鉄道巡検・旅行録

鉄道巡検録と鉄道旅行録を掲載します。

日本一周旅行前編➁

本日も最長片道切符を受け取りのため東京からの出発です。

 

7/20

この日は高速バスにて東京駅から成田空港まで行きました。

これは出発が第三ターミナルだったということが大きいです。最寄りの鉄道駅からはかなり離れた位置にあるので、第三ターミナルではバスで行った方がいいです。運賃もさほど変わりありません。今回はオリンピックのための首都高値上げと重なり道が空いていたので快適にたどり着くことができました。

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おまたせいつものターミナルさんです。航空移動が全部lccとはたまげたなぁ

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エコノミー並の感想しか出てこない写真を撮ってる間に新千歳に到着しました。

今回は出発から友人の動向です。

 

第2県目:北海道

空港をゆっくり見たかったのですが、閉まってる施設がおおかったのでそうそうに列車に乗りました。ここでついに今回のテーマであるJR線中心の旅行がスタートします。

 

快速エアポート(新千歳空港~札幌~小樽)

快速エアポート千歳線支部である新千歳空港駅から本線を経由し、白石からは函館本線に乗り入れ札幌へと至る列車です。一部の列車は小樽まで乗り入れます。空港から札幌までは結構かかるのですが、快速は通過駅の設定などもあり比較的スイスイ行きます。北海道を訪れると必ずと言っていいほどお世話になる代表格的な列車だと思います。そのまま小樽に行く列車があるのも非常に便利です。札幌から小樽の間は景色がいい区間があるので列車移動が非常にオススメです。小樽のバスは発展してますし、そこまで観光エリアが広くないので車がなくても不便を感じないと思います。それぞれの路線についてはまたしっかりと乗るのでそこで解説します。

 

小樽についたらまずはお決まりの看板で自撮りです。

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その後は早速昼ご飯を食べに商店街に向かいました。

この商店街なのですが、歌舞伎町バリのキャッチが海鮮丼を勧めてきましたが目的の店があったのでそこを目指しました。

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たけださんです。ここは前回北海道に来た時も訪問しており、安くて満足度の高い店だと予めマークしていました。

長考した後メニューを決定しました。

この店はお通しで出てくるさきいかみたいなやつがうますぎるんです。

これ店頭で売ってるんですけど一回も買ったことないのでいつか買って帰りたいです。

そうこうしているうちに丼が到着しました。

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超てんこ盛りです。これが二千円しないで食べられるのですから物凄いです。

これはかなりテンションあがりましたね。めっちゃうまかったです。

その後は小樽運河など散策しました。

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手宮公園など鉄道ゆかりの場所に行きたかったのですが、火曜が定休らしく諦めました。ゆっくりしたら札幌に帰ります。

札幌駅前のらーめん共和国に行きました。ここは時間がないときの定番です。

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らーめん空の味噌ラーメンです。やっぱり味噌ラーメンは欠かせません。

海鮮丼を食べてそんなに時間は経ってませんでしたが、ペロリと食べれました。

味噌ラーメンは体が温かくなるようにいろいろ工夫がされている反面、冷めにくいラーメンだと思っているので急いでいるときはやけどに注意する必要があります。

店を出ると時間がないことはあらかじめわかっていたのですが、想像よりも時間がないことが判明したので走って大通りバスセンターまで向かいました。

ギリギリバスに滑り込むことができました。

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このバスで一気に稚内まで行きます。五時間を超えるかなりの長旅になります。

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夕日に照らされていい感じの中砂川SAで休憩です。北海道まで東日本の管轄なのは面白いですね。高速は東、中、西の三社がメインでの管理しています。国鉄もこのように分離した方がよかった説もありますね。

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羽幌の道の駅のような施設で休憩です。

サンセットプラザとありますし、もう少し日が沈むのが遅ければ夕日が綺麗に見えたのでしょうか。

ここからさらに進むこと数時間で稚内の到着です。

バスお降りた瞬間肌寒さを感じました。札幌とは気温が全然違い最北に街に来たことを感じさせました。

この日はゲストハウスモシリパに止まりました。ドミトリー型の宿ですが個室の部屋もあったので助かりました。

 

