはそのシステムの歴史こそ事故の歴史であることをよく理解しているので、その痛ましい事故が風化するようなことは絶対にありません。これはJRに限らず鉄道マンにとっても同じだと思いますが、一般の乗客には何ら関係のないことです。人災だっとはいえ、原因は一つではなく社会情勢や運行管理の問題、もちろん該当運転手自体にも問題はあり様々な事項が絡み合って起きた事故ではあります。第三者にとっては事故を客観的に見た場合の出来事しか知ることはできず、真相はわからないですが是非そのような事故があったということを一般の方も知っておき、今後日本の社会や自分の所属する団体が間違った方向に進みつつあるとき参考にしていただければよいなと思っています。起きてしまった事故を元に戻すことはできませんが、その失敗を分析し自分や今後の社会に活かすことが、事故に対する一番の追悼ではないかと思います。
そのカーブを抜けると比較的線形の良い区間を進んでいきます。横に伊丹空港などを見ながら北上していきます。空港のターミナルは線と反対側の大阪側にあるので滑走路はギリギリ兵庫県にあるというような県境上に位置する面白い建造物です。伊丹の代わりに関空を作ったので、関空が完成し次第伊丹は潰す予定だったみたいですが、作っている間に飛行機の性能が向上し、問題となっていた騒音問題が解決してしまったので今でも活躍する空港の一つとなっています。
伊丹を過ぎると間もなくカーブし西に進路を取ります。阪急と並走して宝塚まで進んでいきます。宝塚からははいよいよ山越えといった感じで武庫川沿いに進んでいきます。
一山超えると神戸鉄道に乗り換えられる三田に到着です。三田という地名は関西と関東で読み方が違うことで有名で、読み方によって出身地がわかるという面白い地名です。三田を超えると再び山岳区間に入っていきます。
しばらく乗ると丹波篠山市の中心駅である篠山口に到着です。ここからはローカル線といった感じになってきますが、まだまだ沿線には人口は多い区間で人の乗り降りはぼちぼちあるようなところです。
篠山口を過ぎると間もなく瀬戸内側からくる加古川線と合流し谷川に到着です。ここから先は川沿いに山間を進んでいきます。
尼崎からは一時間半ほどで福知山に到着です。福知山線の終点となっているところですが、こうのとり号は山陰本線に乗り入れ引き続き走っていきます。福知山は京都丹後鉄道に乗り換えられる駅で、そこそこ規模も大きいところです。福知山は北近畿ビッグXネットワークと呼ばれる特急列車網のXの中心にあたる駅となっている場所です。Xの先端は大阪と京都、城崎温泉および天橋立となっています。
福知山を過ぎると次の主要駅は和田山です。和田山も瀬戸内側からくる播但線の終点となっているところです。播但線からは大阪から鳥取方面を結ぶ特急はまかぜも山陰本線に乗り入れてきます。福知山から一時間ほどで終点の豊岡に到着です。
豊岡も京都丹後鉄道に乗り換えられる駅で、こうのとりの由来になっている地域ですが、今回は改札を出ずにそのまま列車を乗り継いでいきます。
㉜山陰本線(豊岡~鳥取)
20時を過ぎ暗くなってしまいましたが、先に進んでいきます。本当は城崎温泉などで一泊したいところあんおですが、今日中に鳥取まで行かなければならないので頑張って進んでいきます。
一時間ほど普通列車で日本海沿いを進んでいくと、浜坂に到着です。ここで普通列車を乗り継ぎ50分で鳥取に到着しました。前回の鳥取方面は別路線でしたので、これにて島根から京都まで山陰本線の未乗区間が繋がりました。
第32県目:鳥取県
改札を出ると地図のお出迎えです。鳥取といえば鳥取、倉吉、米子の三大都市のイメージです。
もう時刻は22時を回っていましたが、明日の早朝の負担を軽くするため目的地の周辺まで歩いておこうと思い、コンビニで軽食を買い歩きだしました。
本来ならばバスやタクシーでアクセスする場所なのですが、深夜と早朝ではではバスはないので、自力で歩いて向かうしかありません。
駅からは徒歩一時間ほどなのですが、駅からはなれるごとにみるみる暗くなり、人里離れていきます。まだ半分も行ってないのにこんなに暗くなって大丈夫かと不安もありましたが、こんな途中にテント張るのは嫌なので進んでいきます。
40分ほど進んだところでついに山のようなところに差し掛かりました。目的地にはこの山を越えなければいけないみたいです。少しやまを上ったところで完全に真っ暗になりました。該当一つないし周りも見えないですが多分全て木です。今まで夜道を幾度となく歩いてきましたが、初めて暗い場所が怖いと感じました。陸前高田の時はネットに頼れましたが、ここに来るまでに徐々に電波が弱まり圏外となっていました。
初めて引き返して止まる場所を探そうかとも思いましたが、地図を見れば道が続いていることはわかるので先に進みます。真っ暗な中歩くと看板が見えてきました。
鳥取砂丘Pの文字が真っ暗な中に現れました。しかし入り口がどこかわからず右往左往することになりました。看板を超えてからはまだ該当などがあり少しはマシでしたが、結構精神に来ました。結局入り口がわからずなるべく奥までいったところでテントを張り野宿です。
フラッシュ焚いて撮ったら昼みたいになりました。ここで博物館かなんかの駐車場に一角にテントを張らしていただき睡眠をとりました。
今日も充実した観光をすることができよい一日でした。明日は待ちに待った鳥取観光です。
日本一周旅行後編④
8/26
本日も長距離移動がありますが、楽しんでいきます。
まずはコンクリの上からのスタートです。熟睡できたとはいえまたもや目覚まし前に起きました。テント泊は絶対寝坊しないという利点があります。今まで記事を全て読んでもらっている方にはわかると思いますが私は朝があまり強くありませんので、このメリットは冗談なく大きいです。とはいえ無理できるのも若いうちだけですので、今のうちに無理しておきます。
まだ暗い町中を歩き、高山駅から岐阜脱出を目指します。岐阜には直近に他の知人と行く予定があったので、今回はほどほどにしておきました。
㉓高山本線(高山~富山)
朝一の普通列車にて北上していきます。
車内では昨日の買い出しで買ってあった朝飯を食べます。
スカっと晴れて清々しい朝です。この後の旅行もうまくいくだろうと予感させるような天気です。
一時間ほどでJR東海とJR西の会社境になっている猪谷に到着です。
これにてJR東海の路線は全て乗ったことになり、乗車率が100%になりました。
この駅は異なる会社の列車が直列に停車する珍しい駅です。間の列車が来ないところだけ草生しているのが面白いです。
時間があったので西の車両を逆光で撮ってみました。雰囲気がいい一枚になりました。
この普通列車で再び一時間ほど北に進んでいきます。
猪谷からは富山県に入り、市街が徐々に近くなってくるようなところです。
神通川を何度か渡りながら、市街の西側から回り込むような形で北陸本線と合流するとまもなく富山に到着。
富山には昨日観光に来ていたのでノータイムで乗り換えです。
㉔北陸新幹線(富山~金沢)
ここからは北陸新幹線のかがやき号にて金沢を目指します。フル規格新幹線の効果を体感する乗車で、20分ほどで隣県の県庁所在地までを走破します。
本来ならば在来線の旅と行きたかったのですが、切符の指定ルートにより新幹線です。
能登半島の付け根をトンネルで突っ切ると金沢に到着です。
第30県目:石川県
金沢の観光はしたことがなかったので、灼熱の中観光に行きます。
このあたりから少しずつ予算の関係を考えるようになってきます。
本当に暑いなか歩き、金沢城の城跡まで行きました。
跡なので天守はありませんが、有名な兼六園の入り口がこの城に併設されています。
これは止む無しで金沢城公園の花たちでお茶を濁しました。
蝶が来ました。ベストショットです。これが私にとっての兼六園。
この後は駅まで戻りました。
JR西といしかわ鉄道の共用の出口です。この門は鼓門と呼ばれていて、能楽で用いられる鼓をモチーフにしていると言われている有名なもんです。
ここで自撮りです。遠くから見ると後ろのドームと一体化して見えるらしくそれもまた名物になっています。
この後は金沢の駅中でゴーゴーカレーを買い、特急に乗り込みます。
ゴリラの主張がすごい。これぞ本場って感じですね。
㉕北陸本線(金沢~敦賀)
ここからは特急を刻んで行きます。まずはしらさぎ号に乗り込みカレーを食います。
カツカレーにしたのでボリュームがすごい。といっても降りるまで15分しかなく、急いで腹に流し込みました。ちょっと食う場所間違ったかなと思いつつもおいしくいただきました。
特急で一駅の小松で降り、写真を撮ります。
さっそくサンダーバードが来ました。ぶっつけ本番にしてはいい感じで撮れたと思いますが、小松大学の主張が激しいですね。小松は空港もあって工業でも有名な街でもありますので、そういう意味では北陸本線らしい写真だと思います。
反対側の特急も一応撮れます。二両併結していますね。
普通列車はこんな感じです。二両とローカル輸送の閑散さを感じることができます。北陸新幹線が延伸したらと思うと今のうちに訪れておくべきところですね。
この後次のしらさぎ号にて20分ほど西に進みます。ここまででも石川を満喫した感ありますね。
次は県境を越え、途中の芦原温泉で下車です。
第31県目:福井県
芦原温泉からはバスの往復券を買い、東尋坊に向かいます。福井県の観光スポットは東尋坊をチョイスしました。自○の名所として有名な箇所でもありますが、昼はよい景色とその独特の風景を見るために観光客が多くいます。最期の電話ボックスなる公衆電話に、電話用の小銭と電話番号が書かれた名刺を有志の団体が置いているらしいですが、そのようなものは見当たりませんでした。多分その名所となっているのはもっと人気のない奥のいわばなのかもしれません。
近くのバス停もお土産センターとなっていて、中にレストランもあるなど完全に観光地化されていて、人でにぎわっていました。私もゆっくり観光したかったのですが、時間の関係があるので急いで岩場に向かいました。
船で岩場を下から見れる観光船が30分おきくらいで頻繁に出てるみたいです。しかし今回はこれには乗らず、さっと見ていきます。
初めて自撮り棒を使いました。眩しそうな顔です。柵など特にないので、一人で際はいいのですが人と行くときは浮かれて落ちないよう注意が必要です。
晴れ渡っていてかなり景色がよかったのでやたらに写真を撮りました。
これも全部観光船なんですかね?だとしたら多すぎますね。
観光船はこんな崖のすれすれまで来るみたいです。水の中も崖が続いていているから座礁しないのでしょうね。
岩に手をついたときの写真です。片手にカメラを持っていたので、手をついたときにシャッターが押されました。少しこけたくらいで、そんなに盛大に転んだわけではないのですが、見ていた人から一瞬悲鳴のような声が聞こえました。私は全然転んだうちに入らないと思っていますが、うまく手を付けていなかったらと考えると声を出すのも納得かもしれません。人と来た時は楽しい旅路でけがをしないように最新の注意を払ってください。
