鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

日本一周旅行前編⑬

 

8/3

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本日の移動予告です。ついに関東へと入っていきます。

 

本日は快活クラブからのスタートなのですが、富山での撮影の本命は路面電車だと決めていたので朝早くに出発します。

乗らなければならないJRまでの時間がそれほどなかったので始発から撮影する必要がありました。そうなると路面電車にのっていくことはできないので歩いてい撮影地を目指す必要があります。時間だと一時間弱、距離にすると4.3kmを歩く必要がありました。

四時台に快活を出発し富山の中心市街を目指し歩きます。神通川にかかっている橋の撮影地を目指し、ようやく現地に到着したところで丁度列車が来ました。

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かなり良い光線で電車が来ました。しかし私が撮りたかったショットは立山と電車を絡められる逆側の構図だったのでした。

f:id:Banksisland404:20220119031315j:plainもう完全に逆光です。うっすら見えているのが山々です。逆光の風景画になるとこうも写らないのかと学習するいい機会でした。このために一時間もわざわざ端まで歩いてきたのにと思いましたが、逆光なのは撮影地を決めたときからわかっていたので、実際は曇りを願っていたのですがバリ晴れという結果でした。これもいい勉強だと思い、試行錯誤しながら一応一通り撮っていきます。

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これなんか雰囲気はいいんですけど面が完全に影っています。

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わざわざ端まで来たという感情を捨て後ろを振り返って撮ると光線はいい感じになりますがあとは構図勝負です。

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結局登ってくるショットが一番マシかなという感じになりました。路面電車を撮るのは試行錯誤が手軽にできるのでやっぱり楽しいですね。これを撮り終えると最寄りの電停から電車に乗って富山駅に向かいました。

 

北陸新幹線(富山~高崎)

富山からは新幹線にて一気に関東まで抜けていきます。途中の長野から最長切符の指定ルートに復帰するので、その分の切符を補充することになりました。北陸新幹線長野新幹線以西の区間は滅多に乗らないので、少し興奮気味で写真を撮りました。

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この辺りの北陸新幹線は架線の周波数が50と60で別れていることで知られています。長野県が60、新潟が50であるためにこのルートでは境目を三回通らなければならず、三つの大きな変電施設と車両への細工にてその事情をクリアしています。

新幹線のルートを見ていただければわかるのですが、長野から富山までは直線的ではなく、新潟側に膨らむような曲線的なルートをしています。直線ルートも検討されたようなのですが、日本アルプスの山を貫通するのが困難だという理由から断念されました。技術的可能ならば新潟県も通らずに済むし、白馬などのリゾート地も通れる直線ルートが間違えなく採用されたと思います。今の土木技術でも安全面に不安が出てしまうというのは驚きである反面、事情は違えど日本アルプスを貫通しようとしているリニアは相当大変なことをしているのだなと分かります。これには北陸新幹線は国が主導でやっているのに対し、リニアはJRが主導で進めているという点も考えられます。リニアに関して話したいことはたくさんありますが、今回は現状や過去の路線の解説をメインにやっていきます。少しそれとは関係していますが、北陸新幹線が全通すれば東京大阪間の迂回ルートとしても一応使えるようになります。JR東海としては迂回ルートですら自社の路線で形成してしまい、東海道新幹線の老朽化に備えたいという思惑上がります。それもリニアを自社で完成させたい原因の一つになっています。そもそも東海は国の新幹線関与に対してアレルギーがあるのではないでしょうか。それでも事業規模を見ると頼らざるを得ないですが、車両の技術などもなるべく拡散させないようにしたいという裏事情もあると思います。e2系の技術は中国に提供されたのかパクられたのかわかりませんが、そっくりな車両が走っていることで有名です。

先ほどもちらっと出ましたが、この路線は国が主導する整備新幹線の枠組みで建設されたものなので、最高速度が260km/hに制限されています。なので東京大阪間のバイパスに使うにしても、かなり時間がかかってしまい現実的ではありません。東海道新幹線の285km/hと近いように見えますが、こちらは距離が短いので全く比較になりません。しかしフル規格新幹線の効果は絶大で、金沢から東京までを二時間半で結んでしまいます。今回乗るのは北陸新幹線の再速達列車であるかがやきです。

列車は富山をでるとみるみるうちに加速していき、昨日通った糸魚川や飯山など颯爽と通過していきます。途中の黒部宇奈月温泉まではちらほら富山の街並みを見ることができますが、そこからは本格的にトンネルに入っていき、駅付近でしか風景を見られないような感じです。

46分間の乗車で長野に到着しました。途中駅なしでおそるべし速達性です。ただ今回は高崎で下車する関係でここで乗り換えが必要になりました。速達タイプの停車駅の少なさには驚かされます。

ここからは長野始発のあさまで高崎を目指します。あさまは長野新幹線を各駅で走っていきます。北陸は西日本の管轄であるがゆえに、北陸へ向かう新幹線と別の属性を持ち、区間列車が設定されているのは面白いですね。長野からは信越本線とほぼ同じようなルートで高崎を目指していきます。いかにも信越新幹線といったような感じです。と途中の碓氷峠を超える区間も、真っすぐに山を越えることはせず、一番勾配がきつい箇所を迂回するような形で高崎に向かっていきます。

高崎の直前で大きく南にカーブすると同時に上越新幹線が合流し高崎に到着です。

 

第12県目:群馬県

 

今回はせっかく新幹線ホームに入ったので、新幹線の写真を撮って行こうと思います。

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まずは北陸新幹線です。日が当たっていませんがスッキリした構図です。

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お次は上越新幹線で来ました。e2系です。

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斜めってしまったのか勾配なのかわかりませんが順光の一枚。日が当たり過ぎて陽炎になってしまってますが夏らしい一枚。

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この列車は今いるホームに侵入してきまして、スナップ写真も撮ることできます。夏休みらしいショットです。

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噂のe4系が対向ホームに来ました。今回本当はこれを撮影したかったのですが、時間的に厳しかったです。また今度にしようと思いましたが、間に合わず引退してしまいました。時間をとって撮っておけばよかったなと少し後悔しています。

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後追いも微妙な感じです。結果的にこれがe4系を見るのは最後の機会になってしまいました。

 

撮影を終えたら駅中で峠の釜めしを調達し、次の列車に乗ります。

 

上越新幹線(高崎~越後湯沢)

次乗るのも新幹線です。高崎から越後湯沢まで新幹線と在来線が交わる駅がないため、この区間が最長経路に盛り込まれています。越後湯沢はつい先日ガーラ湯沢攻略のために行った場所でもあります。その時はe4系に乗ることができました。

上越新幹線我田引鉄の究極形ともとれる路線で、田中角栄の出身地である新潟がターミナルとなっています。この田中角栄は鉄道史にとっても重要となる人物で、国土開発計画の基盤を作った人でもあります。その反面、その計画に時代が追い付かず、国鉄は多くのローカル線から赤字を垂れ流し結果的に破綻ともとれる民営化を行います。この人物はなかなかに鋭い思想で天才とよばれたり、全く真逆のことを言われることもあります。結局スキャンダルにより総理大臣をやめることになり、その思想がいかんなく発揮されたとは言えません。しかし今になっても整備新幹線という国主導の国土開発計画があることや、民営での鉄道運営が限界に達している四国や北海道を見るとこの人の意見についても、勉強する必要があるなと思います。

少し話がそれてしまいましたが、こんなことを考えているうちに上越国境ともいわれている谷川岳をトンネルで貫通し越後湯沢に到着しました。さきほどのガーラ湯沢へ向かう路線はここから分岐しており、在来線扱いではありますが新幹線の路線がそのまま分岐して向かっていきます。ガーラ湯沢とはJRが運営しているスキー場の名前で、駅を出ると目の前にスキー場の施設が広がっています。この路線はスキー場の運営に合わせて列車が運行されているので、夏になる前に乗っておく必要がありこの旅とは別に乗車を済ませておきました。

その時に駅併設の温泉にはいったりと観光は済ませていたので、今回特別観光はしませんでしたが、新潟のお米を使ったばくだんおのぎりというどでかいおにぎりを購入しておきました。

 

上越線(越後湯沢~新前橋)

湯沢でも滞在もほどほどに在来線にて再び上越国境を越えていきます。この辺りの在来線は本数がかなり少ないことで有名で、一日に片手で数えられるほどしか列車がきません。これから乗る上り線は途中ループ線にて勾配を登っていくことでしられていて、下り線は深い地下を通っていて土合駅は長い階段を地上までのばらねれけばならないことで有名です。また川端康成の小説のワンフレーズ「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」はこの辺りのトンネルの事です。トンネルばかりの新幹線とは違い雪国の車窓をゆっくり楽しむことができる路線です。

新幹線とじょぼ同じ場所を通っていくのですが、この路線が並行在来線とならなかったのは、整備新幹線のスキームができる前に上越新幹線が完成したからです。田中角栄は偉大(小並感)

今回の乗車は夏ですので全く雪を感じることなく峠を越えていきます。途中ループ線など見えるか見えないかと外を見ることもありましたが、この辺は乗りなれている区間でゆったりした気持ちで乗車しました。水上まで来るともう関東だなという感じで改めて帰ってきたことを実感します。まだ終わりではないのですが、振り返ってみてもここまで本当に長い旅でした。

水上からは利根川沿いに南下していきます。途中渋川で草津温泉の方からくる路線と合流しまして先を進んでいきます。あちらの路線は東京と草津温泉を結ぶ特急なども走っていて盛んなところです。

群馬の街並みに入ってくると両毛線と合流し、新前橋に到着です。今回は高崎まで行かずにここで下車し両毛線に乗って行きます。

 

乗り換えに時間があったので、先ほどのばくだんおにぎりを頂きました。

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少し早いですが、栃木の名産物があったのでそれも買いました。

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この時期に栃木フェアをやっていたのか、全国区になったのかわかりませんがレモン牛乳を各地で見かけました。次は栃木編になるので少し早めではありますが、気分を味わっておきました。

 

両毛線(新前橋~小山)

51からは○の数字がなくなってしまうのでこの表示になります。もう少しで前半終わるので耐えてほしかったですけれども仕方なしです。

ここからは両毛線に乗って栃木県を目指していきます。両毛線はもともとこの地域の生糸や綿製品を運搬するのに作られた路線で、最初は両毛鉄道という会社が敷いた路線でした。両毛鉄道は利根川を渡れず、利根川に東側にターミナルを有していました。しかし日本鉄道が有していた路線が利根川の西まで来ていたため、日本鉄道がそれを延伸する形で両路線が繋がることとなりました。その影響で現在でも上野東京ラインが前橋まで乗り入れているという説もあります。その後、全線の日本鉄道化などを経て国有化され、前橋駅のさらに西にある高崎から小山までが両毛線となりました。そして上越線が新前橋から建設された際に一時は重複区間とされていましたが、両毛線が短縮される形で一応新前橋が終点にような形になりました。しかし現在でも両毛線の列車はほとんどが高崎まで乗り入れいていますので一体的な運行となっています。このようにこの辺りの鉄道は高崎を中心に路線網が広がっているので、鉄道マニアの方は群馬県の県庁所在地は高崎だと思いがちです。しかし実際は前橋が県庁になっています。以前高崎が県庁所在地だったこともあるみたいですが、移転したそうです。

列車は新前橋を出るとすぐに利根川を渡った後、前橋に到着です。一応高崎線の列車がここまで乗り入れているらしいですが、あまり見たことがありません。

前橋からはぐねぐねと主要都市を経由しながら小山に向かっていきます。

まずは南東に進み東武伊勢崎線の終点になっている伊勢崎を通ります。お次は北東に進みこちらも東武桐生線の終点が近い桐生です。桐生にはわたらせ渓谷鉄道も来ており、そこそこ大きなターミナルとなっています。この前橋から桐生の間を直線的に進む上毛鉄道という路線もあり、そちらは直線的なルートなのですが街中をずっと通るため所要時間で大きな差はないと思います。桐生からは再び南東にルートを取り足利市を通り東武佐野線と交差する佐野です。佐野からは北東に進み東武日光線と交差する栃木に到着です。こう見ると東武は北関東いっぱいに路線網を持っていてすごいですね。両毛線はここで南東に進路を変え二駅先の小山を目指すのですが、ここで一旦話題に出た東武に乗り換え写真を撮りに行きます。

 

第13県目:栃木県

日光線で一駅の大平下まで行きます。

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まずはリバティが来ました。先ほどまで晴れていたのに何故か曇ってしまいました。

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次に普通列車です。上りの普通列車はほとんど南栗橋で折り返しみたいです。

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次に日光号が来ました。日光号は東武線から栗橋でJRに乗り入れ新宿まで走る、私鉄とJRの友好の証みたいな列車です。JRも独自に日光へ向かう路線があるので、この列車は鉄道業界一丸となって他の交通機関と闘おうという意図が垣間見えます。

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お次はスペーシアです。この列車は結構都心でも見慣れている列車で、浅草らへんに行くと結構走っています。

短時間ですが特急を多く撮れて満足でした。

 

ここからは再び栃木駅まで戻り両毛線にて小山に向かいました。

 

東北本線(小山~宇都宮)

何日かぶり東北本線に乗り宇都宮に向かいます。本日は夕方に宇都宮で友人と合流する予定があり、前半のゴールとして設定されました。

ここまでくると本当にいつもの列車が来ました。都心でもよく見る列車がやってきて、5駅間を30分ほどかけて進みます。とはいっても列車は結構速度を出して進むので、駅間が比較的長いことが原因です。この辺りの東北本線は直線的な線形をしていまして、東北新幹線がほとんどの区間並行して走っているのを見ることができます。右手を見ると終始新幹線の橋脚がありました。新幹線と一瞬離れたと思ったら、市街に突入しゴールの宇都宮に到着です。