7/21

この日の朝はゆっくりの起床でした。レンタカー屋が空く時間に合わせるといつも始発の時間に起きている私としてはゆっくりなものです。

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ゲストハウスで鹿肉のカレーを食べました。カレーを食べると旅感が出るのはなぜでしょうか。鹿肉もしっかり存在感がありよかったです。

 

その後はレンタカーで最北の地を目指します。

沖縄とは対照的に北海道の道はスイスイなのですぐ着きました。

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宗谷岬です。曇っているのかモヤっぽいのかわかりませんが、見通しはよくありませんでした。カラっと晴れていれば樺太などが見える場所です。この辺は軍事的にも重要な場所で日本軍の施設などちらほらありました。その後は日本海側へと戻りサロベツ原野センターへ行きました。

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ここがなかなか良い施設で実際にサロベツ原野に設置された遊歩道の中を歩くことができます。入場料はなんと無料です。道北らしさを感じるには是非訪れたい場所だと思います。その後は車の機動性を活かしこのセンターと撮影地の間を往復するように動きました。列車の本数が少ないので、空き時間に観光するためです。レンタカーやレンタサイクルがあるとこのスタイルをとれるので特に本数が少ない場所では非常に有効です。

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野原を駆け抜けるサロベツ号です。望遠にするか普通のレンズにするか悩みましたが、普通のレンズにしました。なかなか道北らしい風景を撮れたんじゃないかと思います。

その後ノシャップ岬にも行きました。

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その後は稚内市街に戻り、定番の防波堤ドームやフェリーターミナルなど観光しました。樺太記念館なるものを通りすがりに偶然見つけたので入っていました。

ここがかなり良い場所で樺太ソ連に関連したしられざる歴史を知ることができました。樺太には日本が敷いた鉄道もあったので目を見張るものがありました。現在は正式にロシアの領土となっており、観光資源としての可能性を秘めていると思います。

その後レンタカーを返却し、稚内駅に行きました。またもや時間が差し迫っていることに気づき、走って駅に向かいました。記念撮影や駅弁を買おうと思っていたのですが、全くできずに列車に乗り込むことになりました。

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わずかに映像から残っている部分を探したのですが、一番いいところに人がいて文字が隠れてしまっています。なんとタイミングの悪いことかと思います。

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これなら看板が隠れていませんが肝心の文字が読めません。

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これだと北端の文字がギリギリ見えます。

 

wikipediaより引用させていただきましたが実際はこのような看板です。

きちんと西大山のことも書いてあり、ちゃんと見ていれば最南端での感動も増していたのかなと思います。しかし乗り遅れるわけにはいかないので友人にも申し訳ないですが先を急がしてもらいました。

 

なんだかんだありましたが、ここからついの最長片道切符の旅がスタートしました。9000kmを超える日本一長い片道切符の旅が始まります。

 
➁宗谷本線(稚内旭川)

ついに本格的な路線紹介がスタートです。まず最初は宗谷本線です。

宗谷本線は稚内から新旭川を結ぶ路線です。多くの列車はそのまま函館本線に乗り入れ札幌を目指します。

宗谷本線はもともとは樺太への連絡鉄道としての役割を期待され敷設された鉄道です。その期待通り感染症が流行するまで稚内からコルサフまでの定期航路が就航していました。終戦までの間は日本領だったこともあり、鉄道連絡船も就航していました。

現在では戦後の条約により樺太はロシア領だと記述があるため、ロシアへの正式な入国手続きは経れば樺太に行くことが可能です。この辺のロシアは入国が比較的楽なこともあり、観光資源のポテンシャルは高いと思います。

話がそれましたが、そんな国防や経済の面からも重要である地域を鉄道で結ぶ重要な路線なので、JR時代になってもなお高速化が行われるなど活躍が期待されています。

しかし樺太には際立った経済効果があるわけでもなく、北海道全域で盛んであった石炭産業が廃れてしまい石炭輸送の需要が消えました。沿線にもさほど人口は多くないのでたびたび存続問題も議論にあがります。特に途中の名寄までの区間は荒野とも言ってもよいような状態で利用者は旅行者か多少の地元民しかいません。車社会や航空輸送が発展した現代において確かにこのような路線は不要にも見えます。