このような碑もありました。
景色もよく、観光地化されているので新鮮な海鮮も食べれるしまた行きたいなとは思うのです。でもあんまり怖いもの知らずの人と行くと、自分がそれより怖い思いをしそうなので、そのような人と行くのはやめた方がいいです。
ここからは次のバスで芦原温泉駅まで戻り、次はサンダーバードにて敦賀まで向かいます。
側面には雷鳥か白鷺かわかりませんが鳥の絵です。カッコイイ
45分ほどかかるので、一旦一段落といった感じで、席でゆっくりしていると
回ってきた車掌さんがくれました。多分マニアだということを見抜いて粋な計らいをしてくれたんだろうと思います。ありがとうございます。とても嬉しかったです。このような粋な計らいをできる人間に自分もなりたいですね。
前回の福井訪問とは打って変わって特急にて一気に福井を横断していきます。
福井の市街を過ぎると徐々に山岳区間に入っていき、まもなく北陸トンネルと呼ばれる長いトンネルに入ります。そこを抜けると敦賀に到着します。再びここで途中下車し、観光します。
敦賀にはかなり気になっていた施設があるので、レンタサイクルを借りて回っていきます。
ここのレンタサイクルは都市型のドコモのレンタサイクルでした。
見たかったのはこの旧敦賀港駅舎です。敦賀からは一昔前は敦賀港線と呼ばれる路線が分岐していて、国際航路など発着する大きな港まで鉄道で行けるようになっていました。中には写真や資料の展示がたくさんあり、とても興味深いです。
航空輸送があまり栄えてない時代に、航路に代わる輸送手段として鉄道が注目されました。上の図は主な定期国際航路の路線図です。敦賀からはロシアのウラジオストックを結ぶ船が出ていました。これは今でも舞鶴とウラジオを結ぶ定期航路があることから伝統的な航路になっています。ウラジオから西に延びているのがかの有名な東清鉄道です。
日露戦争の後にシベリア鉄道が開通したことにより、同鉄道のターミナルであるウラジオストックへの定期航路がある敦賀港が欧州と亜細亜を連絡するいわゆる欧亜連絡のルートとして栄えました。因みに満州を通る東清鉄道や満州鉄道が先に開通し、気象条件が厳しいがロシアの国内を通れるシベリア鉄道は後の開業になりました。
この図を見ると釜山まで出ても鉄路で東清鉄道やシベリア鉄道に出れることがわかります。そちらのルートは南満州鉄道の権益を日本が獲得した際に、政府らにより推奨されたルートです。門司港や下関から釜山までの定期航路は現在でも盛んに運行されていますが、こちらのルートを再現しようとする場合、朝鮮半島北部の通行が不可能なので厳しくなっています。ただ南満州鉄道は朝鮮方面だけでなく大連にもターミナルを有していたので、そこまで航路でいく第三のルートもあったみたいですが、航路が長い関係でそこまで推奨されてはいなかったみたいです。
当時の貴重な資料です。ロシアではなくソ連の時代です。
当時発行された欧亜連絡切符です。東京からヨーロッパまで一枚に切符で行けたと思うとすごいロマンです。調べても資料が少ないことがあったので、これは本当に貴重な資料を見ることができました。コロナウイルスさえなければ実際に現地に赴きたかったのですが、できなくなってしまいました。
当時の機関車と切符のマジックアートです。言わなくてもわかると思いますが、床に描かれた絵です。
ずっと一度は来たかった場所だったので、思わず自撮りしました。いつかシベリア鉄道関係の列車に絶対乗ろうと思います。それまでは東尋坊でこけるとかくだらない死に方をするわけにはいきません。
この資料館を見終わると、敦賀港線の廃線跡を巡ってみます。鉄道がなくなっても貨物ターミナルは機能しているみたいで、立ち入り禁止区画もありました。
そんなところをみていくとまず赤レンガ倉庫がありました。
どんより雲ですが、当時線路を走っていた列車が展示されていました。
中はこんな感じですが、もう営業時間が終わっていて中は見れませんでした。
帰り際に氣比神宮やソ連領事館跡などを見て敦賀駅まで戻りました。
駅にはこんなものがありました。敦賀までのルートはいいんですけどね。ここから先はひと悶着ある気がします。
㉖小浜線(敦賀~東舞鶴)
濃密な時間を終え、北陸線とも別れを告げローカル線の小浜線に乗って行きます。夕方になってしまいましたが、初めて乗る路線ではあるのでウキウキです。
この路線は若狭湾沿いに走り、海水浴場などの行楽地を通る路線でもあります。しかしこの路線はモータリゼーションの波には勝てず、JR西日本による自社のバスが同じようなルートを走るまでにもなってしまっています。
この辺の沿線は原発が多くあることもあってか、高規格な高速道路もあったりと経済的に重要な場所でもあります。
小浜線沿線は勉強不足なことともう暗くなってしまったこともあり、あまり紹介することはできません。
車内で敦賀名産の笹かまぼこを食べました。
二時間ほどをかけて23駅間を走り終点の東舞鶴に到着です。
東舞鶴では向かいに停まっていた列車に乗り換えまだまだ西に進みます。
㉗舞鶴線(東舞鶴~綾部)
ここからはすっかり暗くなった中を舞鶴線で進んでいきます。舞鶴線は先ほどの小浜線より少し古い路線です。一直線になっているのに路線が変わっていて、一つの運行形態のように見えますが、線路が敷かれた経緯から全く別の路線となっています。こちらの舞鶴線は舞鶴に海軍の鎮守府があったために敷かれた路線で、京都方面からの輸送が主でした。京都から綾部を経由し東舞鶴近辺が鎮守府に近く終点とされていました。
小浜線は逆側から線路が敷かれていき、最終的に舞鶴で二つが合わさることになりました。計画自体は小浜線の方が先あったのですが、舞鶴線は日露戦争による軍需輸送が見込まれることから、建設前倒しされ急遽開業となりました。なので最初から官営鉄道として開業したこの時代にしては珍しい路線です。
東舞鶴の次の西舞鶴では京都丹後鉄道が分岐している駅でもありまして、天橋立方面への観光列車なども出ているところです。
この路線には30分ほどの乗車で終点の綾部に到着です。
㉘山陰本線(綾部~京都)
ここからは山陰本線の普通列車にて京都を目指していきます。この区間は先ほど述べた舞鶴や天橋立に加えて、城崎温泉方面の特急列車も通る特急街道となっています。しかし近郊区間はそれほどながくなく、途中の園部からが嵯峨野線としてアーバンネットワークとなっている区間です。こう見ると東京の都市圏の広さがどれだけのものかがわかります。
山陰方面には新幹線がないので、特急列車の代替となるような山陰新幹線を実現しようと鳥取などの自治体による活動があります。しかし山陰地方の市場はそこまで大きくなく、次の整備新幹線になれるかは微妙なところです。
川沿いに一時間ほど進むと園部に到着。ここからは京都方面への列車が多数発着しています。快速列車なども頻繁に運行していますが、今回は夜遅いということもあり普通列車です。
園部からも川沿いをどんどん進んでいくのですが、途中の亀岡から嵐山の区間では川沿いギリギリをくねくね走っていたところを、近代化により長大トンネルで貫いた線路に切り替えた際、旧線を観光路線として整備したトロッコ鉄道があります。このトロッコ鉄道は一部区間で、今の山陰本線の複線の片方を逆走して走る区間がありまして、もともと山陰本線だったと感じることができる区間でもあります。
嵐山からは本格的に都市部に入っていき、光が多くなります。そんなところを進んでいくと終点の京都に到着です。
京都の嵯峨野線ホームは頭端式の二面に線になっています。東海道線など直通する特急はこのホームには来ませんが、普通列車は全てここからの発着です。このホームは三十何番線が割り当てられており、京都駅のデカさを感じることできます。嵯峨野線ホームはまるで三セク分離された並行在来線のようです。
京都からは駅前のコンビニで飯を買い、わかりづらいと有名のバスで大宮まで向かうのですが、乗るバスを間違い烏丸に連れてかれてしまいました。
なので阪急に乗り一駅で大宮に到着です。まだ電車が走っていてよかったです。
本日は駅に近い快活クラブでゆっくりです。地上出口を出て目の前だったので非常に助かりました。明日の出発は比較的遅いので一休みという感じです。
八つ橋が好きなのでコンビニに売っていたのはありがたかったですね。これまでの写真の集計などをした後熟睡しました。
明日も濃い一日となりますのでよろしくお願いします。
日本一周旅行後編③
8/24
本日は知人と一緒に神戸へと遊びにいきました。
第25県目:兵庫県
ネスタリゾート神戸というテーマパークです。
どんより雲ですが、雰囲気はのんびりです。
空を飛びました。これは自分たちの写真ではないですがこんな感じです。
そのうちバンジージャンプもやりたいと思いますが、自分で飛ばなきゃいけないのがそざかし怖そう。
この後はバギーに乗ったり温泉に入ったりいして休みました。帰り際に雨が降ってきましたがギリギリセーフといった感じです。非常に楽しい観光となりました。
この日の夜からは再び一人での行程が再開されました。
まずは昨日旅行を中断した高田まで近鉄にて向かいました。
⑪桜井線(高田~奈良)
まずは昨日乗車を終了した高田から桜井線に乗ります。万葉まほろば線という愛称でよばれていて、桜井線という案内をされることはほぼないです。沿線に万葉集に謳われた場所が多いことと、素晴らしい場所という意味のまほろばという古語を合体させた路線愛称となっています。
沿線には天理教の本部がある天理などもありまして、教団の催事がある際には臨時列車なども出るそうです。昔は栄えた路線だったみたいですが、今は近鉄が進出してきたので下火になってしまった路線でもあります。
夜な夜なせんな路線を進み、奈良に到着です。
⑫関西本線(奈良~天王寺)
これも切符の指示通り、大和路線で天王寺まで戻ります。この辺の路線は何故か夜来ることが多いので、明日また寄り道してみるかと考えていました。
途中の王寺までは大和路快速や快速など優等種別の大阪環状線行きが多く、王寺からの区間列車は各駅停車の難波行きが多いイメージです。所要時間では生駒山を近鉄に及びませんが、利便性の面ではJRもなかなか頑張っていて両方とも乗客数が多い路線です。
終電に近い時間帯にはなっていましたが、まだまだ乗客がたくさんいました。
第26県目:大阪府
途中の天王寺で下車し、本日は駅目の前の快活クラブで一泊としました。
8/25
翌日は快活クラブからのスタートです。
⑬大阪環状線(天王寺~天王寺)
本日は18切符を使ったので、大阪環状線を一周してみました。大阪環状線は運用面での迷要素多く個性の強い路線です。山手線で終点があるとかないとかの話がありますが、それ以上に環状とはいえないような感じになっています。一時期は大阪環状線には正確な時刻表が存在しないとの噂も聞いたことがあるくらいです。流石にそれはないでしょうが、この列車も最初の天王寺と二回目の天王寺で違うホームに入ります。この列車は実は大和路線の快速の列車で、大阪環状線を一周して完成本線に入っていく列車でした。しかし天王寺の時点では大阪環状線との案内だけです。ここでしっかりとした行先と種別の案内をしてしまうと、環状線を一周してきたのかこれからするのかがわからなくなることを防ぐための案内です。他にも迷要素はたくさんあるはずですが、ぱっと思いつかないので先に進んでいきます。