 

ここからは新幹線にて東京へと向かいました。

 

これにて前半の行程が全て終了しました。記事を書くのに相当かかってしまいましたが、後半はもっとかかってしまうかなと思います。なるべく早く簡潔できるよう頑張ります。後半は日程に余裕をもって動けるとおもうのでご期待ください。ご閲覧ありがとうございました。

日本一周旅行前編⑫

 

8/2

本日はテントからのスタートです。

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明るくなったらこんなとこにテントを張っていたことが判明しました。蚊がすごい。

早く起きてしまって、海がすぐそこで小高い展望台があったので行ってみました。

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ちょうど日が昇ってきたのが見えて思わぬ絶景を見れました。日本海側なので本来なら角度的に見えないんですけど、この若干湾になっている部分では陸の方に綺麗に太陽を見ることができました。

 

思わぬ景色を後にし駅まで少し歩いて向かいます。

 

大糸線(糸魚川~松本)

6時ちょうど発の南小谷行きの列車に乗ります。JR西の区間になっていまして少し不自然さがあります。大糸線はこの先白馬や信濃大町などそこそこ需要のある町を通るのですが、そのあたりは全てJR東の管轄となっています。何故か南小谷から先の不採算区間だけがJR西の管轄になり、あとは東になりました。このままの状況では正直南小谷から先はなくなってもおかしくないんですが、なんとか糸魚川連絡の役割を維持しています。信濃大町糸魚川を結ぶことから大糸線なのですが、JRの二つの地名を冠す路線はだいたいの場合音読みをすることが多く、大糸線米坂線のみ音読みの路線となっています。

列車が発車するとまずは姫川沿いに八駅を一時間半かけて進み、南小谷に到着です。以前逆側から大糸線に来た時、ここの乗り換えで雪国に来たなと感じたのを覚えています。

ここからはJR東の電車に乗って先を進みます。ここからの区間が電化されていることで、ここからの区間の重要性がわかります。右手にいかにもスキー場のような山肌を見ながら数駅進むと白馬に到着です。ここはリゾート地として栄えており、定期的列車でもあずさが来ることろです。オンシーズンには臨時列車も運行されます。白馬を出てもスキー場やキャンプ場が多くありますが、徐々に並行していた姫川が細くなっていきやがてどっかに逸れていってしまいます。逸れたと思ったら湖が見えてきます。ここから先はいくつか湖のそばを通るのですが、そこもリゾート化されているので面白いです。車窓から確認できたのは僅かだったとは思います。そんな区間を各駅に止まりながら進んでいくと一時間程度で信濃大町に到着です。自ら大きな町と言っているだけあり、この辺りでも有数の町です。この町にの西側にある山々の方は立山黒部アルペンルートを形成する部分にもなっておりまして、長野県の広大さが見て取れるようなところです。すぐそこが富山県だというのは少し想像しずらい感じもします。本来ならばここでそちらの方面に行きたかったのですが、しばらくは切符の指示通り進むことにします。

大町からは高瀬川の隣を松本まで行くことになります。このあたりは沿線に町が絶えないような区間でありまして、列車輸送の適性があると言えます。松本に近づくにつれて徐々にその町が大きくなってきます。しばらく行くと左手から長野方面から来た篠ノ井線と合流します。その後大糸線側だけにホームのある北松本に停まった後、松本に到着です。この路線は周りが観光地だらけなことと臨時列車も度々走っているので、またお世話になるだろうなと思います。

 

松本では一旦改札を出て松本城を見物しに行きます。

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時間的に城の中には入れませんでしたが、適度な雲と青空、それと城が水面に写っていてなかなかよい写真が撮れたと思います。これだけでも松本に結構満足しました。

ここから駅前の蕎麦屋まで歩きまして蕎麦を食います。

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長野と言ったらそばです。イイダヤというお店老舗の蕎麦屋がやっている店でいただきました。この店は安いのに信州の上質な蕎麦を食べることができるのでお勧めです。この辺りの名物でもある山賊焼きもあるのでそちらもオススメです。松本に来ると毎回ここで蕎麦を食べるのですが、この値段でこの蕎麦を食べてしまうと東京で蕎麦を食った時に違和感すら覚えます。そのくらいうまい店だと思います。皆さんも松本に行った際は是非行ってみてください。そもそもこの辺の蕎麦屋のレベルが軒並み高いのかもしれないということも一応言っておきます。

 

長野県には中央線でしょっちゅう訪れているので今回の長野観光はこのくらいにしておいて先に進みます。

 

篠ノ井線信越本線(松本~篠ノ井~長野)

ここからは篠ノ井線普通列車にて長野へと向かっていきます。篠ノ井線信越本線と大変つながりが深い路線ですし、今回の乗車区間にも含まれているので併せて説明します。篠ノ井線は当時先に完成していた信越本線と建設途中だった中央線本線、主に中央東線との連絡を目的に作られた路線です。当初は中央東線の本線として配属されましたが、中央本線塩尻から西に延伸するとそちらが本線になり篠ノ井線は中央線の支線的扱いになりました。その後篠ノ井線として一つの独立した路線となりました。しかしその後も中央線の東西両方向からの直通列車があるなど、中央線の支線的な役割を大いに果たしています。関東の方はあずさが走っているので、特に中央線が松本終点だと思われがちですが、実は塩尻から篠ノ井線が始まっています。そして西側のワイドビューしなのの場合、篠ノ井から先は信越本線へと路線が変わっていますが、現在は信越本線篠ノ井以南の区間は別路線へと置き換わったので、路線の形態的にはずっと続いている一つの路線に見えます。しかし旧信越本線であるしなの鉄道線篠ノ井からは信越本線乗り入れしっかりその役割を果たしています。これまで長々と信越本線がなくなったかのように書いてきましたが、実態はほとんどの区間が三セク移管されて今も運行されています。しかし横川~軽井沢の峠越えの区間のみですが、廃止区間となっています。鉄道というインフラの都合上、一か所が不通になってしまうと大きな輸送の妨げになるので、事実上この路線は都市間輸送の役割を終えたということもできます。しかし現代においては旅客輸送の面ならば、平行している道路でのバス輸送などで補完することもできるので完全に役割を終えたとも言い難いです。しかし貨物輸送など物資の大量輸送の面で見るとこれは致命的で、この区間廃止によって不可能になりました。もともとは日本海側の物資を東京へ運ぶ資材運搬線として建設された路線なだけに、今は地域輸送で余生を過ごしているように見えます。しかし当のしなの鉄道は新車両も導入するくらいで結構活発です。今一度鉄道の在り方に注目して勉強してみるのも面白いと思います。

前回の記事と同じことを書いてしまった部分もあるかもしれませんが、補足の情報として書いておきました。

そんなこんなでまずは篠ノ井線です。この路線はほとんどがトンネル区間になっていますが、途中で日本三大車窓にもなっている姥捨の山際を走ります。私はこの区間に何度も乗車しているので、特に写真を撮ることはしなかったのですが、今思うと記録用にとっておけばよかったなと思います。

姥捨の山際を徐々に下っていくとそのうちしなの鉄道線が左手から合流してきて篠ノ井に到着です。篠ノ井からはこの篠ノ井線しなの鉄道線双方とも信越本線に乗り入れ長野まで進んでいきます。この辺は駅数のわりに時間がかかるようなところになっていますが、普通列車だと一時間半弱、特急だと50分ほどで走破します。長野からは北陸新幹線並行在来線として分離された信越本線のもう一つの区間である、しなの鉄道北しなの線直江津まで出ています。事実上篠ノ井線信越本線のターミナルは長野が代表みたいになっています。しかし地図をよく見ると軽井沢から直江津までの信越本線が全体で三セクに移管されず、長野から篠ノ井だけ取り残されているのに違和感を覚えるのではないでしょうか。普通に考えればここも移管するのが当たり前のような気がしますが、並行在来線の定義は微妙でJRが欲しがる部分は分離しないのが基本です。篠ノ井線からの信越本線というルートをJRが持っているために自己都合で儲からない区間だけを分離したように見えます。これはしなの鉄道もわかっており、ここの区間を移管してほしいと協議したこともありました。しかしこの区間は先ほど述べたように篠ノ井線経由で貨物列車や特急列車がバンバン乗り入れてくる区間であり、他の区間とは少し違うような管理が求められるみたいです。そうなると三セクにここを移管した場合に特急や貨物の線路使用料を計算に入れたとしても赤字になってしまうという試算がなされ、現状が一番ということになったみたいです。マニア的にはここも三セクにして軽井沢から直江津までの信越本線の再統一を見てみたいですし、観光列車なども増えるだろうと思いますがこの話を聞くとあり得ないなと再認識します。

 

切符の指定ルートでは長野からは北陸新幹線にて高崎に向かう指示なのですが、今回は補完計画で乗車しなかった中でも長い区間である部分を乗りに行きます。

 

長野駅東口のバス停から出る13時発のバスに乗ります。あまり長野駅周辺をちゃんと観光したことがないので、善行寺など行ってみたかったのですがそれは長電をまた乗りに来た時にしようかなと思い今回はパスしました。

 

今回乗るバスはアルピコ交通の特急バスです。このバスは長野から信濃大町を経由して立山黒部アルペンルートの玄関口である扇沢までを結んでいます。先ほどとった信濃大町に戻り富山に行こうという算段です。切符の指定ルートや日程を熟考した末にこのパターンが一番効率が良いという結論に至りました。地図で見てもらうとわかるのですが、松本で折り返すように路線を乗り継いでいるので、長野と信濃大町はそれほど遠くないことがわかります。一時間弱はしると途中信濃大町を経由して山の中に入っていきます。再び一時間弱ほど走ると扇沢に到着です。途中土砂崩れによる片側交互通行がありましたが、大きな遅れなく到着しました。ここから再びバスに乗り継ぎます。

 

お次は少し前まで日本で唯一トロリーバスが走っていた区間である関電トンネル電気バスに乗ります。トロリーバスというのは架線から電気をもらい走るバスのことで、運転には一応鉄道関連の資格が必要らしいのですが、ほとんどバスです。しかし現在は充電式のバスに置き換わったみたですが、充電は架線で行っていましたのでその名残を感じました。そんなバスでトンネルを15分ほど進み続けると終点の黒部ダムにつくのですが、このトンネルがなんとも男心をくすぐるような通路になっていまして、途中で何個も分かれ道やバスどうしの行き違い施設などありました。実際対向バスの対比を何度か行いました。この通路を利用して資材運搬をおこなっている風景を考えると胸アツです。終点のバス停からは少し歩くと突然開けた場所にでてダムが現れます。四方を山に囲まれていて非常に景色がよいです。

 

第11県目:富山県

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曇り空でしたが自撮りです。レストハウスなどもあったのですが、今回の乗車ではアルペンルートの終電を利用しているので、次の乗り換えに乗り遅れるわけにいかずゆっくり見ることはせず先を急ぎました。

乗換と呼ぶには少々遠いようなところですが、再び山を貫くトンネルを少し歩きケーブルカーの黒部湖駅に向かいました。

 

この辺りはガチ登山客がちらほらいるようなところで、実際に外国人の登山用のピックを持った兄貴が一名乗っていました。このケーブルカーは五分ほどで終点の黒部平に到着します。動画を撮るために他のお客さんの下車を少し待っていると先ほどの外国人の登山兄貴がここは室堂かと英語で聞いてきたので、室堂へはここから乗り換えが必要だと案内すると微妙なリアクションでしたが理解した様子で先に向かっていきました。私も動画をほどほどにして登山兄貴がちゃんと乗り換えできるか見守ります。今思うと室堂へ私も行くので一緒に行ってあげればよかったですが、下手にいろいろ教えなくても係員が結構丁寧にそこらじゅうで案内していたので大丈夫だろうなと思いました。

 

黒部平からはロープウェイで先に進みます。山間を乗り継いで進んでいく感じは箱根に似ているなと思いましたが、こちらは温泉地ではなくダムがメインであることがマニアックな雰囲気を醸し出しています。このロープウェイは結構景色がよく、登山兄貴もGoProで動画や写真を撮っていました。10分弱で終着の大観峰につきます。ここはアルペンルートの中でもかなり高い場所で景色が非常に良い場所です。しかし乗り換えの都合上、素通りして先を急ぎます。

 

ロープウェイの駅から歩いて再び地下に潜っていくと立山トンネルトロリーバスの駅がありました。関電トンネルトロリーバスが唯一のトロリーバスだと聞いていたのですが、目の前にもあります。トロリーバスが全廃されたような話だったのですが、まだ生き残っているではありませんか。アルペンルートが唯一のトロリーバスが運行されている場所というだけで、聞き間違いだったのでしょうか。ちょっとわかりませんが立山トンネルトロリーバスにて10分ほど進みます。しっかり登山兄貴が乗っていることも確認しました。しばらく迷路のようになっているトンネルを進むと終点の室堂に到着しました。

 

室堂は登山の拠点になるような場所でもありまして、ホテルなどもたくさんあるところです。バスの切符売り場も屋上に出られるようになっていたり、大きな施設です。登山兄貴も無事に知人と合流できたようで何よりです。ここでやっと20分ほどの時間があったので、切符を買って後売店でダムが書かれたマグネットを買いました。まだ時間があったので屋上に行ってみると外に出られるようになっていたので、あるって見て写真を撮りました。

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ここまでくるとここに泊まるか富山に帰るであろう一般客もちらほらいました。これは登山道に続く道でしょうか。

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あたり一面山に囲まれていてなんだかスイスに来たような感じです。

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曇は多めでしたが、雰囲気はよかったです。もうちょっと湖の側でも写真を撮っておけばよかったですね。ここまで来てしまうとトンネルで山をまるまる一つ越えたので湖は一ミリも見えませんでした。

