北海道東北旅行 後編
この記事では北海道からの帰路を記述します。はたしてこれを帰路といえるのかわかりませんが。
7日目(2019年8月22日)
7日目の行程です。まだまだ続きます。
前回は夜しか見れませんでしたが今回は青森で暁を見れました。
早朝から津軽線に乗ります。
蟹田で運行形態が分離されているらしく必ず乗り換えが必要です。
寝ぼけてその乗り換えの時忘れ物をしてしまったのですが、ギリギリでおばさま方がそれに気づき列車に持ってきてくれたので事なきを得ました。大変ありがとうございました。しかしこれは大きな失敗とかんがみて忘れ物対策が必要だと対策を強いられました。
途中で貨物列車と新幹線の合流するための施設などあり結構楽しめました。
三厩では時間があったので少し歩くと海が見えました。
雲がどんよりしていました。
三厩の駅舎です。こじんまりしています。
阿仁合駅で乗り換え角館まで進みました。
もう少し勉強していけばよかったのですが、あまり覚えてないのが残念です。
今ならもう少し楽しめたのになと思います。
その後は田沢湖線で大曲まで進みました。
その後奥羽本線で南下します。この区間で駅メモの秋田県を全駅取得完了しましたので、中途半端なところですが折り返しました。最長補完に則っているのでこの区間はどこで折り返しても大丈夫でした。
この駅個人的にはトップレベルで難読だと思います。
盛岡まで東北本線で北上し快活クラブまで歩いたところで今日は終了です。
8日目(2019年8月23日)
八日目の行程です。体力的につらくなってきましたが進みます。
まずはIGRいわて銀河鉄道で二戸駅まで行き来ます。
そこからはバスで久慈駅へと抜けます。
南北統一された三陸鉄道に乗りに行きます。
⑳三陸鉄道リアス線(久慈~盛)
久慈駅からはこの列車でした。
この列車は旧山田線区間も通り一気に釜石まで行ってしまうそうです。
切符も一枚になりました。
釜石での乗り換えの時に止まっていた列車です。岩手県だからイシツブテを起用するのは面白いですね。この列車には乗れませんでしたがそのまま三陸鉄道で南下し盛駅まで行きました。盛では大船渡線に乗り換えますが、駅メモの方がちょっと調子が悪いのか接続状態があまりよくない状態が続いています。しかし駅自体は取得できるので先に進むことにしました。
順調に進んでいましたが乗車20分ほどしたところで駅メモが繋がらなくなりました。異変を感じ取り、近くに折り返し可能なバス停を瞬時に探して下車しました。折り返しのBRTなかなかこないのでそれ以外のバス停を探しました。
何もない野原のバス停ですが、バス停があるだけよかったです。とりあえず陸前高田まで戻ればなんとかなるだろうと考えそれに対し最適な行動をとれました。この対応はぼちぼちよかったと思います。折り返しのバスを待つ間に公式アナウンスがあり、外部のサービス障害が原因とのことでした。SNSなど見てみるとAmazonAWS東京リージョンというところで起きた障害らしく、駅メモ以外にもpaypayなど決済サービスや暗号資産系のサービス、その他多くのゲームなど影響が出ている大規模障害だということが判明しました。
大沢にバスが来たので乗って陸前高田まで戻りました。悔しかったですがしょうがないので陸前高田でラーメンを食べました。
これが結構おいしかったです。気分が回復するのにこれほどまでに貢献するとは思いませんでした。三陸にこれだけ来ていたのに名物を食べたのは初めてな気がします。今日中に復旧してくれれば気仙沼で一泊しようと目処を立てまして、陸前高田駅周辺を散策しました。今までの経験がものを言ったなと当時は思いました。
しかし陸前高田周辺には宿泊できるような施設はなかったので、今日中に復活してくれと祈るばかりでした。さもなくば野宿が決定していまいます。記事を書いている今ならそれも全然辞さないですがね。