⑭片町線(京橋~木津)
そして京橋からは学研都市線にて奈良方面へと向かいます。学研都市線は愛称で片町線という線路名称となっています。大阪周辺は愛称と路線名が異なる場所がいっぱいあります。片町線も大阪と奈良を結ぶ路線の一つなのですが、こちらは大和路線よりも大きく迂回するような線形となっていて、通しで利用する方は少ないです、一方片町線の先の区間ではJR東西線と呼ばれる大阪環状線の内側を地下でくぐる路線やその先では宝塚線に直通する列車などもあり、自社直通の列車が多い路線でもあります。かの有名な事故を起こした列車もこの片町線に直通し同志社前へと至る列車でした。それについては福知山線の乗車の時に詳しく説明します。
一時間ほど乗ると終点の木津に到着です。後2駅で奈良に着くのですが、木津止まりとなっているのは、奈良へ行く需要がそこまでないからだろうと思います。行くにしても関西線に乗り換えて一駅行けばいいだけですからね。
⑮関西本線(木津~三郷)
先ほどの通り奈良に行こうと思ったのですが、指定ルートを外れて寄り道し、さらに大和路線の奥まで進みました。ここで写真を撮って行こうかなと思います。
まず201系が来ました。関西圏ではまだまだ走っている姿を見ることができそうです。
お次は221系です。こちらは快速列車です。
再び201です。引いて撮ってみましたが微妙です。この撮影地は長編成向けの撮影地かもしれません。
また快速です。この時間帯は普通と快速が交互に来ます。
結構本数も多く面白いとこです。201がなくなる前にまた訪れてちゃんと撮りに行きたいなと思います。
ここからは再び関西本線で戻り、奈良で途中下車しました。
ここから奈良市街の観光をしたかったのですが、JRの奈良駅と観光地は少し離れており、時間がなかったので走って向かいました。
鹿公園です。ここでしかせんべいを買いまして、鹿と戯れます。
鹿にどつかれる男。コロナウイルスにより観光客が減り、鹿が狂暴化しつつあるみたいです。この時も鹿の目が血走っていました。
お戯れもほどほどに、路線バスがちょうど来たので乗り込み奈良駅に戻りました。
⑯関西本線(奈良~柘植)
奈良からは再び関西本線にて東に進んでいきます。木津からは最長ルートに復帰し、奥地へと入っていきます。といっても最初は市街地を進む形になり、一駅次の加茂で乗換が必須となります。大和路線という愛称がついているのは加茂までで、ここからはアーバンネットワークからはずれローカル列車の様相を呈してきます。編成も一両でドアも前と後ろの折り畳み式ドア、運賃もワンマン運転により下車時の支払いでさながら線路上を走るバスといった感じです。この列車は先日の紀勢本線の起点となっていた亀山まで行く列車ですが、そこまではいかずに途中で下車します。
一時間をかけ、木津川沿をくねくねと進んでいきます。
途中の伊賀上野は、有名な忍者の里を経由し近鉄の伊賀神戸に至る伊賀鉄道が乗り入れているような駅です。そこから数駅行くと乗り換えの柘植に到着です。
⑰草津線(柘植~草津)
柘植駅はつげと読むのですが、読み方が難しいことで有名です。草津線のホームに行くところでは忍者の絵が描いてありまして、忍者の里に行く列車と案内されています。草津線は甲賀の近くを通る路線であり、こちらは先ほどと打って変わって甲賀流の忍者の里になります。伊賀と甲賀の忍者は山を隔てて隣り合った集団だったそうですが、その組織構造から忍術まで全く違ったものだったそうです。それぞれの集団は互いに仲が悪いとか対立構造を書かれる作品などおおいですが、実際はそこまででもなかったみたいです。
来た列車は113系です。滋賀エリアは関東では絶滅した113系が走っている貴重な場所でもあります。JR西は国鉄形式の天国です。
40分ほどをかけて東海道線と合流する草津まで行くのですが、意外と線形がいいので列車は爽快に進んでいきます。途中の駅で何度か列車交換をし、貴生川では信楽高原鉄道や近江鉄道と乗り換えられるような場所でもあります。競馬ファンによく知られるノーザンファームしがらきはこの信楽鉄道の終点に近いところにあります。栗東トレセンも草津線の沿線に近く、昔から競馬の中心になっている地域でもあります。馬関連の施設にはだだっ広い土地が必要なので、何もないところにあることが多いですが、この辺は意外と鉄道が近いところを走っています。そのようなところを走ると終点の草津に到着です。
第27県目:滋賀県
ここで乗り換え先を目指します。
⑱東海道本線(草津~山科)
滋賀県の鉄道をここから乗って行くのですが、切符の指定ルートもあり、一度山科まで出ないと乗り換えられないので東海道線で向かいます。大阪からの高速バスが停まる南草津はこの周辺の駅です。東海道本線の西側の複々線は草津から始まっており、ここから西明石までの複々線は日本最長の複々線と言われています。新快速はその賜物ということです。東海道線の野洲行きが多いのもその関係で、野洲は草津から三駅ほどいったところにあり、大きな車庫もあることが理由です。
そんなところを20分ほど進み、山科で下車します。
第28県目:京都府
少し京都に入りましたが、今回は乗り換えだけです。
⑲湖西線(山科~近江塩津)
ここからは湖西線で再び滋賀に入っていきます。この路線は鉄道建設公団によって建設された路線です。この公団によって建設された路線はほかに、鹿島鉄道の大洗鹿島線や、野岩鉄道の会津鬼怒川線など多くあります。その路線の特徴として、特急を通すことを前提とされた路線は線形がよいことがあげれらます。それに漏れず、この路線も京都から北陸方面を短絡する路線として、線形のよい路線となっています。その公団の後を継ぐ団体からJRが施設の貸付をされていた状態でしたが、その後は純粋なJRの路線となりました。今ではサンダーバードなどが走る特急街道となっていますが、それも北陸新幹線の完成によりなくなるのではないかと考えられています。その際湖西線が並行在来線となり、JRから分離されるのではないかと考えられています。しかしそうなれば、元ルート案ではかすりもしていない滋賀県内の鉄道を放棄することになり、大反対にあうだろうと予想されています。いまでこそ並行在来線問題は交渉の材料としての捉え方が強いですが、このスキームで大問題が露呈するのも時間の問題だと思います。
琵琶湖沿いを普通列車にて一時間ほどかけて進んでいきます。
途中の列車交換時間があったので写真を撮りました。琵琶湖と117系のショットです。
列車は近江塩津から北陸本線に乗り入れ敦賀まで行くみたいでしたが、切符のルートに従い近江塩津で乗り換えました。
⑳北陸本線・東海道本線(近江塩津~米原~彦根)
近江塩津からは乗ってきたのと逆方面への北陸本線に乗車します。当駅始発の新快速です。敦賀ではなくここから出る新快速もあるんだなと思いながら乗って行きます。新快速とはいっても、米原までは各駅に停車しながら進みます。途中の長浜は琵琶湖沿いでも有数の町で、新快速もここから多く出ています。琵琶湖の海運とも関連が深く、駅も湖に近いところに設置されています。個人的に長浜の快活クラブには何度かお世話になっています。
今回は指定ルートを外れ、米原を超えそのまま東海道線に乗って行きます。滋賀の観光はあまりしたことがなかったので、今回は彦根で降りてみました。
彦根では町の観光地を巡回するバスに乗ってみて彦根城へと向かったのですが、
コロナウイルスの影響で城の天守には入れませんでした。それだけでなくなんと城の門がそもそも閉ざされていて、天守を外から見ることすらもかないませんでした。これは悲しい。仕方ないのでポストの上の城を写真で撮りました。
ひこにゃんもいました。しかしこれは大きなリベンジポイントを作ってしまったと言わざるを得ません。滋賀の観光も失敗してしまいました。
ここから歩いて彦根の駅まで戻ったのですが、これまた天候か何かの影響で列車が遅れていました。さらには乗る予定だった新快速が運休とのことで、普通列車にて米原を目指すことになりました。彦根行きが完全に裏目に出てしまいました。しかし不幸中の幸いで一本あとの列車にはなんとか間に合いました。
㉑東海道本線(米原~岐阜)
米原までは先ほどの経路を戻り、そこからは再びJR東海の普通列車にて岐阜を目指していきます。
第29県目:岐阜県
途中の関ケ原で下車し列車を撮ります。
ワイドビューひだが来ました。予定より遅れましたがギリギリ間に合ってよかったです。これを撮りたくて途中下車しました。
後追いです。反対の顔は平たいんですね。
次の特急を待っていた間に、撮っていたホームで普通列車が来ました。
次は北陸本線から名古屋方面へ向かうしらさぎ号が来ましたが、もう暗くて微妙でした。
後追いです。ひだとは逆パターンの顔配置です。ひだに間に合って本当によかった。
関ケ原では昔に坂を登れない下り列車のみ使用していた新垂井線という線路が存在します。そこに昔は駅があり、普通列車は上りも下りも走る列車があったのですが、今は駅がなくなり、列車のパワー上昇いよりこちらの線路を通り必要もなくなり使用する頻度が減りました。ただしこのあたりを全て通過する特急と貨物列車の下りだけは未だにこのルートを使用しています。
先ほど特急たちもその新垂井線を経由してきた列車で、その合流点となる場所で撮影が可能という場所です。
その新垂井線が再び合流すると、お次は美濃赤坂から来た支線が合流します。
この支線は西濃運輸と深い関係がある支線で、半分は旅客化されていますがその先も貨物線が少し続いています。西濃鉄道なるものもあったみたいです。
支線が合流するとまもなく大垣に到着です。大垣で夕食をとってもよかったのですが、今回はドンキホーテに用があったので岐阜まで行くことにしました。
大垣からは先ほどの列車は終点となり、名古屋方面へ行く普通列車に乗り換え、さらに進みます。
川沿いに樽見鉄道や養老鉄道など伸びているようなところを突っ切り、15分ほど進むと岐阜に到着です。ここで下車して買い出しに行きました。
十数分歩きドンキまで行き買い物を済ませたのですが、スガキヤ併設だったので食べたかったのですが、コロナウイルスによる時短営業の影響でギリギリ間に合いませんでした。買い物の前にいっておけばよかったのですが、あることに気づきませんでしたのでしょうがなし。
再び岐阜駅まで戻りさらに進んでいきます。
㉒高山本線(岐阜~高山)
ここからは高山行きの最終ワイドビューひだに乗り高山を目指します。高山本線は岐阜県を南北に貫く路線で、下呂温泉や高山、飛騨などを結ぶ観光路線としての面もあります。最近では君の名はの聖地としてこの路線の駅が紹介されたことも有名です。しかし観光列車はあまり運転されておらず、ワイドビューひだによるJR東海っぽい列車運行がなされています。岐阜県というと南側の大垣や岐阜市街を想像しますが、それ以外にも前述のような大きな街があり、高山本線に県を挙げてもう少し投資してもいいんじゃないかなとも思いますが、鉄道への投資コストを支えられるほどの自治体が多くないのが現実かもしれません。