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折角なのでiphoneの機能でワイドに撮ってみましたが、投稿サイズの関係で切り取りました。立派な山々です。

 

ここからは立山高原登山バスにて50分ほどかけて美女平まで降りていきます。車内では冬場は雪の壁が数メートルになるとの紹介がビデオで流れていました。アナログテレビみたいな形をしていて昔からほとんど変わっていないみたいです。今は夏場なので雪はありませんでしたが、山を下るにつれ霧が立ち込めてきて景色がほとんど見えなくなりました。ここはゆっくり休んで下りきるのを待ちました。

終点の美女平に着いたとこで目が覚めました。このバスは途中駅がいくつかあったみたいですが、寝てる間に過ぎてしまいました。

 

ここからは再びケーブルカーによって立山駅を目指します。10分弱山の中を進んでいくと終点の立山駅に到着しました。この駅でようやく富山地方鉄道という普通鉄道に乗り換えることができます。

 

ここでまだ日が残っていたので写真を撮りに近くの撮影スポットまで歩きました。

列車を待つこと数十分するとようやくやって来ました。

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グリーンビュー立山という古風な温泉旅館と山々をバックに橋を渡る列車です。実はこれ後追いの形での撮影になっていまして、撮った後これに乗るために急いで駅に向かいました。時間的にしこまでタイトではなかったのですが、荷物が結構多めなのでちょっと小走りで丁度列車に間に合いました。

 

ぶっつけ本番でしたが、ぼちぼちの写真が撮れて満足しながら列車は富山の市街に向けて進んでいきます。ここからはブラックラーメンを食べに地鉄を乗り継いできます。

 

営業時間とブラックーラーメンに必須の白ご飯を提供している店を探すとおのずとラーメン大喜の本店にたどり着きました。西町という路面電車の駅が最寄で二回ほど列車を乗り継ぎ到着しました。

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有名人のサインが飾ってありその知名度がわかります。

食券を購入するのですが、閉店間際に来てしまったせいか白ご飯が売り切れでした。これは富山に一つリベンジ要素を残すことになったなと思いました。

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待っていると漆黒のラーメンが来ました。もともとブラックラーメンはパワーの必要な労働者のために濃い味付けがなされているようで、これを食べて明日も頑張ろうと思い食べました。ブラックラーメンというと塩っ辛いというイメージだと思います。実際そうなのですが、ここのお店は分かりかし食べやすいことで有名で白ご飯がなくてもおいしくいただくことができました。

 

ラーメンを食べおり宿に向かうのですが、函館以来の路面電車が走っている町に来たのでどうせなら撮影でもしようかなと交差点の道端で写真を撮りました。

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いきなり新しい車両がいました。富山は路面電車が大成功していて、最近もJRを境に南北で分断されていた路線を結合する工事が完了したりと盛んな路線です。全国で都市交通のモデルされることも少なくありません。

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調子に乗って流し撮りしてみました。本数が多く練習にはもってこいです。

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これが一番よく止まったかなと思うショットです。長編成はまだまだ練習が必要でした。何やら黒塗りの高級電車も来ました。

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尻尾まで入りませんでしたがまぁまぁ止まっていると思います。

f:id:Banksisland404:20220119024533j:plain信号で止まることもあるので普通にバルブでもいいのですが普通にぶれてしまいました。

ここで長々と撮影していると女性の方から何を撮影しているのかと声をかけられました。こんな道端で撮って迷惑になってるのかと思いましたが、そうではなく路面電車を撮っている人は珍しく声をかけていただいたみたいです。そりゃこんな時間に列車を撮る人間はなかなかいないでしょうけれども、トラム鉄の方は珍しいみたいですね。日本一周中の話などすると感銘を受けたみたいでした。買い物帰りだったのでお子さんと姿を重ねたのかもしれません。今回の旅行のように目的のために体を張って少し無茶なくらいに動いていくことは学生のうちぐらいしかできませんから、その方からすれば私の姿は青春そのものだったのかもしれません。長々と話していると宗教の勧誘が寄ってきて話しかけてきました。二人して興味ないですとその勧誘を追い払ったのは思い返すと面白い場面でした。最初はその方すら宗教の勧誘だと思ったのですが、まさか本当に勧誘が来るとは思ってもいませんでした。あまりお時間を頂いても悪いので一通り話た後、お別れをてお互い別々の方向へと歩きだしました。

 

近くの路面電車の電停に来た電車に乗って南富山の駅まで行きました。

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南富山は路面電車のターミナルになっているので終電後の電車を見ることができました。

以前この近くの銭湯みたいなところで夜を明かした記憶が蘇りなつかしさに浸りながら快活クラブまで歩きました。徒歩15分ほどで着くのでわりかし近い部類に入りますが、路面電車は始発があまり早くないためどうしても富山駅付近に泊まりたくなりますが、今回は南富山で妥協しました。

 

富山をたっぷり満喫して一日を終えました。明日も少し富山を見てから先に進んでいきます。

日本一周旅行前編⑪

 

8/1

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移動のリザルトがあったので先に見せておきます。これを見るのと見ないとでは記事の分かり易さが段違いだと思うので、できれば見せていきたいところです。

 

本日は少し駅から藩れた快活クラブからのスタートです。5時前に出発してぼーっと歩きました。

 

磐越西線信越本線(会津若松~新津~新潟)

五時半始発の列車に乗り込み新潟を目指します。スイッチバック構造の会津若松を出ると数駅分北に進み喜多方ラーメンで有名な喜多方に到着です。この時間帯の列車は普通列車なのに喜多方までは快速のような運転をして駅を飛ばします。喜多方からは西に進路を変え山岳区間に入ります。線形も阿賀川に沿ってだいぶぐねぐねしてきました。このあたりでワイヤレスイヤホンの右耳をネットカフェに忘れて来たことに気づきました。当時はネットカフェという確証を持てず、電話するには至らなかったのですが、普通にすればよかったです。ネットカフェじゃないにしろ電話すればよかったなぁと思いますが何故かしませんでした。一応ワイレスイヤホンは二台持ちですし、有線イヤホンも持ってきていたので特段支障はありませんでしたが、未だに右耳だけ一個少ない状態で使用しています。そんなこんなで列車はどんどん進んでいきます。もうここらは新津までは大き目の町はありません。沿線風景は米坂線を思い出すような感じです。会津を出てから二時間半で新津に到着です。磐越西線はここまでなのですが、この列車は信越本線に乗り入れ新潟まで進みます。一応羽越本線は新津が起点になっていて終点と起点の合流地点ですが、お互いが乗り入れすることはなく、両方とも信越本線に乗り入れる形になっています。信越本線が短くなったこのご時世では信越本線といえばこの辺りに思い出しますね。新津からは20分ほど北に走りまして、最後は一大ターミナルに新潟の手前でカーブし終点につきました。

 

今回は切符の指示では新津で逆方面の信越本線に乗るのですが、撮影のためにここまで来ました。

 

白新線(新潟~東新潟)

新潟から白新線で一駅行き、お目当ての列車が来るまで撮影です。

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まずは二両が来ました。新潟の近郊と言えばこの模様です。

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お次は4両が来ました。少しバランスを考えなければならないなと思いました。後ろの貨物ターミナルが見えてるのも味があります。

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お目当ての列車が来ました。海里です。この列車は詳しくは羽越本線で解説しますが、古くなったきらきら羽越の代わりに登場した観光列車です。この見た目と電化非電化問わずどこでも走れるという特性が好きで乗ってみた車両でもあります。まずは撮影だけでもと白新線区間で待ち構えましたが、曇りでした。曇っていてもライトのかっこいい光方が目立ってよく感じました。車両がかっこよければ天候問わずいい撮影ができますね。

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後追いで東新潟を通過する列車を撮りました。本当はもっと一級の撮影地で撮りたかったのですが、時間の関係で今回の旅では不可能でした。またいつかご縁があるといいなと思っています。

この後は白新線にて新潟まで戻りました。

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新潟で時間があったので列車を撮ってみました。新潟はかなりおおきな駅で様々な列車が来ます。液晶で色付きの普通と行先ではなく信越線と書いてあるのが印象的です。この区間は近郊列車が多数あるのですが、新津に向かう列車はそれほど多くなく20分ほど待ちましてやっと発車です。先ほどと同じルートで新津まで戻りました。

 

新津では久しぶりの観光と行きます。

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市民センターでレンタサイクルを借り新津鉄道資料館へと向かいました。このレンタサイクルは確か100円か無料だったかかなり安く借りれました。多分無料だったと思います。自転車だとほんの数分で着くのでとても便利でオススメです。

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新津は昔から越後の一大ターミナルとして栄えており、その歴史的物たちが資料館に保存されています。これはおそらく上越新幹線を走った100系新幹線と機関車です。上越市幹線が新津を経由しなかった関係で、現在は衰退気味と書かれていましたが、今でもJR東の重要施設が付近にある関係でマニア的には重要な場所となっています。

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久しぶりの自撮りです。自販機の前で余裕のドヤ顔。詳しくは動画にて説明しようと思いますが、とても興味深い資料がたくさんありました。新津のみならず新潟や越後エリアとしての重要性がわかるような施設でした。

二時間足らずで見学を終え、再びチャリで新津駅まで戻した。新津付近にはこの資料館の関連施設が結構あって、グッズを変えたりここでもチャリを貸しているみたいです。

駅前のデイリーヤマザキで昼ごはんを買い、列車に乗り込みました。

 

信越本線(新津~長岡)

今回は信越本線の上り列車で南下していきます。先ほど述べたようにこの路線は新幹線の並行在来線となったことで一部区間第三セクターに移管されて短くなりました。それもあってこの旅でも柏崎までの区間しか乗らないので、ここで解説していきます。

信越本線は鉄道開業初期の中山道鉄道計画と深く関係している路線です。もともと東京と大阪を結ぶ鉄道は東海道線ではなく、中山道を行く鉄道にする計画でした。それは東海道は既に交通の便がまぁまぁよかったのに対し、中山道は酷かったので沿線の開発に対して期待値が大きかったことが一つ。それと東海道はどうしても海沿いになるので国防の観点でも中山道がいいと言われていました。それもあって官営の新橋から横浜に続いて民営の日本鉄道の最初の路線として上野から熊谷にて鉄道運行を始めました。そして時期に日本鉄道は前橋までの路線を開通させるのですが、高崎からは本格的に中仙道線を作るべく軽井沢までのトンネルを掘り始めました。しかし当初の官営鉄道の予算では中仙道線をつくることは不可能との結論が出てしまいました。技術的にも大変難工事になるとのことで、中仙道線はストップしました。しかし後にこの路線を活用し長野など経由し日本海側へのアクセス鉄道を建設しようという動きになります。そのころには国鉄も大分予算が増えており、路線網が様々なところに伸びていました。旧線も含めた信越本線の地図を見るとこの経緯が一目瞭然の線形をしているので改めてみてみると面白いです。

軽井沢からは川に沿って北上し、直江津日本海に出てそのまま海沿いに新潟まで行く路線として活躍していました。後に建設技術が向上し、信越本線が迂回するようになっていた谷川岳を貫く上越線が開業し、東京から新潟へのアクセス路線としてはそちらの路線が使われるようになりました。しかし長らく長野方面へのアクセス鉄道として使われており、碓氷峠には国鉄一勾配がキツい区間があることでも知られ、追加の機関車をつないぐ時間を活用して駅弁を売る文化が根付くなど鉄道の歴史に色濃く残る路線です。因みにその駅弁が有名な峠の釜めしです。そんな路線に今回の旅で少ししか乗ることができないのは少し寂しいです。現在は高崎から碓氷峠の手前の横川までと長野から篠ノ井線と接続する篠ノ井までのわずかな区間、そして直江津から柏崎を経由して新潟までの三つの区間に分断されてしまいました。残っている軽井沢から篠ノ井までの区間と長野から直江津までの区間しなの鉄道に移管されました。関係のないところまでだいぶ話してしまいましたが、結構好きな路線なので長々と書かせていただきました。中仙道線が実現していた場合など妄想してみると面白いです。

 

そんなこんなで新潟の田園風景を列車は進んでいきます。田園風景ですが近郊区間でもあり民家結構たくさんあります。そんなところを十数駅進んでいくと新幹線と交差している長岡に到着です。この長岡は宮内から乗り入れてくる上越線の終点でもありまして一大ジャンクションにもなっています。今乗ってきた区間も一歩間違ったら並行在来線になっていたんはないかと思うと震えますね。ならなかった理由は上越線のとこで一緒に紹介しようと思います。

 

上越新幹線(長岡~新潟)

長岡からは新幹線に戻り再び新潟に戻っていきます。地図で見るとジグザグのように移動することで最長ルートを形成しています。この区間は最長補完計画によりちょうど未乗の区間でうまく乗ることができました。さきほど在来線で見た形式と同じような田園風景を見ながら下っていきます。終点の新潟は上越新幹線のターミナルとなっておりまして、そのまま日本海沿いを北上していく特急いなほに楽に乗り換えられるような構造になっています。これは近年の新潟駅改修で改造され便利になった新潟駅の姿です。マニアのひいき目で見ても実現することがなさそうな羽越新幹線計画の代わりにはなりませんが、同じようなルートを通る特急いなほを便利にしようという動きはとても素晴らしいと思います。

在来線では一時間以上かかった区間を30分足らずで走破する新幹線は本当にすごいなと思います。

 

新潟では丁度2021年秋に上越新幹線でラストランを迎えるE4系のMaxのグッズが売っていたので買いました。

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ラストランスムージーと下敷きを買いました。二階建ての新幹線車両が全廃になるということで一つの時代の終りを感じます。廃車にならなければまだまだ活躍の道があると僕は思っているのでぜひとも動態で保存してほしいところです。