しかし鉄道には一度に大量の物資を輸送できる利点があります。この特性は国防についてはもちろんですが様々な可能性を秘めていると思います。このような路線が一つの民間会社に管理が委託されてしまっていることが非常に勿体ないと感じています。廃線にならないことを願うばかりです。

一方名寄からの区間は市規模の街を二つ抱えており、先ほどの区間に比べれば需要があると思います。それでも路線の維持費とは見合わないと思いますが、鉄道と一体化した街づくりがされれば維持していくことは可能ではないかと考えさせられます。

かつては名寄から深川に至る深名線紋別を経由し遠軽に至る名寄本線など伸びていたのですが、どちらも廃止されてしまいました。

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しばらくするとあたりが暗くなりはじめ、うとうとしていると旭川に到着です。

切符の決まり上追加精算が必要になります。このような精算は今旅行で多く行われました。

 

イオン旭川で夕飯など買い物を済ませ、宿に向かいました。

本日はホテルテトラに宿泊です。

 

ゆっくりして休みたかったのですが、ここでカメラのバッテリーパックをサロベツセンターの近くの撮影地に置いてきたことに気づきます。かなり焦って方法を様々な人にSNSで聞きました。最終的には友人を旭川に残し、夜の間に往復7時間ほどかけレンタカーで回収しに行く案が有力でした。しかし別の友人から警察に相談してはどうかと助言を頂き、電話しとたところ回収に動いてくれる可能性があるとのことでほっと胸をなでおろしました。この電話までの30分間かなり焦っていましたが希望の光が見えました。日付が変わってしばらくすると警察から折り返しの電話が来ました。その撮影地にものがあったとのことでひとまず回収していただきました。警察の方には感謝しかありません。その後は郵送か回収をした警察署まで取りに行くかの二択でしたが、郵送の所要日数を考えると道内で受け取ることは厳しいと判断しました。本州内で受け取ることを告げ、その日は無事に一日終えることができました。

 

7/22

昨日はバッテリーパックの件もあり興奮冷めやらない状態だったのであまり眠ることができませんでしたが、予定通り出発することができました。

昨晩とは違う風景を見せる旭川駅からまたも特急列車に乗り込みます。

 

石北本線(旭川新旭川~網走)

今回乗車したのは札幌から来た特急オホーツク号です。

石北本線新旭川から宗谷本線から分岐し網走に至る路線です。

地図を見ると新旭川で分岐せずもっと先で分岐すればよかったのではと思いましたが、これは早く分岐させ違うルートを取ることにより広範囲の地域に鉄道を利用してもらおうと意図があるそうです。しかしこの方法では一路線当たりの列車本数が少なくなってしまうので、線路を敷いた当時は本数がそれなりにあったのかもしれませんが状況が変わってしまった今ではマイナスに働いていると思います。

そのような事情を抱えた旭川の市街を抜けるとほどなくして上川です。この駅では乗降する方がぱらぱらとおられました。スキージャンプで有名な高梨沙良の出生地でもあります。

上川を超えるといよいよ峠越えが始まります。まずは北見峠です。

ここから先の区間は廃駅のオンパレードです。たった一人の高校生のためにあった駅がその学生の卒業とともに廃駅になった有名な話もこの辺りです。

廃駅の周りはgooglemapで見ると家があるように見えますが、全て空き家です。

窓は割れ猫が住み着いています。北海道には開拓によって産まれた街が多く、開拓は鉄道とともにやってきます。街にはほぼ必ず鉄道の駅がセットであるのですが、そこから人が消え最後には駅も消えるということが各地で発生しています。寂しい話ですが都市一極集中が進む現状では仕方ありません。さらには人口減少など様々理由があると思いますが、寒くて雪も多いという厳しい自然環境もそれを加速させていると思います。

なんとかならないものかと考えても、こんなとろこに住もうとすることが間違いなのではと思ってしまうほど厳しい状態です。自分の頭で考えてもポジティブな考えは何も浮かびませんでした。悲しいことです。

そうこうしていると峠を越えが終わり遠軽に到着です。この駅でスイッチバックを行います。

このスイッチバックは勾配の関係ではなく、この先に路線が続いていたことが理由です。サロマ湖の方へと続く路線が遠軽に接続しており、そちらの方面へ自然とつながるような線形になっていたのですが、現在その路線は廃止されています。