そんなところを二時間ほど飛騨川沿いに進むと高山に到着です。
本日は結構きつい行程だったので疲れていたこともあり、熟睡でした。終点で車内点検の方に起こしてもらい、ようやく起きました。
ここから歩いてカラオケで夜を明かそうと思ったのですが、コロナウイルスの影響か単なる閉業かわかりませんが閉まっていました。小雨の中を結構歩いたのにショックでした。
仕方ないので来た道を戻り、途中にあったスーパーの駐輪スペースのようなところのそばにテントを張らせていただきました。小雨だったので屋根付きの場所はありがたかったのと、駐輪スペースにギリギリ入るか入らないかくらいのところなら許してくれないかという気持ちでした。下がコンクリだったので体が痛かったですが、その割には疲れ具合もあってかよく眠れました。
二日分で長かったですが本日はここまでです。次回もご期待ください。
日本一周旅行後編➁
本日は茶番多めです。飛ばしたい人は「」の中を飛ばして読んでください。
8/20
本日の移動です。
本日はテントからのスタート。よく寝れたとはいえ目覚ましより前に目覚めたのでテントを畳んで繰り出します。
⑨紀勢本線(新宮~和歌山)
紀勢本線は幹線の中でも割と新しい方で、長々と語るような歴史もありません。けれども紀勢本線の沿線には結構有数の観光地がありまして、昨日のワイドビュー南紀なんかもJR東海からJR西に直通し紀伊勝浦まで直通する列車もあります。那智には宗教上重要な那智の滝があり、勝浦は言わずもがな聖地ですね。紀勢本線の代わりになる新幹線ができればいいものだなぁとは思いますが、四国新幹線や山陰新幹線でも夢物語といわれている現状、こちらは夢物語にすらなっていないかなと感じてしまいます。悲しいかな
新宮からは始発のくろしお号に乗ります。一時間弱の道のりを朝飯を食いながら進みました。串本で途中下車し観光に向かいます。聖地巡礼です。
串本からはバスで潮岬へと向かいました。
野良犬か飼い犬の散歩かわかりませんが犬。
「潮岬、から撮ったえー写真になりまーす。はい。も目の前はねもー海です。素晴らしい海が広がってましてね。目の前にごっつい岩が、岩場がありますけどね。はい。あちょっと船も見えますね。ええ。のどかですねー。てん、雲一つも無い、雲一つ無いし、天気が良いです。はい。砂場、砂場が広がってますね。ちょっと拡大してみま、して、してみますけどもね。ごっつい岩ですねこれね。すごい岩ですねこれはね。はい。うわー、ちょっと波も穏やかですね。」
「優雅ですね優雅。うわー。も遠くまで見お、見お、見渡せますよこれ。また、貨物船ですねー。いやー非常に時間がゆっくりと、感じますねーゆっくりですねー時間が。はい。いやー良いですね。改めて、見てみると、非常ーに癒やされるわ。自然の動画、っていうんかな。そういうのは、非常に癒やされる。素晴らしい。素晴らしい景色。そして眺め。」
時間の都合もありここからはタクシーでの観光となりました。スマホでタクシーを呼ぼうと思ったら、Goタクシーの範囲外だったため電話で配車してもらいました。
紀伊大島まで移動してもらい、樫野崎を観光です。まずは本家アングルです。
「えーこちらの写真はですね、えー樫、野、樫野埼、灯台にありました、えー、銅像でございます。まこちらの方は誰かといいましたらね、ムスタファ・ケマル・アタ、テュルク、というね、えーっとー…トルコ共和国の、初代大統領の方でして、英雄で、英雄の方です。英雄です。この方は。あのトルコ記念館に関係しています。はい。英雄像ですね英雄像。はい。えーまぁ私今、ねぇあのムスタファ・ケマル・アタテュルクさんの、Wikipediaを見てますけども。気になる方はね、ムスタファ・ケマル・アタテュルク、でググってー、恐らく、ムスタファ・ケマル・アタテュルクさんの、Wikipediaのページが出てくると思うんで、そこら辺を、ググってみては、如何でしょうか。色々詳しく載ってます。Wikipediaは。詳しく載ってます。生い立ちから、初期の分歴、とかね。いち、えー、色々詳しく載ってます。トルコ共和国の、建国とか色々載ってます。大統領時代、ケマル主義。こういった、こういった、なんだろ、ま、なーえーま例えば、旅行とかに行ってこういう、写真?で歴史のある写真を撮って、でー家に帰って、こうやって調べてみるのも面白いですね。歴史が、分かったりとね。詳しい歴史が分かったりと。なかなか面白い、ですね。はい。まほんとは、この写真、ムスタファ・ケマル・アタテュルクさんの、銅像の写真撮らんでおこうかなと思ったんだけど、まぁ折角やし、写真に撮っておくかということで撮りましたけどもね。はい。」
「まぁこれ撮ってなかったら、今回の動画はなかったということになりますからね。はい。ま撮って良かったです。はい。トルコ共和、こっ共和国の初代大統領ですからね。英雄です。任期が、1923年10月29日から、1938年の11月10日、までです。まぁそこら辺はWikipediaに載ってます詳しくと。詳しく載ってます。五十七歳で、亡くなったそうですね。ムスタファ・ケマル・アタテュルク。これはー、まぁ勝浦の人が作ったんだろうけどもね、銅像。この、馬にまたがった、ムスタファ・ケマル・アタテュ、アタテュルクさんが実に、実にかっこいいです。英雄に相応しい、ね。非常に、オーラを感じます。Wikipediaのしゃ、Wikipediaにね写真があるんで、あるんだけどもね。白黒写真があるんだけども、非常に、なんか力強さを感じる、そんな人物です。さぁ、樫野埼灯台に行きましたらね、えー、ムスタファ…えーケマル・アタテュルクさんの銅像があるんで。ね見てみてください。ま行く、行く途中にあるから分かると思いますすぐに。すぐ分かると思います。はい。天気が、良かったからま良かったけどもね。ええ。まぁ気になる人は、ね、見て、立ち寄ってください。樫野埼灯台ー、行く途中にあるから分かると思いますけどもねすぐに。はい。歴史の勉強、するのも良いかもしれません。ええ。和歌山の歴史、はい。」
「こちらの写真はですね、樫野、埼、灯台、でございまーす。ま奥の方に、私の、家族が、ちょこっと写ってますけど。気にしないでください。あのー写真取ろうと思ったら、まぁお、うちの家族がいたもんやからまぁ、撮ってまうかということで撮って、撮りましたけども。えー樫野埼灯台、ですから前回ーご紹介しましたあのー、朝日夕陽百選はこの樫野埼灯台、にありましたね。はい。で樫野埼灯台、はですね、えーまぁ、のーれるんですけどもね。ええ。閉まってましたね。はい。どうやら残念ながら閉まってました。おそらくゴールデンウィーク中は、まぁ、な、灯台のな、樫野埼灯台の中に入れると思いますけども。はい。ま写真、ご覧の通り、雲一つ、くま、雲一つない天気ですけどもねぇ非常に気持ちがいいですね。雲一つがない、雲一つない空は、ね、気持ちいいものですけどもね。で、ま樫野埼灯台、について詳しく知りたい方はま樫野埼灯台、と、打っていただきまして、ググれば、おそらく樫野埼灯台のね、Wikipediaが、出てくると思いますんでね。興味がある方は、えー樫野埼灯台、Wikipediaで、調べてみては如何でしょうか。そこに詳しく、えー樫野埼灯台のね、歴史が載っておりますけどもね。まぁ、今私、樫野埼灯台の、Wikipedia見てますけども。はい。そこに詳しく載ってますんでね。まぁ樫野埼灯台に興味のある方はね、是非とも、ググっていただきまして、Wikipedia、をご覧になってみては如何でしょうか。はい。まぁなんだろ、まぁ樫野埼灯台に行く、ゴールデンウィーク中に樫野埼灯台行くっていう方はね、あらかじめ、ね、あのー、家で、あのー樫野埼灯台、のWikipedia、を見て、いただいた状態で、改めて、まぁ樫野埼灯台に行くとより一層、ね樫野埼灯台、について楽しめる、かもしれませんね。はい。」
「ま樫野埼灯ー台はですね、途中にねトルコ記念館、がございますねー。まぁ、写真が、写真撮って撮ってきましたんでね。後程詳しく紹介したいと思いますけども。はいとゆうわけで。まぁ、まぁ樫野埼灯台行く途中にね、工事してましたけどね。ええ。あの電線工事やったかな。はい。ま途中に、樫野埼灯台行く途中になんか、ま何店かお店がありましたけどもね。トルコ、トルコのね伝統…伝統工芸品を売ってましたけどもねー。そこの、トルコこうげ、トルコの伝統、工芸店のね、あのートルコ人の方の、方がね、面白い方でしたよ。ええ。なんかーなんだろ日本に住んで十二年とか言ってましたけどね。とてもお上手な日本語でした。はい。ええ。まぁなんだろ、まぁちょっと英語もしゃべ、英語…喋って喋ってましたけども英語が上手くてですね、まその方は、難波に、ちゃうわ梅田、に住んでて、梅田に住んどって、で、なんか絨毯を作る仕事、してるとか言ってましたねぇ。まちょっと記憶は曖昧なんですけども。はい。ま多分恐らく交代で来るんでしょうかね店の、店番はね、店番は、交代で来るんでしょうね。たまたま、たまたま、あの、俺が旅行、俺らが旅行、私、我が家、が旅行したときにその、方がいたということでしょうね。はい。まその方も仕事が忙しいでしょうから、そんな頻繁に店番に、来る、訳にも、いきませんからね。交代やって、やりくりしていくんでしょうかね。はい。はい、まぁ、樫野、埼灯台、あのー、ゴールデンウィーク中に、行ってみては、如何でしょうか。はい。まだーゴールデンウィーク、や、休み…があるけども何も計画してないっていう人はさすがにいないと思うけど。まもしいるんやったらね、まだ計画、ゴールデンウィーク、いっぱい休みがあるけどまだ、何も計画してないっていう人がおるんやったら是非とも、樫野埼灯台、行ってみてください。はい。まぁ良い所ですからね。うんま出来れば、和歌山どっかで一泊してね。たっぷりと和歌山、を観光して、くださいませ。」
