鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

日本一周旅行前編⑤

 

7/26

 

本日は朝早く快活クラブを出て市街に繰り出しました。

写真を撮るためです。

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ここはベストの一枚だけの紹介にしときます。

札幌市営地下鉄南北線は地下鉄には珍しくゴムタイヤ式の列車が走っています。

レールを見えると案内軌道が見えるのがそれを感じさせます。よくみるとタイヤそのものも見えます。そして光が右側から入り込んでいると思うのですが、これは電気の光ではなく太陽光です。ここは地下ではなく地上なのです。ではなぜ屋根がついているのかというと防雪のためのシェルターとして屋根がついているからです。これだけ長い防雪シェルターが都市鉄道についているのは珍しいと思います。南北線は疑似的に全区間トンネルとなっています。

自衛隊前という駅でこの写真を撮ったのですが、車庫が近くにあるらしく始発列車が回送列車たくさん入線してきました。この回送は自衛隊の起床ラッパに見送られながら一つ隣のターミナル真駒内まで続々と送られて行きました。

この本数でダイヤ的にギリギリ被らないタイミングだったので、ラッシュ時はかなり被ることが多いんじゃないかなと思います。

 

次は市街に繰り出して路面電車を撮りました。

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ここはすすきの交差点なのですが、手軽に撮れる有名撮影地です。

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ポラリスと書いてある新型車両が来ました。

ここから西八丁目あたりまで歩きまして再び写真を撮りました。

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北海道庁と望遠で路面電車を絡めました。バチバチ車が映りこむような場所で交差点を三つくらい交わしています。

待っていると信号のタイミングでよく撮れると気があります。

この撮影地は季節と時間がかなり限定されている場所でこの季節はきつかったですね。

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このレベルでも撮るのにかなり時間を要しました。しかしオリジナルのものが撮れたかなという感じですね。

ここでかなり時間を食ってしまい、旧道庁そのものなど流し見する程度になってしまいましたが、結局コロナで閉館していたので気持ち的には折り合いがつきました。

 

札幌駅まで見物をしながら歩きまして、朝日が本気を出し始めたくらいで鉄道に乗り込みました。

 

函館本線[砂原線経由](札幌~森~大沼~函館)

札幌で小樽方面の列車に再び乗りました。函館本線は小樽でほぼすべての列車が終点となる場所です。小樽までの道のりは前の記事で書いたかなと思うので割愛です。

小樽に着いたら様々やりたいことがあったのですが、先ほどの撮影で時間をくってしまったので手宮公園など行くことはできませんでした。前回の小樽訪問からまる一週間たってしましまい火曜日だったので手宮公園の鉄道記念館は定休だったので気持ち的折合いはつきました。その代わりに手宮廃線跡ウォークと旧日本銀行小樽支店を見に行きました。

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これがなかなか楽しくてご満悦といった様子です。

銀行の写真は撮らなかったのですが、古い外見と北海道の金融の中心だった場所という解説がありました。それゆえに小樽が北海道のウォール街と呼ばれ発展していったのだということがわかりました。

因みにこの廃線になった手宮線は北海道で最初の鉄道で、函館本線とつながっていました。手宮線は函館本線の支線だったので解釈を拡大すると北海道最初の鉄道は函館本線だったととることもできます。この貨物駅があった手宮から札幌までが北海道の発展を支えた重要な物流ラインだったことは言うまでもありません。この手宮線を走る列車はアメリカ式のものだったらしく、スカートの部分などにその違いを感じることができます。聞くところによると北海道全体でアメリカ式が主流だったみたいです。

 

そんなこんなで小樽から一応上り列車ということになる列車に乗り込みました。一応というのはここから先長万部方面の列車はとても本数が少なく乗り継ぎが非常に悪い区間です。もうこれに乗るしかないといった感じで旅程に幅を持たせることができません。

特に今回は後述する砂原線を通る都合で自由が利きませんでした。

 

本数が少ないのでお客さんが相当少ないと思っていたらば、お客さんは観光客でぎゅうづめでした。というのも小樽から三駅先の余市までの区間は観光で有名なところで鉄道の需要がかなりあるようでした。特に余市に着くなり多くのお客さんが降りていきました。ワインが有名でそれなりに栄えている街です。