不自然なスイッチバックをスムーズに終え発車します。

遠軽を出ると再び峠越えが始まります。常紋峠です。

この峠には心霊スポットとして有名な常紋トンネルがあります。

常紋トンネルから人骨が発見されたことが理由です。

少し昔、大きな地震が起こった拍子に壁から人骨が出土し、調査を行った結果壁に人骨が埋め込まれていることがわかりました。このトンネルの建設には過酷な環境での労働者が携わっており、いわゆるタコ部屋労働というものが行われていました。人権を無視すような労働で、健康を害し衰弱するものも多くいました。そのような人を看病するより見捨ててしまった方が早いので、その後始末の際に隠ぺいを兼ねて壁に埋まられたのだと言われています。

トンネルを抜けた先に慰霊碑が立っています。

以前まではこの辺に駅があり、この関係の場所に列車で行くことができたのですがその駅は現在廃止されまして列車で行くことは難しくなりました。有名な列車の撮影地もあったのですが、霊よりも熊が怖いと言われるほど鬱蒼とした場所になってしまったようです。車でも訪れることは相当大変みたいです。

そのようないわくつきのトンネルを抜けしばらくすると留辺蘂です。

漢字が難しいことで有名ですがよみかたは「るべしべ」ですのでそこまで難しくないと思います。

留辺蘂からしばらく走ると北海道でも有数の街である北見に到着です。

都市の人口でも道内で一桁代にランクインする都市です。

カーリングで有名なチームの本拠地であったり、タマネギやジャガイモなどの農業も盛んです。

ここからタマネギを運ぶ貨物列車なども有名みたいです。

中間の駅はどんどん廃止されていきますが、このような大きい町や盛んな産業を見ると鉄道マニアとしては未来が感じられ嬉しい限りです。この駅から十勝方面へ進む池田線という路線が最近までありましたが、廃止されました。

北見を出るとまたもや少し山がちな地形になりますが、すぐそれも終わりまして美幌につきます。この駅からも南下し阿寒湖の方面へ至る路線がありましたが廃止されました。

北見からは街同市の距離が近いみたいで美幌を出てすぐ女満別につきます。女満別空港で有名な場所だと思ますが、最寄り駅は一個前の西女満別になります。地方の空港では駅から遠いケースが多いというか個人的な経験ではほとんどがそうだと思うのですが、この空港は駅から近いです。しかし調べたところ最短距離を行く道がないことから30分弱はかかるみたいで現実的に使う人は少なそうです。そもそも空港まで列車を使わず便利なバスで行く人がほとんどだと思うので、今後こもの状況は変わらないと思います。

女満別を超えると網走湖の湖畔に入り、キャンプ場などリゾート感が漂ってきます。

まもなくして網走に到着です。

この札幌方面から網走に至るルートは網走監獄に集まられた超大数の囚人により作れた中央道路と呼ばれるルートで、道内でも古くからの歴史がある重要なルートです。当時は監獄に収容されていた囚人も重要な人的資源であり輸送物資だったわけで、鉄道の強みが生きるような路線でした。しかしその一大監獄も役目を終了し、空港ができたこともあり鉄道にとって厳しい状況です。

都市間輸送において単純に利便性を追求しお客さんを増やすことよりも、その土地の産業に重きを置くことによって生まれる雇用や経済効果から旅客輸送と貨物輸送の両面からアプローチすることが重要と考えています。それは網走を観光してみて人がこんなに住んでいて活発な街なのに、なぜ鉄道がここまで衰退したのか自分なりに考えて出た結論です。単純に衰退している町と鉄道の関係を考えるのとは少し違った、難しい問題が石北本線にはあると考えています。

北海道の国土に関する問題を考えると悲しくなりますが、ここからは楽しい観光です。

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網走駅前で自撮りしました。駅名が縦書きなのには意味があり、監獄で刑期を終え出所した人が、曲がることなく真っすぐに生きてほしいという願いが困られているそうです。横書きでも真っすぐに書けばいいのではと思いましたが、いったん置いとくこととします。