「こちらの写真はですね、どこで撮ったんだろこれ。ちょっとー、ちょっと旅行からしばらく、経ってますからちょっと記憶が曖昧なんですけども。どこで撮ったんやろな多分、潮の、ちゃうわ。どっかの…トルコ、記念、で撮った写真なんかな。はい多分そう、その写真だと思います。多分ー、トルコ記念、館、の所にあった、えー、和歌山県、朝日夕陽百選の、オブジェの写真だと思います。このオブジェはどういった物かといいますとね、ま簡単に言っちゃえば、ここの、こっからの、ここからの、朝日、夕陽は綺麗ですよっていう、それを証明するオブジェでございます。まぁ後程、他にもねこのオブジェが、とっ、このオブジェがあったとこ、の写真がありますんで後程紹介しますけども。はい。ええ。ここからの朝日夕陽がな、なんらしいですからね。見てみたいもんですけど。時間が無くて、見れませんでしたけどね。ええ。ゴールデンウィーク中和歌山に行く、方は、まトルコ記念館、に立ち寄ってもらいまして、そこにー、あのーこ、の和歌山県、朝日夕陽百選のオブジェがあると思うんで、まぁ探してみては如何でしょうか。まぁすぐ見つかると思うけど。確かー、トルコ記念館、は確か、なんか道路、を工事、してたと思うんですよ。記憶では。ええ。なんか、電線を、地中に埋めるとかいう、工事をやってた、やってたで、やってましたね。ええ。はい。まなんにせよ天気が良いから、非常に清々いい、清々しいし気持ちいいですねー。一度でいいから、この和歌山、県朝日夕陽百選、を全部回ってみたい、みた、回ってみて、で朝日と夕陽、の景色を眺めてみたいもんですね一度でいいからね。出来れば一度でいいから見てみたいもんですけども。なかなか、そんな時間はありませんけどね。ま行くんやったら、カメラにね、収めて、皆に見せて、見せたいけどねその、絶景をね。皆さんにご覧いただきた、いただきたいと思うけど。なかなか、そんな時間は無いけどもね。ええ。まぁそれだけお金がかかるということですからね。はい。まそんなお金も無いしね。ええ。そんなお金も無いし時間も無いし、はい。まぁまぁど、ほ、まぁどっか旅行に行く、っていう時はね、まぁ、カメラ持っていってね、写真、または動画、にたっぷり収めて皆さんに、お届けしたいと思ってますけどね。はい。はい。まぁここ、は確か灯台だった、どっかの灯台だったと思いますけどね。はい。まぁ海、の匂いといいますか潮の匂い、そして風、がとても気持ちよかった。陽の光もねぽかぽかとしてて、気持ちよかったです。はい。もう最高の思い出になりましたよ。最高の旅になりました。今回の旅は。はい。さとゆうわけでね、皆さん、ゴールデンウィーク中にね、旅行に行く方はね、是非とも楽しい思い出を作ってください。」
上の説明ではないようが1mmもないと思うので補足説明しておきます。この街はエルトゥールル号の沈没で遭難したトルコ人を助けたことでトルコとの友好が生まれた場所です。その記念碑がさきほどの石です。
この恩があった関係で、日本とトルコは助け合うことが多く、民衆にまで親日の雰囲気が漂っている国の一つです。
以上で今回の聖地順平は終了です。串本は非常に雰囲気がよかったので是非また行きたい場所の一つです。いかんせんアクセスが厳しい場所でもありますけど。
先ほどのタクシー運ちゃんが気さくな方で、何時に帰りたいとお伝えしたらその時間に迎えに来てくれました。これは神
駅まで戻りまして先ほど撮っていなかった最南端の石碑で写真を撮りました。
ここから再びくろしおにて大阪方面に進んでいきます。
二時間半ほどかけて終点の和歌山に向かいます。この辺りは個人的な思い出として、普通列車で乗り通した時の記憶がありました。津波の避難用はしごが搭載されていたのが印象的でした。先ほどの茶番で文字数を使い足したのでさらっと行きます。
⑩和歌山線(和歌山~高田)
阪和線で直接大阪には行かずに、指定ルートに従い和歌山線にて一旦奈良方面へと進んでいきます。雨が降っていましたが、和歌山から一駅のところで写真を撮ります。
大雨の中の撮影です。
行先に大阪環状線と書いてあるのは、大阪環状線の運用が一般の方にはわかりづらい運用がされているためです。天王寺からは大阪環状線を一周しもう一度目の天王寺で終点となる運用が多く存在します。この運用で旅客に案内するとわかりにくいため、この区間ではとりあえず大阪環状線と案内されています。
次の写真ではオレンジの服を着た人が一緒に乗っていました。これはマズイと思い急いで先に向かいました。
第24県目:奈良県
しかし間に合いませんでした。ぎりぎり一本間に合わず、ちょうど五条駅についたところで運転打ち切りになってしまいました。一日一条、五日で五条
またもや雨にやられた格好となってしまいました。本日は夜に知人との約束があるのでこれから先の計画を変更することになりました。いろいろ考えても五条でそのまま待った方がよいという判断になり待ちました。
すると一時間ほどで列車の運行が再開し、下手に迂回しようとするより早く先に進み始めることができました。なかなかよい判断だったんじゃないかと思います。
高田まで行ったところで、時間オーバーになったため、近鉄にて大阪方面に向かいました。
本日の夜ご飯は豪華焼肉でした。その節はありがとうございました。
このあとは麻雀をしました。四人で三麻をする四人三麻はいかにも大阪らしいなと思います。
ツモり四暗刻をツモりました。1索はそこまでよく見えませんでしたが、点棒状況もあり4筒を見逃しました。今思えば絶対ロンした方が得だと思います。しかし三麻とはいえ縁起がいいあがりで今後の旅に向けて弾みをつけることができたかなと思います。
こんな感じで本日は終了です。
日本一周旅行後編①
8/19
本日は東京からのスタートです。昼からのスタートになってしまったわけは中編の最後をご覧ください。
①横浜線(八王子~新横浜)
まず第一路線目は横浜線です。これから新幹線に乗るのですが、指定ルートの縛りで新横浜での乗車となります。
横浜線は横浜鉄道という会社が八王子や甲州でとれた生糸を運搬するために建設した路線です。その後国有化を経てJR東のドル箱路線と言われるまでに成長しました。
横浜線にて新横浜まで行きます。
➁東海道新幹線(新横浜~小田原)
皆さんお馴染みの東海道新幹線に乗車です。今回は小田原で降りるのでこだまになりました。昨日乗車した東海道本線の国府津駅を回避するために新幹線ルートとなっています。
こだまには初めて乗る気がします。新横浜からは一駅で小田原についてしまうので、退避などこだま感を感じることは少なかったですが、いつも通過する小田原に停まるとなんか変な感じです。
③東海道本線(小田原~三島)
小田原からは在来線で三島まで進みます。この区間はより距離の長い在来線に乗り換えなければなりません。真鶴あたりは海が綺麗列車から見えることで有名です。熱海を超えるとまもなく丹那トンネルに入ります。このトンネルの建設のおかげで、箱根峠を北川に迂回しなくても沼津へ行けるようになり、御殿場線を別線とすることになりました。トンネルが終わるとすぐ函南の駅に着きます。トンネル中は圏外ですので、トンネルを出たところで一斉に乗客が携帯を触りだす光景は面白いです。函南を出ると再びトンネルに入りますがすぐ抜けて三島に到着です。
④東海道新幹線(三島~静岡)
ここからは再び先日乗車した区間との重複を避けるために新幹線です。この新在をうまく乗って行くことで、同じ駅をふまずにこの地域を二回通れるようになっているのはうまいこといっているルートだなと思います。この列車で一気に静岡まで行きます。三島から静岡までは在来線に乗り換えられる駅が一つもありません。ひかりを一時間ほど乗ると静岡に到着です。
乗り換えのわずかな間にそばを頂きました。
⑤東海道本線(静岡~豊橋)
再び在来線に乗り換え西に進みます。ここからはいよいよ18切符感も漂ってくるような旅となってきました。しかし西に進むにつれこの先の区間に抱えていた不安が募っていきます。この日は大雨により飯田線に不通区間が発生していました。これは一時的なもので、到着するまでに再開すればいいなと思っていましたが、徐々にその被害がただものではないことがわかっていきます。この辺りではもう行程通りの旅行は難しいとの見解で車内で情報の収集に努めました。
当時の注意報と警報のマップです。これは終わった。
すると徐々に運行の再開には数週間かかるとの見込みが発表されます。ついでに中央本線も被災しているとのことで、未乗区間を放棄し先に進むか、復旧まで旅行を中断するかの二択を迫られました。最長ルートを完璧にこなすならば後者以外に選択肢がなく、折衷案として普通区間のみレンタカーやタクシーにて代行する案もありました。完全復旧まで旅行を中断すれば、おそらく一か月程度、ながければニ、三か月は旅行を再開できなくなってしまいます。現実的にその案はコスパの観点からも第一に不可能とされました。
折衷案の図式です。赤が不通区間です。かなり長いことがわかります。この先の経路にもろ被りです。
実際のマップでは数通り試案がありました。
しかし最終的には第三の選択しである未乗区間の放棄が選択されました。折衷案で行ったとしても、果たしてそれは最長ルートを完遂したと言えるのだろうか?結局乗ってないことには変わらないではないかという事実が一つと、これから先のくかんで同じような事象が起こることがわかっていて、最長ルートに完全に縛られているままでよい旅行ができるのだろうか。ということを考えた結果、旅のコンセプトを「最長片道切符の旅」から「日本一周旅行」に変更し、切符は日本一周の手段として捉えることで旅行を続けていこうと決定しました。
この辺りで列車は浜松につきました。ここからは豊橋行きの列車で豊橋へと向かいます。
先ほどの決断は肩のおおきな荷が下りたと感じた同時にどこかノスタルジックな気持ちにすらなりました。
この大きな決断が行われ、後半の一日目にしてこの旅行は転換点を迎えました。
いろんな気持ちを抱えたまま列車は豊橋につきました。
30分ほどかかりましたが一瞬に思えました。
第21県目:愛知県
最長ルートはここで飯田線に乗り換え豊川方面へ行き、辰野で中央本線に乗り換え、そのまま中央線にて名古屋に下るルートでしたが、今回はそのまま名古屋へと進んでいきます。
⑥東海道本線(豊橋~名古屋)
出来ほどの引き続きですが、便宜上一度区間を区切らせていただきました。この区間は一応振り替え輸送という形になっています。
豊橋からは俗にJR静岡と呼ばれている区間が終わり、転換クロスシートの快適車両に乗ることができます。
今回乗るのは新快速です。新快速とえいばJR西の東海道、山陽本線で運行されているものが有名ですが、東海の東海道線区間でも運行されています。もともと駅間が長い東海道線ですが、多くの駅をぶっとばして通過し、大垣までかなりの速さで行くことができます。
豊橋から名古屋までは50分ほどで、停車駅は7つしかありません。大雨の中本でも読みながら進みました。
名古屋ではあおなみ線に乗り換え、リニア鉄道館というJR東海の鉄道博物館のような施設に行きます。こんな雨模様の日は博物館や美術館の観光にもってこいです。
あおなみ線で25分行くと終点の金城ふ頭に到着です。今は三セク路線ですが、かつては貨物列車が多く運行されていたJRの路線でした。そのような点ではりんかい線と結構似ているかもしれません。
まず博物館に入ってお出迎えしてくれるのは、時代を変えた試験車両たちです。
ライトアップされていていい雰囲気でした。
後ろのムービーは一定時間ごとに流されているみたいです。
奥の部屋に行くと旅客列車の姿もありました。
さらに奥に行くと在来線もいましたが、あまり詳しくないのでまだまだ勉強が必要だと思いました。
撮影禁止のゾーンなどもあり、日本の鉄道の歴史を存分に味わうことができました。そして将来の鉄道の姿も垣間見ることができました。
L0系のジオラマです。リニア開通が待ち遠しい。
東海道の物流の歴史こそ日本の交通の歴史と言っていいかもしれません。大宮の鉄道博物館と比べ規模は小さいですが、その分密度の高い見学ができました。
この後は早めに名古屋に戻り、豪華な晩飯をぱーっとやりました。