今乗っている函館本線区間北海道新幹線が札幌まで全通した後に旅客列車が廃止されると見込まれている地域で特に余市より先長万部までは自治体の協力度を加味するとほぼ廃止で確定だと思います。しかしこの余市では鉄道を残そうという動きがみられ試行錯誤しているみたいです。

その大昔、札幌から函館や本州を結ぶ鉄道はこの函館本線がメインで多くの特急列車などこの部分でも走っていました。しかし時代の経過とともに函館から札幌までを結ぶ第二のルートが台頭してきました。千歳線室蘭本線を経由するルートです。函館本線は山間を縫っていくてめ山線と呼ばれ、こちらの室蘭本線経由は海沿いをいくため海線と呼ばれることもあります。文字通り山線はその地形の都合上線形も悪く勾配もあるので、所要時間などの観点からメインルートは次第に海線へと移っていきました。

山線の沿線にはニセコなど観光地があるにも関わらず鉄道の利用者はどんどん減っていき、しまいには山線から特急列車が全廃されてしまいました。そして普通列車もどんどん減っていき、将来的にはその普通列車でさえ消滅するという非常に悲しい現状があります。その最後の輝きを記録すべくビデオカメラを回しました。現実的には北海道新幹線の全通にはまだ時間がかかるので、山線を記録するチャンスはまだあると思いますけれども。

余市から先は海沿いを離れてそのような事情がある山間区間をくねくね進んでいきます。そのまましばらく進んでいると倶知安に到着です。ここでまたもや全列車で乗換が必要となります。一つの重要幹線だった路線がこんなにも運用がブツブツ切られるくらいになってしまってオラ悲しいぞ。

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写真も何かを追悼するような表情です。

倶知安で駅をでて少し動画を撮りまた普通列車乗り込みました。

左手に羊蹄山、右手にニセコの山々を見ながら列車はずんずん山奥を進んでいきます。

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昼飯を食っていると思ってたより時間はかからずに長万部に到着しました。

なぜこの飯になったのかは後でわかります。

長万部からも変わらず函館本線ですが、函館と札幌間を結ぶメインルートになっている区間に入ります。しかし先ほど述べた北海道新幹線が完成した後は旅客のメインルート譲る形となり、鉄道の存続が危ぶまれています。ここも自治体が列車の存続に消極的ということが大きな理由ですが、貨物列車は新幹線を走る想定は現状ないので貨物専用線になる説などもあります。どちらにせよ旅客輸送の面では現状厳しいです。

そして長万部では有名な駅弁がありまして蟹飯の弁当を売っているのですが、この日はかにめし弁当は売り切れとのことでした。おそらくですがコロナの影響を受けて弁当の数を極端に減らしているか、もうほとんど作っていないのかなという印象を受けました。駅併設の売店でお土産として売っているのでそちらを買ってくださいという案内のみありました。しかしお土産用のものは弁当ではなく蟹のみで値段も弁当に比べ高めだったので買いませんでした。駅前もコロナの影響をもろに受けた感じで前より閑散としてしまったのだと思います。もともとここではチャンスがあれば弁当を買おうと思っていましたが、駄目でした。

長万部からは乗り継ぎの関係で特急列車に乗りまして少し飛ばしていきます。函館本線長万部からは完全に海に沿うような感じになりましてまもなく途中の八雲に停まりました。恒例の道内特急特有「停車時間は僅かです」アナウンスとともに停まり本当にすぐ発車していきました。

そして次の停車駅の森で降ります。降りるまでには何とか体制を立て直すことに成功しました。

森はいかめしが有名なところで、いかめし弁当を売っている売店があります。行ってみると閉まっていました。コロナの影響で店を閉めているとのことでした。

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止む無くポケモンのマンホールを撮に駅に帰りましたが、先ほど駅弁調達が不可であることが結構見込まれていたので昼飯を事前に食べていたのが功を奏しました。森は長万部よりもコロナで閑散としてしまったのかなと思いました。

 