駅から少し行ったところでレンタカーを借り網走監獄へと向かいます。

と思いましたが、もうビデオカメラのバッテリーが限界だったので市街まで出て新しいバッテリーパックを買いました。既存のパックだけでは不十分だと思いっていたので紛失したものが返ってきたときの増強も兼ねていました。しかしこれが本当に高い。

さらに購入したバッテリーは充電がされていない状態でした。考えてみれば当然ですが、このときは死活問題でした。時間もないので一旦動画は携帯に任せました。

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多分監獄の外壁の写真です。携帯で動画を撮ってた関係上手元が忙しかったので写真はあまりないです。

網走の街は監獄とともに成長した背景がありますので、先ほどにも述べたように鉄道の発展に関わる重要な産業です。今回は監獄といった特殊なものですが、産業をしっかり見学することに意欲がわいてきたのはこのあたりです。このような気づきは自分の頭では現地に行かないとわからないことで、私の人生にとって非常に価値のあるものだと思います。社会にとって価値のあるものかどうかは今後の自分次第であると思います。

時間の関係上少し急ぎ足になってしまったことが友人に申し訳なかったなと思います。

多分ここは一日がかりで見るような規模の観光地だと思います。相当大きく内容も濃かったです。

夕方には移動をして北方民族博物館を見学しました。ここは北海道のみならず、オホーツク海周辺の極寒の地に住む民族や高緯度に住む様々な民族の資料があり興味深かったです。

その後は少し時間を貰い列車を撮りに行きました。

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特急大雪です。ネットによる調査よりも草木がかなり生えていて交わすのに一苦労でした。ビデオと違いこちらはバッテリーの充電がしばらくできないので節約しながらでしたがなんとか良さげなのが撮れました。豪雪地帯では冬と夏の草の量が全く違うので今後注意が必要だと思いました。奥の川みたいのは網走湖から流れる網走川です。

時間的に観光地は既に閉まっていたので、再び市街に出て某ファーストフードで充電させていただきました。きちんと係員に許可はとりましたが、多分あまりよろしくないことっぽいので店名は伏せておきます。

そして明日にその得て知床方面へと車を走らせました。

延々と続く一本道と徐々に濃くなる霧が印象的でした。この霧がめっちゃ濃くて気を使いました。

本日は道の駅ウトロで車中泊です。

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キャンピングカーがたくさん泊まっていたりと寝静まってはいましたが大盛況といった感じでした。

 

7/23

本日も十分に休めたとはいいがたいですがスタートです。

起きてた時間の方がおおいので起床の感想が書けないんですよね。

友人は寝ていましたが予定の時間になったのでセイコーマートまで車を走らせ朝食を買いました。体力的にハードになるためしっかり飯は食いました。

その後はもう一回道の駅まで戻りいよいよ待ちに待った知床ツアーが始まります。

道の駅でスムーズに合流し送迎の車へと乗り込みます。

ツアーの予約時に送られてきていた写真では、失礼ですがガイドの方は完全に老いているおじさんだ思っていました。しかし実際に見てみるとテキパキ動く完全なイケメンおじさんでした。年齢を感じさせないその動きは今日の一日がいいものになると予感させました。よく見ると顔も全然若く見えて宣材写真変えればいいのにと思わぜるを得ませんでした。この感想は友人も禿同といった感じでした。

今日はもう一組一緒に動く参加者がいたみたいで合流もスムーズに済ませ知床国立公園へ間もなく到着しました。

この国立公園はかなりしっかりとした管理がされており、入場の時間が15分おきに決められているみたいでした。それにより直接公園の管理局に許可をもらう必要があり、ガイドなしでの入場は不可能みたいでした。

現地で元気なおばあさんたちも合流し一緒に公園へと入ります。この日最初の組だったみたいです。

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知床五胡を巡るコースでした。この日も晴れてはいるがうっすらモヤがかかっているようで、カラッした晴れではなく見通しは悪かったです。ですがうっすら周りの山々が見えました。北海道ではこの季節に見通しの良く晴れれことは珍しいのでしょうか。

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筒抜けになった木です。天井が空いていますがまだ生きてる木らしいです。このように人間のてがほとんど入っていない自然を見ることができます。