矢場とんは名古屋でも有名な味噌カツ屋です。これはヤバイほどうまい。名古屋に行ったら飯はこれに決まりです。
ここからは終電まで列車に乗り通します。
⑦関西本線(名古屋~亀山)
かつては名古屋大阪間の最短経路として栄えた関西本線に乗って行きます。しばらくは伊勢湾岸に進んでいきますが、現在では近鉄に敗北し、JRの列車にはもの悲しさが感じられます。一時間ほど暗闇の中を進み、乗り換えます。関西線には再び乗る機会がありますので、その時に解説をしようと思います。
第22県目:三重県
⑧紀勢本線(亀山~新宮)
ここからは紀勢本線で紀伊半島を一周します。まずは鳥羽行きの普通列車に乗り込み津を目指します。
つは日本一短い駅名でも知られていて、ひらがな表記でも一文字の駅名表を見ていると草生えます。
津からは特急列車乗り込み新宮を目指します。ワイドビュー南紀です。二時間半をかけ紀伊半島を南下していきます。伊勢や方面に行く路線や名松線などが分かれる松阪を過ぎると徐々に線形が悪くなっていき、ローカル線感が漂い始めます。特急が走っているんだから一大幹線じゃないかと思いますが、幹線の中でもなかなかな雰囲気です。
動画の編集などしながらの乗車でしたが、さながら夜行列車といった感じでした。23時すぎに新宮に到着し、この駅の列車は全て終わったようでした。
第23県目:和歌山県
新宮でぎりぎり和歌山県にはいっていて、三重県がごく僅かになってしまいましたが、伊勢など一度観光経験もあるしそのうち行くだろうなと思い、津の写真のみで終わりになってしまいました。次は鈴鹿サーキットとか行きたいっすね。
夜中になってしまいましたが、公園があるみたいなので観光しようと思い行きましたが、
コロナの関係で封鎖していました。再び感染者がふえてくるような時期で、首都圏を抜けといてよかったなと思う半面この先の不安もありました。
本日は別の公園にテントを張り宿泊です。
駅寝でもよかったのですが、なんか気が引けたのと横になりたかったのでテントになりました。コンクリよりなるべく芝生の方が寝心地がいいので公園に毎度張らしていただいています。
テント泊にしてはぐっすり眠り、激動の一日が終了しました。
日本一周旅行中編
ここからは東京を拠点に数日間動いていきます。経済的には楽な日程が続きます。
8/8
第14県目:神奈川県
本日は知人と合流し観光を行います。
江ノ電の沿線にあるタコス屋です。ちょうどこの数日で話題になっていた店で、大繁盛でした。
というのも某兄貴がやっているタコス屋だという理由です。顔を隠さなくてもSNSにあげてもよいとのことでしたが、自分だけ隠すのもなんなので一応隠しておきました。
その後は江ノ島水族館に行きました。この時期にクラゲを幻想的に展示しておりましたので、それを写真で撮っておきました。
関東は手軽に行けるのでわざわざ今回の旅行で観光しなくてもいいかと思っていましたが、たまたま江ノ島周辺を巡ることができました。天気が悪かったので風景写真はありません。
8/12
第15県目:東京都
本日は東京駅周辺のつけ麺やに出かけました。
松戸って書いてありますが東京です。
そして家族の誕生パーティーに出席しました。個人的な用事にはなってしまいましたがこれも私にとっては東京の一大イベントでした。
8/16
この日は移動履歴が残っていました。
まずは日光号にて日光に行きます。一応栗橋までJR線となりますし、車両ももともとJRのものなのでJR感は強いですが、番外編ということもありカウントはなしにしておきます。一応言っておきますがほとんどの区間は東武線です。
車内でつまみを買いました。数日は経済的に余裕があり休みを満喫しています。
①日光線(日光~宇都宮)
東武日光からは以外にも未乗路線であったJRの日光線に乗り換えて宇都宮を目指します。日光へ行く際はだいたい東武か車で訪れています。本当は日光の観光も動画に収めたかったのですが、もう何度も行っているので今回はパスです。いつも日光へは車で行くのですが、列車からの車窓も日光道と似たような感じでした。関東地方の観光地は様々な人と何度も訪れているので、特別新しく何か思うことはありません。
宇都宮からは乗り換えて栃木のもう一つの未乗路線に乗って行きます。
➁東北本線、烏山線(宇都宮~宝積寺~烏山)
烏山線の路線はだいたいが東北本線に乗り入れ宇都宮まで来ています。
終点の烏山で撮った写真なのですが、何かへんなラベルがついているのが見えると思います。それとこの路線は全線非電化です。
もう気づいたと思いますが、この列車は充電式の列車です。そのため終点の駅にだけ、充電用の架線が用意されていてパンタグラフで充電できるようになっています。これは初めて見たので珍しいと思い写真を撮りましたが、いずれはこれが増えてくる日も近いと思います。パンタグラフの端が青いのがなんとも特徴的です。
そんなこんなで烏山線を折り返していきます。烏山線は線内の駅が7つというころでそれぞれの駅名表に七福神が一人ずつ描かれています。終端の区間は山間を抜ける区間となっていて、風光明媚な写真が手軽に撮れる場所でもあります。しかし列車からのアクセスはしずらいので、今回は乗るだけにしておきます。乗り鉄って感じがしますね。
宝積寺で列車を待っていると貨物が通過していきました。東北本線も貨物が非常に多い区間でどっかで狙えればいいなと思っています。
ここからは一気に東北本線で北上し郡山へと向かいます。
③東北本線(宝積寺~安積永盛)
ザ東北本線といったような区間を郡山の一つ手前までどんどん進んでいきます。この辺では交流と直流が切り替わる黒磯で必ず乗り換えが必要となります。一日に数本だけ東北本線の黒磯行きがあった気がしますが、それが首都圏の直流列車が来れる限界地点です。昔は特急などバンバン走っていて、黒磯を超える列車もあったとは思いますが、今は新幹線にすべて置き換わりました。つい先日東北新幹線が不通になった際の救済臨時特急なすのが運行されていましたがその程度です。そのなすのは郡山が一応の終点となっておりますので、ここまでが日帰りだと妥当な地点でもあります。
安積永盛ではまず昼食を食べに行きました。
どこか忘れましたが定食屋さんです。会津で食べられなかったかつ丼を食べたかったのでここになりましたが、少しイメージとは違いました。しかし美味しいと評判なことだけあり、ぺろっと間食しました。
今回は福島県での写真をリベンジするために安積永盛の駅から撮影も行いました。
曇り空の中待っているとまずは普通列車が来ました。
なんか後ろがごちゃついてしまう印象です。貨物列車も来ました。
また普通列車が来たので、設定を変えて撮ってみます。
少し色味が変わりましたが曇り空です。
望遠で除くとこんな感じになりました。これがこれから乗る水郡線の列車です。本当は東北本線をメインに撮りたかったのですが、あまりうまくいきませんでした。
④水郡線(安積永盛~上菅谷~常陸太田~水戸)
水郡線は古くから歴史がある路線で、最初は常陸太田から水戸を結ぶ馬車鉄道として計画されました。しかしその後蒸気機関での鉄道となり、水戸線や常磐線の一部を有していた水戸鉄道に買収されました。その後は国有化され、水戸から郡山が水郡線の本線となり、途中の上菅谷から常陸太田までは支線扱いとなりました。昨今では奥久慈清流ラインという愛称もつき、ローカル線の中では頑張っている方ではあったのですが、台風により橋が壊れてしまいしばらく不通となっていました。それがこの旅行の数か月前に復活したので列車で全て行けるようになりました。最近ではサイクルトレインの実証実験なども行われています。
清流ラインというだけあり終始何かの川と平行して進むのですが、三時間弱をかけて33駅進みます。東北本線ならば二回くらいはこの間に乗り換えるよなという思いながら徐々に暗くなっていく中を進んでいきます。
途中の上菅谷ではまだ乗っていなかった支線に乗るために下車します。
第16県目:茨木県
終点の常陸太田まで行ったところで、適当に写真を撮ってみました。
すっかり暗くなってしまいましたが、停止している列車ならバルブでなんとか撮りました。三脚がないとこれ以上明るくするのは難しいですね。
この水戸行きの列車にて水戸まで行きました。
水戸からはちょっと時間があったのでガルパンで有名な大洗に少し行ってみました。
この赤と青の塗装はこの辺りでは結構見ることが多いです。
荷物が軽かったので一眼で結構写真を撮りましたがあまりうまくいきませんでした。
ホームから降りるとキャラクターが出迎えてくれました。これはすごい。
改札で採算をし、コンコースにでてみると
この垂れ幕です。街とガルパンの結びつきが見れて非常に面白いです。まだ売店くらい空いてるかなと思ったんですが、どこも閉まっていたのでそのまま水戸まで帰ることにしました。鉄道で行くよりバスの方がはやかったので、バスで水戸まで行きました。これだけでも少し大洗の文化に触れられたので行ってよかったです。
⑤常磐線(水戸~新松戸)
ここから本当は東京まで帰りたかったのですが、それより外泊する方がコスパがいいと考え柏で泊まることとしました。
乗るのは見慣れた列車です。常磐線の紹介は首都圏の時にしますと書きましたが、福島県あたりの説明はしましたし、車窓が何も見えなかったのでまた機会があればということにします。
申し訳程度に茨城県の食を楽しもうと思いニューデイズで買いました。時間のある時に再び大洗は訪れようと思いました。
第17県目:千葉県
この辺で途中の柏で下車し駅近の快活クラブに一泊しました。
8/17
本日は四時台に快活クラブを出発しスタートです。切符の指示に従い常磐線で新松戸まで進みます。
⑥武蔵野線(新松戸~西浦和)
東京メガループを構成する大きな路線である武蔵野線で少し西に進みます。本日は都心の通勤列車にたくさん乗っていきます。まずはもともと貨物線として建設された外郭路線に乗りまして、じわじわと内側に入っていきます。
30分ほど西側に進んだところで下車します。この辺はなんとか浦和という駅名がたくさんあります。
第18県目:埼玉県
⑦京浜東北線(西浦和~赤羽)
南浦和からは京浜東北線に乗り4駅進みます。京浜東北線は北は東北線、南は東海道線の電車線の役割を担っていて、横浜からは根岸線に直通して大船や桜木町に向かいます。山手線の東側は電車線だけでも複々線になっているので、その輸送力たるやはかり知れません。これだけの輸送力が必要になる区間は見たことがありません。そんなところですが、山手線に合流する前に下車し埼京線に乗り換えます。
⑧埼京線(赤羽~池袋)
埼京線にて池袋まで進みます。正確には赤羽からは赤羽線という路線で北側の区間より古くからあった区間です。赤羽以北は東北新幹線の整備時に埼玉県への見返りとして建設されました。この区間の新幹線は騒音が理由で最高速度が抑えられていることで有名ですが、埼京線の方がうるさいとも言われています。実際新幹線の最高速度は少しずつ上がってはいます。大宮以北も北陸新幹線に平行してニューシャトルという列車が走っていますので、国家プロジェクトとしての威厳を感じます。