 

越後線(新潟~柏崎)

ここからは近郊ろローカル線である越後線に乗って行きます。矛盾していることを言っているようですが雰囲気そんな感じです。近郊ですがほとんど各駅停車しかないので結構時間がかかります。

この路線は一度乗り通してはいますが、空いていたので弁当を食べながら乗った思い出があります。本日は14時台の下校と重なっていいたこともあり、少し混んでいる状態で新潟を発車しました。おそらく先ほど乗った白新線の数駅先から来たであろう列車の乗り込み列車は住宅街を進んでいきます。

乗り降りなど結構盛んな区間もありながら数十駅を一時間ほどかけて進みこの列車の終点の吉田に到着しました。ここでビデオカメラのメモリーカードを買い足すために降りたんですがコンビニが結構遠くて困りましたが結局歩きました。本当に家しかないです。

急ぎ足で戻り柏崎行きの列車に乗り換えました。

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これから乗る列車はJKワイパーと呼ばれている列車です。これはテッシュの箱の色が非常に似ていてつかられたあだ名です。キムワイプもいたのですが、最近引退したみたいです。JKワイパーももう長くはないかもしれません。気になる人は検索してみてください。

吉田では弥彦線と接続していて、そちらは燕や三条に行く路線です。以前の記事に出てきていると思う出のそちらの方をご参照ください。

列車は一時間ほど海がちょうど見えないくらいの内陸をずっと走りまして終点の柏崎です。後半は空いていて結構ゆったり乗ることができました。車窓は特筆するべきものはまだ明るかったのですが特になかったです。強いて言えば徐々に沈んでいく夕日が見えましたがまだ空は赤く染まってはいませんでした。

 

信越本線(柏崎~宮内)

本日は新潟の栄えている鉄道を活かして遅くまで列車に乗って行きます。もうすでに五時を回っていますがまだまだです。先ほど紹介しました信越本線を今度は逆側から攻めまして上越線との乗換駅を目指します。越後線と打って変わって信越線のこの辺りは山岳区間に近いようなところです。40分ほどそこを進んでいくと宮内につきます。長岡の一つ手前の駅ちょうど上越線に乗り換えられるようになっています。

宮内は昔乗り換えの時にメガネのバンドを線路に落としてしまった駅です。昔はメガネにスポーツ用のバンドを常用でつけておりまして、その長さを調節しているところ誤って線路にバンドを落としてしまいました。駅員などに相談してもよかったのですが、旅程を優先しバンドを見捨てました。その記憶が蘇り同じ個所を確認してみるも当然それはありませんでした。強い雨風によってどっかにいったか何者かに回収されたかは全くわかりませんが、勝手に前者を想像して長い年月が経ったことを思い知らされました。

 

上越線(宮内~越後川口)

宮内からは上越線です。とはいっても飯山線に乗り換えるまでの20分ほどの乗車でメインの区間ではありません。末端の数駅を乗るだけですので解説は後にします。

列車は信濃川の川沿いを越後川口まで進みます。途中小千谷など水力発電で有名な場所など通りますが、飯山線とのつながりが深いのでその時に解説します。越後川口は文字通り川の口になっているところで、上越線はここで信濃川から分かれる魚野川に沿って行きます。一方これから乗る飯山線はこのまま信濃川沿いを行く路線です。

 

飯山線(越後川口~飯山)

観光路線としても知られている飯山線を進んでいくのですが、この時間帯はあまりいい列車がなく、飯山まで行くのに二回も乗り換えなければいけません。日中では通しの普通列車や観光需要もある快速おいこっとなど走っています。おいこっとはTOKYOを逆から読んだものでローカル線を快速で走る珍しい列車です。これは先ほども述べた水力発電に関連しています。小千谷にはJRが信濃川を利用して自前で発電している水力発電所があるのですが、その発電所が規定されている取水量以上の取水を長い間していたみたいです。その関係で信濃川の水の量が減り、漁師が廃業に追い込まれるなどあったそうですが、JRは適性な取水量とこの不正を隠蔽していました。しかしそれが明るみになってしまい、発電の許可が取り消されてしまいました。この発電所はJR東の約1/4もの電力を供給していたので、首都圏を含め列車を間引く事態にも発展しかけましたが、必死の火力発電と電力購入で間に合わせました。翌年までには地元の自治体との協議が行われ、発電が再開されました。この協議の中で生まれたのが先ほどのおいこっとだと言う説もあり、廃止したくてもできないという噂を聞いたことがあります。

そんな場所を30分ほど進むと終点の十日町に到着です。十日町では北越急行ほくほく線に乗り換えができるところです。北越急行は新幹線ができるまでははくたかなど走り東京からの需要もある越後湯沢から金沢方面の輸送を担っている三セクの中でも有数の黒字会社でした。しかし新幹線ができて特急が廃止になると一気に赤字に転落したみたいですが、それまでの貯金と投資によって赤字額を圧縮してるみたいです。そのおかげで観光列車の運行や現在でも地域に密着した列車の運行を可能にしています。ローカル線の中でもお手本になるような経営だなと感じます。当時の特急は160km運転の超特急だったのですが、現在でも観光向けの快速列車が高速で走る様子が確認できます。この路線は直江津から犀潟信越本線と分岐し、十日町を経由し魚沼地区である上越線の六日町を結んでいますが、今回は乗ることはできません。

十日町からは再び普通列車で先を目指します。この列車で一時間半ほど暗い中を信濃川沿いに進んでいきます。途中長野県との県境を越えると千曲川に名前が変わりますが、路線はそのまま進んでいきます。しばらくすると終点の戸狩野沢温泉に到着です。

こここは野沢菜で有名な温泉地の最寄り駅ではあるのですが、現在はここからバスなど出ておらず、アクセスすることはできません。野沢温泉に行く際は飯山からのアクセスがメジャーとなっているようです。

野沢温泉からは10分ほど長野行きの普通列車に乗りまして、飯山で途中下車します。これから新幹線に乗るので、長野まで行ってそこから乗ってもよかったのですが、飯山線は途中の豊野から三セクの路線になってしまうので費用がかなり余計にかかってしまうのと、最長補完計画では埋めなかった新幹線部分ですが乗る計画があったので今回は行かないことにしました。

 

第10県目:長野県

北陸新幹線(飯山~糸魚川)

列車乗りまくりようやく本日最後の乗車となりました。飯山を新幹線で利用する人はこの時間帯だとほとんどいないみたいで、駅員をベルで呼び出しての改札となりました。ほとんどいないわけではないかもしれませんが、いてもだいたいは自動改札で済んでしまうということでしょう。

ここからははくたかに乗って日本海側のJR接続駅を目指します。並行在来線がJRならばおそらくルートは変わっていたでしょう。

列車は発車し再び新潟に入るのですが、大きな街である直江津は通らずかなり無理やりなカーブで糸魚川に向かっていきます。途中の上越妙高から西日本区間に入るのですが、このあたりの並行在来線は三セク移管の条件がかなりきつい状態で、新潟県が涙を呑んで受け入れた過去があります。新幹線は直江津を経由しないのに何故か並行在来線直江津から始まっており、信越本線が移管されたことにより長野とつながりの強かった直江津以北の地域も分断される形になりました。直江津以北には先ほどの越後線など大きな街も抱えており、新潟県が鉄道の将来を思ってこの問題を受け入れたおかげで北陸本線が開通にこぎつけたといっても過言ではありません。そんなこんなでトンネルをいくつも超えていくと糸魚川に到着しました。

 

糸魚川フォッサマグナと呼ばれる東日本と西日本の境目となる地溝帯の一角となっていような場所ですが、駅が海にかなり近い場所にあります。海の近くには公園が結構あるので、今日はそこのテントを張って野宿しようと思います。

 

ようやく一周前半が終盤になってきました。次の記事も是非たのしんでください。

日本一周旅行前編⑩

お待たせいたしました。一月中の完結を目指して書いていきます。(願望)

 

 

7/31

本日は遅めのスタート。贅沢にもネットカフェの無料モーニングを頂きました。

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こんなに贅沢してしまっていいものでしょうか?

 

仙山線(仙台~山形)

仙台7時7分発の仙山線に乗り山形を目指します。隣接する山形と宮城の県庁所在地どうし結んでいて、日本で初めて交流電化された区間でもあります。この二つの県庁所在地が隣接していることは意外と知られていません。そして仙山線は勾配が比較的きつい路線として知られていまして、勾配とトンネルで山間を直線的に抜けていく近代的とも言える路線でもあります。

列車は仙台を発車するとすぐにカーブし西向きに進路を変えます。東照宮北仙台と進みます。北仙台は地下鉄との乗り換えもできるようなところですが、ここから本格的な勾配が始まります。弘法山という小さい山の手前で国見に到着です。国見から先はトンネルで一気に山を貫き徐々に下っていきます。陸前落合で下り勾配が終わり、再び上っていきます。沿線に街もありますが路線はぐんぐん上っていき、車窓が徐々に森っぽくなってきたところで作並に到着です。この路線の駅名表は北朝鮮を連想させるような字体で書かれていて、作並ではもっともそれが強く表れているかなと思います。写真を撮ろうと試みたのですが、車両の端っこに乗ってしまっていたので撮れませんでした。検索すれば出てくるので是非してみてください。作並の次の奥新川を過ぎると仙山トンネルという長いトンネルに入ります。これで一気に山を貫き山形市に入っていきます。次の面白山高原という駅についたところで上り勾配が終わり、勾配を駆け下りていきます。勾配を下りきると車窓の右手から奥羽本線が合流してきて羽前千歳に到着です。この奥羽本線山形線区間で、新幹線用に改軌されてしまった区間です。この羽前千歳のすぐ先で、標準軌山形線狭軌仙山線がクロスする場所があります。正確には両方とも奥羽本線という扱いになりますが、性格は全く別の路線になっています。昔は複線の奥羽本線に実際に仙山線が合流して来ていたのですが、新幹線を通すために片側が標準軌に改軌されました。ここで標準軌狭軌が平面交差している理由は、この先の北山形で仙山線とは逆側から合流してくる狭軌の路線である左沢線があるからです。北山形を過ぎると山形城跡の堀のすぐ脇を通り山形に到着です。

 

ここからは炎天下の中山形城跡をつっきり、線路の脇まで歩きました。

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これは山形城の正面であった東大手門の姿です。昔はこの城跡は軍用地に転用されたりしていたみたいです。この手前の橋が撮影スポットになっています。

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しかし今回は門を写した構図で撮りたかったので、その先の場所から撮りました。これが標準軌を行く仙山線です。

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次に左沢線です。後ろの山形市の高層ビルもいい味を出しています。これがここでの一番いいショットなんじゃないかなと思います。本当はここで新幹線を狙っていたのですが、写真を見てわかる通り標準軌側は草生してしまっていて撮れませんでした。事前情報より草が伸びてしまっていたことが誤算となりました。

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先ほどの橋に戻り無理やり新幹線を撮影しました。かなり遠くなってしまいましたが、ギリギリという感じです。今度は別の場所で山形新幹線やとれい湯つばさなど撮ってみたいですね。

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橋から山形線を撮りました。逆光ぎみですが堀の土手を通っていることがわかる面白い構図です。一昨日食った肉また食べたいなと考えましたが、流石に我慢して先を急ぎ山形駅まで戻りました。

ここからは再び仙山線に乗って仙台まで戻りました。

 

東北本線常磐線(仙台~岩沼~いわき)

仙台からは常磐線に直通する普通列車原ノ町行き列車に乗り込みました。まずは昨日と同じ経路を辿り岩沼まで進みます。岩沼からは常磐線区間に入っていきます。

常磐線は本線ではない路線の中では最長の路線で、幹線でありながらも異様な路線です。常磐線と言えば茨城のイメージが強い方もいると思いますが、実は常磐線は仙台へと続く路線です。常磐線を最初に敷いた会社は水戸鉄道と言い、文字通り水戸と東京方面を結ぶ鉄道でした。しかし日本鉄道へと運行会社が変わると路線はその先の岩沼まで伸び、東北本線へと合流することになりました。その後は国有化を経て今の形態へとなりました。仙台から東京方面への直通列車があったりと東北本線のバイパス路線としての属性が強くあり、昔は東北方面への夜行列車など仙台以北まで行く列車がたくさん走っていました。しかし東北新幹線の開業によりその属性は影を潜めることととなりました。それに加えて東日本大震災で被災し、一部区間が長らく不通だったこともあり、完全にバイパス路線としての役割は失われました。しかし2020年に全線が復旧し運行再開したことにより、仙台~東京間の特急列車が再び設定されました。当時も仙台~上野間の特急は走っていましたが、運行終了になる計画が存在し存亡の危機に立たされていました。そんな中での被災から復興を経て輝きを取り戻すというドラマチックな展開でもあります。現在は上野東京ラインも開業し、品川から仙台までの特急が数本走っています。そんな常磐線を進んでいきます。

岩沼を過ぎると阿武隈川の手前で東北本線と別れて南下していきます。沿岸に震災の遺構があるようなところを内陸に沿って進んでいきます。この辺りは被災したものの南側の区間よりは早く復旧しました。しばらくすると県境を越え新地です。震災前とは運行形態がだいぶ変わっており、ここどまりの列車もあります。原発事故による復旧は原発に遠い方から段階的に行われたため、乗っていてもその復興度合の違いがよくわかります。この先の相馬や原ノ町のある南相馬などは駅の周りがかなり復興していて町が再び出来上がっていますが、駅間は文字通り何もない場所が続いている場所もあります。原ノ町からは見慣れた常磐線の531系列車に乗り換え進んでいきます。