この知床国立公園ですが、その自然がゆえ熊がよく出没するようで入場の管理もその関係のようです。度々ガイドが本部と通信を行ったり、熊がいないか声を出して確認したり対策が厳重に取られていました。幸いここ一週間ほど熊は出てないみたいでスムーズにいきました。

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ピンクの花です。ガイドの解説がビデオカメラに入ってると思うので動画作るときに改めて復習しようと思います。

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多分スイレンかなんかだと思います。

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綺麗に晴れていれば綺麗に反射する山々が見えます。

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これは利尻富士ですかね?メモしとかなかったのでわからなくなりました。雰囲気一番いいショットです。ここでは魅力を十分に伝えられていいないと思いますがとても良いところでした。別の国立公園からは一線を画す場所だと思います。学術的にもすごいところなのでもっと勉強していけばするほどその魅力は増えると思います。

その後は送迎の車でいったん道の駅に戻りました。ここで昼ごはんタイムです。道の駅は大変混むので早めに店を決めて食べた方がよいとアドバイスをいただきました。これはイケメン。

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今回は蕎麦で腹を満たしました。もっとご当地感のあるものもありましたが、観光によりその成分は存分に補っているので今回は我慢です。よくあるとってつけたようなご当地飯を食べても楽しめれば全然いいですし、実際自分も食べたかったのですがそれより価値のあるものをたくさん見てきたおかげでそこまでしなくてもいいかなと思いました。もちろんこの先の旅行のことも考えてですが。

昼ごはんタイムを終えたところで早めにガイドさんと合流しました。それは本日のツアー後の予定がカツカツなので行きと逆順で車から降ろしてもらえないか交渉するためでした。その旨を伝えると、最後に船に乗るのでその下船場所まで自分たちの車を移動させてもらえるとのことになりました。これはイケメンすぎる手配です。

そのような話をした後、送迎の車に乗り込みフレペの滝というところまで向かいました。さきほどの国立公園へと向かう途中の公園管理局のような施設で車を降り歩いて向かいます。

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入り口には熊が出たときに使う看板がありました。実際に立ち入り禁止になった場合これを持って写真を撮ることが多いそうで、今回は入れますが洒落の聞いたガイドさんが写真を撮るかと勧めていただいたので撮ってもらいました。立ち入り可能なのに写真撮るのは草生えます。

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写っているのは宇登呂灯台です。この灯台関連の電気線が埋められていることが目に見えてわかったり、実際に電気を引いていた時代の名残で草原を貫く一本道があったりと様々面白い遺構がありました。船も写っていますがこの後これに乗ります。

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展望スペースがあったのでそこから滝を見ました。このフレペの滝は乙女の涙と呼ばれています。地下水がしとしとと流れ落ちる様子からそう呼ばれているみたいです。男の涙と呼ばれている滝もあるみたいで船からだと見えるみたいです。

その後はまた送迎の車まで戻り船の乗船上まで向かいます。ちゃんとしたトイレがこの先ないので休憩ということで10分ほど管理局で休憩しました。管理局が意外とすごい施設だったみたいで、そこを観光している人たちもたくさんいました。休憩している間に熊が灯台の方で出たらしく、なんと先ほどの立ち入り禁止看板が実際に使用されていました。これは洒落にならんと思ったけど洒落になりました。

休憩を済ませ乗船上まで送ってもらいます。その途中で道の駅に寄ってもらい、一人だけ下車し自分の車に乗り込みました。送迎の車の後ろをついて車を運転し、下船場所まで誘導してもらいました。有難すぎる。下船場所からはまた送迎の車に乗って乗船場所まで行きました。ここからはゴジラ岩クルーズ船という船に乗って海側から国立公園を見ます。この後の予定が思っていたよりカツカツなことが判明していたので時間との勝負がここから始まりました。

結構多くの方が乗船されるみたいで乗船には結構時間を要しました。2分ほど延発しましたが比較的スムーズに出航しました。

最果ての地で見る自然は美しく素晴らしいものでした。自然が残っているのは陸だけでなく海も例外ではありません。航行中にイルカが何度も見えランデブーのような形になることもありました。漁師専用の道のような沿岸にありましたが、それを超えて奥へと進んでいくと流氷によって削られた崖が際立ってそり立っていました。