函館本線はここから二つのルートに分かれています。真っすぐ函館を目指すルートと、山を迂回するようにぐるりと海沿いを行く通称砂原線と呼ばれているルートです。ここははっきりと鉄道要覧でも支線として別線扱いされている区間です。というのもこの砂原線はもともと函館本線の上り線として作られたものです。下りは現在と同じルートで昔から運行されていますが、なぜ上りと下りが全然違うルートで走っているのでしょうか。それは勾配を避けるためです。先ほども書きましたが、函館本線は森から先の大沼までの区間で山間を走っていて急坂区間を抱えています。そこで坂を登る側である上り線だけ山を迂回する線路をつくりそちらを走らせることで問題を解決しました。現在でもパワーのいる貨物列車などはこの砂原線経由で走っていますが、大半の列車は動力のパワーが上がったころにより本線経由でも坂を登れるようになりました。そのため砂原線は単線の単なるローカル線のように見えます。私も前回特急列車で函館を目指した時、上り列車れあったにも関わらず砂原線は通らず坂を登っていきました。本線から見えた車窓で夕暮れの大沼公園を見て綺麗だなと思った記憶があります。なので今回の砂原線大沼公園の横を通るのでもっと綺麗に見れるかなと期待していました。

普通列車に乗車しまして車内も空いていたので窓を開けて風を浴びながら爽快に進んでいきました。海風だったので髪の毛がパサパサになりましたが乗っているときの気持ちよさが勝ちました。

駒ヶ岳を大きく迂回しながら木が生い茂って包まれかけた駅名表があるようなところを走っていきます。大き目の駅でも乗り降りはほとんどなく間もなく右手に大沼公園が見えるところだと思いましたが、鉄道林が結構びっしりであまり公園はよく見えませんでした。結局期待した景色は見れずに大沼で本線と合流してしまいました。次は大沼公園で降りて景色を見たいなと思いながら列車は函館方面へと函館本線を進んでいきます。

地図を見ると大沼からも線路が分かれていて森から函館までの区間は8の字を描くよに線路があります。大沼からのものも勾配をさけるもので藤城線と呼ばれていますが、今度は札幌方面へ行く下り列車のためのもです。しかし砂原線とは違い本線と結構近い場所を走っており、それなのに函館本線で重要な駅である新函館北斗駅が藤城線にはありません。そのような関係で砂原線と同じような経緯を下手にも関わらず、藤城線は鉄道要覧に登録されていません。つまり正式には支線ではなく函館本線の下り線として扱われているわけです。下り線だけ二本少し離れた場所にあるなんて面白い配線ですね。

列車はそんなこと気にせずに函館本線上り線(坂は下る線)をぐんぐん進んでいきます。

五稜郭で昔はJR江差線だった道南いさりび鉄道と合流していよいよ荘厳な鉄道施設が広がってきます。緩いカーブに差し掛かると間もなく函館に到着です。

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砂原線を経由したことでこれにて北海道旅客鉄道の路線を完全乗車したこととなりました。

 

函館では函館山の五万ドルの夜景が最も有名だと思いますが、前回見たため登ろうか迷いました。前回大混雑だったことを考えると映像を撮るのにこの人が少ない状況はピッタリだと思い、函館山に登ることに決めました。

そうなってくると予定がカツカツで急がなければなりません。

末広町まで路面電車に乗り走って坂を駆け上がりました。

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函館港と路面電車を絡めて撮れる撮影地です。

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日が沈んできて光線状況も変わりました。こんなもんで二列車だけの挑戦でしたがぼちぼちうまくいきました。その後はハセガワストアというローカルコンビニまで走りました。ハセガワストアは焼き鳥弁当で有名なコンビニで函館周辺ローカルです。テイクアウトの注文をするとバス停まで走り函館山頂行きのバスに乗ります。

定刻で来たバスで一気に登っていくのですが、まだ明るく道路からは夜景といった感じではありませんでした。間に合った安堵感からか嬉々としてバスを降りました。

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まずは山の石碑から自撮りしました。まだ完全に昼です。計算を完全に間違ったかなという顔してます。しかし徐々に暗くなっていく動画を取ろうかなと考えビデオカメラを固定できる場所においてずっと回しっぱなしにしました。

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徐々に暗くなってきていい感じです。人も徐々に増えてきました。

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完全に日が沈みました。今日は曇りであまり先まで見通せないのですが、かなり綺麗です。やっぱり夜景は写真より実際に肉眼で見てみてほしいですね。私の技量がないのもちろんもありますが、その構造上写真で暗い景色を撮るのには限界があります。夜の景色は実際に赴く価値が他と比べると高いかなと思います。