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見慣れた列車と北の区間普通列車が並んでいます。

南に進むにつれ徐々に何もない場所の区間が広くなっている気がします。そんな感じで進んでいくと浪江に到着です。前来たときはここから代行バスに乗った気がします。この辺りから原発事故処理の関連施設が増えてきます。双葉を過ぎるといよいよ事故現場の真横を通過します。双葉と大野は未だに立ち入り禁止区域が近く、まだ復興が手つかずの場所も多いです。この辺の常磐線には各駅に線量計が設置されていてその数値を実際に確認することができます。放射線は事故の当時北風によって多くが北方に落ちていったということもあり、除染関連施設は南側に多くある印象です。大森を過ぎると夜ノ森です。ここから富岡までの間に廃炉資料館などあることで、浪江からここまでの区間が最後に復旧された区間となっています。ここから先も福島第二原発があるようなところをどんどん南下していきます。沿岸沿いをしばらく走ると福島県でも有数の都市であるいわきに到着です。常磐線はここからが沿線人口も増え本格化する区間ですが、今回はここまでの乗車となります。この区間のみを紹介するとなるとどうしても震災関連の話がメインになってしまいます。東京近郊についてはまた乗るのでその時解説します。

 

磐越東線(いわき~郡山)

いわきで磐越東線に乗り換えて進みます。磐越東線は初めて乗る区間で、ゆうゆうあぶくまラインという愛称がついていうような路線ですが、どうやら郡山といわきを結ぶ高速バスとの競争に敗北したらしく本数が年々減ってきているみたいです。雨ぎみの曇り空と夏の風景ということもあり特筆することはないけれども、のふどかな風景が流れていきます。ローカル線にしては線形がよく、列車は淡々と進んでいきます。沿線には枝垂桜で有名な場所や渓谷の風景が見れるようなところもありますが、その片鱗を見ることは今回は難しかったです。途中の小野新町にはリカちゃんキャッスルなるテーマパークがあります。山間の町ですが、城跡もあってそこそこの規模があります。しばらく走ると平野のようなところが多くなってきます。最後に阿武隈川を渡ると東北本線と合流し終点の郡山に到着です。

 

まずは郡山にて写真を撮りに展望台に上ります。郡山にもビッグアイという高層ビルに展望施設が併設されていまして、盛岡にも同じような施設があったのを思い出しトレンドなのかなと思いました。

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まずは適当に撮ってみました。ここは東北新幹線の中でも本数が多い区間で撮り放題だと思ったんですが、もう日が少し沈み始めていてこのくらいの暗さだとうまく映りませんでした。

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ちょっと明るめにとってみましたがゴチャゴチャした写真になってしまいました。

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貨物が来ました。在来線側は短編成しか来ないのでここではあまり映えないのですが、貨物は長いので結構よさそうです。

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やまびこが来ました。この撮影地は郡山の市街をバックに山々の間を行く線路が見えてなかなか良いところです。ただガラス越しになってしまいます。

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一見すごい暗い写真ですが車両が一応見えます。もう少し加工や撮影の技術があればいいものになるのかな~と思います。本当はここで福島の代表写真としたかったのですが、もう一度在来線を撮りに来る必要があるかな~と思いました。

 

この後はこのまま郡山にて時間を取り福島の郷土料理であるわっぱ飯を食べに行きました。本当のこの先の会津若松ソースかつ丼など選択肢があり、その方が安くすむのでよかったのですが営業時間の問題もあり、空いている店があまりなかったのでここで食べることになりました。

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まずお通しみたいのでが出てきました。この時点で店の選択を間違ってしまったなと思いました。これは明かにに高い。一応googlemapでメニュー単位で金額を確認していたのですが、ちょっとミスしたなという感じです。

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頼んだわっぱ飯が出てきました。曲げわっぱという伝統工芸品を聞いたことがあると思いますが、それを箱として使用した弁当のようなものです。保温性に優れていたり様々利点があるみたいです。刺身を使った海鮮丼などありましたが、今回は安めのしらす丼を選択。これがかなりうまい。しらす丼は好きで家でも自分で作ることもありますが、やはり別格です。さすが少し高いだけはあると思いますが、それを考えると反省点もありました。千円台で抑えたかったのが税サ込みで三千円近くになってしまいました。それでもでてきたものを考えると納得のいくものです。店内もそれ以上の高級な雰囲気が漂っていました。そんなこんなで郡山を後にし磐越西線に乗りに行きます。列車まで時間があったのでラジオで五輪サッカーを聞きながら時間をつぶしました。

 

磐越西線(郡山~会津若松)

これから乗車する磐越西線ですが、こちらは東線と違って少し面白味があります。磐越西線と東線といっても歴史から現在の運行形態まで全く別の路線で、直通列車など運転されたこともありません。西線の方はSL磐越物語が走っていたり、沿線に会津若松があったり、終点の新津は車両工場があるなど特筆すべきことが多いです。しかしこれから乗る区間は夜なこともありあまり車窓については見えませんでした。

普通列車は郡山を出ると東北本線と別れるような形でカーブしていきます。新幹線の高架をくぐるとしばらくは郡山の町並みを進んでいきます。この辺は地方の幹線沿いの町並みを結構近くに感じながら走っていきます。磐梯熱海を超えると少しずつ山間の風景になっていきまして、車窓からは確認できませんが猪苗代湖のすぐ傍を通っていきます。福島の観光地として猪苗代湖の風景が有名らしく、訪問したい気持ちもあったのですが、夜ということもあり見送ることとなりました。

猪苗代を超えると線形がかなりグニャグニャになってきますが、そこまで山というほどでもないようなところを進んでいきます。しばらくすると大きく南に進路を変えまして会津若松に到着します。磐越西線では会津若松より東と西で別の会社が建設した歴史があり、会津若松駅はターミナル型の頭端ホームとなっています。一応先に続くような形で只見線が続いています。こちらも西側へと向かう路線ですが、途中で会津鉄道という東武グループの路線と接続している路線でもあります。そんな多くの路線が交わる若松は県庁所在地の候補になるくらいだったが、会津藩が新政府軍の攻撃に最後まで屈せず抵抗したためにその候補から外れてしまったという話を聞いたことがありますが、ほんとですかね?最近ここで書こうとする歴史の知識に間違いを見つけることが多く心配です。とにかく大きな町で鶴ヶ城という城もありましたが、新政府軍に白虎隊という会津藩の部隊が最後まで抵抗したことは有名です。最終的には近くの丘から燃える城を見ながらその部隊が集団自決したことも有名なエピソードになっています。

こんな感じで有名な観光地なのでここは観光するしかなかったのですが、例によって夜なこともありほとんど観光はできませんでしたが、一泊することになりました。

ここから数十分間歩き、ロードサイドの大きいアミューズメント施設一体型の快活クラブで休息を取りました。

日本一周旅行前編⑨

 

7/30

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この辺りから移動履歴を残した日があるので提示していきます。

 

雨の音で目覚ましが鳴る前に目覚めました。時刻は四時あたりを指しています。防水かと思っていましたが、中はかなり湿っています。びっちょりにはなっていなかったので耐水性はかなりものだと思いますが、少し濡れてしまいました。少しすると雨が止んだのでテントを畳みまして陸前高田のバスストップに向かいました。トイレで顔を洗ったり着替えたりしまして、まだ時間があったのでまちなか陸前高田を少し歩いたりして暇をつぶしました。

 

しばらく待つと五時十分発の始発が来たので、それに乗り込み再び気仙沼を目指しました。ほとんと人がいないバスが発車し40分ほど乗ると気仙沼に到着です。

 

気仙沼線BRT・気仙沼線(気仙沼~柳津~前谷地)

乗り継ぎ時間はそれほどなかったように思いますが、またもやBRTに乗り込み南を目指します。ここからは再び切符の指定ルートに入ります。現在はバス路線でありながら鉄道との連絡切符が発売されていますが、いつかそれができなくなり最長切符のルートからはずれるということも考えられるようなところです。

バスは軽快に駅を発車し専用道を進みます。間もなく気仙沼の町へ向けて専用道から外れ一般道を進んでいきます。

いつか南気仙沼のネットカフェに泊まった記憶が蘇りましたが、そのネットカフェは閉業してしまったみたいです。少し感傷的な気持ちに浸りながらもバスは進んでいきます。

南三陸町のあたりで専用道から外れると病院の目の前までバスは寄っていきます。利用者にとってBRTの利便性を肌で感じられるところなのかなと毎回思います。

早朝の町を抜けると専用道のトンネルを軽快に進んでいきます。この辺のトンネルは湿っているイメージがありまして、通るとバスの窓が若干結露するのが恒例です。毎回来るのが早朝ということがあるかもしれませんが、トンネルというものの便利さを痛感します。BRTは今後増えてもおかしくはないと思うんですが、どうやらそこそこお金がかかるみたいです。

そんなことを考えていると柳津に到着しました。後続のバスに乗れば前谷地まで直接行けたみたいですが、折角なので柳津からは鉄道で前谷地を目指すこととします。毎回折角だから鉄道でとなっているのでバスで行けばいいような気もしましたが、早朝の気仙沼で待ち時間ができても退屈なので今回もこうなりました。

柳津の駅は数回来ていますが特に変わったところはありません。ここから鉄道が残っているということは、ここからが津波が到達していない地域ということです。つまり地形的に今までの町とは繋がりにくく、内陸側の町の端っこだいうことがわかります。一番端なので町がそこまで栄えていないのかなと予想もできます。と言っても予想なので、津波は来たけどなんらかの理由で線路が残っているだけかもしれません。

田園風景の中を五駅ほど進むと終点の前谷地に到着です。

 

石巻線(前谷地~石巻)

前谷地は文字通り谷の前にある場所でその説明が実際に駅にもありあます。それはいいのですが、この駅は乗えり変え駅でありながらコンビニなどの売店がたった一つもありません。これは非常に由々しき問題ですが、事前にこれを知っていたので対策する猶予がありました。しかし今回はここまで対策することができずに、お腹が減りましたがなにも食べるものはなく先を急ぐことになりました。

田園風景を旧北上川沿いに進み四駅ほどいったところで下車しました。石巻駅はかなり街のど真ん中といったようなところで電化されている仙石線も乗り入れています。石巻線はここから面白いような区間に入り女川まで行くのですが、今回はその手前で降りてしまいます。こうなれば待ちわびた仙台も目と鼻の先です。

 

仙石線・仙石東北ライン・東北本線(石巻高城町~塩釜~仙台)

石巻ではゆっくりする暇もなく仙石線に乗って折り返していきます。この辺に来ると復興がかなり進んでいてあの未曽有の災害で被災したとは思えないような賑わいです。これからこの列車が進む仙石東北ラインという線路もその災害の復興政策の一つとして新設された連絡線になります。この線路は仙石線東北本線がかなり接近する松島のあたりに連絡線を設け、行き来できるようにしたものです。この路線ができたことで速達性の向上や高速バスとの競合対策が図られました。列車は仙石線高城町から東北本線の塩釜を通るようなルートになりますが、運賃計算上は東北本線も松島を通過した扱いになります。厳密には松島駅構内で分岐している扱いになっているみたいです。この連絡線は乗ったことのない線区だったのですが、疲れがとれずぐったりしているとすぐにころ連絡線を通過し仙台に到着しました。

 

仙台に着くとまず一目散に郵便局を目指します。あの日ロストしたバッテリーパックをやっと回収することができました。本当にこの回収に協力していただいたみなさんには感謝しかありません。大変に助かりました。ここで旅もようやく一段落となりまして、ドンキに壊れた腕時計の代替えや必要なものを買いそろえゆっくり昼飯となりました。

 

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疲労感がかなりあったので、ぱーっとやることになりました。有名なたんや善次郎で牛タンを食べました。これにとろろをおかわりしたのですが、二千円いかないくらいで贅沢できました。もうやりきったという思いが出始めましたがこの度はまだ半分もいっていません。

いろいろ行程を考えていたのですが、ここでそれが途切れてしまいフリー状態になってしまいました。頭が真っ白という感じになってしまったので、とりあえず仙台の地下鉄を撮ろうと思い地下鉄の乗車券を買いました。ここで列車を撮っている間に行程を組む算段です。

 

仙台市営の東西線に乗り、国際センターというところ下車しました。ここは写真を撮るのに絶好のスポットがあることで有名です。一瞬外に出る地下鉄の駅の真上に展望スペースのあるビルがあります。そこで陣取り写真を撮影しました。

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数少ない東西線の撮影スポットです。カメラ復活の喜びに浸りました。

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縦の構図で撮ると仙台の街並みを背景に撮ることができます。これが撮りたくて来たのですが、少しイマイチといった感じでした。しかし編成写真が撮れたのでよしとしました。お手軽に行ける撮影地なのでお勧めです。ここで旅程を組み終えて、急ぎ足で南北線に乗り換え富沢駅に行きました。

富沢駅から15分ほど歩いたところに市電博物館があるので行きました。閉店の時間ギリギリに行ってしまったので30分ほどしか見物時間がなかったのですが、仙台市電の歴史を学ぶことができました。ここについては急いでいたこともあり動画化した際の紹介しておこうと思います。ここの係員の方がとても優しく、展示品の解説をしていただいたり、展示物を動かしていただくなど、閉店間際ながら手厚い解説を聞くことができました。貴重なお時間を本当にありがとうございました。仙台市電の歴史は仙台地下鉄の歴史と深い関わりがあるのでとても興味深かったです。

 

仙台観光を一通り終えましたので急ぎ足で富沢駅まで戻り、再び南北線で北上し、東北本線に乗り換えます。

 

東北本線(仙台~小牛田)