その後祈りが届いたのか、AWSの復旧アナウンスはないけれども繋がる状況を確認したので緊急メンテナンスを終了しました。という運営から告知がありましたので、旅行を再開することができました。このときの運営の対応はよかったですね。これが19時くらいのことだったと思います。足が止まった時間は三時間くらいで済みました。
再び陸前高田からBRTに乗り込み、一時はどうなるかと思いましたが無事に気仙沼に到着しました。駅メモでの岩手県全駅取得も完了しました。その後まだ気仙沼線のBRTも動いていたので、ネットカフェの最寄り駅である南気仙沼まで行くことができました。そこでゆっくり休憩し無事に一日が終わりました。
9日目(2019年8月24日)
九日目の行程です。この日が最終日となります。
そこからは石巻線で小牛田へ。ここまでは前回乗ったことのある経路です。
㉒陸羽東線(小牛田~新庄)
この日は前日に快活クラブにとまれなかった影響でかなり写真が少なくなってしまっています。前日よりも行程の変更で手いっぱいだったということもあります。あんまり車窓の風景を覚えていないのは勿体なかったなと思いますが致し方ないことです。
㉓陸羽西線(新庄~余目)
新庄からは西線に乗り換えて余目を目指します。これも次の乗り継ぎが1分しかなかったり、そのために準備することがあったりと忙しかったです。
余目での1分折り返しに成功したので無事、山形県の全駅取得が完了し次に進めます。
そのまま新庄まで戻りました。
新庄からはバスに乗って仙台まで急ぎます。高速バス特急48ライナーです。この部分を発見するまでに相当な行程を考え、やっとみつけたパズルのピースがこれでした。朝から何も飲み食いしていなかったので、駅弁と飲み物を調達してバス停に行きます。ここで乗り遅れればすべておじゃんです。お祭りの影響でバス停が変わっていたみたいで焦りましたが、ちゃんとバスが来るところに行けました。お祭りを見物するくらいの心の余裕があればよかったのですが、時間的にも厳しそうでした。
バスの車内は空いていたので、ようやく一段落つきさっき買った弁当を食べました。
温めておければよかったなと思いながらも空腹ブーストで瞬時に食べきりました。
このバスを広瀬通一番街で下車し、地下鉄に急ぎます。
乗り換えが結構うまくいったので泉中央まで実際に行くことができました。ここで宮城県の駅を全て取りつくしました。
長大な旅行の成果の一つです。
泉中央からは折り返し仙台駅を目指しました。
その後時間に余裕がありましたので、仙石線の一駅だけの未乗区間に乗ることにしました。あおば通駅まで歩き仙石線で仙台駅に乗り込みました。
その後は常磐線でも帰れることに気づいたので、常磐線に乗り入れる列車に乗りました。
㉕常磐線(岩沼~水戸)
この電車は一気に原ノ町まで行くみたいです。復旧の準備が結構進んでいることがわかります。
乗り換えてこの列車で浪江まで行きます。
線量計が置いてありました。この分野については無知なので数字を見ても何もわかりませんが、普通の空間では大した事なさそうです。
この辺は徐々に代行バス区間が短くなっていってるみたいで、当時は富岡までの4駅の区間でした。
車窓を見ていましたが暗くてあまり見えませんでした。しかし一つだけ言えることは、私が見て来た東日本大震災の被災地の中で一番復興が遅いということです。ここに人が又住むことはできるのでしょうかと思ってしまいます。線量が下がったとしても一度住むことをやめた地区にまた人を定住させることは容易ではないと思う部分もあります。近年常磐線が全線復旧したのでここからが本当のスタートだと思います。
いろいろ風景を見ていますとすぐに富岡につきました。
富岡ではすでに次の駅名が書いてある駅名表を見ました。テープで隠してありますがこれは復旧の準備でしょう。
ここからは見たことある列車がバンバン走っていたので乗りまして、いわき、水戸、取手、日暮里と4回にわたって乗り換え新宿に到着です。これにて長い長い旅行が終了しました。
まとめ
今回の成果です。
石勝線
文字に起こすと意外とすっきりしますね。次回はもう少し小規模なものになりそうです。長大な旅行にお付き合いいただきありがとうございました。