もちろん私も感動したのですが、前回の方が綺麗だったかな?と感じる面もありました。初めて見た感動が大きすぎたのか、実際少し曇っていたのかもしれませんが感情的な面で前回と比べてしまったのかなとも思います。初めての感動を超えることはできないとよく聞きますが、必ずしもそうではないなと思っています。しかしこのときは正にそうなってしまいました。このときはもちろん分からないことですが、今となってはこの後の展開が記憶に刻まれてしまったこともあるかもしれません。

そんなことを考えながらなんだかんだ綺麗だったな~、帰り道も期待だなと思いながらバスに乗り込みました。しかしバスは消灯されていました。

発車の5分前なのに運転手いないのか?と不思議に思っていると間もなく明かりがつき発車準備を始めました。これが3分ほど前の事です。

乗客も明かりに合わせて乗ってきたのでおかしいと思い、バス停の時刻表を再確認すると下調べの時間より10分遅い発車時刻になっていました。これはまずいと行程を再度見直すと乗換2分がギリギリ確保されていました。ワンチャンにかけようと意を決しましたが、前回訪問時のバスの混雑具合を思い出し顔が青ざめます。

乗換案内に反映されていなかった時刻でバスは発車していきました。焦ってもバスは早くならないので、映像を必死で撮り続けました。函館登山バスはこの道中も見どころなのです。山を下り切り、途中の市街バス停を出たところ時刻を見ると想定時刻の15分延となっていました。こうなるともう列車には間に合いません。列車が遅延していることもあるかと必死で調べたりして、一応駅に着いたときに走りましたが列車はいませんでした。これにより旅程の変更を余儀なくされることとなりました。

本来はこの後新幹線に乗り換え、盛岡まで行く予定だったのですがそれが不可能になりました。新幹線の限界地点が新青森までとなりそれでもうしょうがないと納得せざるを得ませんでした。

敗因としてはネットの乗換案内を信じすぎて帰りの時刻表を着いたときにバス停で確認しなかったことが一つです。散々バスは気をつけろと学んできましたが浮かれていました。それとこれも乗換案内の過信ですが、登山ロープウェーなるものが函館山にはあります。しかし乗換案内に登録されていないのかわかりませんが、ロープウェー経由のルートは一つも出てきませんでした。それに気づけば乗り遅れの時点やそれより前にロープウェーで下山し事なきを得たのではないかなと思います。

ここまで急いで様々なことを犠牲にしてきたのにと思うと笑えてきますが、頭を切り替えて特急券を変更してもらいホームに入りました。

函館のカーブしたホームで先ほどかった焼き鳥弁当をゆっくり食べます。本来は新幹線の車内で食べる予定でしたが、ホームで食べるのもなかなか風情がありました。

食べてる途中に乗る列車がホームに入線してきました。

結果どうであれ困難なシーンが終わり気持ちはほっとしていました。そんなこんなで新函館北斗の仰々しい変電設備が見えてくるとともに駅に到着しました。

 

北海道新幹線(新函館北斗新青森)

新函館北斗ではこの先延伸工事がしやすいような形になっている駅を見ることができます。北海道新幹線は現在多くの列車が東京から東北新幹線を通り新函館北斗まで乗り入れていますが、将来的には札幌まで延伸する計画です。これはかなり現実味が高い計画で沿線自治体では残される在来線について取り沙汰されています。

これまで新幹線開業での在来線の姿に嘆き悲しんでいる記事が多かったですが、実際新幹線の幹線は楽しみでもあります。東京から直接新幹線で札幌に行けるようになるのはかなりロマンがあります。運賃や所要時間など合理的に考えると航空路線に負けるのかもしれませんが、かかる手間や天候に左右されるということを考えると新幹線延伸の効果はかなり高いんじゃないかと思います。実際新千歳空港って札幌からなまら遠くないすか?