切符の指示では途中の塩釜で折り返し北上する予定でしたが、そろそろ観光をしたかったのでわがままでこの行程になりました。欲を言えば松島なども見たかったのですが、普通の観光地は誰かと同行していても行けるので、今回は一人でしか行けない場所を優先的に行きました。指示通りのルートならば塩釜で改札を出なければ松島で折り返した運賃計算になる特例が適用されるのですが、今回は追加の切符を買うことになりました。

先ほどの仙石線の合流部から五駅ほど行くと小牛田に到着します。小牛田は仙台の町はずれといった感じの場所で近いイメージですが、雰囲気は結構違います。ここからは少し陸羽東線に乗り古川を目指します。

この車内で疲れからか不幸にもスマホを落としてしまい、当たり所が悪く画面がバキバキになってしまいました。

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結構ショックでしたが、家族から譲り受けたお古のiphoneをサブ機として使っていたので、それを使用することで難をしのぐことができました。立ちっぱなしでうとうとしていた一瞬の出来事でした。

 

陸羽東線(小牛田~古川)

陸羽東線奥の細道湯けむりラインという愛称があり、情緒のある川沿いを進むのですが、今回はほんの数駅の乗車です。この路線は前回乗ったときに疲れていたためかあまり印象がないので終点まで行きたかったですが、ここは我慢します。引き続き乗車する乗客を見送って古川で降りました。

 

東北新幹線(古川~福島)

ここで乗り換えに30分ほど時間があったので、新幹線の通過風景を動画に収めながら東京で合流する友人と今後の打ち合わせを行いました。通過音が凄まじかったので映像でその風景を見せるとその速さに驚愕していました。実際に見ていても速すぎて怖かったです。通過線をはしっているとはいえ300km/hの迫力はすごいですね。

そんなこんなでやまびこ号に乗り込み福島を目指します。途中白石蔵王という駅に泊まりますが、蔵王山はかなり遠くにありまして詐欺駅なんじゃないかと話題になります。蔵王という地名がこの辺にあるのかは知りませんが、この周辺の在来線の駅には蔵王駅はないので多分地元の要望でついた駅名なんじゃなかと思います。因みに蔵王駅は数日前通った奥羽本線の途中にありました。

そんなこんなですぐ福島につきます。福島ではすぐ在来線で北上するのですが、ここは白石蔵王駅白石駅とは別であることからこの折り返しルートが最長ルートに含まれています。今回の旅では東北新幹線に乗る機会があまりないので解説しよう思いましたが、自分自身東北新幹線にあまり乗ったことがなく、解説できるほどではありませんでした。勉強した今後機会があれば解説します。

 

第9県目:福島県

 

東北本線(福島~利府)

ここからは在来線の東北本線を北上します。本来ならば常磐線と分岐する岩沼までが指定ルートなのですが、今回は利府線を残しているのでそれに乗りに行きます。

福島から北上していくルートはこの東北本線と、川沿いの平野を走る阿武隈急行線の二通りがあります。なぜ東北本線が険しい山側のルートを通っているかと言いますと、本来は川沿いルートを進みたかったのですが、地元の反対にあいこちらのルートになったという経緯があります。逆に山側の途中にある白石という自治体からは熱烈の歓迎があり、東北本線はやや大回りする形になりましたがこのようなルートとなりました。これは東北本線がまだ未完成である明治時代の話でして、その後鉄道の利便性が認識されてくると川沿いの自治体も鉄道を欲しがりました。しかし一度反対された経緯から国鉄が路線を敷くことはなく、別の会社が鉄道を敷くこととなりました。それが阿武隈急行です。その後の話ですが新幹線までもが白石経由になっているので、この辺りの自治体は鉄道を反対したことを永遠に悔やみ続けることになるだろうと思います。新しいことに手を出すのは勇気がいりますが、それをしないことによって悔やむ結果になるということもあるので難しいところです。

槻木で阿武隈急行と合流し、こうちらは仙台の方に向かっていきます。次の岩沼で常磐線とも合流しまもなく仙台です。常磐線は昨日仙台まで全線復旧し話題となりました。今回もできればそのひたちに乗りたかったですが厳しそうです。名取では第三セクター仙台空港線と合流しまして仙台に到着しました。この路線は乗ったことがないのでいずれ乗ってみたいなと思います。

仙台で乗り換えて利府線のへの直通列車へと乗り換えました。利府線東北本線の支線の盲腸線です。昔は東北線の本線だった部分で、勾配緩和のために経路が別となった際に地域輸送のために残した路線がこの利府支線になります。途中で新幹線の総合車両センターを通るような形で新利府を通り終点の利府につきます。利府線という通称がついていますが旅客案内では東北本線という案内がなされているみたいです。近くにイベントで使いような大きい施設があることもあり、その際には混雑する路線です。

そんなこんなで利府につきましたが、今回は特に何もすることなく、改札を出て運賃を支払うなり折り返していきます。完全に乗りつぶし目的に乗車となりました。改札に再び入るとどうやらイベントの臨時列車が走っていたみたいで早歩きで乗り込むとすぐにドアが閉まりました。利府は頭端式ホームになっているので、急いでいホームを移動する様子を見て車掌さんが少しまってくれたような感じでした。非常にありがたい。

この列車も東北本線に直通して仙台へ到着しました。

 

今日は駅近の快活クラブで一夜を過ごしました。久しぶりにゆっくりできる感じでしたが、やることが以外に多く就寝が遅くなってしまいました。それでも室内で夜を過ごせるありがたみを感じながらゆっくりと休みました。

 

このあたりから日程に余裕ができはじめ観光も少しずつ入ってきます。丸一日を使い宮城県を回りましたが、今回の記事で宮城県の魅力が1ミリでも伝わればいいなと思っています。明日は再び山形を回ります。

日本一周旅行前編⑧

みなさんあけましておめでとうございます。年内に終わらせようという企画がついに年を越しました。年末忙しかったのでこの記事ですら一か月以上時間を要してしまいましたが、諦めずに書いていきます。

 

 

7/29

本日は快活クラブからのスタートです。出発が6時を回っていたので無料モーニングがだべれました。これが重要なパワーの源になります。

昨日に引き続き羽越本線に乗って行きます。

 

羽越本線(鶴岡~坂町)

今回乗るのは普通列車ではなく特急いなほです。この辺り朝の時間は特急しかなくやむを得ずこの列車になりました。しかしいなほ発乗車なのでワクワク感もありました。

静かな駅に大きな音を立て特急が入線してきました。これに乗り込み再び南を目指します。いなほを担う列車は交直両用の電車で、ここから先交流直流が変わる区間があってもスムーズに走ることができます。しかし新潟支社は通勤列車として交直両用の列車をもっていないため、途中の村上を超える普通列車は全て気動車によって運行されています。鶴岡を出るとすぐに海沿いに向かっていき、山と海の間を海岸線に沿って進んでいきます。村上まではずっと崖と海を見ながらの旅です。

途中で多数の海水浴場や笹川流れといった景色のいい特徴のある区間を通過していくと間もなく村上に到着です。

村上からは直流の見覚えのある通勤列車なども増えてきます。ここまでは新潟の市街地からくる列車が頻繁に来ています。本当は村上の市街など見てみたかったのですが、朝早すぎるので、このまま乗って行きまして次の坂町で下車しました。ここからは坂町から分岐している米坂線に乗って行きます。

 

第7県目:新潟県

今回は観光はしませんが新潟県に入っています。

 

米坂線(坂町~米沢)

坂町では一時間以上の待ち時間がありましたが、この時間では店などほんとんど空いていなかったので、時間をつぶしていると大きな音を立てて気動車が入ってきました。

羽越本線を新潟方面から下ってきた快速べにばな号です。この列車は羽越本線の新潟から米坂線に乗り入れる快速列車なのですが、快速運転は羽越線内でしか実施されません。本当は始発駅からこの列車に乗りたかったのですが、今回は切符の指示に従い坂町からの乗車になりました。そしてこのべにばな号は以前あさひ号として新潟から仙台をこの米坂線経由で結んでいた列車でした。その他にも米坂線日本海側と太平洋側を結ぶ動脈としての役割を担っていたのですが、羽越線が電化され多くの特急や貨物も電化されてしまったのと共に山形新幹線の開通により奥羽本線が標準機にされてしまったことで動脈としての役割を完全に終えることになりました。

そのような歴史がある路線をこれから進んでいきます。

坂町を出るとすぐに90度方角を変えるようにカーブを曲がります。そして荒川に沿うように進路を取ります。

景色の良い山間をしばらく行くと小国に到着です。この辺りの山間区間は雪景色がいいことで有名なので是非雪の季節にも行ってみたいところです。なぜか毎回夏に訪れることになってしまっています。

小国は米坂線の丁度中腹のあたりにある町でこの場所で小国指令所として坂町~今泉間の運行管理も行われています。

小国からは明沢川に並走する川が変わりまして山間を進んでいきます。

沿線にダムがあって川の名前がひっきりなしに変わるなどこの辺は川の名前を出してもよくわからないかと思いますのでとりあえずなんかの川が並走しているということにしておきます。

山間を抜けると少し北に進路を変えて進みます。なのですが、この後大きく円を描き南に進路を変えます。これは先に鉄道ができていた路線に接続するためにこうなったと思われます。その駅が今泉です。

現在では山形鉄道フラワー長井線となっていますが、昔は国鉄長井線だったもので直通運転など可能な線形になっています。米坂線長井線はお互い合流しまた分岐するxのような線形をしています。これは交差しているともとれまして、実際クロスするように運行したほうがわかりやすいということがあります。しかし線路が平面交差であるためこのような運用が主流だったのだと思います。

そしてこの長井線を移管する際にもこの事情や米沢周辺の町を通るということもあり米坂線は現状の線路のままになったのではないかなと考えています。

というのも米坂線の末端部分は何かを迂回するかのようにぐにゃりと曲がっているのです。これが何故かと言いますと先に自社の路線が短絡する部分を形成していて且つ通りたい町が米沢周辺にあったのではないかと考察しています。この事情から先ほどのようなクロスの線形が生まれたのだと思います。

実際に現在の沿線を見てみると米沢の周辺を通りたかったのかなという考察が主流になると思います。

今泉からは東に進む長井線とは対象に南に進路を変え進みます。この平野部は反対の際に奥羽本線があるようなところで鉄道に囲まれるような形になります。

米沢の町が始まる西米沢までは5駅ほどありますのでまぁまぁ距離がありますが人の乗り降りがそれなりにあるとろこです。西米沢からは再び半円を描くような形で北向きに進路を取れるように奥羽本線と合流します。これが先ほどの話とも関係していまして米坂線から長井線へと短絡するように直通していくと南向きの進路になるように奥羽本線と合流することになります。これを避けるためにもこちらの迂回ルートが米坂線になったのではないかととも思います。

快速べにばなは二時間ほどの時間をかけて米沢に到着しました。

米沢は山形新幹線も止まるような大きな駅で山形の玄関口のようなところです。新幹線のホームには米沢牛の駅弁屋が並ぶようにあることで有名です。米沢の周辺も見ていきたいようなところがありまして板谷峠などいきたかったですが、早急に先を急ぐ理由がありまして今回は最速の乗り換えで行きます。

 

奥羽本線(米沢~横手)

写真も全くないままかなり乗車のシーンが多いと感じると思いますが、それは先ほど述べた先を急ぐ理由にもなっている重要事項です。一眼カメラのバッテリーが秋田で切れましたので充電器が必要なのですが、北海道で充電器をロストした際に受け取り場所を仙台としてしまったので仙台までは一眼無しで旅行しなければならなくなってしまいました。少し加減を見誤ったかなという感じですがまだカバーできるくらいでよかったです。しかしその関係で本日は一日こんな感じです。

さて話がそれてしまいましたが今回は待ちに待った奥羽本線の解説です。秋田では解説しませんでしたが、今回はその大部分に乗車しますので思い出しながら書いていきます。

奥羽本線はもともと福島から青森を結ぶ一大幹線でした。福島と青森の両端で東北本線と接しており、東北と東京を結ぶ重要なルートにもなっていました。東京から秋田を経由して北海道に至る夜行列車などもあったりと東北本線と並んで盛んな路線でした。

しかし1990年に山形新幹線、1997年に秋田新幹線が開業すると状況が一変します。

まず前者の山形新幹線ですが、本当は山形新幹線という路線はありません。では何線かというとこれこそ奥羽本線なのです。山形新幹線奥羽本線の線路に新幹線の車両が乗り入れているだけにすぎません。ですがよく考えてみると在来線と新幹線は軌間が違うはずで車両を直通させることはできないはずです。ではどうしたかというと、在来線の線路を改軌し広げてしまったのです。それも奥羽本線福島県の一部と山形県内のみのことです。つまり奥羽本線は福島から山形の間のみ新幹線の軌間である標準軌になってしまい、各地から奥羽本線を走っていた特急の乗り入れが不可能になってしまいました。これにより様々な特急列車が影響をうけました。わざわざ改軌して新幹線を乗り入れ可能にしたものの、それだけでは地域輸送に対応できないのでのいわゆる標準軌の在来線を走らせることになりました。これには山形線などと呼ばれており、線路に自治体の力が働いた大きな例の一つなのではないでしょうか。後に改軌される区間が山形から新庄まで延伸され、山形県内の奥羽本線はほぼ標準軌となり山形線の完成形ともいえる形ができあがりました。それは奥羽本線分断の完成も意味していて考えさせるものがあります。ならば奥羽本線をこの先の区間も改軌すればいいじゃないかと思いますが、この部分の改軌はあくまで山形県が大きく働いたものであって、秋田県青森県へと延伸していくことは時間短縮性や改軌の規模を見てもまず不可能であります。それは次の秋田新幹線も関係してきていることです。