池袋では少し写真を撮ります。
まずは各駅停車です。ちょっとアングル的には厳しいところです。
通勤快速です。夏休みとはいえ平日ですので駅は通勤客であふれかえっていました。
⑨山手線(池袋~秋葉原)
ラッシュよりも少し前には山手線を抜けたいという思いがあり、早めに撤収しました。山手線はカーブの箇所で並行する路線が離れていって合流するので、そこをまたぐ場合は各駅でも山手線の乗車が一般的となります。最近の山手線は両数が伸びたり、ホームドアが設置されたり、新車があっという間に増えたりと進化が目覚ましいです。流石東京を代表する路線です。山手線は20分ほどで下車します。
⑩総武本線、成田線(秋葉原~佐倉~成田)
お次は総武線で下っていきます。一番ラッシュが激しい時間帯になってきましたが、それまでに下り列車の領域に入れました。東京の都心を貫通する列車は上り列車から下り列車に切り替わる瞬間空く現象があり面白いです。その境目となっている駅も路線によって様々で調査してみると面白いかもしれません。
一応現在の総武本線は東京が起点で快速線を経由し千葉までが本線で、お茶の水から錦糸町間は支線という扱いになっていますが、もともとはこちらが本線で後者は後からできた区間です。さらに時代を遡れば隅田川も渡れず両国がターミナルだった時代もありました。その頃は東武亀戸線も亀戸から両国まで乗り入れていたこともあり、一大タ-ミナルとしての役割を担っていました。その影響で今でも両国は広大な敷地を有する駅となっています。
途中の新小岩からは金町までを結ぶ新金線と言われる貨物線があるのですが、葛飾区によりその路線を旅客化する提案などもあり、この先もより便利になり路線が増えるような場所が東京に東側に広がっています。
そこを過ぎるといよいよ千葉県に入っていき、船橋に到着です。東京メトロは東京から大きく足を延ばし一駅手前の西船橋まで来ています。これは東西線建設当時は西船橋から東陽町や砂町のあたりがほとんど更地で安く建設できたことが理由です。写真を見てみると本当に何もないです。欲を言えば船橋の中心まで来ていればもっと便利だったかなとは思うのですが、JRをそのまま進むわけにもいかず東葉高速鉄道への乗り入れ列車がほとんどです。流石に朝夕には両脇から総武線へと直通する東西線の列車があります。本当はこれが一番便利なのでしょうが、通しで乗られてしまうと経由がわからなくなってしまうので、あまり本数を増やせない状態なんだと思います。
この辺からは京成線と本格的に競合する区間に入りまして、ピッタリと隣に線路が横付けされる区間すらあります。
下り列車とはいえ混んでいたので、途中でグリーン券を買ってグリーン車に移動しました。これで悠々自適な移動ができます。
朝の通勤客を眺めながら進んでいくと最近改修工事が終わった千葉に到着です。この列車は大きくカーブを曲がり、分岐していく内房線は真っすぐ行くのですがこの列車はカーブする方の総武本線を行きます。ここからは本格的に郊外に出て来たなという感じで停車駅が少し増えてきます。途中の都賀では千葉モノレールの終点がありそこを超えるといよいよ田舎に入っていきます。
途中の佐倉では総武本線に別れを告げ成田線に入っていきます。この列車は成田空港行きの快速だったのでそのまま乗り換えずに行くことができます。エアポート快速という種別があったのももう昔の話になってしまいました。
途中の成田で成田空港線に入る前に乗り換えが必要になります。
⑪成田線(成田~松岸)
ここからはいかにも関東ローカルといったような感じの場所を進んでいきます。成田線の終点は銚子となっていて、松岸で先ほどの総武本線に合流するのですが、全く別経路の路線となっています。これはもともと総武線が総武鉄道だった時代に、二つの鉄道会社が合併してできた会社だということが理由です。その二社は千葉から銚子までの経路を別々に想定していて、結局現在の総武本線経由の路線が建設されたのですが、後に成田線としてもう一つの路線の方も建設されました。
13駅を一時間以上かけて進み松岸に到着です。今回は大回りと違い追加運賃を払えば銚子まで行けたのですが、乗り換え時間が僅かだったので諦めました。未だに銚子電鉄には乗ったことがなくいつか行ってみたいです。
⑫総武本線(松岸~成東)
先ほどの総武本線を逆戻りする形で松岸から乗車します。と言っても佐倉まではいかず途中の成東で下車します。今度は10駅ほどを一時間弱で進み成東に到着でしました。
⑬東金線(成東~大網)
東金線は当初は八街から東金方面へのアクセス鉄道として計画されましたが、大網側から建設され、蘇我方面から東金までが先行開業しました。そして国有化後に東金から成東までが延伸され、現在の形となりました。私は東金線の沿線に古くからの知人がおり、とても思い出が多い路線です。成東側から乗車することはあまりないですが、それこそ蘇我方面から直通の列車がわずかにあり、それ乗車した記憶があります。
運行形態としては成東から大網の区間輸送がほとんどで、列車もみなれたあいつがいつもやって来ます。最近では房総地域に新車両が投入されはじめ、房総族の車両も置き換わりつつあります。しかしそのペースはあまり早くないのでまだまだその暴走具合を楽しむことができるでしょう。
⑭外房線(大網~上総一ノ宮)
大網で外房線に乗り換え房総半島を南下していきます。今の大網駅は蘇我方面から来た列車はそのままおおきくカーブし多くが茂原や一宮の方面に行きますが、一昔前は先ほどの東金線を少しいったところに大網の駅がありました。ということは外房線の大網駅ももともとここにはなく、いちいち東金線の大網駅の方まで行き、そこでスイッチバックをする形で茂原方面へと行っていました。当時は一応現在東金線となっている大網から旧大網までの区間は外房線だったということになりまして、外房線スイッチバックを解消すべく現在の位置に大網駅が移転され、外房線をスイッチバックではなくカーブで短絡するような線路が敷かれました。それと同時に東金線の大網駅も現在の場所になりました。大網駅の構造を見ると、東金線と外房線がハの字に分かれたホームになっているのと、両路線が大きなカーブの途中の駅となっていることがわかります。これはその駅移設を半ば無理やり行った結果の線形と言えます。
外房線の快速列車にて6駅を20分ほどで快走します。外房線の快速はだいたいが京葉線からの直通列車で10両の列車が来ます。昔はほとんどが総武線快速からの列車で15両もあったみたいですが、現在ではわずかな列車の乗り入れにとどまっています。この辺の地域に十何両の長編成列車が来ると少し長いんじゃないかと思うこともあります。そんな直通列車もほとんどが上総一ノ宮で終点となります。東京方面からの特急だけがこの先の安房鴨川まで乗り入れます。
⑮外房線、内房線(上総一ノ宮~安房鴨川~木更津)
ここからは房総の先端を通しで走る列車に乗り換えです。この区間は単線の場所も多くなり、一層ローカル感を強めますが最近新車が導入された区間でもありまして、その導入と同時にこの区間の運用が始まりました。少し前までは完全に外房線と内房線が別々の運用だったのですが、運用が効率化されたみたいです。この列車は3時間弱をかけて木更津まで走る大変ロングラン運用の列車です。
この辺は大回りや旅行で何度も訪れている区間でもありまして、乗っている間思い出に浸りながら、というわかではなくお休み時間となってしまいました。ボックスシートで乗り心地もよかったのでゆっくり休み、気づいたら大分内房を来ていました。途中の君津で快速に乗り換えるとこの先一本早い列車に乗れるので、乗り換え一駅で木更津につきました。
⑯久留里線(木更津~上総亀山)
木更津からは未乗の盲腸線であった久留里線に乗ります。今日のメインともとれるような路線ですが、ここで大きな間違いに気づきました。久留里線の終点は久留里でそこで折り返せば久留里線は完乗と思っていたのですが、よく考えると久留里よりずっと先の上総亀山が終点だったのです。計画を立てるときに多くの列車が久留里止まりとなっていて、名前も久留里線なもんだから勘違いしてしまいました。この間違いは大きな影響となりましたが、久留里で折り返す前に気づいてよかったなと心底思いました。
木更津から久留里までは45分ほどでついてしまいます。
折り返しの久留里で何か観光をしようとこの写真を撮っていた時の出来事でした。
この列車は久留里止まりなのでその先に行く列車を待つ時間がかなり発生してしましました。
久留里は平成の名水百選のうちの一つらしいです。多くの人がここで水汲みをしていました。
一時間くらい待つと列車が来たので乗り込みます。
再び45分ほどかけて終点まで進むのですが、車窓が先ほどとは様変わりしていて完全に山です。久留里線はこの先線路を伸ばし上総中野へと至る計画があったみたいですが、この通り山だらけなのでその計画は消えていきました。
上総亀山の駅舎です。房総の内側ってこんな秘境なんだなと思いました。
ちょっとうんざりした顔をしています。自分のせいです。
ここからは再び時間をかけて木更津まで戻りました。
⑰内房線(木更津~蘇我)
木更津ではすっかり日が沈んだ中を長い通勤列車で進んでいきます。
快速列車で30分ほど快走すると蘇我に到着です。京葉線が旅客化されて様変わりしたと言われています。
⑱京葉線(蘇我~東京)
その京葉線にて東京方面へと進んでいきます。武蔵野線と一緒にメガループを構成する路線でかつては貨物線として使用されていました。新木場からはりんかい線を通り東京貨物ターミナルまで行っていましたが、京葉線が旅客化される際にりんかい線も東京都に売り、新木場から先は東京までの区間を新設することで今の形の京葉線になりました。京葉線の東京駅ホームはもともと成田新幹線を通す用地だったらしく、そのほかの在来線とはすこし離れたところにあります。上越新幹線の新宿乗り入れ計画など、新幹線には想定されつつも幻で終わった路線が多くあり、当時新幹線がもっと評価されていれば、今の窮屈な運用も少しは変わっていたのかなと思います。
今回の京葉線は普通列車で、16駅を50分ほどかけて進んでいきます。
⑲中央線(東京~西国分寺)
切符の指示により中央線にて西に進んでいきます。
帰宅ラッシュも終わりつつあるような時間になりましたが、まだまだ行程をこなしていきます。中央線の東京駅は新幹線のホームを増やすために、他の在来線の上側の新しいホームに移設された経緯があり、長いエスカレーターの先にそのホームがあります。先ほど紹介した京葉線ホームからだと乗り換えにさぞかし時間がかかるような箇所でもあります。
中央線は東京を出ると神田、お茶の水、四ツ谷と止まっていきます。快速電車ではありますが、ぼちぼち止まっていきます。神田川の土手を進んでいくと、高速道路が並走してくるようなところを行くと新宿に到着です。中央線の特急は多くが新宿発着になっていますが、早朝や一部列車は東京や千葉へと乗り入れることもあります。