そんなことを考えていると上りの最終列車はやて100号青森行きが発車しました。

この列車は東北新幹線に乗り入れずJR北海道で完結する唯一の上り列車です。

新函館北斗を出ると間もなく木古内に停まりました。前述したと思いますが、道南いさりび鉄道は昔JR江差線で新幹線開業時に経営が分離されました。江差線は函館から木古内を経て日本海側の江差まで路線が伸びたいたのですが、道南いさりび鉄道になるときに木古内から先の区間が廃止されました。これにより木古内は道内最奥のターミナルになりました。

木古内を出ると間もなくトンネルに入りますが、この辺のトンネルはまだ青函トンネルではありません。見てるとあまり気づきませんが普通のトンネルと青函トンネルの境目があいまいで注意していないと確認するのが難しいです。特に夜はほとんどわかりません。しかし車内の液晶で青函トンネルに入りましたと案内してくれるのでそれで気分を味わえます。多分これは故障などの防災を意識した表示だと思ってますが、違うでしょうか?

トンネルの中にやけに光っている区間がいくつかありますが、トンネルを管理している設備の光です。陸地の一番端らへんのところに設けられていて在来線時代は竜飛海底という駅まで設けられていたこともあります。ツアーなど見学がメインで、一応階段があって地上にも上がれるみたいです。現在は竜飛定点という施設名になっています。竜飛崎のある竜飛定点は青森側の施設で北海道側は吉岡定点という管理施設があります。

竜飛定点を過ぎると列車は勾配を上がり始めます。

新幹線はトンネルを颯爽と抜けたように見えますが、実は全力を出し切れずにいます。これは線路を貨物列車と共用しているからです。じつはこの青函トンネルの線路は三線軌条になっていて、貨物列車と新幹線が線路を共有している区間になっています。その都合上、新幹線の風による荷崩れを防ぐために速度が制限されています。北海道側では木古内から延びていた在来線がトンネルに入る前に合流していたのに気づきませんでした。坂を登りきるとトンネルで列車に火事があった際にここまで全力で走り、消火するというための消火設備があります。本州側の北海道新幹線は次の駅が遠いためこのような構造になっています。

しばらく走ると新中小国信号場という大きな信号場が見えてきます。ここは駅ではないのですが在来線が分岐し津軽線に合流していく場所です。北海道新幹線新青森までJR北海道の管轄ですが、この信号場から向こう側の在来線はJR東の管轄となります。在来線の津軽線にもここから北海道寄りに線路が続いているのですが、貨物列車は全てこの信号場で新幹線に合流していくので雰囲気をここを境目に雰囲気が違ってきます。

しかし今回は新幹線に乗っているのでそのような雰囲気の違いは見られず新青森まで颯爽と走ります。新幹線にとってはこの信号場から貨物列車が分岐していくので全力も出せるようになるということです。

信号場を超えると徐々に光が見え始め、新青森につきました。

今回はせっかくなのでここから青森まで足を運ぶことにしました。

全県の県庁所在地でも回ろうかな~などという考えもありました。

 

第3県目:青森県

 

奥羽本線(新青森~青森)

在来線に乗り換え市街に向かって一駅いくのですが、個人的に青森駅の配線がすごく好きなんですよね。

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青い森鉄道と書いてあるのは昔東北本線だった路線で東京から続く一大幹線です。奥羽本線も相当な幹線でその両者が青森駅でカーブを描き頭をそろえて合流しています。そしてその両者を直線で結ぶ支線によって奥羽本線側に伸びる津軽線にもスムーズに行けるようになっています。それより貨物列車などにとっては方向調整の意味でこの線が設けられたみたいですが。それはともかくとして、この駅の端っこが海に向いてることによって港との接続がスムーズにできるようになっていて青函連絡船時代を思わせます。「上野発の夜行列車降りたときから」という歌詞は有名ですがこれは青森駅青函連絡船に乗り換えるときの状況だと思われます。その証拠にその後には青森駅での情景が歌われます。そしてその船で津軽海峡を越えていくところが直接的に歌詞で表現されていて題名にもなっているようなところです。今はその景色は見れませんが青森駅でそれを感じることは十分にできます。もっとも青森を冬に訪れたことはなくて雪景色すら見たことはないですがね。それでもこの配線にはすごい芸術性を感じられます。まさに本州の果ての一大港に相応しい配線だなと思います。

青森にはいつも利用しているネットカフェがあったのですが、今回は充電体力ともに余力があったので野宿しました。

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砂浜にテントを張ってしまいました。心地はよかったですがあまりいいことではなかったですかね。

 

次回はいよいよ本州編に突入していきます。