秋田新幹線山形新幹線にならって在来線を活用した新幹線を目指して作られたものです。なのでこちらも同様に法的には新幹線ではなく、新幹線車両の在来線直通にすぎません。ですがこちらは上り線を在来線のまま狭軌として使い、下りのみ改軌して標準軌にするといったことや狭軌標準軌の共用ができる三線軌を活用して在来線の乗り入れも可能になっています。というのも秋田新幹線の新設区間が二路線にまたがることや、大部分をローカル線である田沢湖線が占めていることもあります。奥羽本線に関しては、新設区間が大曲から秋田と限定されているために山形線のようにできなかったということもあります。田沢湖線がもともと単線区間を有していたというのも大きいと思いますが、ともかく盛岡から田沢湖線に乗り入れ大曲でスイッチバックする形で秋田に至るという一連の特急に秋田新幹線という名前がつけられました。さきほど法的に新幹線ではないと言いましたが特急と何が違うかというとまず最高速度が大幅に違います。在来線は100km代なのに対し、新幹線は200km代です。そして新幹線には原則踏切がつけれなかったり、信号装置に決まりがあったりと高速鉄道として規格が決まっているわけです。これに則った新幹線をフル規格というのに対し、新幹線の車両乗り入れ区間ミニ新幹線などと言われます。山形新幹線秋田新幹線というミニ新幹線の誕生により、奥羽本線は悲劇の運命をたどることになりました。

しかしどちらの新幹線も成功しているおかげでそれが悲劇だと言われることは少ないです。いくら改軌されて分断されようともその姿は奥羽本線であり、むしろ整備新幹線としてフル規格の傍ら第三セクターになってしまった路線の方が悲劇だと言えます。これについて説明しますと、この事例と対照的にフル規格で新幹線を建設した又はこれからする箇所についての多くは国の方針に則り平行している在来線を原則JRではなくすという方針がとられています。これはJRの負担を軽くするためのものなのですが、そのつけを払うのは自治体です。自治体のみで並行在来線の運営を行わなければならないのです。この最たる例が今まで見てきた青い森鉄道いわて銀河鉄道なわけです。そしてこれから見ていくえちごトキめき鉄道やあいの風とやま鉄道であります。これらがJRが分離した弊害で不便になった事例など星の数ほど聞くことができ、このスキームのせいで新幹線を嫌がる自治体まであるくらいです(佐賀県など)。今の整備新幹線スキームの歪さを見ると奥羽本線ミニ新幹線はかなり合理的で優れた解決手段だと言えます。そしてこのミニ新幹線の線形を改良するため、新たなトンネルを掘ったりと徐々にさらなる高速化がなされて行っています。奥羽新幹線や羽越新幹線など基本計画が一応あり、想定はされていたものの事業化に至っていないのも事実で惜しいことだと思いますが、今のミニ新幹線の現状は特段悲しむことではないし、寧ろそれらの新幹線を作っているより便利でよい未来があるんじゃないかと個人的には思います。

これらの線路事情になると自分自身が生きている今で問題になっているものと深くかかわっていてどうしてもヒートアップしてしまいます。伝わったかわかりませんがこれが奥羽本線で伝えたかった内容です。完結にまとめますと奥羽本線がズダズダに切り刻まれることで、自治体間の調和をうまく図っているのではということです。奥羽本線に乗るときに何故か哀愁のようなものを感じるのは、このようなことが思い浮かぶからでしょうか。

米沢から奥羽本線普通列車に乗り込み山形を目指します。新庄行きの山形新幹線に乗ってもよかったのですが、せっかくなので節約も兼ねて普通列車にしました。通学の学生を大勢乗せて列車は発車しました。これはまさにラッシュアワーです。早めに後面展望の箇所を確保しといてよかったです。前面展望もいいですがワンマン列車は後面展望に限ると勝手に思っています。

標準軌なだけあってスムーズに列車は各駅に停まっていきます。難峠を越えてきて山形を急ぐつばさに途中抜かれる箇所があったように思いますがよく覚えていません。それは列車がずっと満員状態で気が気じゃなかったこともあります。

平野部の市街をうまく結ぶように列車は進みます。南陽から山間を超えてかみのやま温泉などもあるようなところを過ぎると蔵王につきます。ここは山形市街のはじまりのようなことろですが、蔵王温泉行のバスなど皆無でなぜ駅名が蔵王になったか疑うほどである。蔵王を過ぎて新幹線の車両センターを通過すると間もなく山形に到着です。

これから先の奥羽本線も長いので一旦ここで休憩を取るため改札を出ました。ここでやっと昼ごはんが食べれます。

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ずーっと文章で疲れたと思いますがやっと画像です。それも飯テロ画像になってしまいましたがバッテリー故に仕方ないことです。

ここは米沢牛の案山子という店でブランド牛である米沢牛を食べられる有名店です。今回の訪問時はコロナウイルスなどの影響もあって割引や増量が過剰にあったこともありますが、通常時でもかなり安く米沢牛が楽しめると思います。味についてはもう説明する必要はないと思いますけど、気になる方は行って食べてみた方がいいです。そのくらい料金では測れない価値のあるご飯を頂き、一瞬で疲れが軽くなりました。今日の行程はハードですのでパーッとやれて丁度よかったと思います。

 

飯を食ったら再び山形駅に戻りまして奥羽本線に乗り込みます。今思えばさっきの区間ではなくこっちの方が満員列車だったなと思い出しました。予算の都合上しかたなかったですが、本当に鈍行の選択を後悔しかけました。

山形線はここから単線になるのですが、面白い光景が見られます。それは山形に乗り入れている左沢線仙山線の関係です。まず一つとして山形を出た奥羽本線は山形城のお堀の土手を通ります。まるで神田川の土手を走る中央線のようです。そして奥羽本線なのですが標準軌狭軌の単線並列の様相をなしています。これは山形線として改軌する際に、途中から分岐している仙山線左沢線のために狭軌の線路を一部だけ残したことが理由です。左沢線は次の駅に着く前に分岐していってしまうのですが、仙山線は二駅過ぎた後に分岐するのでなかなか並走することになります。そして左沢線山形線の西側に分岐するのに対し、仙山線は東側であることと先ほどの単線並列の事情を踏まえると面白い事実が浮かび上がってきます。狭軌標準軌がどこかで交差する箇所を作る必要があることがわかると思いますが、なんと二つの線路がそのまま平面交差してしまいます。これはさながらダイヤモンドクロスと言えます。こんなところに普通鉄道どうしのダイヤモンドクロスがあるなど想像もつきませんでした。これは車内でびっくり仰天しました。しかしそれはダイヤ上のネックになっている箇所ともとれまして、列車は早々に出発していきました。この光景は後日もう一度みることになります。

そんなおもしろ区間を抜けると永遠に直線の線形となります。こりゃ新幹線直通したくもなるよなぁと思いなが列車は進んでいきます。

のほほんと記事を書いていますが、この時の車内は東京の通勤ラッシュとなんら変わらんくらい混んでいて壮絶でした。学校の登下校時間にもろ被りしてしまったみたいでもう大変です。なぜ編成を増やせないのかと何度も思いました。天童や東根など結構大きな市街があるたびにまとまって人が降りていきました。その市街の規模が徐々に小さくなっていくと車内も空いてきたなという感じでした。新庄の手前ではちょっとした峠などもあってもうそのあたりになると車内は大分落ち着きを取り戻していました。街が見えたなと思ったらいきなり新庄につきました。駅の外に出てみるとその寂しさにびっくりしました。新幹線の終点のはずだし、落ち着いとはいえ車内の人数からは想像ができないくらいのものでした。一応陸羽西線陸羽東線のジャンクションにもなっているでろうところがここまでとは驚きました。よくここまで新幹線を通したな山形県の頑張りを感じる反面、これより先はないだろうなと改めて痛感させられました。もしかしたら市街が駅から遠いパターンかもしれませんが、googlemapでみてもこれまでの市街との規模の違いが見てとれます。

ここから本来の姿のまま残されている奥羽本線にのって北上していきたいのですが、ここから先は本格的なローカル線になるらしく本数が著しく減ります。同じ路線なのに乗り継ぐのに1時間といった感じです。この1時間って微妙で待つには長いけど、かといって観光とか何かするには短いんですよね。しょうがないので駅の待合室で東京五輪を見てました。確かバスケが放映されてて気休めにみてました。八村選手しか知らんけどやっぱり圧倒的な存在感だな~という感想しかなかったですが、この旅行では五輪を各地で楽しめた気がします。記事になってなかったかもしれませんが、ネットカフェに着くや否やテレビのソフトを起動して五輪見てました。本当は地元の競技をしっかり見たかったんですけど、旅行の日程とうまくかみ合いませんでした。

そんなこんなで列車が来たので乗り込みます。

新庄は先ほどの通り改軌された山形線の終点と既存の奥羽本線は不自然に分断されたような形のホームをしています。奥羽本線の大動脈としての名残を感じられるところです。

ここから一時間はマジで山って感じの車窓です。こんなところから誰が乗るんだよって感じのところに駅があります。その駅の中に一つ面白い駅名があります。「及位」という駅名なのですがなんと読むかわかりますでしょうか?

答えは「のぞき」です。こんなん読めるわけないだろ!と最初は思うと思いますが意味不明な地名すぎて意外と覚えている人が多いです(適当)。

途中川を超える部分や高架のところだけ複線になったりと山間部ながらも昔は貨物列車や特急のルートだったことを再確認させるような構造物があります。今では意味不明な駅名くらいしか紹介することがなくなりました。googlemapを見ると近くに銀山とかあるらしいですがよくわかりませんでした。及位を過ぎると秋田県に入ります。そこから数駅進むとようやく人が住んでそうなところが現れます。河口に沿って細長く広がる湯沢市の市街みたいです。昔は別々の自治体だったのかなと考えているとどんどん市街が大きくなっていきます。越後湯沢には旧国名ついてるのにこっちにはなぜ付けないのだろうかと考えていると湯沢駅に到着です。ここからは川によって作られた大き目の谷のようなところを進んでいきます。立ち並ぶ家を見ながら皆瀬川を渡ると横手市に入ります。十文字や醍醐などかっこよさめの駅を過ぎると右手から北上線が合流してきて間もなく横手です。本来の姿である奥羽本線はここから先に北にむかって一直線に大曲まで伸びているのですが、今回は切符の指示の都合上ここで下車します。因みに乗っていた列車は大曲からミニ新幹線との共用区間を走って秋田まだ行く列車でした。ズタズタにされた印象でしたが、イメージでは共用区間がありながらも秋田から新庄まで走る列車と、山形線として新庄から福島まで走る列車で二つの系統に分断されたと考えるのが普通ではないかなと思います。こう見ると今も異彩な輝きを放っている路線に見えてきました。秋田新幹線のルートを見て秋田観光として田沢湖に行く案が没になってしまった悲しみを思い出しながらも次の列車に乗ります。

 

北上線(横手~北上)

北上線奥羽本線東北本線を連絡する路線の一つなのですが、そのなかでも異色の存在である路線です。高規格な割に知名度が低く陰なイメージがありますが、乗って行きます。

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横手の発車番線は0番線だったのですが、英字のOや〇に見えてちょっと面白い表示だったので写真を撮っときました。結構ここまで来て疲労がたまりつつあったのを覚えています。

しばらく待っていると列車が出ました。秋田県有数の都市である横手を出るとまもなく山越えの区間に入ります。割かしクネクネしていますごこれでも奥羽本線東北本線を結ぶ路線の中では線形が良いらしく、昔は大型機関車や優等列車も運転されていました。いまでも災害時の迂回経路として臨時に列車が入ることがたまにあります。

車窓は暗くてイマイチわからなかったのですが、川沿いにずっと走っています。

岩手県に入るとすぐにゆだ高原という観光地の駅停まります。その次の駅はほっとゆだという有名な駅に着きました。ここは駅舎に温泉が併設されているこで有名で、その施設の名前がほっとゆだということから子の駅名になりました。温泉の時計には次の列車と現在の時刻が書かれている時計があるらしいです。一度行ってみたいところですが北上線を通るときは何故か毎回夜になってしまいます。多分北上線の終電が遅いことが関係しているとも思います。

そんな駅を過ぎると錦州湖のすぐ脇を進んでいきます。ここは湖にダムを作る際に廃線になった区間があるらしく、今でも水位が低ければ見えることもあるそうです。

廃駅のゆだ錦川湖があった場所を通過ししばらく川沿いに進みますと北上市に入り町っぽい風景になってきます。そのまま直線的に市街を進み、東北本線と合流するため大きくカーブを描くと北上に到着です。

現時点で時刻は六時半を超えまして結構疲れてきましたが、体に鞭を打ち先に進みます。

 

東北本線(北上~一ノ関)

もう長らくこのシリーズを書き続けているので東北本線をもう紹介したか忘れてしまいました。今回の乗車では車窓は真っ暗で線形もほぼ直線、車両も東北の汎用型ということで特に紹介することもないです。路線紹介は次回にしておきます。強いて言えば一ノ関でお菓子を買って軽食といきました。

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これで少しはパワーを回復できたと思います。まだ今日は長いです。

 

大船渡線大船渡線BRT(一ノ関~大船渡~陸前高田)

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一ノ関では駅名表にピカチュウがいました。これはこれから乗る大船渡線と関係があります。大船渡線では定期的にポケモンwith you trainという臨時列車が走っています。大船渡と気仙沼間の大船渡線鉄道区間を走っていまして、是非乗りたいのですがまだ乗れていません。因みに気仙沼にも大量のポケモンがいます。

 