大きくカーブし西側に進路を変えると東中野に到着です。東中野から立川までの区間は日本で二番目に長い鉄道の直線です。これは中央線建設当時、本当は甲州街道沿いに線路を敷きたかったのですが、地元の反対にあい、東京の少し北側のさら地に線路を敷くことになり避ける障害物が何もなかったためです。中央線の建設当時は全然中央じゃなかったと思うと面白いですね。今や東京の中央の繁華街を一直線に貫く路線になっています。因みに直線第一位は北海道にあります。
そのようなところを一時間弱すすむと西国分寺に到着です。ここれで切符の指示によ乗り換えます。
⑳武蔵野線(西国分寺~武蔵浦和)
ここからは武蔵の浦和まで進んでいきます。もともと貨物線だったこともあり、この辺りはほとんとど地下区間なことで有名です。地下が終わっても多くが切通で踏切がないようになっています。再び埼玉県に入ると駅間がかなり長いところを進み武蔵浦和に到着です。本日はここから東京まで帰りました。
8/18
本日は昨日中断した武蔵浦和からのスタートなのですが、それよりも先に朝ラッシュ時間帯のみ走っている未乗区間の列車を乗りに鶴見まで行きました。
㉑鶴見線(海芝浦~大川~扇町)
鶴見線は鶴見から扇町までの路線と、海芝浦、大川までの支線によって構成されている路線です。
特に支線は通勤需要がかなり大きく、ラッシュ時間帯にしか列車の運行がありません。
扇町行きの列車ですが、今回は先に海芝浦に行くので次の列車に乗りました。
海芝浦は改札がそのまま東芝の工場に繋がっていて、関係者以外立ち入り禁止となっています。今回は18きっぷでの訪問なのですが、運賃を支払う場合は無賃乗車にならないよう気を付けましょう。
この駅は海に近い駅として有名で、ちょっとした観光スポットにもなっています。公園が併設されていて待ち時間を過ごすことができます。工場内の撮影は禁止なので、工場側にカメラを向けることはあまりしない方がいいです。
ここで折り返しの列車に乗って行くのですが、車掌さんから折り返しの際はきちんと運賃を払ってくださいねと釘を刺されました。適当に撮影さてすぐ列車に乗ったので、無賃乗車だと思われたみたいですが、18切符なので精算の必要はありません。わざわざラッシュ時観光にきて印象も悪いだろうし、勘違いさせた私も悪いのですが、あまり気分はいいものではありません。そもそもここはラッシュ時しか来れませんし、撮影も通勤の方に気を使ってしてはいましたが、印象は悪かったみたいです。おそらく運賃を払ってもらうことがこの車掌の目的ではなく、鉄道マニアに難癖をつけたかっただけだろうと思っています。あらためて迷惑な行為を慎むとともに、鉄道マニアの在り方について考える必要があります。
海芝浦からは鶴見まで帰らず、浅野で下車しました。ここで本線の扇町方面の列車に再び乗り、扇町を目指します。扇町でも何をするでもなく、すぐさま折り返します。この行為をするために18切符をつかったのですが、不審な行為に見えるのは当たり前なので少し考えていく必要があります。
扇町からは再び戻り大川方面の支線に乗るために乗り換えるのですが、一つ間違って手前の武蔵白石で下車してしまいました。武蔵白石は地図で見ると確かに大川方面への支線が通っているのですが、そこに駅はありません。先ほどの浅野も同じ形をしていて駅があったのですが、こちらはなかったみたいです。列車が言った瞬間乗り換え不可に気づき、全力で走りましたが加速度が特別速い鶴見線に追いつけるわけもなく、一つ次の安善で待ちぼうけを食らうことになりました。これは不覚。
とはいえラッシュの時間帯で30分ほど待つと次の大川行きが来ました。このあたりも一大工業地帯であたり一面工場です。ここは新しい埋め立て地で大川という人名から取られた地名がつけられたことでも有名です。ほかにも鶴見線には安善や浅野などおそらく人名から来ただろう駅名が多いです。国道なんて適当な駅名もあります。
これにてJR東日本に未乗路線はなくなり、JR北海道に続き完全乗車達成となりました。
ここからは赤羽まで向かい、埼京線に乗り込みました。
㉒埼京線(武蔵浦和~大宮)
埼京線の快速電車で大宮を目指します。昨日中断した武蔵浦和を過ぎたところで再び最長切符のルートに復帰します。先ほど述べた新幹線並走区間を進み大宮に到着です。
㉓上越新幹線(大宮~熊谷)
大宮から熊谷までは高崎線より新幹線の方が距離が長くなる逆転現象が起きています。通常この類の現象は、ほとんど同じ距離になることが多いですが、この区間は明確に距離の差が出ます。上越新幹線が大宮から東北新幹線と分岐しているのですが、急カーブできず緩やかなカーブになっていることがその原因です。
意図せずMaxときに乗れました。あまりこの列車に思い出はないですが、最後の二階建て車両として記録しておくにはいい機会でした。
天気は良くないですが顔です。
側面は本当に壁みたいです。ぬりかべというあだ名がつくのも納得。
10分ほどの乗車で熊谷まで着き、在来線に乗り換えます。
㉔高崎線(熊谷~倉賀野)
ここまで来て気づく方も多いと思いますが、上野東京ラインや湘南新宿ラインは運行系統の名前であり、路線の正式名称ではありません。例えば上野東京ラインの宇都宮発小田原行きであれば、東北本線と東海道線を直通しているだけに過ぎないのです。今回乗る列車も東京方面から来た列車で上野東京ラインという案内でした。高崎線では割と高崎線での案内が多いですが、系統で呼ばれることも多いです。
ある途中駅で下車し写真を撮ります。
こんな感じの駅舎です。みなさんは何駅かわかりますか?
この東京駅そっくりの駅舎は深谷駅の駅舎です。東京駅はオランダのアムステルダム中央駅をモデルにしたと言われ、酷似したデザインになっていますが、こちらもそれと似たような駅舎です。
特急も通過するようなところで草津温泉にへのアクセス列車として知られる草津号です。深谷はレンガの名産地として知られており、そのため名産のレンガを使用した駅舎になり、このようなデザインになりました。
深谷は渋沢栄一の故郷としても知られています。関係ないけどこの地図めっちゃドイツに似てませんか?深谷市ドイツ説
こんなのもあったので自撮り。顔が死んでますが別に恋人の聖地とかではありません。
ホームに戻り引き続き撮影します。天気が悪いですが一応編成の写真も撮りました。
縦の構図も結構カッコイイです。233の湘南色も結構好きです。
この辺りは列車本数が多く撮り放題状態です。
新旧の共演です。この列車に乗り込み倉賀野まで行きました。
㉕八高線(倉賀野~拝島)
ここからはノンストップで指定ルートをこなしていきます。中編は解説もほどほどに淡々と乗って行きます。
まずは八高線にて南下します。高崎によって釜めし買おうと思いましたが、この前も食ったのでやめました。
八高線は高麗川で電化と非電化が分かれていて。以北はローカル感が強いです。いつもこの区間は寝ている気がします。
そんなところを一時間半すすむと高麗川に到着です。
ここからは電車に乗り換え八王子方面に進んでいきます。
最長ルートの都合で八王子まではいかず、途中の拝島で乗り換えます。
㉖青梅線(拝島~立川)
ここからは青梅線に乗って行きます。拝島周辺は横田基地があるので鉄道もそれに合わせて作られています。立川までは数駅で到着です。
㉗南武線(立川~武蔵小杉)
前回の中央線は西国分寺で乗換だったため、立川を経由するルートが組めています。南武線では快速で30分をかけ武蔵小杉まで行きます。結構ササっと行ってしまいますね。
武蔵小杉は南武線と横須賀線のホームがかなり遠いことで知られていて、乗り換えにいつも時間がかかります。でも乗り換えさしてくれるだけありがたいなと思いながら小走りで乗り換えます。
㉘横須賀線(武蔵小杉~品川)
東京を縦横無尽に動きルートをこなしていきます。武蔵小杉からは再び北上して品川です。横須賀線から東京方面へは短絡線によって路線が形成されていますが、運賃計算上は大崎を経由したことになっています。大回りの時は気を付けましょう。
㉙東海道線(品川~川崎)
実際乗ったのは京浜東北線なのでどっちで表記しようか迷いましたが、東海道線が両方とも停車することもあってこっちの表記にしました。京浜東北線では15分ほどで川崎に到着しました。
㉚南武線(川崎~尻手~浜川崎)
再び南武線に乗り換えます。尻手まで戻ったところで、今度は南武線の支線である浜川崎支線に乗って浜川崎へと行きます。
㉛鶴見線(浜川崎~鶴見)
朝と重複する区間ではありますが、途中の浜川崎から乗って行きます。本当はこの時に訪れるのがスマートでしたが、運行時間の関係上不可能でした。
㉜東海道線、根岸線(鶴見~横浜~大船)
ちょっと難しい書き方をしましたが、簡単に行ってしまうと京浜東北根岸線です。この列車に40分揺られ大船へと行きます。
㉝東海道線(大船~国府津)
お次は正真正銘の東海道線に乗って国府津を目指します。本日は盛りだくさんです。
㉞御殿場線(国府津~沼津)
昔は東海道線の本線であった御殿場線にのって沼津を目指します。丹那トンネルいうトンネルが開通したことにより、本線から御殿場線として分離されました。
ここでトラブルが発生しました。雨量規制によりこれから乗るはずの身延線ふじかわ号の運休が発表されました。この時点で今日中に帰ることは不可能になりました。しかしなるべく行程を消化するため先を行きます。それ以外の列車も動くのか不透明なまま御殿場線を乗って行くこととなりました。
第19県目:静岡県
㉟東海道線(沼津~富士)
ちょっと静岡県に入ったところで20分ほど東海道線を西に進みます。この車内でも策をいろいろ練ろうと考えましたが、結局は不可能でした。
㊱身延線(富士~甲府)
富士でしばらく待つこととなりましたが、普通列車は運行することになりましたので乗って行きます。最長ルートをミスなくこなすことを目標としていましたので、普通による放棄区間が発生しなくてホッとしました。徐行運転なども織り交ぜながらやっとのことで甲府に到着しました。
第20県目:山梨県
史上最短の紹介で次の県まで来ました。静岡は後日ゆっくり紹介します。
本日は甲府から身動きがとれませんですのでここで宿泊です。この旅行では山梨パートはここしかないのですが今度違う記事でたっぷり紹介しています。個人的ですが山梨も相当行っている場所に入ります。
テントはおいてきてしまったのでやむを得ず安いカラオケにしました。
もうやけくそになって歌いました。一応言っておきますが、モンスターはばえ目的で入れたので室内では飲んでいません。
本当はここから東京に帰り中編が終了だったのですが、帰るのが翌日になってしまいました。甲府で中編を終了するわけにいかないので少しその後の行程を紹介します。
翌日の朝信玄餅を買い中央線に乗り込みました。
㊲中央線(甲府~八王子)
八王子までが中央線の指定ルートになっているところです。武田信玄になぞらえたお菓子で山梨県の名産です。山梨といえばこれです。山梨県はこれで終了なので信玄餅について何十行かけて紹介しようと思いましたがやめました。信玄餅を食っていると東京につきました!!!
これにて中編は終わりです。長くなりましたが、後編はきっちり書いていくのでよろしくお願いします。