そしてなだらかなところで熊を見ることができました。案内には熊の聖地(メッカ)と書いてありまして、熊のエルサレムでもメディナでもいいじゃないかと思ったのを覚えていますがどうでもいいことです。

この日は熊が比較的を多く見られたみたいで、泳ぐクマや昼寝中のクマなど様々な様子を観察することができました。

こんな奥まで行くのかと思っていると間もなく折り返しました。計算上航行の丁度半分の時間で折り返すはずと思っていましたが、少し過ぎたころで往路が始まりました。行きはクルーズのためにゆっくり進んでいたのでダイヤ通りなんだと思います。船にも小さなトイレがあったので移動してトイレに行きました。沖縄の船でも見た海水くみ上げ式のトイレです。用を足すとガイドさんが乗っているのが見えたので移動して下船までながながと話していました。船のエンジン音でなかなか声が通りづらかったのですが、身振り手振りを交えおしゃべりしました。他愛のないことから船員の放送ではなかった知識など様々なことを聞かせていただきました。クルーズの間友人はずっとぐったりしていたのであまり無理しないようにと声をかけてもいただきました。それもあって友人のためにもこのクルーズを映像に収めることに必死だったので写真はありません。厳しい日程を組んだ自分に責任はあるので見どころを撮り逃すわけにはいきませんでした。

最後にガイドさんに感謝の意を伝え下船しました。下船時もここなら一番に陣取れると指示をしていただきどこまでイケメンなのかと感服いたしました。船を一番に降りるとこの先も楽しんでと言って手を振っていただき、とても良い気分になりました。こちらも長々と手を振りたかったのですが、その余裕はありませんでした。下船者が道を列になってふさぐ前に車を出さなければいけなかったので車までダッシュしました。

結局船は10分ほど延着し事態は一刻を争う状況になりました。友人は今日のフライトで帰る予定だったのでかなり焦りました。

気持ちが昂りすぎてしまうところを友人に宥めてもらいながら車を走らせました。

もう間に合わなくても仕方がないと言ってはもらっていたものの、自分も今日中に釧路までいけるかどうかがかかっており後に引くことは難しい状況でした。

友人の宥めは大変効果があり、安全なラインを保ったまま快速な運転を行うことができました。実は前日の運転である程度道の下見を行っていたこともあって現実的な到着時刻をナビアプリも参考に想定していました。徐々に網走市街が近づいてきたので、友人がレンタカーへ電話して駅までの送迎をスムーズに行えるよう頼んでくれました。市街にはいったころにはもう列車には間に合わないことが現実味を帯びてきました。友人の空港行きバスは列車発車の少し後の発車なので、そっちはまだ間に合うはずだと思いながら手短にレンタカーの返却をすましました。そのままバスターミナルや空港へ行くにしても、店の閉店に合わせていたレンタカーの返却時間も迫っていて厳しいものがありました。レンタカー出口で待っていたタクシーに乗るともうバスの発車まで1,2分というところでした。運転手の話によると1,2分でバスターミナルへ行くことは無理とのことで、事前の調べでもそれは現実的に不可能とわかっていました。それでもバス遅延の可能性があるのでなるべく早めに行ってほしいとお願いしたところ、どこまで行くのか聞かれました。空港まで行くと答えたところ、そのバスが停まるバス停がレンタカー寄りにあるとのことでそこで降ろしてもらうことになりました。確かにその発想が抜け落ちていたと自分の視野の狭さを痛感しました。空港行きバスはレンタカーのある通りを走り、なおかつバス停がいくつかあるという系統でした。この事実がわかっていればもう少し余裕がもてたのかなと思っているうちにすぐバス停につきました。友人と長々と喋る暇もなく、気を付けてと声をかけ分かれることになりました。事前にスケジュールを共有してはいたものの、散々振り回してしまい申し訳なかったと思いながら、タクシーから空港行きバスがバス停に停車し、多くの客を乗せ発車するところを見届けました。友人はまさか間に合うと思っていなかったという様子でバスへ向かったと思いますが、スケジュールを管理していた責任は私にあったので今日中に東京へ無事に帰せてよかったと心底安堵しました。

このカツカツな北海道旅行の全行程に付き合っていただきありがとうございました。それと同時に必ずや今回の反省を今後の長い旅行人生の糧にすると約束します。