大船渡線を進んでいくんですが、このブログで一回取り上げたのを明白に覚えているので説明は適当に済まします。大船渡線我田引鉄が行われた代名詞でもある路線でその線形からドラゴンレールとも呼ばれます。震災で被災し気仙沼から先に区間廃線になり、現在その跡地をBRTとしてJRが運営しています。私は既にこの大船渡線に数回乗車しておりまして沿線の復興度合を毎回肌で体験しています。

 

第8県目:宮城県

 

気仙沼から先の区間は切符の指定区間ではないのですが、駅メモの目標による関係で乗る必要が生じてしまいました。何度も通っているので昔の計画では再訪の必要はなかったのですが、度重なる新駅の設置で予定を変更することになりました。指定経路から外れるということで追加の運賃支出になりました。

ポケモンが大量にいる真夜中の気仙沼で乗り換えバスに乗って陸前高田を目指しました。前回は陸前高田三陸ラーメンのようなものを食ったのを覚えており、懐かしさに浸りながら町を歩きます。ラーメンを食べた場所はまちなか陸前高田という復興のシンボルのような場所で、前回も見たのすがより一層復興が進んだように思えます。

今回は先ほど述べた駅メモの関係でここから往復二時間程歩かなければなりません。本当はこんな旅程はなかったのですが、訪れなければならないのに気づいたのが遅かったためこうなってしまいました。陸前高田から10分ほど離れるともう復興が結構未着手のところもあり、早々に怖い雰囲気になってきました。道があるだけで街頭も建物も何一つないところを数十分歩きます。十年前にここで起きたことを思い出すとあまりに怖すぎてツイッターを開きました。最近実装された機能であるスペースを使い知らない人とお話をしつつ歩き続けました。途中でgooglemapでは道と判定されているのに、見るからに茂みだというところもありましたが、さすがに瓦礫を見ることはなく直接その災害傷口を見ることはありませんでした。傷跡だけでも十分に怖かったですが、続く道を歩くしかありませんでした。ここで図らずも「道」のインフラとしての重要性とその魅力に気付き始めました。関係ないですが鉄道オタクは鉄路と電車を包括しているのに、車オタクでは一般的に道路が含まれていないということは面白いと思います。そんなことを話しながら歩きました。記事にすると一瞬で終わるんですけどここの徒歩がかなり怖く、長く感じましてまるで永遠のようでした。改めてここで亡くなられた人にご冥福をお祈りしました。

 

しばらく歩いて陸前高田駅付近にもどってきました。少し小雨が降っていたので鉄橋の下にテントを張りたかったのですが、先客がいたので少し離れたところにテントを張り始めました。

すると張っている間に雨が強くなってきて急いでテントを展開し中に入りました。すると直後に雨が土砂降りになりました。テントの中でその音を聞いたのですが、移動するわけにもいかないし、テントは防水だと思うのでそのまま中にいることにしました。

寝たのか寝てないのかわからないようなうとうとを繰り返していると、気づいたら深い眠りにつき休息となりました。

 

単調な記事になってしまいましたが明日は写真もありますのでご期待ください。

日本一周旅行前編⑦

ここのとろこコンデイションによって文章の内容まで大きく変わってきてしまってますが、年内にすべて書き上げなければならないという都合で多少無理がある状態でも書かざるを得なくなってしまっています。せっかく読んでもらっている方に申し訳ないですが、写真はよく撮れていると思うのであまり固くならずに読んでいただけると幸いです。途中で書くことをやめることは絶対にしないようにするのでよろしくお願いします。

 

 

7/28

本日は大館からのスタートです。一瞬秋田県に入っていましたが再び青森県を目指していきます。

 

奥羽本線(大館~弘前)

奥羽本線をちょっとかじる感じで数駅進んでいきます。

途中に弘南鉄道と並走する区間などありますが、基本は山間部でした。

とくにこれといったことはなく弘前に到着。

奥羽本線はまた後程紹介するので今回はあっさりにしときます。

どうでもいいけど「おううほんせん」って意外と打ちにくいですね。

 

奥羽本線五能線(弘前~川部~千畳敷)

弘前で少し列車見物をしたら乗り換えて再び奥羽本線を進んでいきます。

今回の列車は五能線に乗り入れていく列車で、川部からスイッチバックをして分岐していく形になっています。しかし五能線の列車はほぼこの形で弘前に乗り入れているのでイメージだと五能線の終点は弘前といった感じだと思います。

線形では青森方面に進むほうが楽だと思うのですが、それでもスイッチバック弘前に進んでいるのだから地域の関わり合いが見て取れます。

列車は学生を多く乗せてすすんでいましたが、途中の五所川原でほとんど降りていきました。ここからは完全にローカル線といった感じです。

言い忘れていましたが今回乗車しているのは快速列車なのですが、五所川原から数駅先の鯵ヶ沢までは各駅に停まっていきます。ローカル線になったとはいえそこそこ乗っているひとはいた印象があります。

鯵ヶ沢周辺は鉄道の撮影に向いている立地が多く、私も撮影したかったのですが暗くなる前にリゾートしらかみに乗るためにここでは断念しました。ヒラメの漬け丼で有名な店などもあり寄ってみたかったのですが、時間の兼ね合いで先を急ぐことにしました。

鯵ヶ沢を過ぎると急に駅を飛ばしだしますが、間もなくせず下車します。

千畳敷という駅で降りました。ここは前にこのブログで紹介したことがあると思いますが、畳を千畳しけるほど広い平な岩場が広がっているような場所です。実際に敷けるかどうかは微妙らしいですが景色がいい場所で観光列車のリゾートしらかみもここに十数分停車し見物する時間があります。今回はここからリゾートしらかみに乗る計画で、この停車時間の間に撮影地から列車まで移動する時間を稼ぐ算段です。撮る列車に乗るパターンの一発勝負は結構度胸が必要だと思います。綿密に計算して準備していてもヒヤヒヤするものです。

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まずは普通列車で一本だけ練習です。なんか新しい車両が来ました。車両のことはよくわからんですがどんな感じでシャッターを切ればいいのかこれでつかめました。数分待つといよいよ本番です。

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千畳敷と列車を交えて撮れるいいポイントでした。天気はイマイチでしたが波が際立っていい感じかなとも思います。

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一応縦でも撮っときました。人がまばらに映り込んでてにぎやかさを感じます。

撮りおわったらば高台の階段を駆け下り列車に飛び乗ります。

しかしそんなに急がなくてもよかったみたいで発車の5分以上前に列車にたどり着きました。まだ列車の外に結構人もいましたので胸をなでおろし席まで移動しました。

 

リゾートしらかみ(千畳敷東能代~秋田)

観光列車で秋田まで一気に抜けます。この列車眺めがいいだけでなく各駅停車と比べて圧倒的に早いんですよね。そんな事情でこれに乗らないわけにいかず二度目の乗車となりました。とはいえリゾートしらかみは観光列車の代名詞だと思っているので、今回の青森の観光はこの列車の乗ることしました。本当は十和田湖など行きたかったのですが、またもや日程とコロナの都合で諦めることになりました。

天気がイマイチということがありながらリゾートしらかみは綺麗な車窓を見せながらどんどん進んでいきました。雲っていても車窓が楽しめる列車はそうないだろうなとその景色に浸っていると深浦で何やら車内販売の積み込みが始まりました。まだまだ海沿いの綺麗な区間は続きますが、この辺で車内販売でも買って休憩しようかなと思いお菓子を購入しました。

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茶羊羹です。これがまた味わい深くておいしかったです。当分が体中にいきわたっていきました。車内販売のおねえさんと天気のことなど伺うと快く答えてくれまして、そのあとも少しおしゃべりをしていただきました。いろいろ大変なご時世だと思いますが、どうにか車内販売を続けられるといいなと思います。お天気情報からこの後の行程を決定しまして流れる車窓に目をやります。

時間はあっという間に過ぎていき、海沿いから陸に少し入ったところを走り始めました。しばらくぶりに市街のようなところに突入したと思ったら東能代に到着です。ここで車内販売の方たちは降りていきました。様々な景色を見せてくれた五能線もここで終わりになりまして、再びスイッチバックして奥羽本線を南側に進んでいきます。

干拓地として有名な八郎潟を右手に見ながら進んでいきます。

途中の追分で男鹿線が分岐していきまして、まもなくすると秋田です。

 

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秋田駅には秋田犬の模型がありました。わさおという有名な秋田犬がいたので聞いたことがある人も多いと思います。

この秋田駅の周辺で写真を撮ることにしたいたので、バスで向かいました。

 

何というバス停で降りたか忘れてしまいましたが、10分ほどしか駅から離れていないのにあたり一面田んぼという景色です。写真を撮る身としては素晴らしいロケーションですが、県最大都市がこのような感じでは少し思いやられる面もあります。

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まずは奥羽本線普通列車が来ました。この区間は在来線と新幹線の共用の線路があります。天気はかなり曇っていますが、雨が降らないだけマシといった感じでした。

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本命の新幹線が来ました。このショットは望遠で無理やり撮ったものですが、天気的にはこのアングルを本命にした方がよかったかなとも思います。

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そしてこれが本命のショットです。実はこの時カメラのバッテリーが限界を迎えており、ギリギリの闘いが行われていました。それは北海道で忘れたバッテリーパックの中に一眼の充電器も入れていたためです。ビデオカメラの方は買い足したのですが、こちらはそうもいかず秋田の地で力尽きました。よくここまでもってくれたとカメラに対し激励をしていると向こうから一台の軽トラックが走ってきました。

すると農道の真ん中でたたずんでいた私の前で停まり、乗って行くか?と言ってくれました。駅の方に行くとのことだったので、乗せてもらうことにしました。

車内ではいろいろな話を聞くとができました。大学まで行くと子供はみんな上京してしまうということや、最近はコロナによって生活が厳しくなることもあるみたいですが一応は楽しくやっているみたいです。現地の方と話せる機会はそう多くないのでとても貴重な機会でした。途中駅への分かれ道のところで俺は真っすぐいくのでここまでとのことで降ろしていただきました。わざわざ駅まで行ってもらうと気を使ってしまうので、これもなかなか好感度が高いと思います。駅までの道には大型店がたくさんあったので、浮いた時間で100均によって必要なものを買い足しました。

なかなかいい体験をすることができたと思います。

ここから再び列車に乗り南下していきます。

 

羽越本線(秋田~鶴岡)

羽越本線日本海縦貫線を形成する一大幹線でここ秋田から新潟までを結んでいます。新潟や秋田を結ぶいなほが走っていて新潟では上越新幹線に接続しています。後に紹介しますが、新潟駅の構造も乗換がしやすいよう工夫がなされています。かつてはトワイライトエクスプレスやあけぼの、日本海やつがるなどもここを経由して走っており、つがるは復活運転など最近行ったことで話題にもなりました。

この路線には有名な観光列車きらきらうえつという列車が走っていたのですが、老朽化によって近年廃止になり、代わりに海里と呼ばれる観光列車がスタートしました。この海里に使われているE300系がすごくかっこいいのでどこかで写真を絶対撮りたいなと意気込んでいました。結局は天気の関係で妥協案を採用することになりましたが、どこかでリベンジしたいと思っています。

そして羽越本線は貨物列車のルートにもなっていて、乗っていると多数の貨物列車とすれ違うことがあります。酒田から酒田港という貨物専用の駅に続く路線があるなど貨物列車の活発さを感じることができます。

まずは秋田から普通列車に乗ります。秋田を出ると列車は海側に向けて進んでいきます。しばらくすると海岸制沿いを走るのですが、山がすぐそこまで来てる地形なのでトンネルなど多い区間でもあります。

由利本荘市に入ったあたりで再び内陸に向けて走ります。橋やトンネルを駆使して迂回しながら平野部に向かっていきます。

町が見えたと思うと由利本荘に到着です。ここからは由利高原鉄道という路線が伸びています。この路線では秋田の綺麗な田園風景を見ることができ、すごく思い出のある路線です。普通列車にも時間帯により地元のガイドさんのような方がついていたり、列車の内装が凝っていたりと観光の際には是非乗っていただきたい路線です。今回は時間の都合もあり由利本荘で下車せずそのまま進んでいきます。

しばらく由利高原鉄道と並走したあと列車は再び海沿いに向けて進んでいきます。

この辺りは沿線にちょくちょく町が出てきまして仁賀保など海水浴ができる場所などもある活発な区間になります。

象潟を超えると再び海岸沿って走り始めます。

しばらくすると山形県に入り女鹿に到着します。漁港などもありますがまだ山間といった感じでもあります。

ここをすぎると進路を町の方へと変え内陸に進んでいきます。比較的大きな平野部だなと思っていると酒田に到着です。

 

第6県目:山形県

酒田は古くからある米穀倉庫があるなど観光でも有名なところです。当駅で秋田支社から新潟支社に管轄が変わるため特急いなほ以外のすべての列車がここで終点になります。乗り継ぎもそれほどよくないことが多いですが今回はそれほどでもなく、列車を乗り換えて南へ進んでいきます。

酒田で夜の町を観光などして本日を終了してもよかったのですが、快活クラブが遠いため先を進むことにしました。

この辺りは大きな平野で秋田第二の都市酒田と第三の都市鶴岡があったり山形内陸部へ向かう陸羽西線の始発である余目駅があるなど山形でもかなり重要になっている部分です。内陸の新庄や山形などの都市とは一風違った山形県を楽しむことができます。

普通列車は酒田を出ると大きくカーブするように進路を変え余目の町に向かって進んでいきます。余目で陸羽西線が分岐していくとしばらく真っすぐ進みますが、途中再び大きく進路を変えます。まるでコの字を書くような形で平野を進んでいくと鶴岡の市街に入りまもなく鶴岡に到着です。

ここから10分ほど歩き快活クラブにインしました。駅から近くて助かりました。写真や動画などの整理をして本日は明日に備えて早めの就寝となりました。この辺に来てようやく一段落という感じです。